肉体論

 人間の肉体にはどれだけの能力があり、どれだけ弱いものかを知りたいと思って、自らを実験台にして色々と試みている。その中で知りえたものや、感じえたものを日記に綴ってきたが、今回、「肉体論」として編集してみた。

2004年月3日

2008年

11月13日(木)の日記より

 天気の所為ではないと思うのだが、河川敷へジョギングに行くと、最後に調子づいてダッシュを試みた。以前から気が向くとちょっとスピードアップしてきたのだが、今日は犬の散歩で邪魔が入り、ニアミスを回避するため、走るコースを少し替えてみた。芝のグランドで、凸凹が多く、いつもは、平らなところを見つけて走っているのだが、今日は数拾メートル手前(ガタガタになっているのをある程度承知していた)でトップスピードに持っていこうとした。月明かりが頼りの暗いグランドで、スピードアップした途端にへっこみに足がとられ、前傾姿勢が強まって、体勢を立て直そうとしたが無理と感じられた。一瞬、思いついたのは、ヘッドスライディングより、回転と柔道の受け身だった。中学時代にバレーボールをやっており、身長が低いので守備専門だったので、スライディングレシーブや回転レシーブはお手の物(45年前の話)だった。思いきってやってみると、イメージ通りの回転と受け身ができ、見事に危険を回避した。かすり傷さえこしらえずに、何もなかったかのように通常のランニング態勢に移行して、そのまま帰宅した。来年還暦を迎えるのだから、トップスピードといっても大したことはないが、ちょっと自慢したくなり、女房殿に話したら、そんなばかなことをする人は他にいないと、呆れられるだけだった。

 

2009年

9月11日(金)の日記より

 ここしばらく頭が重いと感じていて、鼻炎が災いしているのだろうと、何も対策を考えなかった。一昨日女房殿と東京まで出かけた折、一日頭が重く、ふと血圧のことが浮かんで、ことによると高血圧ではと気になった。家に帰ってすぐに血圧を測ってみると上が200を超えていて、唖然としてしまった。1時間ほど横になってから再度計ってみたが180を超えていて、本物の高血圧と知った。従来は低めで、血圧は一切心配ないと、健康過信していたのが、根底から覆されてしまった。よくよく考えてみると、7月ごろから頭が重かったり、不快だったりが続いていて、上が160から200の高い数値で推移していたように思われる。さらに振り返ると、昨年も7月ごろから9月まで同様な状態があった気がする。昨年は熊谷うちわ祭りの祭事を申しつかり、全力投球して疲れ切ってしまい、いつまでも疲れが抜けないのだと、年齢からくる衰えを意識した。夏場だけなぜ高血圧になるのか見当がつかず、昨日医者に診てもらったが、原因が分からず、血圧を抑える薬を処方してもらうだけだった。色々と考察してみると、絶対にあり得ないと思いながらも、昨夏と今夏で共通することに、梅と蜂蜜で作った梅ジュースを飲んだのと時期的に符合し、ことによると梅ジュースが起因しているのではと疑ってみた。梅や蜂蜜は健康食で、高血圧に結びつくものは何もなく、日常生活でも酒、煙草はやらず、ジョギングやウエイトトレーニングを続けて、運動不足やメタボとは全く縁がなかった。薬を飲んでもまだ血圧は十分に下がっておらず、高血圧は改善されていない。梅ジュースを控えて、どんな影響があるか見守っているところである。

 

9月18日(金)の日記より

 昼前に少々厚着でジョギングをしてきたが、意図したほど汗はかかなかった。血圧が高くなって、原因を蜂蜜の過剰摂取と判断し、血液を薄めるとの思惑で、大量発汗させようと写真撮影やジョギングをしている。水分補給をたっぷり取って血圧を測ると、上が130代となり、一時的に血圧が下がった。高い時は上が180前後あったのが、140から150となり、血圧降下剤を服用しなくとも、発汗と水分補給で予定通り下がっている。

 

9月22日(火)の日記より

 暑さを承知で昼前にジョギングへ行ってきたが、わざと冬並みの支度をして、できるだけ汗をかくようにし、真夏の脱水症状には程遠かったが、水が多く飲めた。一時、180を超えた高血圧の要因に蜂蜜の過剰摂取が考えられ、その対策に、発汗と水分補給が効果的と判断した。昼食後測ったら上が120代まで下がっていて、驚かされた高血圧問題は遠からず解消しそうである。

 

11月13日(金)の日記より

9月に高血圧問題が生じてから、血圧を毎日測定し、既に正常になった現在も測定は続けている。昨日、今日と数値が高目となり、気になったが、体調が悪いわけではないので、寒さが原因していると推察した。脈拍は60台を切り、血圧は上が160台、下が90台で、血圧をあげて体温を維持しようとしていると思われる。健康な体であれば、血圧は体調を整えようと常に変化していると結論付けた。

 

11月14日(土」)の日記より

 昨日に引き続いて、血圧のことを語ってみる。午前中は気温が上がらず、血圧を測ったらやはり高めだったが、夕食は女房殿の心づくしの鍋で、体が芯まで温まり、血圧値は上が130台まで下がっていた。自らを実験台にして、血圧の神秘を探求してみると、大変面白いことが分かってきた。

 

2010年

1月1日(金)の日記より

 昨年還暦を迎え、老化の大波が打ち寄せてきて、疲れ方が違ってきた感じである。今まで通りのトレーニングを続けているが、デスク作業になると眠気をもようし、集中力が途切れがちになる。特に創作作業になると、遅々として進まなくなることが度々で、何事も思うようにできなくなってしまった。思考にも老化の波が打ち寄せてきているのかもしれず、ここでひと踏ん張りすれば波を乗り切れると、甘い期待を持って、2010年も頑張ってみようと思う。

 

2011年

5月31日(火)の日記より

 今日は貴重な晴天傾向にあると思いきや、午前中はかろうじて日射しが出ることもあったが午後は時間とともにどんよりと曇ってしまい、一日を通してみると晴天とは程遠かった。明日には再び雨が降る予想で、晴天となるのはだいぶ先になりそうだ。午前中キバネツノトンボの様子を見にバイクで出かけたが、昨日までの雨でぬかるみがあり、バイクがスリップして転倒し、左膝を大きくすりむいてしまった。骨折は免れたが、肉が飛び出し、自分でバイクを運転して帰宅、近所の総合病院へ行ってきた。レントゲンも撮ったが骨折はなく、傷口奥深くまで洗浄消毒し、様子を見ることになった。前から気忙しい状況が続いていて、バイクを運転しながら転倒など、事故を起こしそうな予感があった。治療で痛い思いをしたが、骨折が無く、足を引くような歩き方だが、通常通り過ごせばよいとのことだった。不幸中の幸い、生活をリセットしなければと前々から思っていて、ちょうどいい機会だと自分言い聞かせた。

 

6月10日(金)の日記より

 5月末日にバイクの転倒事故で膝を怪我して、近くの病院へ通院してきた。最初の治療がよかったと見えて、化膿することなく、順調に治ってきた。まだ様子を見ている段階だが、62年生きてきて、最も大きなしくじりであり、その割には大事に至らなくてよかったと、一安心した。災いを福となすで、今までの追われるような生活を改善するきっかけにできればと思っている。

 

2012年

7月3日(火)の日記より

夕方のジョギングを続け、写真撮影で自転車トレーニングも付加し、運動不足は無縁のつもりだったが、一日パソコンに向かっており、ほとんど歩くことが無いことに気付いた。歩く時と、ジョギングや自転車の時と膝周辺の筋肉の使い方が異なるようで、この二週間ほど、膝周辺に痛みを感じている。走ることも自転車も少しも支障なく続けており、自己診断した結果、ウォーキング不足との結論に達した。一時は女房殿と散歩もしていてすこぶる快調だったが、この2か月間休止していた。思わぬ落とし穴に陥ったものである。

 

7月18日(金)の日記より

 膝を痛めて既に1カ月以上が過ぎた。原因はジョギングのし過ぎと歩かなかったためと自己診断している。歩くのと走るのでは使う筋肉が少し異なり、歩く筋肉が委縮している所に、走ることで刺激を与え、歪が生じたと見ている。荒療治で、構わず走ったりして余計に痛める事を再三繰り返し、完治を遅らせてしまったことは確かである。ここにきて走るのを中止して、もっぱら歩くようにしたら大分回復し、後何日かで完治するのではと、期待している。怪我の功名と言うには当たらないが、今日は歩くために起こった、奇遇があった。土手を歩いていると、樹木が生い茂る土手の裾野に鷹がいたのである。5秒ほど顔を見合わせて、何秒か前に仕舞ったカメラを引きだそうとしたら、鷹は不穏な動きと見て、木立の合間を縫って飛び去ってしまった。奇遇と不運が重なって、何とも言い難い思いに駆られた。二度と同様な偶然は得られないだろう。

 

7月23日(火)の日記より

 膝を痛めて1カ月以上過ぎ、大分良くなったのでジョギングを再開したら、再発して歩くのも辛い状態になってしまった。長引かせた原因は安易な荒療治によるもので、膝痛が走ることに起因している事が分かっていながら走ってしまい、一度ならず、今回で4回目になろうか。若ければ荒療治で事足りたかもしれないが、膝痛は老化も起因しているようである。自分がバカを見るだけで済むのだから、暫くは痛みと共存する覚悟である。

 

10月6日(土)の日記より

 午前中は写真撮影を兼ねて自転車トレーニング、夕方はウォーキング、足慣らしで少しジョギングを加え、いずれも汗びっしょりとなった。水分を真夏並みに補給するとトイレが近くなり、特に夜は抑え目にしているので、今日は喉の渇きを潤す事が出来なかった。膝を痛めて4カ月近くなり、3カ月以上ジョギングを控えてきた。今日の足慣らしで膝に影響が出やしないか心配だったが、痛みが再発することはなかった。年齢的にジョギングからウォーキングへ変更してもおかしくないのだが、25年以上続けてきたプライドが、何としてもジョギングを復活させよとする執念となり、今日は何とか芽がでたと言う満足感に浸った。

 

10月13日(土)の日記より

 朝は気温が下がり、午前中は風が強くて、昨日とすっかり同じような天気となった。風を受けて自転車を走らせると、ペダルは普段の倍もあろうかと思われる重さで、その分追い風になると、坂道を下っているようだった。午後には風が弱くなって気温が上がり、熊谷の最高気温は25℃前後となったが、空気が乾燥していたので凌ぎやすかった。膝を痛めて4カ月近くなり、ジョギングを控えてきたが、1週間前から、ウォーキングに交えて足慣らし程度ジョギングをするようになった。膝痛は何とか再発せずに続けてきて、今日は6キロ中半分の3キロ走ってみた。ジョギングを本格的に始めるまでにもう少し時間がかかりそうだが、再開のめどがついて、ホッとしたところである。

 

10月15日(月)の日記より

 膝を痛めて4カ月、足慣らし程度のジョギングができるようになったが、痛みが完全に消えたわけではない。マッサージやシップなど、工夫をしているが、あと僅かな部分に痛みが巣くっており、寒くなると一層治りが悪くなるのではと、心配である。

 

10月18日(木)の日記より

 膝痛の克服で今月はトレーニングを欠かさずにやってきて、少々疲れが溜まっている時だったので、今日の雨は休息を示唆する恵雨と思うことにした。膝痛はかなり回復して、6キロのコースをウォーキングとジョギングを半々で回れるようになったが、膝の違和感がいつまでも抜けず、苦慮していた。今日の休息がどんな方向に向かうか、気になる所である。

 

10月26日(金)の日記より

膝を痛めて4ヶ月半、3週間前から足慣らし程度のジョギングを始め、おっかなびっくりして、なんとか続けてきた。今は歩きを交えて3キロ走るのが習慣となり、足の負担を考えてピッチ走法だったが、今日からストライド走法に切替えてみた。まだ膝に違和感があるが、走っても痛みが増す事はなく、少しずつ完治に向かっている。膝痛の原因は歩かなかった為に歩く筋肉が衰え、ジョギングによって老化した筋肉を刺激し、炎症を起こしてしまったと自己診断している。ジョギングを休んで、替わりに歩くのと自転車を続けきた。今度は走る筋肉が弱まり、当面は、走る筋力を取り戻すのに躍起になるようだ。

 

10月31日(水)の日記より

 膝痛の回復に向けて色々と手を焼き、この半月、足慣らし程度のジョギングができるようになって、昨日、今日と距離は短いながら普通に走れるようになった。しかし、膝の一部にまだ痛みが残っており、完治するまでに至っていない。11月からは連続で4キロ走る予定だったが、ウォーキングとセットして、800メートルを5回、当面は4キロ走で様子を見ることにする。

 

11月4日(日)の日記より

膝痛で思うようにジョギングができなかったが、10月で完治(走るのに影響の無い一部に痛みが残る)した前提で、今月は通常の走り方、通常の速度(ウォーキングも交えている)でジョギングをするようになり、タイムまで測っている。気が急いて、日一日と速度が増していき、今日は一段と速く、この調子では後が続かないと感じ、明日からは足慣らしと言い聞かせ、自重するつもりである。

 

11月15日(水)の日記より

 今日は膝痛の効能を見込んで、久々に温泉旅行に出かけた。熊谷から2時間とかからない四万温泉を選び、夕方から温泉三昧となった。膝痛は個々何日かで大分和らいだ時でもあり、今夜は更に楽になった気がするが、温泉の効能なのか、完治する流れに過ぎないのか、判断が付きかねる。紅葉には遅いと思われたが、道々の川筋で見応えのある色付きが広がり、けっこう楽しめた。明日は吾妻渓谷を散策する予定で、寒さが心配だが天気はよさそうなので、思った以上に紅葉狩りを堪能できそうである。

 

12月1日(土)の日記より

 膝痛に悩まされて5カ月半になり、11月は元に戻ると楽観して無理をし、何日もしないで、傷みが増し、走るのを控えるようだった。走らないといつまでたっても元に戻らないと思い、3日休んで、4日目には無理にならないよう走りだした。結局、11月で完治までに至らず、変則的な(390mトラック、ジョギング2周、ウォーキング1周を1セットとして4セット)トレーニングにとどめた。12月も足慣らし程度の域を越えるのは無理と判断し、それでも少しは進化させなければと言うことで、変則走法で走る距離を伸ばすことにした。早速今日から5セットにしてみたが、違和感が残るものの大きな痛みは発生せず、この1カ月でかなり回復したように思えた。それにしても長引き、老化の魔の手がいかに忌まわしいものか実感した。言い方を変えると、年甲斐もなく、諦めの悪い、意地っ張りなのかもしれない。

 

12月7日(金)の日記より

 今年の3月迄夜間が中心の仕事をしてきて、睡眠不足や、生活のリズムが整わず、寒さや乾燥に体が敏感に反応し、冬を越すのが大変だったが、仕事を辞めて迎えた冬は、思いの外苦にならず、体調もすこぶるいい。膝を痛めた関係で夏から秋にかけて走れなかったが、ウォーキングやサイクリングなどを続けて体力の衰えを最小限に留め、10月からウォーキングにジョギングを交えるようになり、11月は完治とまでいかなくとも走るのを主体にトレーニングをし、12月から膝の違和感が抜けきらないが、本格的なジョギングができるようになった。今の調子だと、この冬はそれほど苦にせずに乗り切れそうである。

 

12月10日(月)の日記より

 昨日は法事に参列し、お清めで、座敷で2時間ほど座る破目になった。最近の生活では全くと言っていいほど座ることが無くなり、葬式なども椅子が大勢となってきたが、田舎ではまだお清めを料理屋などの座敷でやることがあり、大変辛い仕儀となっている。多くの年寄りが膝を痛めており、座敷を苦にするものがほとんどで、座ることを見直すべきである。我輩自身膝を痛めており、誤魔化し、誤魔化し2時間を乗り切ったが、夕方ジョギングに行くと、膝が痛くて思うように走れなかった。膝痛は完治しなくとも最近はかなり良好となって、走る量、質とも本格的になってきたところだったので、今日がどんな状態か気になった。走ってみると違和感があったが痛みとはならず、普段と変わらないペースで走ることができて、ホッとさせられた。治りが遅い、再発しやすいとの兆候は、明らかに老化によるものであり、老化防止がとんでもない大事業となってしまった。試練はもうしばらく続きそうである。

 

12月24日(月)の日記より

 6月に膝を痛め、回復に向けて躍起になって取り組んできて、完治がやっと見えてきた感じである。無理をして何度も再発させ、快復を遅らせてしまい、ここ2か月は慎重にリハビリをしてきた。歩くのは多少の痛みを抱えながらも、8月から通常通りできるようになり、10月からウォーキングにジョギングを加える形で続けてきた。11月からはウォーキングとジョギングを交互に4セット、合計で3キロ走れるようになり、12月に入って5セット、4キロと着実に距離を伸ばし、この6日間は4キロを3回に分け、今日は2キロを2回にして、連続で走る距離を伸ばしてきた。今のところ膝の痛みは再発せず、新年からは完治の目安である、連続4キロが走れればと願っている。28年ジョギングを続けてきて、走ることに問題を感じたことが一度もなかったので、今回の膝の痛みはかなりショックだった。健康維持のために、3月末の退職後もほとんど休まず走ってきたが、歩く機会が無くなってしまい、走る筋肉と歩く筋肉の違いがあるようで、歩くのに使う膝の筋肉が、歩かなかった為に老化が始まり、走ることによって老化部分が刺激されて炎症を起こしたと推察している。人生の転換期に、大きな教訓となった。

 

12月29日(土)の日記より

 ジョギングで膝を痛めて六カ月半、快復の目安としてきた、4キロ走が今日かなった。2キロ2回、1キロと3キロの2回と、連続走行距離を伸ばしてきて、多少不安を感じながらも4キロを走破した。膝に違和感が残ったが、今までの経過と大差はなく、これで4キロ走を日課にできそうである。

 

2013年

1月10日(木)の日記より

 膝を傷めて従来のように走れなくなって6カ月半、今年に入ってから連続4キロまで走れるようになり、5キロに挑戦、今日は思い切って連続6キロ走った。膝に違和感があるが、痛みに悩ませることはなかった。6キロは足を傷める前の基準値で、実態的には膝は完治したと見てよさそうである。

 

3月23日(土)の日記より

 昨年の6月にジョギングでひざ痛を患い、リハビリを続けて早9ヶ月となる。完治前にウォーキングやサイクリングを再開し、昨年12月上旬からジョギングも再開、何度かの再発を経て、今では以前のように走れるようになり、最終目標だった6キロを5日前より走るようになった。ひざの痛みはまだ残っているが、走るのに影響はなく、長時間歩くときに違和感がある。歩くのと走るのでは使う筋肉が一部異なるのは間違いないようで、ひざ痛は幾つかの要因があったのだろうが、歩かなかったのが一番影響したと、結論付けた。

 

4月1日(月)の日記より

 昨年の3月に仕事を辞めてから、パソコンに向かっているのが仕事となり、歩く機会がなくなってしまった。運動不足にならないよう、退職前から日課としてきた6キロのジョギングを継続、万全を期したつもりだったが、走るのと歩くのでは使う筋肉が違うようで、歩かないようになって、右膝内側を傷めてしまった。若いころなら何でもなかったのが、60歳を過ぎると、使わない筋肉は老化が進むようで、走る筋肉と重なりあった部分が強い刺激を受けて傷んだと想像している。昨年の6月に痛みだしたが、無理してジョギングを続け、7月に入ると痛くて走れなくなってしまった。もっと早く状況を見極め、対策を取ればよかったのだが、休んで少し良くなると走って再発、を何回も繰り返し、過信が重傷に陥らせたことは間違いない。8月からは走るのを完全に停止し、運動はウォーキングとサイクリングに切り替え、リハビリとした。歩くのに痛みが伴ったが、老化した筋肉を鍛えなおすと意気込んで続けた。自転車を走らせても膝への影響は全く無く、写真撮影も兼ねて、運動不足を補う切り札とした。

 10月になると、歩くのに交えてゆっくりと走るようにし、12月には連続2キロ、3キロ、4キロと走る距離を伸ばし、膝に違和感を抱えながらもジョギングを習慣化した。2013年になると、膝の負担が軽いピッチ走法からストライド走法に切り替え、完治宣言ができると思いきや、法事で膝の負担を受けると痛みだし、筋トレで膝に余計な力を加えたり、調子づいて走たりすると痛みが出て、完治とは程遠かった。2月中にはジョギングを本格的にできるよう、膝の調子を窺いながら走ってきたが、傷みは二階層に分かれているのが分かった。外廓は何とか打破したが、内廓になると強固で、何を試みても打ち破ることができず、違和感と凝り、痛みが抜けきらなかった。三月中旬から、状態が変わらなかったが、膝痛前に続けてきた6キロ走に挑み、週4〜5回のペースで続けている。暖かいと違和感が薄く、今日のように寒いと痛みがくすぶり、走るというハードルを越えたが、老化した歩く筋肉を元に戻すのは、そうとう高いハードルの様である。歩くのを怠らないことが、最善策と信じて続けている。