ちょっとサッカー2002年W杯版

 ここではサッカーの発展を願って、我輩の言いたい放題を、日記や、論評などで書き綴ったものを集めています。2002年は日本・韓国共同開催のワールドカップサッカーが行われ、特に念入りに論じてきました。既に過去のことですが、ワールドカップ予想や感想、展望など、我輩が論じたことがどれだけ実際と合致していたか確認する意味で、2002年W杯版として特集してみました。

2003年5月5日

 

6月26日(水)の日記より

昨日のワールドカップサッカーで、韓国はドイツに0対1で敗れ、決勝進出は果たせなかった。我輩の予感は見事に外れ、韓国選手は疲れが抜けきらずにいたようだ。限られた日程で多くの試合を消化しなければならず、全ての試合に全力投球で臨んだのでは疲れが蓄積し、どんなに良いチームでも試合数が増すにつれて勝ち残るのが難しくなってくる。その点、ドイツはペース配分を充分に心得ているようで、どの試合も負けない試合を意識しているようで、余り誉められたゲーム展開ではなかったが、昨日の試合は非常に良い動きをしていた。伝統に基づく試合運びと言うべきなのだろう。日本、韓国ともに技術的、戦術的、体力的に世界に充分通用することを立証、大きな布石を打ち、次回のワールドカップまでに、伝統に基づくサッカーが築かれることと思われる。

 

6月25日(火)の日記より

ワールドカップサッカーは、審判の誤審が大きな問題になっている。予選リーグでも同様な問題が出ていたが無視されてきたのに、イタリヤやスペインなど、ヨーロッパ強豪のクレームにはFIFAも無視できないと見える。サッカーをつまらなくする要因に審判の誤審も含まれているが、汚い反則が横行することのほうが、さらに面白みを失わせている。いずれにしても、世界中の人々がサッカーを愛しているのだから、原点に返って抜本的な見直しを図る必要がある。

 今日は韓国対ドイツ戦がある。韓国にぜひ勝利してもらいたいと思うが、厳しい試合になることは確かである。ドイツはヨーロッパを代表するチームとなり、ヨーロッパの威信がかかっているのではなかろうか。アジアがヨーロッパを席巻するなど、考えられないのがサッカー関係者の常識で、韓国を何としても蹴落とそうと躍起になっているに違いない。韓国は今回のワールドカップで旋風を巻き起こし、開催国として、そしてアジアのサッカーを世界に思い知らせる役割をも充分に果たし、もはや失うものは何もないはずである。思い存分戦えると思われ、良い試合ができると信じたい。ドイツに勝利すれば、誤審騒ぎも消沈してしまうのではなかろうか。

 

6月22日(土)の日記より

連日ワールドカップサッカーの話しになるが、我輩が予言した通り、韓国は、正に旋風を巻き起こし、優勝候補のポルトガル、イタリヤに続いて、スペインをも撃破した。今日の試合は負けても仕方がない状態だったが、運と審判を味方に付け、PK戦で勝利した。

 先日の対イタリヤ戦で、韓国は疲労こんぱいしているだろうと予想していたのだが、予選の時と少しも変わらない、素晴らしい動きをしていた。韓国選手は人間ではないと内心思ったほどだったが、今日の試合は今までの疲れが全てにじみ出たようで、活動量が半分にも満たなかった。肉体のみならず精神も疲れきって、どうにもならない散漫プレーが多かった。ヒディング監督は諦めきった表情で、選手の怠慢プレーにも声を荒げることなく、ワールドカップの長くて厳しい闘いをじっくりと味わっているようだった。

 今日の試合は、前半戦、審判の判定がスペインよりに感じられ、韓国が勝つのは難しいと思ったのだが、運だけはしっかりと引き寄せていた。後半戦になると、何があったか想像しがたいが、審判はがらりと韓国よりとなった。うがった見かたをするなら、補助審判員の「スペイン汚し」との助言が大きく影響したのではないかと想像してみた。韓国も手を使った汚いプレーが多かったが、それ以上に、ヨーロッパ選手は手を使うのがテクニックとしてはばからず、サッカーを冒瀆している。ヨーロッパが間違いなくサッカー界をリードしているが、悪質プレーも同時にリードしており、サッカーの面白みを半減させていることも確かだ。審判の誤審も困ったものだが、手を使ったプレーはさらに問題であり、もっと厳しくあるべきである。一発退場もあってしかるべきで、長期出場停止も考える必要がある。今回のワールドカップで、巧さやずるさで頂点を目指すのは不可能だと証明された。ここで原点に返って、サッカーを、本来あるべき姿に戻すべきである。

 「勝敗は時の運」、負けて当然の試合を韓国はものにした。二試合続けて延長戦を闘い、次のドイツ戦は、さらに疲労が増して苦しい戦いになると想像するのが妥当なのだろうが、あえて反対の試合展開を予想したい。韓国にとって今日の試合は、運動量が激減したためにかっこうのトレーニング代となり、むしろ疲れが抜けたのではないかと予感している。ドイツをも撃破して、セネガルと決勝を戦うと予想したい。

 

6月19日(水)の日記より

昨日のワールドカップサッカーは、日本の敗戦で意気消沈したが、夜の韓国戦を見て気が高ぶった。5日の日記で、「旋風を巻き起こす」と予言したが、韓国はイタリヤを破って正に旋風を巻き起こした。決してフロックで勝利したわけではなく、実力どおりの結果である。もはやサッカー界の勢力図は大きく塗り替えられており、強豪と自負しているチームも、根底から考え方を変えていかないと、フランス、ポルトガル、アルゼンチンのように、予選で敗退してしまう。韓国や日本、アフリカ勢の伸長は、サッカーの発展を促す起爆剤となる。

 韓国が強豪国の仲間入りをした要因は、オランダ人監督、ヒディング氏の影響が大きい。昨日の采配でも、1点リードされ、イタリヤの足が止まって守りに入ると、フォワード登録の選手を、守備的な選手と3人交代させ、最後まで攻撃姿勢を崩さなかった。韓国サポーターの気持ちを汲んで人気選手をつぎ込み、選手とサポーターが一体となったゲーム展開となった。韓国選手は最後まで諦めずに精力的に走りつづけ、攻撃になるとゴール前に3人4人と走りこんできた。結局、イタリヤはプッレシャーに押しつぶされ、ミスが続いて逆転されてしまった。これこそ真の実力で、うまさとずるさで凌ぐには限界がある。今後の世界サッカーは、一定レベルの個人技と最後まで走りぬく体力がベースとなってくるのではなかろうか。欧米選手のスタミナは、日本や韓国の選手より完全に劣っていた。

 日本の敗戦を何度も語るのは不愉快であるが、韓国の勝利とどうしても比較してしまう。日本も、今までに多くの国際試合を経験してきたが、トルシエ監督の選手起用が、果たしてサポーターの気持ちをどれだけ汲んできただろうか。テストマッチでは、勝敗以上に選手個々の能力を推し量る場であり、もっと多くの選手を起用して欲しいとのサポーターの願いは、全くといって勘案されていなかった。むしろ、期待を逆なでするような采配が目に付き、常に心残りがあった。敗れたトルコ戦でも、選手起用に疑問を抱いたサポーターが少なからずいたはずである。応援も、しこりを感じさせるものとなり、盛り上がりが今ひとつだったように思えた。

 5日の日記では、日本と韓国の差を監督に置いて、日本は厳しい試合展開を予想し、韓国の旋風を予言したのである。

 

6月18日(火)の日記より

日本のワールドカップサッカーは今日で終わった。力が劣って敗れたのであれば諦めがつくが、明らかにトルコより実力が上であった。誰が見ても明らかのように、采配ミスは否めず、我輩が一番恐れたトルシエ監督の影響をぬぐいきれなかった。残念である。

 日本チームは一試合ごとに大きく成長し、トルシエ監督の手から離れて一人歩をしていたように思えた。選主間のコミュニケーションが充分に図れ、一体感の持てるチームになっていた。しかし、宮本選手の「フラット3の変更」発言に対する回答や、「中田選手をしかった」との噂など、トルシエ監督が権限を行使して、一人歩きしだした選手を戒めている姿が浮かび上がってくる。

 決勝トーナメントに入って、どの試合も実力のあるチームが勝ち残っているのに、日本のみが結果が出なかった。「勝敗は時の運」というのが全てであるが、これほどまでに選手起用に勝敗が大きく左右されたゲームも少ないのではなかろうか。上位を狙えるチャンスが大きかったので、余計がっかりである。

 オリンピックも、トルシエ監督のもとに戦ったが、アメリカに勝っていながら、ペナルティー戦に持ち込まれ、惜敗して上位に食い込めなかった。その時も、トルシエ監督の決定的なミスがあった。右サイドバックの酒井選手が、疲れから動きが悪く、誰が見ても早い交代が必要だった。しかし、交代はされずに、ペナルティーエリアで反則を犯し、ペナルティーキックで同点にされてしまった。蛙が蛇ににらまれたかのように、監督は窮地に立つとパニックとなって、何もできなかったのである。悪評を買ったが、結局は、サッカー協会の無策が指導体制を変えることができずに、ワールドカップを迎えることになってしまった。責任は重大である。

 日本のサッカー指導者は、日本は弱いとの先入観と、何の値打ちもない面子があって、チーム作りも守備的になってしまう。ワールドカップサッカーでの解説者の話しを聞いていても、全てが先入観で論じており、日本選手の実力を正当に評価していた者はいなかった。指導者の多くが、かつての名選手で、指導力と必ずしも結びついていない。真の指導者たる人材を発掘していかねばならないときがきたのである。先ずは、余計な先入観を持たないことで、若いことが絶対条件となってくる。非常に期待できるのが、相馬選手と名波選手である。まだ現役バリバリだが、次回のワールドカップまでに、ぜひとも指導部の一員になってもらいたいものである。

 

6月14日(金)の日記より

ワールドカップサッカー、日本対チュニジア戦を観戦してから日記を書いている。日本の勝利に、ただただ感激である。

今日の試合は、日本選手の落ち着きぶりに驚かされたが、落ち着きと、疲れが重なって、前半の残り10分くらいは集中力に欠ける場面があり、少々ひやひやさせられた。日本選手全体に疲れが感じられ、身体の切れがなかった。相手チームも同様で、最後の詰めが甘かったのが、一つの勝因になっている。後半に元気な森島選手と市川選手が入ると途端に試合の流れが日本に傾き、森島選手が先取点をあげて、チュニジアのささやかな夢を打ち砕いてしまった。我輩の予想では、常に森島選手をキイマンにあげており、やっと本格起用されて、予想通りの活躍をしてくれた。中田英選手も得点をし、昨日の予感が当たったが、柳沢選手は前半でお役ごめんとなり、得点できなかった。小野選手は得点こそできなかったが、守備での貢献度は多大で、これも大活躍の1つではないかと思う。いずれにしても、選手一人一人が献身的なプレーを惜しまなかったのが勝因であり、正に、日本サッカーの真髄ではないかと思う。選手同士のコミュニケーションが充分に図られ、気持ちが一つになった表れである。我輩の2つ出した予想の、『良いほうの結果』が出て、嬉しくてならない。選手間の揺るぎない信頼関係が維持されれば、決勝トーナメントも良い結果をもたらすと予想したい。

 

6月12日(水)の日記より

ワールドカップサッカーは、昨日のフランスとともにアルゼンチンが敗れ、優勝候補の最有力チーム2チームが予選敗退となった。実力的には間違いなく上位にあるチームと思われるが、我輩が何度も言っているように、「勝敗は時の運」である。ワールドカップに勝ち上がってきたチームは、「運」がよければ勝てるだけの実力を備えていると考えるべきで、相手を見くびって、気の緩みや慢心があると、途端に厳しい試合になってしまう。一方で、地域予選で、本大会進出が危ぶまれた、ブラジル、ドイツが強さを発揮している。危機意識をもって本大会に臨んだのに違いない。スポーツは、気持ちの持ちようがいかに大切かを示すもので、ワールドカップ開催国の多くが予選突破を果たしており、日本、韓国の充実振りは、世界の国々が目を見張っていると思われる。

日本は今、予選リーグ1位におり、最終戦は格下と思われるチュニジアで、非常に有利な状況にある。まさか慢心はないと思うが、甘く見ていると、とんでもないことになる。ゲーム展開を安易に変えると持ち味が失われ、建て直しが難しくなる。イングランド及びドイツの予選最終戦を見たが、星勘定との兼ね合いで守勢のゲーム展開をしていた。次の試合で切り替えをして、本来の強さを発揮するつもりでいるのだろうが、チームとしてのリズムが崩れ、点を取るのが難しくなるのではないかと予想している。日本は次の試合でも、本来の攻撃的なサッカーをすると信じている。予想は、「運」を牛耳って勝利するである。予感として、中田英、小野、柳沢の各選手が大ブレークするような気がしてならない。楽しみである。

 

6月11日(火)の日記より

映像日記が、本格的な日記になったのが、ちょうどワールドカップサッカーの始まりと同時で、毎日サッカーのことを書いている。元来サッカー好きで、見るのは元より、実際にやるのも嫌いではない。テレビ向きのスポーツ、野球やゴルフ、テニス、アメリカンフットボールなど、いかにもアメリカ人好みのスポーツは、少しも見る気にならず、もっぱらサッカーである。ワールドカップサッカーが終わるまでは、今の調子でいってしまいそうである。

早速サッカーの話しになるが、昨日の試合で、韓国対アメリカ戦が気になって仕方がなかったが、編集番組でハイライトシーンを見るだけであった。試合の内容は分からないが、全体的には韓国が押していたようであるが、結局引き分けとなった。次の対戦相手がポルトガルなので、予選突破は予断を許さない状況になってきている。実力的には勝てない相手ではないと思うが、「勝敗は時の運」、昨日は韓国につきがなかったようで、次の試合はぜひとも運を味方にし、勝利して欲しいものである。日本も進出が決まったわけではないが、状況的には非常に有利になって、負けでも1点差なら予選突破となる。だからといって、守り主体の試合展開だと、間違いなく苦しい試合となってしまう。今までどおりに、選手一人一人が力を出し切ってもらいたいものである。

先日の日本対ロシア戦で、日本守備陣は失点をしなかった。我輩の予想で、失点は免れないと断言したのだが、見事に外れてしまった。ただ、今日の新聞で、宮本選手のコメントの中に、選手同士で話し合って、トルシエ監督直伝の「フラットスリー」なるものを変更して試合に望んだそうである。今や、日本選手は自らが一定の戦術を身に付けており、前にも論じたが、試合になれば選手一人一人の判断となり、型にはめるより、選手同士が話し合って自主性を重んじたチーム作りをすべきである。チームとしての意思は最低限確立しておけばよいのである。『ちょっとサッカー』では、我輩の予想を二通り提示してあり、日本が2勝1分の可能性をも予想した。代表が決まってから実際の試合まで、思った以上に時間があり、中田英選手を中心に、選手間のコミュニケーションが充分に図れれば勝機はあると論じた。どこまでコミュニケーションが取れたか分からないが、チーム一丸となった雰囲気を見る限り、選手主導のゲーム展開がなされている。予選突破は、もはや夢ではなくなった。

 

6月10日(月)の日記より

ワールドカップサッカー、日本の勝利に日本中が沸いた。愛国心に程遠い国民性とは思えない熱狂振りで、サッカーの及ぼす影響がこれほどまでに大きいとは夢にも思わなかった。

 我輩自身も少なからず興奮し、予想が外れたことに大満足だった。「勝敗は時の運」であり、昨日の試合で日本は、神々の気まぐれと、審判のさじ加減を全て味方に付けた感じである。稲本選手の得点シーンは、鈴木選手がオフサイドラインを超えていたが、プレーに関わっていないと判断され、得点を認められた。審判によってはオフサイドを取ってしまうケースが少なからずある。これも予想に反し、審判を味方に付けたのが大きな勝因になっている。ロシアのシュートがことごとく枠を外れ、日本も決定的な場面に何回もシュートを外している。神々の意地悪にいらいらさせられたが、結局は日本に味方して、勝利をプレゼントしてくれた。ただ、得点場面の中田浩、柳沢、稲本選手のパスワークは、おそらくは、世界のサッカー関係者が驚嘆するほどの素晴らしいプレーで、日本の評価が格段に上がったに違いない。選手一人一人が持ち味を充分に発揮した試合で、勝敗を抜きにして大いに満足した。

 日本の勝利を素直に喜ぶと同時に、サッカーとはいったい何なのだろうか、語ってみたくなった。ただの玉蹴りなのに、人間を狂気させる。日本の勝利に歓喜して、各地で、若者たちが夜明かしで騒いでいたようである。ロシアでは日本戦の敗北で騒乱が起き、死者まで出したようだ。テレビ視聴率では、東京オリンピック、女子バレー決勝に次ぐ高視聴率をあげている。日本が決勝とトーナメントに進出するようであれば、女子バレーを越すのは間違いなく、何もかもが歴史的な大会になりそうである。

 『ちょっとサッカー』でも語っているが、サッカーは誰にでも手軽にできるスポーツで、人類にとって最も底辺人口が多いのである。人間の持つ本来の能力をフルに発揮できるスポーツで、言い方を変えると原始のスポーツである。文明の発達は必ずしも人間の能力をフルに発揮できる体制とは限らず、むしろ人間を型にはめ、権力者に都合のいいように作られている。人間は自由であって自由でなく、人間の持つ自由な発想が抑止され、常に鬱積した状態で生活している。本来、人類は優れた動物であり、早さ、強さ、高さ、発想、機転、想像、協調、忍耐、保守、優しさ、思いやりなど、人それぞれがもって生まれた能力があり、自分の持っている能力をフルに発揮するところに大きな満足がある。サッカーは、金では買えない本来の能力が発揮されるもので、原始の欲求と重なって、人々の心をひきつけるのではあるまいか。

日本の社会を考えると、分別を持たぬ情報が優先され、若者たちは常に型にはめられようとしており、自由であって全く自由がない。原始の欲求が渦巻き、サッカーに狂喜するのはごく自然な成り行きなのではあるまいか。老人天国を目指す日本は、社会そのものが形骸化して、先行きが全く不透明である。若者の能力を発揮できる社会に再生していくには、今の体制に甘んじていたのでは不可能である。全く違った発想で雇用を創生していかねば、日本そのものが沈没してしまう。サッカーの盛り上がりに、社会情勢が見え隠れする。

 

6月9日(日)の日記より

ワールドカップサッカー、日本対ロシア戦が始まる前に日記を書き上げ、心置きなく観戦しようと思っている。予想は、「勝敗は時の運」としか言いようがないが、ただ、先日の試合を見ても、日本の問題点は改善されておらず、失点は免れないだろうと予想している。どうしても『ちょっとサッカー』で論じた、悪いほうの結果にたどり着いてしまう。勝敗は別にして、選手一人一人がベストを尽くしてもらいたいと、心より願うところである。

 昨日のワールドカップサッカー、中国対ブラジル戦を見て、どうしても語ってみたいことがある。ブラジルが4対0で圧勝したが、我輩は点差ほどの力の差はなかったと思っている。何よりも経験の差が中国の大敗をもたらしたもので、個々の能力が劣っていたとは思わない。前半戦はブラジルの速さやテンポに翻弄され、いいようにやられていたが、後半戦になると慣れてきて、所々で選手個々の能力が光っていた。日本もJリーグ発足前は海外との交流に乏しく、Jリーグが始まってからしばらくは、海外選手の個人技が目立っていたが、何年かすると日本選手も海外のプレーに慣れてきて、個人技のレベルがよほど高くないとチームプレーを阻害する無用の長物になっていた。Jリーグには韓国選手が多く加入しており、先日のワールドカップサッカー、対ポーランドの試合を見ても明らかなように、非常にレベルが高くなっている。中国選手に欠けているのは経験だけで、海外にどんどん進出していけば、遠からず世界に肩を並べるチームができるはずである。その意味でも日本、韓国、中国の三国がサッカー協定を結び、より親密な交流を図って世界に対抗していくことが望まれる。南米サッカー、欧州サッカーがサッカー界を二分しているが、アジアにはアジアに相応しいサッカーがあるはずで、アフリカとともに、サッカー界を四分するぐらいになるべきである。日本にとっても、アジアにとっても、さらには世界のサッカーにとっても非常に意義があるのではなかろうか。

 

6月5日(水)の日記より

韓国は、オランダ人のヒディング氏に託してチーム作りをしてきた。ヒディング氏は前回のワールドカップで韓国が対戦したオランダの監督を務めていたそうである。その人がいかなる経緯で、監督を引き受けたのか知らないが、縁あってチームを率い、昨日の対ポーランド戦で、韓国に歴史的な勝利をもたらした。

 試合当初は硬さがあって動きがぎこちなかったが、次第に培ってきた力を出し始め、ゲームの流れは韓国が有利に進められ、世界の壁を乗り越えたとの実感があった。韓国には日本の中田、小野選手のような抜きん出たゲームメーカーはいないが、組織力でゲームを作り上げ、個々の持っている能力を有効に生かした、素晴らしいチームに仕上がっていた。韓国には日本にないディフェンス力があり、得点は日本と同じ2点だが、失点を0に抑えている。ディフェンスの中心、柏レイソルに席を置いたこともある洪明甫選手の能力は、世界でもトップレベルにあると感じられた。

ポーランドとベルギーは同じようなチームで、日本と韓国の力を比較するのにはちょうどよく、指導者の力量の差が歴然とした感がある。選手一人一人の力は、日本も韓国も世界に充分通用するようになってきており、後は選手の能力をフルに発揮できる、チームとしての完成度にかかってきている。韓国の完成度は非常に高く、先取点のシーンは正に組織力の賜物ではないかと思う。韓国は個人の好不調の影響が比較的少ないチームだと思われ、予選突破は濃厚であり、2002年ワールドカップサッカーでは、旋風を巻き起こす予感がある。一方、日本の予選突破は予断を許さず、昨日の試合で見せた、中田、柳沢選手の相手に与えるプレッシャーを、どこまで生かせるかが鍵を握っているのではなかろうか。

日本の勝利を祈って、あえて昨日の試合をむしかえすが、ほとんどの評価が得点に目が向いてしまうのが歯がゆくてならない。得点をしたシーンは確かに素晴らしかったが、試合の流れを作っていたのは、中田、柳沢の両選手である。二人に対する相手のマークは非常に厳しく、汚いプレーでピンチを凌ぐというシーンが何度もあった。柳沢選手がゴール前で倒されることがあったが、完全な反則で、審判の誤審は否めない。これが世界のサッカーであり、仕方がないことだと諦めるしかないが、柳沢選手の能力は、完全に世界のトップに近づいている。中田選手もしかりで、両選手は何人もの相手選手を引き回しており、そこで生まれてくるスペースは他の選手をフリーにさせ、得点に結びついているのである。このことを正当に評価できないようでは、サッカーは語れない。先ほども述べたが、中田、柳沢両選手の果たす役割をどれだけ生かせるかで、勝敗が決まってくる。森島、小野選手を前線で絡ませてくれば相手を完全に翻弄できるはずで、最低でもこの4人は同時に使ってもらいたいものである。

 

ワールドカップ予想U 6月3日

 ワールドカップサッカー予想は既に書いたところだが、一つ見逃していたことがある。それは、日本代表が決まってからの後の時間である。

 通常であれば、代表選考が済んだ後も、監督を中心に今までのチーム作りがそのまま延長されるが、日本は選手同士が独立独歩でチームワーク作りをする可能性がある。中田選手を中心に色々な攻撃パターンが形作られていくのではなかろうか。それは監督の力の及ばない部分を穴埋めするもので、監督も黙って見ているしかないはずである。監督が作るのではなく、選手自身が作るチームが浮かび上がってくる。

サッカーは思惑通りに、決められたパターンでゲームを進められればいいが、相手も同様に自らのゲームプランに持ちこもうと躍起になってくる。形を決めてあっても状況によって変化せざるをえないもので、ピッチにあっては選手自らが全てを創造していくのである。日本には、創造性に富み、どんな変化が起こっても意思疎通が図れる選手がいる。中田、小野、森島、柳沢の各選手は、指示されなくとも臨機応変に可能性を導き出せ、全くプランにない、意外性のある攻撃展開が創造できるのではなかろうか。今までの国際試合をみても、中田、小野選手がいきなり加わった試合でも、4選手の動きによって相手を翻弄する場面が何度もあった。代表に選ばれなかったが、中村、名波選手なども同様で、何をしたいか、何をすべきか互いにひらめき合えるのが日本の最大の武器なのである。他の選手がパターン化された動きに徹すれば徹するほど、4選手の役割が生きてきて、世界のどのチームにもない、バリエーションに富んだ展開となるのではなかろうか。

日本のチーム作りは、「選手の自主性を重んじたものにすべきだ」というのが我輩の持論で、型にはめることは大きな欠陥点になると思っている。チームの意思と選手の意思を融合すれば世界屈指のチームができると確信している。現在のチームは型にはめることを重視してきたが、国際試合を重ねるにつれて、機能しないな部分が浮かび上がってきた。指導力に陰りが生じ、選手に任せざるをえなくなってきた。代表が決まってから、思った以上に日数があり、選手間のコミュニケーションが、かつてないほど取れたはずである。そこで創造されたサッカーがどんなものなのか考えるとわくわくしてくる。後は、コンディションと監督の選手起用にかかってくる。

もし、我輩が願うように、中田、小野、森島、柳沢選手が有効に起用されるなら、ワールドカップ予想が大幅に違ってくる。名波、中村選手の穴を埋めて余りあるゲーム展開が想像され、2敗1分が逆に、2勝1分に替わってくる。それは、10日あまりの時間が日本チームをどれだけ作り変えられたかにかかってくる。中田選手の指導力に期待したい。

 

6月2日(日)の日記より

普段はほとんどテレビを見ないのだが、ワールドカップサッカーが開幕し、サッカーのテレビ放送が多くなって、しばしテレビにくぎ付けになっている。日本でもサッカー熱が高まって盛り上がりを見せているが、基本的には野球が中心のお国柄である。世界の潮流からすれば、ほとんどの国はサッカーがメインに置かれており、「ワールドカップサッカー」が、夏のオリンピックを凌ぐ、世界最大のスポーツイベントなのである。

我輩自身もサッカーが最も好きなスポーツで、冷めた傾向にある人間でありながら、唯一夢中になってしまう。ただ、日本戦以外では、どんなスーパースターがいようと熱くなれず、プレーそのものを冷静に分析している。昨日の対戦で、ドイツ対サウジアラビアを見て、アジアのレベルがいかに低いか痛感させられた。アフリカ勢の伸長を目の当たりにしており、世界のトップとの差は広がる一方に思えた。

日本がどれだけ世界に通用するか改めて分析してみたが、現状の日本代表、トルシエ体制では結果が出せないとの予想に達する。日本には他の国とは全く違う、独特のサッカーが成り立つと思っている。個人が海外に進出して必ずしも有用されなくとも、日本特有のサッカーを目指せば、トータル的に力を発揮できる選手が多くいる。トルシエ監督はヨーロッパ的な選手を有用する傾向にあり、ヨーロッパサッカーを目指しているのではなかろうか。ヨーロッパを真似ても、日本人を変えることができないのだから限度がある。今回のワールドカップでは間に合わないので、次回の大会に向けて、日本人が一番力を発揮できるサッカーがどんなものなのか研究する必要がある。次期の指導体制に願うところである。

 

6月1日(土)の日記から

昨日からワールドカップサッカーが始まり、熱い闘いの幕が切って下ろされた。昨日のフランス対セネガルの試合を見たが、世界のレベルがいかに拮抗してきたかを痛感させられた。特にアフリカ勢の躍進はすさまじいものがあり、身体能力の高さは尋常でない。テクニックのみならず、スピード、高さ、強さ、柔軟性のどれを取ってみても非常にレベルが高い。後は組織力に磨きがかかれば、アフリカ勢が世界を席巻するのもそう遠い話しではない。フランスの敗戦はジダン選手の欠場が大きいと論じられていたが、もしそうだとしたら日本のように優秀なゲームメーカーが多くいるチームは強いということになる。だが、そんなに甘くないのがワールドカップで、日本が予選で対戦するどのチームも決して侮れないはずである。ぜひとも予選を勝ち抜いてもらいたいと思うが、『ちょっとサッカー』で予想したように、日本が勝つのは難しいと思う。

 

ワールドカップ予想 5月31日

 ワールドカップに向けて作られた日本代表チームは、果たしてどんな結果をもたらすのだろうか。現在の日本の実力は、世界に全く太刀打ちできないというレベルではない。日本人だからこそ可能な組織プレーがあり、選手個々の能力をフルに発揮できるチーム作りをすれば、予選突破も決して夢ではない。では、今の体制で本来の日本の実力を発揮できるかと言うと、否である。

 日本サッカーの最大の弱点は、良い指導者がいないと言うことである。特にサッカー協会に大きな疑問を感じており、トルシエ監督が日本のサッカーに相応しいかどうか、見極めがつかなかったのではないかと思っている。ハッキリ言って、トルシエ監督では日本の実力を発揮できない。

 日本チームの弱点は、トルシエ監督が最も力を入れた守備力で、ワールドカップではどの試合でも必ず失点をすると思われる。相手チームは研究してきており、日本の弱点をどんどん突いてくるに違いない。特に、ディフェンスが一対一に弱いのを見越して、サイドへのカウンターパスを多用し、ゴール近くで反則を誘ったり、コーナーキックに持ちこんだりで、セットプレーに力を入れてくると思われる。今の日本のディフェンス力で、果たしてどれだけセットプレーを持ちこたえられるか考えると、非常に厳しいものがある。

 攻守の切り替えについて考えてみると、名波、中村両選手が代表に漏れたのがとてつもなく痛手である。一発のパスが、攻撃に結びつくかどうかが試合の命運を左右するにもかかわらず、現在のチームでは後方からのロングパスはほとんど機能していない。中盤からの組み立てが中心で、テンポが遅れた分、相手の守備を崩すまでにいたっていない。後は個人の能力と判断頼みで、組織的な攻撃リズムを維持していくのが難しいのではなかろうか。

現状のメンバーの中で最も得点の可能性があるのは、以下の四人の選手が絡んだときである。柳沢選手の速さと判断力は非常に優れており、森島選手を絡ませて、小野選手や中田選手からの一本のパスで、得点するチャンスが何度か訪れると思う。だが相手も研究してきているだろうから、特に警戒してくるはずで、得点するのは非常に難しいと思われる。むしろ、柳沢、森島両選手が反則を誘って、ゴール近くでのフリーキックのチャンスが多く訪れるのではなかろうか。しかし、最も正確なキックの持ち主である中村選手がいないのが大きく、他の選手ではフリーキックで得点するのは難しいと思われる。

 判断力に優れた、中田、小野の両選手をもってしても、ワールドカップでは、個人の判断だけで相手を完全に切り崩していくのは難しい。組織的な攻撃と絡ませて、個人の判断を生かしていくことが、世界戦の大前提である。守備では組織力を発揮すると思うが、攻撃面では機能せず、個々の持った能力に頼るしかないのが、トルシエジャパンの実態ではなかろうか。

 以上が日本チームの分析であり、日本の勝利を祈る思いだが、「2敗1分」で、決勝トーナメント進出はできないと予想している。

 

日本の実力 5月31日

 日本の現在の実力はどれほどのものなのだろうか。ワールドカップ予想をするには、相手国にこだわるよりも、先ずは自らの実力を冷徹に分析してみる必要がある。「勝敗は時の運」と言うが、それはあくまでも一定のレベルに達しているチームに言えることで、日本に、『運』で勝敗を左右できるだけの実力があるのだろうか。

 Jリーグの選手を分析してみたいが、現実にはテレビ放映が少ないので、どんな選手がいるのか細部までは分からない。しかし、競技人口の増大で、年を追うごとに優秀な選手が出てきていることは明らかである。サッカーの要素は画一的ではなく、様様な要素が組み合わさって優れたプレーが演出される。速さ、強さ、技術、精度、判断力、高さなど、選手個々によって持っている能力が異なり、一つでも抜きん出た能力を持っていれば、優れた選手になりうる。現在の日本には、世界に出ても引けを取らない能力の持ち主が少なからずいる。ただ、サッカーにはお国柄があり、どんなに実力があってもチームカラーにそぐわない選手は重視されないので、日本選手が海外に出て実力を発揮できるかは難しいところである。

 日本人選手は判断力に優れた者が多く、中田選手をはじめ、小野、中村、名波、小笠原、森島、柳沢の各選手などは非常にレベルが高い。これらのメンバーでチームを組めば監督もコーチも不要である。何をしたいのか、何を求められているのか、何をすべきか、これらのことを決め事として動くのではなく、自らが瞬間のうちに感じ、判断できる選手である。日本代表の国際試合を見ても明らかのように、このメンバーのうち5人が入っていればゲーム展開が非常にスムーズである。

 速さという面でも優れた選手がいる。速さの中で対応能力が最も重要であり、それは「切れのあるプレー」ということになる。直線的にどんなに早くとも意味がなく、むしろ緩急がよりスムーズに行えるかが能力の指標となる。中田選手をはじめ、森島、柳沢、波戸、ベルディ三浦、レッズ山田の各選手など、それぞれが独特の速さを持っている。判断力と違って、速さは生かされるものであり、チームとしてどれだけ生かそうとするかが肝要で、独立独歩ではどんなに優れた能力があっても通用しない。

 技術と精度は一体的なもので、技術が上がれば精度も高くなるのが本来なのだが、日本のサッカーに関しては全く別ものになっている。ボールを正確に蹴るというのは基本中の基本でありながら、シュートのみならず、パス、センタリング、ロングパスなど、正確にキックできる選手はごく限られている。中村選手や名波選手の精度は世界でもトップレベルだが、中田選手や小野、小笠原の各選手も充分とは言えない。かつて、ドイツのクラマーさん、ブラジルのジーコさんが日本選手を指導しにやってきて、最初に行ったことは基本練習だったという。正確にキックすることが何よりも重要なのである。日本では目立ったテクニックに力が入り、地味なテクニックが置き去りになりがちだ。Jリーグ初年度の鹿島アントラーズは、サントス選手の正確なカウンターパスがアルシンド選手の早さを生かし、優勝をもたらした。近代サッカーでは組織的なゲーム展開が重視され、ロングパスが非常に重要な要素なのである。

 日本が特に欠けているのは、強さと高さである。ディフェンス面では世界の高さにとても太刀打ちできる状況にない。全盛期の井原選手を除いて、世界レベルのディフェンダーは一人もいない。秋田選手が強さの面で唯一世界に対抗できそうであるが、力の衰えは否めない。現状のディフェンス代表選手は、トルシエ監督好みかもしれないが、一対一の守備力の弱さはいかんともし難い。反則の多さがそれを物語っており、高さに引け目がありながら、ゴール近くのフリーキックを相手に多く与えている。トルシエ監督は守備力の弱さを補う方策としてフラットスリーなる戦術を考えたのだろうが、一対一に強い選手を起用しなかったことが、ワールドカップに大きく影響してくると思われる。日本は世界から見ればサッカー後進国で、国際試合においては、相手チームの対日本戦の研究がほとんどされずに戦い、フラットスリーは効力を発揮したかもしれないい。しかし、今年に入ると日本の実力が評価されて研究されるようになったに違いなく、勝ち負けを別にして、良い試合ができなくなってしまった。ワールドカップに近づけば近づくほど苦戦を強いられるようになり、フラットスリーなど意味がなくなって、強さ高さが求められ、秋田選手の起用が急きょ決まったのではなかろうか。

 日本人選手には優れた面と劣っている面があり、劣っている面をいかに補って、勝っている面をいかに発揮できるかがチーム作りの課題である。守備力の弱さを補うのは「攻撃が最大の防御」に尽きるのではなかろうか。攻撃的なチームが日本らしさにすべきであり、攻守の切り替えをより早く行うことが重要である。展開が早ければ早いほど相手へのプレッシャーとなり、相手の攻撃力を削ぐ形となる。前回のワールドカップでは、正に「攻撃は最大の防御」のチーム作りがされながら、本戦に入ると途端に守備的になってしまい、結果は惨憺たるものだった。本来のゲーム展開をしていたら、もっと良い試合ができたはずである。世界に劣っている面が多くあっても、日本だからこそ可能な組織プレーで、世界に充分対抗できると思っている。

 守備では波戸選手、レッズ山田選手などの一対一に強い選手をサイドに起用し、カウンター攻撃の基点になるポジションに名波選手、中村選手、攻撃的面では中田、小野選手を基点に森島、柳沢、ベルディ三浦選手を生かしていけば、強いチームができそうである。最も得点機であるセットプレーでも、中村選手の正確なキックが、ものを言うに違いない。ゲームメーカーの個々の判断と、チームとしての意思を明確にしていけば「鬼に金棒」であり、世界にも引けを取らないチームとなる。

日本は本来、『運』を呼び込むだけの実力がある。

 

日本人のサッカー 5月20日

 お国柄や国家事情で、世界には勝つことに執着するサッカーファンも多くいるかもしれないが、日本人は果たしてどんな国民性なのだろうか。勝つためには手段を選ばぬプレーを望むのか、それともフェアプレーに徹し、チームの力を出し切ることを望むのか。

 そもそも日本人の気質とは何なのだろうか。東洋の持つ奥ゆかしさはかつて日本人が代表され、自己を律して相手を引き立てることをいとわなかった。「内助の功」と言われるように、女性の奥ゆかしさは、日本人の抱く美学であった。実態は異なっても、心のうちに誰もが持っていた、相手を思いやる気持ち、「人情」に左右されるのが日本人らしさだったのではなかろうか。

 日本人らしさは、おのずから歴史に歪められ、現代は既に消滅した感がある。相手を思いやることより、自らの欲求を満たすことが最優先され、「思いやりの心は全く持ち合わせていない」と断定せざるを得ない世の中である。「自分さえよければ他人のことなどどうでもよい」と誰もが考え、選手もファンも皆同じ意識でサッカーに関わっているのではないのか。

 テレビや新聞、街角で目にする現代風物詩を語るのであれば、日本は救いがなくなってしまうが、昔ながらの気質を捨てきれない人間が少なからずいるのかもしれない。サッカー選手の多くが「俺が、俺が」の意識が強く、自らを高く売る、正にプロらしいプロとなってきているが、中には自らをピーアールするより、チーム全体のことを意識して、自らを生かそうとするプレーヤーもいる。名波選手、森島選手、柳沢選手などがその典型で、相手の心が分かる、チームにはなくてはならない存在である。それに、中田選手や小野選手、中村選手のように、優れたゲームメーカーが加われば、世界に引けを取らないチームができるのではないだろうか。

 野球であれば自己に徹しても大きな弊害はないが、サッカーは、個人で成し得ることなど高が知れており、チームに馴染めなければ、どんなに優秀な選手でも使い物にならない。アフリカの星エムボア選手がセリエAへ行って使われなかったり、中田選手がパルマに移って生かされなかったりで、サッカーはチームの和を抜きにして強いチームを作れないのである。

 自己を高く売ることも大事なことであるが、力を出しきれなければ高い評価は得られない。前回のワールドカップ、フランス大会予選で、三浦選手の存在が大きな波紋を投げかけた。日本のサッカー人気を高めたという意味では、最大の貢献者であることは確かであるが、典型的な自己ピーアール型選手で、日本のチームカラーからすると置いてきぼりを食って、ゲームの流れを途絶えさせる存在でしかなかった。日本チームにとって明らかに無用な存在だったが、ミー・ハーなファンや、支援企業、マスコミなどの圧力で切ることができなかったのである。結局、三浦選手を下ろすことで予選を何とか突破したが、あまりにも遅い決断だった。

 日本人気質が失われ、サッカーファンも名前に左右されてしまうのかと思っていたが、マスコミや企業の反応とは全く別で、冷静に実力を見極め、チームにおける貢献度を評価して、岡田監督の決断に少しも騒がなかった。予選大会における岡田監督最大の貢献は、三浦選手を下ろしたことである。本大会で結果が思わしくなかったが、一部批判が出ただけで、岡田監督の責任問題は特に取り沙汰されなかった。ただ残念なことに、岡田監督の本大会采配は、初めから弱いとの意識があって試合に望み、それまで作り上げてきた日本サッカーを歪曲し、守り主体になって、本当の力を発揮できなかった。負けてもともとなのに、今まで培ってきた力を思い存分発揮することよりも、負けない試合、勝つことを意識しすぎたのではないのか。

 日本のサッカーファンは、昔ながらの日本人気質を捨てきれない人が多いようで、勝つための汚いプレーよりも、よりフェア−なプレーを望んでおり、互いに力を出しきった、ぎりぎりのプレー、本物のプレーを見にきているのではなかろうか。現在のサッカー協会や、指導体制は必ずしも日本のサッカーにとってベストの布陣とは思えない。選手の能力よりも指導体制をいかに充実させていくかが最大の課題である。ただ、若い有能な選手がやがて指導者になり、その時には外国人監督を擁立しなくとも、世界に充分通用するチーム作りが成されると思う。

 

魅力あるサッカー 5月20日

 素晴らしいプレーよりも、勝つためには手段を選ばぬプレーが主流になってきているが、それは、サッカーの魅力を半減させている。反則がもっと少なくなれば、優れたプレーが殺されずにすみ、競い合う選手が負けずに磨きをかければ、より高いレベルの凌ぎ合いとなってくる。

 日本では、Jリーグが発足してサッカーのレベルが格段に向上したが、技術以上に反則のテクニックがより国際的になってきている。反則はどうしてもディフェンスに回ったときに犯してしまい、フォワードの選手が標的になる。優れたフォワードが日本にもいるが、そのほとんどが汚い反則で怪我をさせられ、体調が万全な選手はいないに等しいのではないのか。怪我をさせられると精神的な面でも大きな痛手を受け、心身ともに完全に回復するのは難しい。

 フォワードとして華々しくデビューし、大活躍してスタープレイヤーになっても、怪我をして名前が聞こえなくなってしまうという例を何度も見てきている。汚い反則が優れたプレーを抹殺し、選手寿命を縮めているのではなかろうか。ぎりぎりの鍔迫り合いを反則で凌いでいたのではレベル向上は図れない。優れたプレーに優れたプレーで対抗するところに、サッカーの本当の醍醐味がある。

 一般のサッカーファンは、凡プレーの連続で敗戦すると嫌気が差しても、力を出し切った好プレーを随所に見せれば、勝敗にこだわらないのではなかろうか。しかし、マスコミやスポンサーは勝つことが絶対であり、得点や個人に注目が集まり、全体的な流れまで評価する力がないような気がする。リーグの規定で、最終的に勝敗が降格昇格に影響してくるので、チームとしてはどうしても勝つことが目的になってくる。

 昨年(2001年)のJ1優勝決定戦、ジュビロ対アントラーズの試合をテレビで観戦したが、正に死力を尽くした戦いであった。個々、チームともに力を出し切り、反則が少なく、ボールが止まらず、好プレーの続出で、結果など少しも意味がない気がする。特に、鈴木監督が作り上げたジュビロのサッカーは、個々の能力以上に一人一人の力を出しきったトータルサッカーであり、賞賛に値する。ジュビロは一つもカップを手にすることができなかったが、J1年間勝率は一番で、日本だからこそ作り上げられる、サッカーの真髄を見せてくれたと思っている。

勝ちにこだわったチーム作りはレベル向上と必ずしも結びつかず、結果的に強くなれないのではなかろうか。むしろ、個々の力を出しきれるチーム作りを目指したほうが、長いシーズンを通せば結果が出て、強いチームとなるのである。

 Jリーグのチームを率いる監督は、多くが外国人で、日本人監督は大きな成果をあげていない。ジュビロ鈴木監督が唯一結果を出していると言っても過言ではない。外国人監督でも必ずしも結果は出ておらず、ごく限られた指導者だけが、日本人気質と個性を見抜いて素晴らしいチーム作りをしてくれたのである。有能な選手がいても、生かされずに、姿が見えなくなってしまうケースが少なからずある。小野選手も、レッズ時代は力を出しきれなかった。どんなに能力が高くともチーム作りがきっちりとできなければ生かせないのである。レッズはどこのチームにも負けないタレントを多く抱えておりながら、J1降格の線上をいまだに抜け出せないでいる。

 多くの指導者が型にはめることを主眼にき、選手の能力を生かすことを忘れがちである。型にはめることが監督としての能力と、勘違いしている指導者が少なからずいる。サッカーは生き物で、型にはめることは根本的に間違っている。時代は元より、季節、相手、天気、試合の状況、それぞれによる戦い方があってしかるべきで、その都度大なり小なり変化をせざるを得ない。その変化に対応するのは選手個々なのである。個々の能力を高め、生かすことこそ、チーム作りの基本ではなかろうか。

 世界の潮流がどうであれ、サッカー後進国日本にとって、より多くの有能な選手を作ることが最優先であり、先ずは原点に戻って、汚いプレーをできるだけ無くし、本物のプレーを身に付けさせていくことが肝要である。