肉体論

 人間の肉体にはどれだけの能力があり、どれだけ弱いものかを知りたいと思って、自らを実験台にして色々と試みている。その中で知りえたものや、感じえたものを日記に綴ってきたが、今回、「肉体論」として編集してみた。

2004年1月30日

 

2002年1月4日(金)の日記より

最近、老化を感じさせられることが何度かあった。ジョギングをしていて石ころに乗り上げ、くじくようにして足首を痛めてしまった。夕方の暗い時間に走っているので、石ころまで確認しきれず、何回か同様の事故を経験している。最初はかなり痛んでも、そのまま走りつづけているうちに痛みは薄らぎ、影響はさしてなかった。ところが先日は中々痛みが抜けず、回復力の衰えを痛感した。走るのを1日休むと痛みを感じなくなり、調子付いてダッシュをすると、今度は股を痛めてしまった。今まで股が痛むことなど滅多になく、これも老化の現れかとがっかりした。そして2日前に、作業の関係で無謀にも1メートル40センチほどの塀から飛び降り、じわりじわりと身体が痛んできている。

 若い頃には何でもなかったことで、明らかに老化の現われだと思うが、女房殿に言わせると、全てが年甲斐のない暴走で、50才を過ぎた人間のすることではないということになる。自分では若い頃との差を少しも意識したことがなく、おのれの肉体に対して分別がないと認めざるをえない。言い換えるとトレーニングを積んでいると日常の生活では老化を感じないですむということであり、非常に快適な生活を送っているのである。どこまで肉体を維持できるか分からないが、心身ともに常に前向きに取り組んでいれば百歳もけっして夢ではなく、人生はまだまだこれからだと、老化のことを忘れて、いっそう楽しむことを考えてしまう。

 

2003年1月9日(木)の日記より

 肉体を科学するなどと言っては大袈裟であるが、自らの肉体が実験台となり、身体の不思議を色々と実感している。最近は枕の高さが話題となり、その人その人によって適切な高さがあると言われるようになった。多くのスポーツ選手が腰痛に悩まされているようで、選手生命をも脅かしかねない問題である。我輩もプロではないが継続的にスポーツを続けており、腰痛に悩まされたことがある。尻がでっぱっており、平らなところに横たわると腰が浮いていて、長時間横になっていると下がってしまうらしく、腰痛となる。時には寝るのが怖くなったこともあり、色々対策を打ったが、芳しい成果は得られなかった。枕の話題を聞いて高さ調整をしてみたら、腰の浮き具合が調整され、腰痛対策で一番効果があった。それでも万全ではなく、義父母が利用していた磁気マットレスをもらい受け、しばらく利用していたら尻の部分がへこんで、身体にピッタリの寝床が出来上がった。腰痛知らずで何年かきたのだが、1週間ほど前に気まぐれで磁気マットレスを外したら、途端に腰痛が起きだした。身体の仕組みは人それぞれだから何が良いとは言い切れないが、体調不良の人は、寝具について一度検証してみたらいい。

 

2003年1月10日(金)の日記より

昨日に引き続いて肉体を科学してみる。一日の生活でどれだけリラックスできるか検証してみると、ほとんどないことに気付く。特に、肉体の力を抜いて、疲れを癒すのは簡単なようで難しいのである。逆な言い方をすると、肉体をとことんリラックスできれば、精神的にも癒されて、疲れを翌日に残さない生活となる。立っていては無論、座っていても身体のどこかに力が入り、疲れが残ってしまう。熟睡できるのが一番良いのであるが、疲れがたまっていると不眠にもつながってくる。今まで、疲れが抜けない生活をしていても、特に気にせず、肉体疲労には湿布薬を頼り、ごまかしごまかし53年やってきた。ところが最近、ひょんなことからリラックスの方法を覚えたのである。入浴はリラックスするのに効果的であるのは分かっていたが、ただ風呂に温まるだけでなく、疲労回復に一層効果的な方法を知った。身体は7割から8割が水分でできており、お湯につかると浮力が感じられ、手足の力を抜くとクラゲのようにふわふわと浮遊するのである。家庭用の小さな風呂では、頭が重いので腰から頭にかけて完全に力を抜くのは無理であるが、手足を開放してやると大変心地よく浮いている。浮力を感じることが肉体から力を抜く最良の方法で、精神的にも力が抜けて疲れが抜けていくのが分かる。かつては、常に身体のどこかが痛んでいたが、浮力を味わうようになってからは痛みを感じなくなった。是非一度、浮力を感じてみてはいかがか。

 

2003年1月11日(土)の日記より

人間の身体は不思議なもので、同じことを同じように繰り返していても、感じ方がその都度違ってくる。ジョギングを続けて16年になるが、足が重く感じられるときと、不思議なくらいに軽く感じられ、快調なペースで走れるときがある。疲れや、バイオリズム、健康状態、走る間隔など、様々な要素が加わって、その日その日で異なるのである。肉体の不思議は追い風にもごまかされ、本当の力を見失わせてしまう。河川敷などでは風が吹いているのが通常で、ジョギングをしていると、風の強さによっては追い風が分からなくなってしまう。向かい風のときばかり強く、追い風のときには弱くなると錯覚してしまうのである。程よい追い風を受けると、本来の能力を超えて早く走れ、それがあたかも実力だと思い込んでしまう。風の力は甚大で、たとえわずかな違いでもスピードが全然違ってしまう。100メートル競争などで、追い風が認定ぎりぎりのときに新記録が生まれ、走り幅跳びなどは風をいかに味方につけるかが勝敗の鍵を握る。熟年のジョギングでは追い風を受けてもたかが知れているが、気分は空でも駆け上がっていくのである。話が変わるが、選挙がやはり追い風にごまかされ、実力が無いのに勝利してしまうことがある。民社党がいい例で、追い風参考記録にもかかわらず、自らの能力を磨かずに惰性で競争してきて、結局は衰退の一途を辿っている。何事も追い風に甘んじていたのでは真の実力をつけることはできず、切磋琢磨あるのみなのである。

 

2003年1月12日(日)の日記より

 日常的なトレーニングは健康を維持していく上で必要不可欠なものであるが、世の中、特定なスポーツ選手を除くと、運動をしなければと思いつつ、運動らしい運動をしていない人がほとんどである。動物には運動能力が授けられており、運動の仕方は異なっても、動くことによって身体を正常に維持していくのである。人間は能力が高いから、科学で運動に替わるものを作り上げられると、思い上がりがちだが、いまだに運動に替わる特効薬はできていない。進化は肉体を科学して、適度な運動が必要だと自覚、実行することだと思うのだが、むしろ退化して、医者を必要以上に頼らなければならない。人家を歩いていると、多くの医者がいかに金持ちか、すぐに分かる。ほとんどが大きくて立派な家に住んでおり、もはや「赤ひげ先生」をイメージすることは不可能である。金儲けにも色々な方法があるが、医者になるのもその一つで、不健康極まりない現代は消費者がうなるほどおり、絶対的な商売なのである。医者としての崇高な志など求めることが間違っており、むしろ、人間を物と錯覚して、命にかかわる医療ミスが続出しているのが実態である。具合が悪くなると運動を始めるが、本来は具合が悪くならないように運動をすべきで、予防が何よりも重要である。だが、みんながみんな健康だと医者が食えなくなり、予防について大きな声で叫ばれることが無い。

 

2003年1月13日(月)の日記より

年齢とともに肉体は確実に老化していく。だが、日常的に運動をするとしないとでは老化の度合いが全く違ってくる。自らの肉体で日々実験を試みているが、軽いジョギングとウエイトトレーニングで、いつまでも強靭な肉体を保つことができる。マラソン大会などに参加するつもりはなく、あくまでも健康維持が目的であり、さらには、各種スポーツや肉体労働に耐えうる基礎体力作りに他ならない。ランナーとして人生をかけている人や、肉体美を保つことに人生をかけている人と比べればけっして優れているとはいえないが、53歳になった今でも総合的な体力は衰えず、人並みのことは何でもできると思っている。29年勤めた会社を退職するとき、将来の見通しを危ぶむ声があったが、「これからの世の中は体力勝負」と豪語し、体力さえ衰えなければどうにでもなると考えていた。現実のこととして、不況、就職難になってくると、OA化とは裏腹で体力が物申し、人並みの賃金をもらうには絶対条件となる。世の中運動不足が当たり前となり、30歳を過ぎると体力の衰えが甚だしく、肉体労働をまともにできなくなってしまう。「継続は力なり」は正に肉体の真理を表しており、続ける者と続けざる者とでは、天と地ほどの違いがあり、人生を大きく左右する。高齢化社会を考えても、いつまでも体力を維持していくことが必須であり、長年の積み重ねがより発展的な人生にしてくれると信じている。

 

2003年2月18日(火)の日記より

 今日は息子に付き合って、群馬県の鹿沢ハイランドスキー場に行ってきた。鹿沢は、我が家にとっては20年来のホームグランドで、二人の子供がまだ学校に上がる前から通っている。今は閉鎖されてしまった鹿沢国民休暇村スキー場と合わせ、鹿沢には大変お世話になって、スノウライフをたっぷりと満喫してきた。次男は7年前にスキーからスノーボードに転向、他のスキー場にも出かけているが、年に何回かは鹿沢へスノボー特訓に行っている。我輩が指導をするのだが、スノーボードの経験は全くなく、口からでまかせ出放題で、息子の尻をたたいてきたのである。多少は理屈が合っているとみえて、今はすっかり上達し、スノーボーダーが余り近づかない上級コースも、難なくすべり降りている。

 我輩自身は、何年か前からスキーに行くのが億劫になってきて、積極的に行くつもりはないのだが、でまかせ特訓の成果を見たく、年に何回かは息子に付き合っている。今日の鹿沢では、息子のことより、自分自身のことで不思議な体験をし、大いに収穫のある一日だった。普段から、ジョギングやウエイトトレーニングを欠かさないようにして、体力の維持に努めているのだが、スキーに伴う筋力は付いていないようで、スキーをすると情けないぐらいに足がもたなかったのである。すっかり諦めていたのだが、今日は、以前だと3回も4回も休まなければ降りられなかった長いコースを、一気にすべり降りてしまった。今年で54歳となり、体力は維持こそできても増強は絶対にありえないと思っていたのだが、昨年の夏から始まった仕事柄、長時間歩いたり、階段の昇り降りを何度も繰り返したりして、非常にハードなトレーニングとなり、今まで以上に足の筋力が付いたようである。お蔭で、4時間ぶっ続けのスキーだったが、全く疲れを感じなかった。50歳を過ぎても、やりよう次第では肉体を若返らせることが可能?と、つい自惚れてしまう。

 

2003年9月10日(水)の日記より

 健康に自信があって、病気を意識したことがないのだが、昨日健康診断を受けたら、上が140で、高血圧の一歩手前まできていた。ここ何日か、頭が重いと感じていたが、どうも血圧が影響しているようだ。昨日は気になって、通常のトレーニングを控えてみたが、今日も状況が変わらなかった。元来、血圧は低いほうで、いつも上は110止まりで、高血圧など全く考えられなかった。定期的に健康診断を受けていたわけではないので、どんな推移をたどってきたのか分からないが、今年の6月に受診したとき、上が130で、意外に思ったのを思い出した。ここ何日かの、気温の激変か、それとも、昨年の夏から今年の1月にかけてハードな仕事をした所為か、健康のことが無性に気なっている。

 

2003年9月11日(木)の日記より

 人間の感覚は気持ちの持ちようで大きく変化し、たとえば視野について考えると、道を散策していても野草を意識していれば、次から次えと色々な野草が目に入ってくるが、野鳥や昆虫を意識していると、野草は見落とし、鳥や昆虫ばかり目に入ってくる。健康診断で血圧が高いと言われ、頭が重いのは、今まで風邪気味と片付けていたのが、血圧が原因と感じられるようになり、頭の重さと血圧の関係を常に意識している。過労や寝不足、運動や気候など、血圧との因果関係を割り出そうと躍起になり、今までの健康過信を返上し、健康管理のオーソリティーになりそうだ。

 

2003年11月14日(金)の日記より

 筋肉というのは、ハードな運動をして傷めてやると、快復するときにより強靭になろうとするらしい。筋肉が快復するには3日間ほど要し、ウエイトトレーニングは3日に1度が効果的と聞いたことがある。持論では、運動は毎日時計のように正確に繰り返すのがいいと考えており、時間が許すかぎり、ジョギングとウエイトトレーニングを続けてきた。ここにきて、多忙なために毎日できなくなり、それでも回数を減らして続けている。ウエイトトレーニングは3日に1度がよいという説に準じて、従来の2分の1に減らしてみたら、筋力が衰え、同じことをしても辛くなってしまった。筋肉が付くのかどうか分からないが、筋力を維持していくには毎日繰り返すのが1番のようだ。逆に、ジョギングは毎日続けると、年齢的なこともあって、疲れが抜けずにいつも足が重く感じられてしまう。間引いて続けると5回に1回ぐらいは足が軽く感じられることがあり、走力を維持していくには、毎日続けるより、適度に休むほうが良さそうである。

 

2003年11月23日(日)の日記より

 40年前、中学生の頃にはバレーボール部に所属し、テレビなどで見るバレー選手が指先にテーピングをしているように、指先を使うスポーツなので、どうしても爪を傷めていた。その後も深爪の影響があったのだろう、爪がどんどん弱って、爪を使う作業は苦手である。足の爪も同様、小さくなる一方で、退化しているのではと考えてしまう。先日作業をしていて、人差し指の爪で力を入れたら途中で折れ曲がりそうになり、慌てて作業を中断したことがある。爪を使わなくとも代用品は幾らでもあるから、爪が弱ったからと言って大きな支障はないが、せっかくの持ち物なのだから退化させるのが忍びなく、爪を切りながら、快復させる何か良い方法がないか、つい考えてしまう。

 

2003年12月19日(金)の日記より

 大分前になるが、風呂に入っていて、悪戯に手足の力を抜いて水中に漂わせると、わずかながら浮力を感じた。できるだけ体の力を抜くようにするのがポイントで、肉体がどこまでもリラックスするのが分かった。以来、入浴時には手足に浮力を感じるようにしてきて、無理をして筋肉痛になりそうなときも、会得した入浴法で軽減できた。湿布薬が不要になるだけでなく、肉体が開放されると精神的にも開放されて、心身ともに入浴効果を感じられた。ところが最近、ハードな作業に何ヶ月も従事し、重いハンマーやドライバーなど、右手首に負担のかかる作業を連続で行ったら、入浴だけでは疲労を快復できなくなってしまった。ジョギングで、インターバルやラストスパートを取り入れていたが、きぜわしいとそこまで気が回らず、のんびりと同じペースで走るばかりだった。1週間ほど前に、スキーを意識したのか、きまぐれにラストスパートをかけたら右膝が痛くなってしまった。ここ1週間、湿布薬が手放せなくなっている。だからと言って、入浴効果が薄れたわけではなく、無理をしたために体が悲鳴を上げているだけで、老化現象そのものなのである。