ちょっとサッカー2002年版

 ここではサッカーの発展を願って、我輩の言いたい放題を、日記や、論評などで書き綴ったものを集めています。2002年は日本・韓国共同開催のワールドカップサッカーが行われ、ワールドカップの論評は2002年W杯版で特集し、ここではワールドカップ以外のサッカー論評を集めてみました。

2003年5月5日

 

12月3日(火)の日記より

 トヨタカップサッカー、レアル・マドリード対オリンピアをテレビ観戦した。レアル・マドリードは、日本のプロ野球、巨人のようなチームで、世界のスーパープレイヤーを寄せ集めたドリームチームである。ロナウド、ジダン、フィーゴ、ラウルなど、ワールドカップで注目を集めた名選手が根城押しで、名前でサッカーを見る人には堪えられない試合であったに違いない。しかし、プレーで見る者にとってはそれほど面白いとは言えず、名選手を寄せ集めても名チームができるのではないことを実証していた。ジュビロ磐田ではないが、適材適所、一人一人の力をフルに発揮しったチームこそ名チームで、現実に、レアル・マドリードは、スペインリーグで中々勝てないようである。サッカーの真髄は個人プレーの妙もさることながら、得点に結びつける効率的なプレーではないかと思っている。今回観戦した試合では、レアル・マドリードの不効率極まりないプレーが目に付き、慢心なのか、それともプレースタイルなのか、何度となく疑問を感じた。サッカーファンの中にはヨーロッパのチームばかり一人前扱いにしたがるが、ワールドカップの結果を見ても明らかなように、世界サッカーの潮流は、アフリカやアジアがトップレベルにのし上がってきているのである。先入観でサッカーを見ていたのでは、本当に面白いサッカーを楽しめないのではなかろうか。

 

11月18日(月)の日記より

 昨日のJリーグサッカーは、首位のジュビロが勝利し、2位のアントラーズが敗れたためにジュビロの完全優勝が濃厚となった。前前から論じているが、ジュビロの総合力は、アントラーズを含む他のチームを一歩も二歩もリードしており、完全優勝は当然の結果といえる。ジュビロの強さで一つ注目しなければならないことがある。それは、昨日のジュビロのメンバーに外国人選手は一人も入っていなかったことである。外国人選手の良し悪しで強さが決まるのではないことを立証しており、監督も日本人の鈴木氏で、安易に外国人監督、外国人選手に頼ろうとする姿勢は根本的に間違っているのである。ジュビロには特別な選手はおらず、選手一人一人の持っている力をフルに発揮させるサッカーに徹していた。チーム作りは、監督の構想が先に立って選手をやりくりするのが一般的で、そこそこの結果も出やすい。もし強くなれなくとも、弱体の原因を選手に押し付ければ言い訳がたつので、指導者にとって最も楽なやり方である。だが、それではいつまでたってもにわか作りの悪循環は解消できず、リーグ制覇はけっしてできない。良い選手良いプレーを排出するには、選手一人一人の能力をフルに発揮させるところから始まり、指導者の長期的な見通しと、地道な努力が何よりも重要なのである。

Jリーグを盛り上げるにはレッズの優勝が望まれたので、レッズの後半戦の消沈は非常に残念である。一方で、非常に楽しみも出て来た。それはレッズディフェンスの坪井選手である。坪井選手を知ったのはまだ何ヶ月もたっていないが、並みの選手ではないことはすぐに感じられ、女房殿にこれから活躍すると断言しておいたのである。近々に行われる日本対アルゼンチン戦の代表に坪井選手が選ばれ、ジーコ監督も高い評価をしているのが分かった。日本はディフェンス力が弱く、坪井選手が日本代表の要になると予想している。昨日のレッズ対ガンバの試合がテレビ放映され、その中で坪井選手の履歴が語られていたが、イエローカードを一度も受けていないそうである。大変フェアーだと知り、益々好きになってしまった。中田、小野、中村選手以降、楽しみになる選手が中々出てこなかったのだが、坪井選手の出現で楽しみが倍増した。

 

11月4日(月)の日記より

 サッカー、ナビスコ杯の決勝、アントラーズ対レッズをテレビ観戦した。レッズの実力が上がって、どっちが勝ってもおかしくないゲーム展開だった。レッズ伝統の勝負弱さが運を呼び込むことができず、アントラーズ小笠原選手のキックミスがレッズディフェンスにぶつかって決勝ゴールとなってしまった。我輩は基本的にはアントラーズファンであるが、サッカー人気を盛り上げる意味で、是非ともレッズに優勝して欲しかった。Jリーグセカンドステージでレッズがトップに立ったが、結局はアントラーズに負けて首位をジュビロの明け渡してしまった。レッズにとって、アントラーズは大きな壁になっているようだ。

 

10月20日(日)の日記より

 Jリーグサッカーの話しになるが、先週、浦和レッズが首位に立ち、昨日も延長Vゴールで逆転勝利し、首位をキープした。「ドーハの悲劇」と称して話題となった、8年前のワールドカップサッカー予選時の日本代表監督、オフト氏が、ファーストステージ途中からレッズの監督になり、セカンドステージに入ってオフト戦術が機能し始めたようで、ここまで負け知らずである。レッズが優勝できるか疑問であるが、ジュビロ磐田の対抗馬鹿島アントラーズは、現状では優勝する力が無く、ジュビロの独走を止めるチームが無いと思われたが、レッズが有力な対抗馬になったことは確かである。Jリーグを面白くするとともに、最も人気のあるチームが優勝すれば、サッカーそのものの人気が高まる効果があり、是非とも優勝してもらいたいものだ。かつて、地元チームとしてレッズを応援、テレビ観戦をしてきたが、戦術的に未熟さがいつまでたっても抜けず、ほとほと愛想をつかしていたが、今は様変わりをし、面白いサッカーを展開するようになった。個人技の優れた選手は前前から多く抱えており、指導者に力量のある人を据えれば間違いなく強くなれるチームであった。ここに来てうまく花開いたと思いたい。

 

10月17日(木)の日記より

 昨日のサッカー、対ジャマイカ戦は、ジーコ氏が日本代表監督になって初めての試合で、じっくりとテレビ観戦した。結果は引き分けとなったが、選手が楽しんでサッカーをやっているのがストレートに伝わってくる、大変面白い試合だった。中村選手などは少々張りきり過ぎのきらいがあり、空回りするプレーが多かったが、全体的にはのびのびとゲームに打ち込んでおり、トルシエ前監督の時と雲泥の差である。全員が揃っての練習は何日でもないのに、日本が指導権を握って、好きなようにゲームメークをしていた。チームとしての磨きがかかれば、見ていてわくわくするような、世界的にもトップレベルの素晴らしいチームができあがりそうである。これからの一戦一戦が楽しみになってきた。

それに比べて21才以下の選手で編成されたアジア大会のチームは、とても世界に踊り出るチームではなかった。一人一人の能力の問題というよりも、指導力の問題である。かつてのゲームメイカー余剰のチーム作りと全く異なった、コンビネーションプレーが求められ、指導者としては最もやりがいのあるチーム作りとなる。残念ながら、トルシエ仕込みの指導者、山本監督には少々荷が重過ぎるようで、チームカラーの全くない、実につまらぬチームだった。アジア大会2位の実績に拍手を送りたいところだが、このままの体制でいけば、オリンピックの予選突破はおぼつかないだろう。

 

10月16日(水)の日記より

 今日は、サッカー日本代表監督にジーコ氏が選ばれて初めての国際試合がある。ワールドカップサッカーの時に、ジーコ氏が日本のサッカーに与えた影響が大きいことを論じてきた。サッカーのスタイルにはお国柄があり、ジーコ氏は日本人にあったサッカーを熟知しており、最も強いサッカーができると思っている。結果がどうであれ、面白いサッカーが見られると、大いに楽しみにしている。

 

8月25日(日)の日記より

 昨日、オールスターサッカーをテレビ観戦した。ファン投票で選ばれた選手はごくごく限られた範囲での投票との感が拭えなかった。サッカー大好きの我輩ですらJリーグで活躍している選手の名前をほとんど知らない。ワールドカップ代表や、テレビ放映が多いアントラーズやジュビロ、レッズの選手ぐらいは何とか分かる程度である。ワールドカップサッカーが終わってからJリーグの試合はほとんど見ることができず、テレビ観戦が中心のファンには、オールスターへの投票すらできないのである。サポーターによる投票は、ひいきチームの選手に片寄ったり、名が知れているが既に力の衰えが見え始めた、昔ながらのメンバー選出になったりしてしまう。スーパースターは海外へ移籍しているので、外人選手ばかりが目立ち、面白みに乏しい試合であった。唯一、柳沢選手の、ゴール前での鋭い動き出しは目を引いたが、シュートは全て不発で、集中力の欠如は少しも改善されていなかった。社会全体が少なからずサッカーに関心を持ち始めており、もっと多くテレビ放映をすべきである。ごく限られたテレビ人間しか見ないと思われる、ぎりぎりの視聴率しかとれない、やらせ番組が腐るほど出てきており、テレビ自体の価値が大きく下がっている。時代は本物を求め始めており、サッカーは余計な演出が全く不要で、正に本物志向のスポーツである。

 

8月24日(土)の日記より

 先日、オリンピックサッカーを見据えた、アンダー21の対中国戦があった。テレビ観戦して感じたことは、今のチーム状況ではとてもオリンピック予選を勝ち抜けないだろうということである。一人一人の能力は何とも言えないが、チーム力はかなり低い。今までの代表のように突出した選手はおらず、特に優秀なゲームメイカーがいないので、いかにコンビネーションを高めていくかが勝敗の鍵を握ってくる。先日の試合では、チームとしての意思が何も感じられず、選手の動きはおのずから精彩を欠いていた。チーム作りの段階と考えられるが、勝敗に関係なく、第一段階としての、チームの意思を少しでも披露できなければ、完全に指導力の不足と見るべきである。判定が早すぎるようであるが、指導者の力量というのはすぐに分かってしまうもので、自惚れるようであるが、我輩が今まで下した判定に一度も誤りはなかった。早期に体制の立て直しが必要である。

 

8月19日(月)の日記より

Jリーグ、前期最終戦が土曜日に行われ、ジュビロが優勝した。昨年に引き続いての前期優勝で、安定した強さを維持している。鈴木監督のもと、選手一人一人の力をフルに発揮して、チーム総体の力は個人技を超越したものとなっている。残念ながらテレビ放送がなかったのでどんな試合をしたのか分からないが、いずれにしてもナンバー1のチームであることは間違いない。アントラーズは日本代表選手が多いこともあって、前期はどうしてもチーム練習が手薄となって優勝と縁がない。その分後期に帳尻を合わせてきて、後期優勝、リーグ優勝をさらっている。ジュビロの前期優勝の要因に、マリノスがアントラーズに負けたことがあげられ、ジュビロ、アントラーズのトップ争いはこれからも続くに違いない。海外に移籍した中村選手の活躍が毎日のようにニュースになっている。中村選手の活躍を知れば知るほど、ワールドカップ日本代表に選ばれていれば、もっと上位に勝ち進んだ気がしてならなくなる。同時に日本選手の能力がいかに高いか示しており、大変嬉しくなってくる。

 

世界の潮流 2月3日

 サッカーが国技のようになっている国は多く、サッカーの強さは国の威信にかかわってくる。国民の熱の入れように比例して、代表チームにかかる期待は異常なまでに高まり、勝敗に国全体が一喜一憂する。強いチームであればあるほど負けられないとのプレッシャーがのしかかり、負けないチーム作りが命題となってくる。

 本来ならその国国によってサッカーの特徴が出てくるもので、攻撃を重視したチーム、守備が優先されるチーム、中盤のゲームメークに力を入れるチームなど、ゲームの組み立て方が違ってくる。それぞれの国が長い年月を掛けて培ってきた、伝統に裏打ちされたチーム作りをするのが、最も素晴らしいプレーに繋がってくるはずなのだが、必ずしも勝ちに結びつくわけではない。「勝つためには手段を選ばず」との考え方がどうしても先行して、お国柄は影を潜め、勝敗の鍵を握るぎりぎりの鍔迫り合いを、汚いプレーで制しようとする意識が強まってしまう。

 遥か昔ということになるが、『サッカーの王様・ペレ』が全盛の時代、ワールドカップで対戦したチームのペレに対応した選手が、退場処分覚悟で、徹底的に反則を繰り返した。当時は交代が許可されておらず、当然、怪我をさせて動けなくするのが目的で、相手選手が退場処分を受けたときには、ペレは全く動けなくなっていた。大きな問題となって、反則に対する制裁処置や交代も認められるようになり、少しは改善の方向に向かった。怪我をさせるような反則に対しては、非常に厳しい処分が課せられ、影を潜めたが、勝つための反則がなくなったわけではなく、むしろ、テクニックのごとく考えられている。

 人間の心理というのは不思議なもので、反則のテクニックよりも、芸術的なプレー、息を呑むような鍔迫り合いを求めているのに、サッカーに酔わされると狂気が呼び覚まされ、勝利しか考えられなくなってしまう。憂さ晴らしではないが、日常の生活で募る不満を忘れるために、勝利して狂喜することを求めているのである。勝ち負けに一喜一憂し、熱狂的なファンにとってはサッカーが人生そのものになっている。ワールドカップのような国際試合になるとなおさらで、国力によるハンディを超越した、人間の能力の限界に挑戦する戦いで、人間の本当の優劣が推し量られる場となる。熱狂的なファンにとっては命がけのイベントとなり、敗北して暴動が起きてしまうのも、サッカーが民衆に与える影響の大きさを物語っている。

 日本はアメリカナイズされて、スポーツは経済力を鼓舞する傾向にあり、資本主義経済の一翼を担う、消費に繋がるスポーツに重きが置かれてきた。サッカーは広場とボールさえあれば成り立って、必ずしも消費に結びつかない。コマーシャルで支えられているテレビにとっても、間断無くプレーが続くサッカーでは、途中でCMを挟むのが難しく、スポンサーが付きづらい傾向にある。経済的な豊かさは、必ずしも心の文化を発展させることに結びつかず、どんなに儲かっても飽き足らない強欲文化に成り下がってしまった。人間の尊厳を喪失させたエコノミックアニマルは、目先の利益に奔走するばかりで、長期見とおしを立てるだけの器量が無く、需要と供給のバランスを維持しきれなくなって破綻をきたした。私腹をたっぷりと肥やして後は成り行き任せとなり、経済大国の崩壊を左団扇で見とっている。

 不況が日本のサッカーを発展させると言っては語弊があるかもしれないが、欲しいものは何でも手に入るとの幻想を抱かされた時代から、先行きの不安と我慢を強いられる時代に入り、若者を中心に不満を募らせる民衆が格段に増してきている。不満の捌け口を求め、貧富の差に影響を受けずに能力をフルに発揮できる、最も大衆的なスポーツであるサッカーへ関心が高まるのは、自然の成り行きではないのか。サッカーを見る機会が増えれば目が肥えてきて、プレーに対する評価も厳しくなり、ファンと選手が一体となって、すさまじい勢いで発展し始めている。

 日本のサッカーも例に漏れず、勝つことに主眼が置かれ、技術の向上もさることながら、反則のテクニックが先行して取り入れられ、残念ながら、見るに耐えない汚いプレーが日常的になってきている。怪我人も続出し、スーパープレーが少なくなってきているのが実態である。

 

底辺人口の多さ 2月1日

 荒川の河川敷にあるグランドでは、子供たちが休日ごとにサッカーをやっている。年齢はまちまちで、小学生の低学年からやっているようで、日本もようやく国際的になってきた。

 世界の多くの国々では幼児からボールを蹴って遊んでおり、サッカーは生活の一部になっている。いたって単純なスポーツで、ボールさえあればどこでもできて、貧富の差に影響を受けず、能力さえあれば最も公平にチャンスが与えられる。子供の競技人口は他に類をみないほど多く、子供のころから熾烈な競い合いがあって、おのずから磨きぬかれたプレイヤーに育っていく。ワールドカップは選りすぐられた人間が踊り出る大舞台なのである。人類の選ばれし人間なのだから、神業のようなプレーがあっても不思議ではなく、神秘的なプレーに酔いしれて、常軌を逸するのも頷けるというもの。

 日本ではアメリカナイズされて、野球が最も盛んであるが、国際的に見れば一握りの人間が嗜むスポーツである。スポーツへのかかわりは親子関係に大きく左右され、親が野球をやっていれば子供も野球に興味を持ち、テニスをやっていればテニスが好きになる。一昔前までは、野球が親子継承されていたが、親の役割は経済力に重きが置かれ、肝心な生活実感の継承が無くなり、子供が最もとっつきやすいボール蹴りに傾倒しはじめたと思われる。

 スポーツも、中には特定な環境や条件が無ければ入り込めないものもあり、誰でもが同じスタートラインに立って、真の能力を競い合えるわけではない。日本では経済力に支えられ、どんなスポーツでも一般化されているが、世界レベルで見れば、サッカーなどごく限られたスポーツ以外は、金持ちのお遊び程度にしか見られていない。経済力で差のつくスポーツより、人類レベルで能力を競い合えるサッカーが、世界的に最も注目されるのは当然のことである。

 日本でサッカーが中々流行らなかった理由を考えてみると、日本人とスポーツとのかかわりに大きな原因があるように思われる。人間の肉体は、一定の運動を必要としており、いつもじっとしていたのでは健康を維持していけない。昔は、日常の生活や仕事でもある程度運動となり、改めて運動を意識しなくとも問題にはならなかった。経済の発展は、家事や仕事の負担を軽くすることを目的としており、日常の生活の中では、健康な肉体を維持していくだけの運動量が無くなってしまった。豊かな社会にあっては、運動量を確保するために、趣味としてスポーツを取り入れるのがごく自然な成り行きで、経済力のみならず、精神的な豊かさに結びついている。日本人は、経済的な豊かさに対しては目の色を変えて取り組んできたが、精神的な豊かさが置き去りになり、ごくごく一部を除いて、肉体を維持していくための分別が身につかなかった。競技者ばかりが卓越して、日常の中にスポーツを取り入れることを怠り、一定の年齢に達すると運動能力が著しく低下するのが実態である。時間つぶしが目的でスポーツを始めるものもいるが、軽度なスポーツを選択し、サッカーのように、基本的な体力を要求されるスポーツには手が出せないのである。親の代がサッカーと無縁であれば当然子供に影響を及ぼし、豊かさがもたらした怠惰な国民性が、サッカー発展の阻害になっていたと思われる。

 現代は親の役割が薄れ、直接子供に知恵や経験を授ける時代ではなくなり、経済力が親代わりとなって、何でも塾に託されている。スポーツ塾の全盛で、親の制約を受けずに子供たちが自由にスポーツを選択できるようになり、日本人プロの続出、Jリーグの発足などが牽引ととなって、急速にサッカー人口が増えてきたのではなかろうか。

 サッカー人口が増えるにつれて子供のころから選りすぐられ、磨きぬかれた選手が次から次へと輩出されるようになった。優秀な選手が多くなればなるほどサッカーが面白くなり、日本人の心にも深く入り込んできている。当然、選手には家族サポーターが付随して、競技人口のみならず、サッカーファンも拡大、サッカーの話題が日本中を駆け巡るようになるのも、そう遠くないのではなかろうか。どちらかというと、ちょっと年のいった男親が怠惰な生活から脱却できず、あいも変わらず野球一筋に現を抜かしている。

 

1月8日(火)の日記より

高校サッカーを見てつくづく思うのだが、レベルが非常に高くなったということである。天皇杯サッカーで社会人チームや大学チームを退けて上に上がってくるのもうなずける。結局、下馬評どおり国見高校が優勝したが、トータル的に優勝するだけの力を充分に備えていた。選手個々の能力は無論のこと、それ以上に戦術がより高度になってチーム力が目覚ましく向上しており、指導者の力量がいかに高いか感ずる。プロチームの名前ばかりの指導者に比べると遥かにレベルが高く、日常の研究、努力は並大抵なものではないと察せられる。

 サッカーの進化とともに、個々の力よりチームの総力が重要になってきており、スーパースターを抱えるチームがえてして強くなれないことがある。小野を擁した浦和レッズ、中村を擁する横浜マリノス、三浦を擁する東京ベルディなど、J1で低迷が続いている。何をしたいのか、何をしようとしているのか、何をすべきなのか、チームのどれだけ多くの選手が理解しているかで強さが決まってくる。