社会批評2003年版 このコーナーでは、政治経済批評と分類していたものを社会批評として掲載範囲を広が、特に社会問題となってメディアを賑わしたものを取り上げ、独善的な意見を述べたものを集めてみた。 2004年1月30日
1月15日(水)の日記より 熊谷で中学生によるホームレス暴行殺人事件があったが、加害者の処分が、殺人罪にもかかわらず、非常に軽いので驚かされた。熊谷のみならず、青少年の殺人事件が全国で頻発しており、社会全体が命の尊さを失ってきているのではなかろうか。暴行殺人の犠牲者はホームレスが多く、罪を犯した若者たちは、汚れた姿の人間を「むしけら」同然に思っているのに違いない。青少年のゆがんだ心は自らの意思で作り上げたというより、親から受け継いだものと考えるべきで、親たちもホームレスを「むしけら」と考えているに違いなく、子供の犯した罪の重さが分からないのである。親たちが子供たちに継承しているものが何なのか考えてみると、青少年犯罪の温床を断ち切りことは不可能に思えてくる。
1月17日(金)の日記より 阪神淡路大震災から早8年が過ぎた。震災の教訓を生かして色々な対策が練られているようだが、直接被害を受けた人々は率先して取り組んだとしても、ただ単に同情しただけの人々にとっては他人事に過ぎず、簡単にできる対策すら施していないのが実態ではなかろうか。たとえ見掛け倒しの平和でも、退屈な日々を長らく過ごしていると危機意識が薄れ、直接害を及ぼさない限り、何も考えようとしないのが通常である。我が家のほとんどの家具が金具などで壁に固定されており、少しぐらい押してもびくともしない。金具で固定する作業はけっこう大変であるが、一度手がければよいのだから、惜しむような労ではない。家まで改築して安全対策をとるのは考えものであるが、少なくとも自分の力で可能なことは絶対にすべきである。何が起こるか分からない時代なのだから、世の中全体がもう少し危機意識を持ってもよさそうなものである。
2月21日(金)の日記より テレビでニュース番組を見ると、どのチャンネルもいまだに北朝鮮のことを大々的に取り上げている。いかに話題が少ないかが知れる。北朝鮮の強権体制を見るとき、日本の民間企業における新人研修を思い出させる。権威に塗り固められた軍事訓練であり、絶対服従の姿が浮かび上がってくる。企業というちっぽけな世界でも、生活がかかってくると保身のための演技が不可欠で、北朝鮮の人々が苦しんでいるのと同様、自由な発想を押し殺して、イエスマンにならざるをえなくなる。多くの企業に裸の王様が出現し、大義名分の実力主義とは裏腹で、嘘と媚がものを言う虚構社会が作られる。景気が悪くなると一気に砕け散ってしまう、典型的な日本企業である。 人間と言うのは権力に弱く、どんなに偉そうなことを言っても、保身のためには自尊心を捨てざるを得ない。日本のマスコミでは、北朝鮮の姿を他人事のように面白半分で報道しているが、第二次世界大戦を引き起こした日本の軍国主義は、アメリカによって打ち砕かれたもので、民主主義を手に出来たのは、人民の力ではなかった。そして、景気が悪化した現代、多くの企業が就職難を逆手にとって、労働基準法を踏みにじり、労働者は辞める自由を心の支えに、イエスマンとなってじっと耐えている。危機感を持たぬ、馴れ合いの環境に浸っている人々には、絶対に見えない現実である。
2月27日(木)の日記より 書きたいと思っていることが幾つかあるが、今日はテレビで報道されていた、児童の喫煙問題を取り上げてみたい。喫煙の必要性を感じる者は一人もいないはずで、全てが悪戯半分か、他人真似から始まって、習慣付いてしまったと思われる。逆に考えると、他に面白いことは無いのかと、問いたくなる。現代の喫煙傾向は、低年齢化と、女性の増大と言われている。小学生から吸い出して、中毒になって悩んでいるそうだ。これだけ自由な世の中で、その気になればやることが切り無く有るのに、子供のころから全く必要のないタバコに目が向くのは、親が何も教えていないからである。学業では生活をしていくための知恵は得られず、子供の知識は親便りで、親にどれだけの経験をさせてもらえるかで、人生が決まってしまう。好奇心旺盛な年頃に、人生の素晴らしさを教え込めば、心豊かな人生を築けるが、そんな簡単な理屈が分からない大人たちが子育てをするのだから、子供たちは欲求不満の老齢な人生になっても仕方が無い。
3月6日(木)の日記より 今日のニュースで、3人の若い男女が車で自殺したとの報道がされていた。自殺の原因は交通事故を起こして、悩んだ末の自殺だそうである。3人はインターネットで寄り合っただけの、全く見ず知らず人たちだった。日記でも何度か書いたことがあるが、多くの人が自分の都合で運転しており、相手の事を考えないので、事故が起きて当然なのである。自分勝手な運転の中には2種類あって、全く相手を思いやる気持ちがなく、事故を起こしても罪の意識が薄い人と、運転の鉄則を学ばずに、無知による無謀運転で、事故を起こして初めて無茶を知るのである。後者は他人に対する気遣いを失っておらず、事故によって人生が大きく変わってしまう。自殺した人は、運転の知恵を親から学ばず、悩みを親に相談できない、家庭崩壊に生きる人だったのではなかろうか。車は凶器で、操作次第で殺傷能力がある。アマチュアが持ったら暴発するのは当然である。プロの運転手になるには、運転の鉄則を学ぶしかない。だが、親子代々アマチュアできて、運転の知恵を学ぶことが出来ないのである。
3月17日(月)の日記より アメリカのイラク攻撃が避けられない状況になってきているようだ。アメリカのテロ事件が起こってから、アメリカに半旗を掲げる者は、全て抹殺することが許されてしまった感がある。日本でテロ事件が起きていないから、テロに対する脅威が分からないので、何とでも言える。勝手に言えるうちに思うところを語るなら、今起ころうとしている戦争は、ややもすると、アメリカ資本主義対民族主義の構図が感じられてならない。アメリカンドリームと言うと大変聞こえがいいが、全て一攫千金の夢であり、誰にでも豊臣秀吉になれると言うことである。人間の幸福と一攫千金がイコールと、絶対に考えられない我輩とすると、アメリカ資本主義は人間を駄目にすると思っている。当然、アメリカと、文化や思想信条が異なる国からするなら、アメリカ経済の侵略は絶対に相容れないと思われる。日本のようにアメリカ従属の優等生が、どれだけ駄目になっているか、多くの者が気付いているはずだ。日本人の心が、アメリカンとイコールになるはずがなく、日本人の心に合った、様々な文化が失われ、今、盛んに懐古的な風潮が出てきている。誰の責任なのか分からないが、狂いだした歯車は止めようがない。アメリカナイズによって、得るものもあったと思うが、どう見積もっても失うものが多いと断言する。強者の論理で、アメリカが正義となっており、弱者を席巻する姿が、世界を滅亡させる一因にならなければと、つい考えてしまう。
3月19日(水)の日記より アメリカのイラク攻撃が、後十数時間で行われる。アメリカは、イラクの軍備を90パーセント以上把握しているのではないかと予想している。アメリカの思惑が当たれば数日間で大勢が見え、短期間で決着がついてしまうと思っている。アメリカが攻撃を急ぐのは、把握できていない、何パーセントかに不安を抱いているからではあるまいか。全部を把握していれば、慌てる必要がないはずである。その何パーセントかの軍備が、動き取れないうちに形をつけようという狙いがあると思われる。しかし、不明な軍備に、予想外のものが含まれていたとすれば、とんでもないことが起こる事になる。 イラク攻撃についての、小泉首相の発言が支離滅裂で、小泉内閣も残りわずかとなったのではなかろうか。
3月27日(木)の日記より イラク戦争が意外と長引いている。アメリカが把握していたイラク戦力のうち、不明の5パーセントが見えてきた感じである。それは、イラク軍以外の民兵であり、砂嵐である。特に、抵抗がないと考えられていた民衆が、アメリカにノーを示したことは非常に大きな意味がある。民衆がフセイン大統領に心酔しているとは思われないが、だからと言って、アメリカを解放軍と考えているわけではない。多くの国民が侵略と受け止め、死を持って民族主義を守っているのではなかろうか。アメリカが敵にまわしたのはフセイン体制ではなく、イラク国民となり、ベトナム戦争と匹敵する暴挙として、歴史に刻まれることになるだろう。
4月7日(月)の日記より デジタルビデオカメラを修理に出して、昨日やっと手元に戻ってきた。1ヶ月近くもかかり、何とも困ったものである。最新の機器は、何でもが安価となり、高性能なものも誰でもが買えるようになった。大変ありがたく思う反面、故障が多いのにはまいってしまう。修理代も高く、物によっては買い換えたほうがよくなってしまうこともある。毎日使うものだと、バックアップ用にもう一台取り揃える必要があり、今回のビデオ故障も、デジカメをバックアップ用に用意してあったので、とりあえず大きな問題にならずにすんだ。故障の事を考えると、安価のようで安価でないのが分かってくる。噂話に過ぎないと思いたいが、メーカは初めから故障を見込んで製造している、との声が、現実味を帯びてくる。とにかく最新の機器は故障が多い。
4月9日(水)の日記より イラク戦争は大詰めを迎えた。既にフセイン大統領の生死が不明となり、軍隊も壊滅状態のようだ。後は掃討作戦へと戦略が切り替わり、フセイン色を全て塗り替えられるまで戦いが続けられるのだろう。アメリカの攻撃は、基本的には軍隊だけをターゲットにしていることになっているが、現実には市民や報道関係者も多く犠牲が出ているようである。アメリカの宣戦とした大量破壊兵器の存在についてはいまだに明らかにならず、イラクも最後まで使用していないのが現状である。アメリカが起こした戦争が何だったのか不明になってきている。イラク国民を解放するとの強者が掲げる正義が、果たしてイラク国民にどのように受け入れられるのか疑問になるところである。
5月9日(金)の日記より ハローワークへ行って仕事を見つけてみた。50歳を過ぎての求人は少なく、中々厳しい。団塊の世代を中心にリストラの憂き目にあって、仕事にあぶれている人は少なくないはずだ。人口比率の最も高い世代が、退職金だけで老後まで食いつないでいけるとも思われず、このままではとんでもない事態がやってくるのに違いない。経済や企業の活性化を名目に何でも民営化してきたが、有効だったか、はなはだ疑問である。現に民間企業の多くが倒産を初めとして、業務縮小や統廃合が行われ、失業率の増大を考えると、アメリカ仕込みの、日本の経済政策は明らかに失策といわざるを得ない。一部投資家や資産家、政治家を富ませただけで、一般国民を食い物にした悪政に他ならい。今の社会ではスポーツ選手やタレントになるしか夢が見られない、お粗末な社会である。のうのうと暮らしている人の中には、責任を免れない人が数多くいるのではなかろうか。
5月20日(火)の日記より 新型肺炎の問題が日本にも上陸し、関西方面で大騒ぎとなっている。厚生省の情報連絡体制が機能しないで、新型肺炎と分かってから半日も過ぎて対応を始めたようだ。連絡が遅れた原因は会議をしていたとのことで、危機意識の薄れをまざまざと見せ付けた。狂牛病や原発放射能漏れ事故など、連絡の遅れや対策の遅れが計り知れない損失をもたらしている。何度となく教訓を経てきているのにまたまた同じ不手際を繰り返し、もはや計画的な対策や体制を確立することはできなくなり、普段やっていることを普段通りこなしていくのが限界なのである。日本人は考えることができなくなってしまった人種と言うべきで、お役人ばかりでなく、現実に、世の中、宣伝通りの物真似人間ばかり見かける。考えなくなると脳が退化萎縮してスカスカとなるそうで、空洞ができることによって脳障害が起きるそうだ。
5月26日(月)の日記より 東北方面で大きな地震があったが、被害はそれほど大きく無かったようだ。阪神淡路の大地震から多くの教訓を得て、果たして、各家庭でどれだけ対策が講じられたのか分からないが、運だけを頼りに手をこまねいていたのでは大人気ない。しかし、現実には自分の身に直接害が及ばないかぎり動けない、「せわない」と平然と言ってのける安直派が大勢なのではあるまいか。地震の規模によっては何を講じても意味がなくなってしまうので、なるようになれと割り切るのも一案だが、できるだけのことをやって、それでも駄目なら諦めがつくが、何もしないために被害が大きくなったら悔やまれる。ちなみに我が家にある背の高い家具は全て金具で固定してある。
6月3日(火)の日記より 入社に伴う研修で今日から電車通勤をしている。駅近くに無料の自転車置き場があり、500台は置けると思われるが一杯になっていた。毎日の通勤通学で自転車置き場を利用しているのなら理解できるが、200台以上もの自転車が駅側の駐輪禁止地域に駐輪してあった撤去車で、いつまでも放置されているのである。自転車も使い捨て時代なのだろうか、自転車が撤去されたら買い換えてしまう人も少なからずいるのだろうし、自転車の盗難は後をたたず、河原などに捨て去られているものも少なくない。どんなに撤去しても、駅前はすぐに駐輪違反の自転車が数多く並び、どうにもならないようだ。高度成長時代に浪費が美徳などと、平然と言ってのけたのを思い出すが、地球規模で考えると明日の食べ物すらままならない人が数多くおり、人間とはいったい何なのだろうと考えざるを得ない。豊かさの象徴でもあるかのように、何百台もの自転車がいつまでも置かれているのを見るにつけ、日本人は狂っていると思いたくなる。
6月9日(月)の日記より 研修で電車通勤をしているが、今日は人身事故で運行が一時的に滞った。息子がやはり電車通勤をしており、今まで何度も人身事故による影響を受けている。人身事故の多くが自殺のようで、最近では鉄道の人身事故と言ってもさして驚かなくなってしまった。インターネットで知り合った者同士が集まって自殺するというニュースが後を絶たない。若人が過激宗教を盲信して犯罪に走ったり、不穏な団体に埋没して突飛な行動を取ったり、暴走族となって命がけで暴走を繰り返している。20代、30代の死亡原因の1位は自殺で、せっかく生を受けても自らが命を絶たなければならない理由は何なのかだろうか。40代や50代の死亡原因の1位はガンだが、だからと言って自殺が少ないわけではなく、ガン死亡が非常に多いから順位が下がっただけのようだ。経済的に豊かで自由が保障された国家なのに、必ずしも幸福をもたらしている社会とは言えない。老後を楽しむ、悠悠自適のお年寄りを責めるつもりはないが、幸福と縁遠い時代を作り上げた責任は誰にあるのだろうか。これ以上時代が荒んでしまったら、年金の財源が確保できなくなってしまうのではなかろうか。
6月26日(木)の日記より 寝不足もあって、のんびりしたついでにテレビをかけておいたら、昨日の日記で論じた、大人たちの無知を裏付ける情報が、日きりなしに入ってきた。買い物症候群とでも言うべきか、ブランド品を買い続けずにはいられない大人たちや、物を無闇に集めて片付けられない大人たち、家の模様替えが自分でできない大人たち、テレビの情報番組へ参加して、無闇に感心する大人たちなど、大人のレッテルを剥がさねばならない人々が数限りなくいる。目先の損得勘定がどんなに長けても、人生はまともにやっていけないのである。大人たちは自分で好き好んで選んだ道だから、どんなつまらない人生を歩もうと、誰も気にする必要はないが、これから時代を背負って立つ和若者たちが、救いのない大人たちの影響を受けて、夢を奪われたら、余りにも気の毒である。高校生の男女が、出会い系サイトを使って、美人局(つつもたせ)の犯行に及んだそうだ。カメラつき携帯で顔を確認、気の弱そうな男をターゲットに、金品を奪い、巻き上げた金は、カラオケや日焼けサロンで浪費したそうだ。大人たちの影響を受け、結局は目先の損得勘定でしか生きられない、夢を失った若者の典型的な姿である。
7月9日(水)の日記より 長崎県の4歳児殺人事件は、12歳男子中学生の犯行だったようだ。青少年の犯罪と予想がついて、せいぜい高校生ぐらいだろうと思っていたが、中学生になって4ヶ月に満たないほんの子供の犯行だと知ると、何故殺人を犯さなければならなかったのか、考えざるを得なかった。沖縄でも13歳の少年が殺されて墓地に埋められた事件があったが、中学、高校の男女の犯行だったようだ。高校生の男女が、出会い系サイトを使って、美人局(つつもたせ)の犯行に及んだとの事件もあった。 青春真っ只中で、最も楽しい年頃と考えたいが、夢を持てずに、弱いものをいじめずにはいられないのである。青少年の心の病を、親たちはどのように受け止めているのだろうか。我輩が常々主張していることは、子供の夢を奪っているのは、親そのものなのである。何の根拠も無い大人の価値観で子供を縛り付けることが親の仕事と信じて止まない、無知な大人が多すぎる。自分自身を子供に置き換えて、自分のやっていることがどんなことなのか考えようとしない。相手への気遣いができないのが現代大人かたぎなのである。 12歳少年の犯行が報道されていて、途中でコマーシャルとなった。親自らが子供に大切なものを伝え引き継ぐことなく、塾へ追いやることが、青少年犯罪の最大の問題にもかかわらず、何の抵抗も無く、塾のコマーシャルが流されているのを見て、日本はどうにもならないと感じた。無責任に流される情報が、多くの人々の常識となって、ものごとの判断規準になってしまう。何でもが情報で判断するようになって、自分の本当の価値観を持っていない。愚かな大人たちは、情報に振り回されることに抵抗を感じなくとも、雑念の少ない子供たちが納得できるはずがない。子供の主体性をどれだけ大切にできるかが親の価値を決めるのである。 少年法によって、14歳未満と以上とでは、犯罪の扱いが異なり、未満は刑事罰が科せないようである。年齢を幾つにすべきか、法改正論議がされそうであるが、保護者の責任について少しも話題にならない。12歳の少年にどれだけの責任能力があるというのか。むしろ被害者と考えるべきで、親が罰せられても当然に思える。
7月10日(木)の日記より 長崎の、12歳少年の殺人事件が多く報道されているが、どこの番組も、親の責任について触れようとしない。どう考えてみても、誰がこんな子供にしたのかと、責任を追及したくなる。ことによると、親の責任を言及すると、大きな反発をくらうのではないかと感じた。政治家であれば選挙にかかわり、テレビ局であれば視聴率にかかわり、見て見ぬふりをしているのではなかろうか。2年程前に、青少年事件と絡んで、親の責任について論じられそうだったが、いつのまにか消えてしまって、青少年犯罪の元凶に目を背けているような気がしてならない。 ほとんどの親が、自分は何も悪くないと思っているようで、子供が事件を起こして、初めて何かが間違っていたと、考えるようだ。親の問題を言及していくと、誰がそんな大人にしたのか問題になってくる。結局は、マスコミによる無責任な情報が人間を狂わしており、マスコミの責任が何よりも重くなってくる。売るため、視聴率を稼ぐためには、何でもありの時代であり、情報操作がどれだけ多くの犯罪に結びついているのか、是非とも論じる必要がある。
7月25日(金)の日記より 女房殿は、40代から白髪が増え、何年も前から白髪染めを使っていた。白髪染めは、今流行の毛染めより遥か昔から使われてきた。当然研究が進んで髪を傷めない工夫は充分にされているはずだが、女房殿の染めた髪が大分傷んでしまった。もう白髪染めは使わないようにしているが、あたかも染めたかのように脱色されて、あまり見栄えがよくない。これからどんな変化が起こるか見守っているところだが、本来の白髪に戻るのか気になるところである。 茶髪が全盛の時代、老いも若きも髪を染める時代になったが、果たしてどれだけ安全性が確認されているのか分からないが、ことによると何年かすると、まともな髪を維持している人がいなくなるのではと危惧している。今書こうと思っているのは、「かつら戦争」という題名である。2010年以降の近未来小説で、多くの者が髪を傷めて、かつらを着けなければいられない時代と想定している。茶髪を流行らせたのは、かつらメーカの陰謀との噂が立ち、多くの女たちが暴徒となって、かつらの争奪を始めるのである。単なるフィクションでありたいと思うが、女房殿の髪を見るにつれ、全く嘘っぱちとは言えなくなる。
8月5日(火)の日記より この頃、価値観について、つい考えてしまう。良識ぶって時代を批評しても、時代が作り上げた価値観があり、それが資本主義経済の存立を維持していくための悪しき習性だとしても、絶対数の人間が準じれば成立するのである。特にテレビの影響が大きく、間違いなくテレビが時代の価値観を作り上げている。テレビ自体が、資本主義経済の道具に過ぎず、影響力が多大でありながら、良識を持っていない。資本主義は経済力が力であり、より多く儲ける事が正義なのである。売らんがためにテレビが悪用されても致し方ないことであるが、国家の存亡をも左右しかねない事も確かである。高齢化社会と少子化、国家財政と個人財産の拡大など、明るい展望を立てる要素が少しもない。現代を作り上げたのはテレビであり、儲け主義の資本家である。現代の価値観を否定できなくとも、価値観を見直さなければならない時にきていることは確かである。
8月6日(水)の日記より 生活の基本は食べることであり、食料の安定した確保が何よりも重要である。しかしながら、日本の食糧政策は、食料の確保を海外に依存する形で推し進められてきた。商社が儲けるためには、自給率を高めていたのでは成り立たず、値下げ合戦を名目に、日本の食文化を根底から覆し、農作物の自由化が強く推し進められてきたのである。農業を中心とした食文化を、誹謗中傷して、若者の目を背けさせようと平然としてきた。農家ではどこでも後継者不足が起こり、営々と続けられてきた、食文化の知恵を途絶させてしまった。現代の風潮は、安くて美味いものに価値を見出し、スーパーマーケットを中心とした、輸入食材が多く出回り、様々な食材の自給率が低下する一方である。本来、食とは地域密着型であるべきで、生産者と消費者が共存することが望まれる。値段だけでなく、安全、信頼に価値があり、ただ単に売り買いの世界ではなく、互いに協力し合って発展させていくべきものなのである。食糧問題を早期に見直さなければ、世界的な農作物の不足でも起こると、途端に安定した食料の確保ができなくなる。
8月7日(木)の日記より 生活のサイクルを重視した国家運営が望まれるが、資本主義経済にあっては、大量消費が最も重要になってくる。生活に必要かどうかは関係なく、必要と感じさせることにポイントが置かれ、むしろ、生活に有害になるようなものでも消費意欲を湧かせ、生活に大きな害をもたらしている。害が出ると、今度は対策用の商品を売りつけ、さらに消費の拡大を計っていく。過食美食を大々的にセールスし、肥満や病気が増えると、対策としてダイエット商品が幅を利かせる。今度は無理なダイエットの対策として、様々な健康器具が売られ、健康食品が売られる。初めから適正な食生活を営み、適度な運動をして健康維持促進を計っていけば、全く価値のないものだらけで、医者の価値が薄れ、高い医療費が節約でき、医療ミスの問題もなくなっていく。ごく普通にしているのが最も健康的で、食べ物も健康だからこそ美味く感じられ、健康がもたらす満足感は、余計な欲求にうつつを抜かすより、遥かに大きい。
8月8日(金)の日記より 生き物は本来、自然体で生活するのが一番良いはずなのだが、人間様は、余計な知恵があるお蔭で、自然体でいることから脱線してしまう。余計な知恵のほかに、余計な情報があるのが、資本主義経済で、人間が不自然でいることが理想としている。現状に満足できないように、手を変え品を変えて欲求を駆り立てている。分別を持っていれば、その情報が、いかさまか、本物かの区別がつくが、大人になっても分別がもてないのが現代人の実態である。多くの人間が情報に踊らされており、絶対数が情報に従えば、それが常識となって、いかさまではなくなってしまう。男女の区別をするのは、ややもするとセクハラと非難されそうであるが、いかさま情報のターゲットは女性である。消費意欲をそそるのは女性のほうが簡単なようで、テレビは元より、新聞折込の大半が女性向けである。男性に対しては博打性の高いものが多く、パチンコの広告も負けずに入っている。一番必要なものが何なのかを考えず、情報に従って浪費せずにはいられないのが現代であり、浪費の価値が多大なのである。金が何よりも意味が出てくる。
8月11日(月)の日記より 人間の習性は、歴史的にどんなに苦い経験を得ても、結局は「喉元過ぎれば」であり、同じ過ちを何度となく繰り返してしまう。現代はちょうど江戸末期の社会状況に酷似していると言われており、経済破綻と失業者の増大、泥棒、強盗の多発、闇金融の横行と取り立てなど、末期症状が顕著に出ている。「奢れる者は久しからず」で、明治維新のように、文明文化が滅び、新たな時代作りが必要になってきている。資産の価値は、個人財産を保護する国家があって初めて成り立ち、国家の安定が無くなれば、どんな膨大な資産も紙屑同様となる。個人の懐に大事にしまってある、凍結資産が、日本の安定を大きく疎外し、借金大国になり下げてしまった。改善策は貨幣の見直しであり、もし敢行されれば、今までの個人資産は全て御破算になってしまう。
8月13日(水)の日記より 時代は誰が作ったのか考えてみると、答えは国民と出てくる。夢の無い時代となったのは、政府自民党の企業優先政策を認めたからである。国家の経済破綻を招いても、一部資本家の儲け主義を保護する政治が、営々と続けられてきたのは、選挙で国民がノーとの返事を出さなかったからである。それは、日本国民の能力とも言える。時代の問題点をあげると、結局は国民が愚かだからだとなる。愚かさをどんなに羅列しても世の中が良くなるわけでなく、今何をすべきか論じていく必要がある。時代を省みて、自らを省みることが肝要で、価値観の見直しを図っていくことが、今できる、最善策である。
8月17日(日)の日記より 世界的な異常気象で、多くの国が農産物の被害を受けているようだ。異常気象の原因は、北半球の風の流れ、偏西風が従来の直線をした規則的な流れから、かつて無いほど大きな蛇行ができて、偏西風が北へ押し上げられた地域は熱波となり、南に下がった地域は冷夏となっている。農業は長年の経験から、それぞれの地域の気候に合わせて改良や選択がされてきて、通常と大きく違った気候になると、正常に育たない。日本のように多くの食糧が海外依存をしているようだと、世界的な不作が起これば、途端に輸入が滞って、食糧不足の事態も起こらないとも限らない。もはや、個人的な見地で生活を考えていたのではどうにもならなくなり、一国家でも間に合わず、世界的な見地でものごとを考えていかなければならない世紀に来ているのではなかろうか。
8月22日(金)の日記より 熊谷は天気予報でマスコミを賑わすが、今度は15歳と16歳の少年少女が絡んだ殺人事件で大騒ぎになっている。熊谷だけでなく、全国で青少年の犯罪が後を絶たず、夢を失った若者がいかに多いかである。表立たない事件も数多くあると思われ、日本はアメリカに追随して、とんでもない国になってしまったようだ。アメリカンドリームなどといって、名前をあげて大金持ちになることが夢となっており、人間の夢は損得勘定のちっぽけなものなのかと考えると、社会が荒んでも仕方がないと思えてくる。こんな時代に誰がしたと、問われれば、自らのも責任があり、ホームページでどんなに社会を批判しても、責任を逃れられるはずがない。今は、鏡に映った虚像の幸福を求めて、多くの者が躍起になっている。どんなに近づこうとしても、本物ではないのだから、鏡に近づけば近づくほど、本物の幸福から遠のいていく。たとえ虚像だったとしても、求めるものが他に分からなければ、ロボットのように何も考えずに、決められた目的に向かってまい進していくしかないのである。
8月26日(火)の日記より 青少年がかかわる事件が続発しているが、誰の責任なのか問うと、答えは簡単に返ってくる。アメリカナイズされた、儲け主義が、なりふりかまわず、日本人を狂わしたのは確かなのである。何も考えずに、コマーシャルに従って浪費することが、世の理想としてきたからである。浪費から得られるものなど高が知れているのに、あたかもそれが夢であるかのように仕向けてきた、若者たちは夢を失ってしまったのである。資本家はもとより、現実を見極められなかった大人たち全てが、責任を免れず、責任問題を問えば、あまりにも多くの人間が、罪を追うことになる。ところが、誰一人として自らの責任を感じておらず、問題が続発しても、見て見ぬふりをしている。世の中、ここまで乱れてきているのだから、そろそろ自らの責任を感じなければならないのではなかろうか。
8月30日(土)の日記より 8月も早1日残しとなった。何故か夏場は開放感に浸れる季節であるが、今年は景気の動向と同じで、気分的にも湿っぽい夏となった。国や経済界は、今後の景気の見通しを楽観的に考えているようだが、景気の良くなる材料が本当にあるというのか。日本には大金持ちや共働きによって成り立つ小金持ちが多く、社会そのものが、その辺の人々の感覚でしか論じられず、生活の厳しい層のことなど、全く意に介していないのが実態である。良識ある国家であれば異常事態が起こる前に改善ができるが、利権にうつつを抜かした人々が国を動かしているようでは、文化文明が崩壊するまで、何が問題なのか気付かずに終わってしまうのではなかろうか。
10月17日(金)の日記より 高齢化社会をむかえ、介護制度の充実が図られているようであるが、現実には資格や認定が前面に出てきて、かえって不利益となるケースがあるようだ。介護サービスの会社が多くできているが、最も必要な思いやりが置き去りになって、福祉を名乗って一儲けしようとするあさましさが窺える。散策の帰り道で、手押し信号の待ち時間にお年寄りと出会うことがある。わずかな時間であるが女房どのが話し相手をすると、お年寄りの顔がほころんで、満足そうに立ち去っていく。高齢化社会にとって、社会制度の充実も重要であるが、資格に関係ない、人と人との触れ合いが何よりも重要なのである。
10月21日(火)の日記より 最近のニュースで、医療関係のミスがたびたび報道されている。医療ミスは人命にかかわり、実際に多くの命が失われている。殺意が有る無しにかかわらず、ミスが死を招くことが分かっているのだから、明らかに殺人事件である。しかし、業務上過失致死ということで関係者はそれほど厳しく罰せられていない。多くの日本人が、先進国家特有の不健康極まりない生活をして、文明病と呼ばれるわけの分からぬ病気にかかっており、医者を頼る人間が引きも切らない。病院では一山幾らの患者を抱えており、医療に携わる人々は、人間を人間と見るより、ただの機械のごとく意識しているのであろう。さもなければやっていられない職業なのかもしれない。人間の命が軽んぜられる時代になり、人間の尊厳を取り戻そうとしても、機械のような人間が生産されるのを、どうにも止めようが無い。正に新人類が出来上がったのである。幸い、我輩は医者にとんと縁が無く、医療の現実を知らずにきている。
10月28日(火)の日記より あるテレビ局で、視聴率を高めるために視聴者を買収したと、報道されていた。我輩は、天気予報やニュース、スポーツ番組以外はほとんどテレビを見ないので、視聴率の価値が分からず、特に問題と感じなかった。視聴率は、言い換えると売上で、社会全体が数値管理されおり、数字を誤魔化すのはごくありふれた行為なのではなかろうか。テレビは寸分も途絶えずに情報を流し続けなければならず、どこのテレビ局も時間を埋めるのに四苦八苦しているのが窺える。予算との絡みもあって、人件費の削減は甚だしく、多くの番組が安物タレントや素人が中心で、無芸を売り物にしている。テレビを本当に楽しんでいる視聴者がどれだけいるのだろう。ややもすると、他にやることが無いから義務的にテレビをつけている人もいるのではなかろうか。野球シーズンが終わると、何も楽しみが無くなってしまう人が少なからずいるはずである。
11月4日(火)に日記より 事件、事故、災害は、実際に身近に起こってみないと他人事として、本気で考えようとしない。現代はいたって日常的な出来事になっており、熊谷での事件を振り返ってみても、中学生によるホームレス殺人や、女子高生が絡んだ複数殺人、ATM盗難、女子中学生への通り魔など、テレビニュースになったものだけでも数知れない。これらの事件で我輩自身が本人を直接知ることはなかったが、息子が知っている者がいた。18歳の男子大学生と16歳の女子高生が親を殺すという事件が今話題になっているが、女子高生を知る近所の人の評判は、「ごく普通」となっている。最も怖い状況で、いつ誰が何をしでかすか分からないことになり、危険を察知する術がない。事件のみならず、事故も同じで、日本人は自己中心で他人の気持ちを考えられない国民性となり、自分の都合しか考えない暴走車が多数走っており、よほど注意しないと事故に巻き込まれてしまう。大気汚染や自然破壊によって、異常気象が通常となり、地震が多発して、いつ何時災害が降りかかってくるか分からない。だからと言って、いつもびくびくしていたのでは意味が無く、身近な問題として常に意識し、事件、事故、災害を少しでも減らす努力をすることが、肝要である。
11月9日(日)に日記より ブッシュ大統領がイラク戦争の終結を宣言してから、イラク国内での、テロによるアメリカ兵の死者数が150名を超えたそうで、イラク戦争の130名余りの死者数を上回ってしまった。戦争そのものはあっけないほど簡単に終結、アメリカの軍事力をまざまざと見せ付けたが、ゲリラ戦に替わると敵味方の判別が困難で、見えない敵と戦うようであり、アメリカがかつて苦い経験をしたベトナム戦争と同じような状況となってきた。戦争の大義名分であった大量破壊兵器が見つかっていないことや、戦争後の死者の問題もあって、ブッシュ政権は非常に厳しい立場に立たされている。イラク国内の治安回復と経済復興もはかばかしくなく、半フセインだった市民も反米感情を募らせているようだ。日本も自衛隊を遠から派遣するようだが、安全は一切保障されておらず、かつての海外派遣と全く違った状況である。小泉首相は一貫してアメリカのイラク攻撃を容認する立場に立っており、イラクで自衛隊員がテロに巻き込まれるようだと、ブッシュ政権と共に政権崩壊へと繋がっていくのではなかろうか。
11月18日(火)に日記より 各テレビ局で、北朝鮮のことがいまだに取り上げられ、北朝鮮のテレビ番組を紹介しているが、情報操作で成り立っている国として、扱われている。現実から目を背け、独裁政権に都合の良いことばかり知らせようとしていることは確かである。独裁政治との意識から判断しているので、卑劣な行為に感じられるが、では、アメリカを中心とした資本主義国家は果たしてどうなのか、ふと疑問になってくる。今アメリカでは、イラク戦争でイラク軍の捕虜になった女性兵士のことが話題になっている。アメリカ軍に救出され、イラク戦争のヒロインを演じ、帰還すると大変な歓迎振りだったが、最近になってジャネット・リンチさん本人が、アメリカ軍の流した情報は全く捏造されたものだと告白している。イラク戦争を正当化するために、情報を操作していたことになる。現代の生活は情報が溢れ、売らんがためには、嘘偽りの情報も少なからずあり、問題が多く起こっている。食品関係で、生産地を偽ったり、添加物を隠したりで、これも情報操作である。テレビを中心とした情報の中には、視聴率のためには、社会に悪影響を及ぼすものも、平然と取り扱われ、社会そのものが情報操作で成り立っている。自由のはずが、嘘偽の情報で、どこまでも拘束されているのではなかろうか。
11月20日(木)に日記より 「おれおれ詐欺」の横行で、22億円が騙されたという。大分前から起きている詐欺事件で、そのたびにニュースとなって、全国に知れ渡っている。ところが、事件が減るどころか、益々増えている状況である。日本人がいかに騙されやすいかである。普段からニュースを見ないで、詐欺事件を知らない人も少なくないのであろう。たとえ知ったとしても、どんなことなのか理解出来ない人や、自分のこととして当てはめられない人など、一人前と呼ぶには相応しくない人間が多くいるようだ。金額の面を見ると、いかに金持ちが多いかも知れる。一人前でなくとも金儲けが出来るのが日本人らしいところである。
11月26日(水)の日記より 南極上空に出来たオゾンホールが、今年の9月、過去最大の大きさに広がったそうである。地球を取り巻くオゾン層は、太陽の放つ紫外線などを和らげ、地球の生命体が生息しやすい環境を作り上げている。オゾンホールは2000年に最大となり、以後徐々に狭まり、国際的なフロン規制で改善されたかに見えたが、ここにきて再び広がる傾向にあるそうだ。紫外線が皮膚ガンの要因になるなど、人体に与える影響が大きいだけでなく、地球温暖化とオゾンホールとの因果関係が明らかになってきて、地球全体に大きな影響を及ぼすと言われている。オゾンホールの原因は、人間が発する、フロンなどの化学物質であり、自然破壊や核の脅威など、人間自らが地球を破壊してしまう可能性がある。
11月30日(日)に日記より イラクで、テロによって日本の大使館員が二人殺された。イラクのために尽くしてきた二人のようで、外務省などの関係者は悔しさで言葉を詰まらせ、沈痛な表情だった。これで自衛隊のイラク派遣問題は益々難しくなってきた。イラク復興のために尽力をしようというのに、生命の危機にさらされなければならないのだから、誰一人派遣を望んでいないのに違いない。国際貢献との義務やアメリカとの義理など、手をこまねくわけにはいかず、いずれ決断せざるを得ないのだろう。今回の事件で、アメリカが唱えた正義がどこまで受け入れられたのか、疑問になってくる。テロ組織が暗躍できることを考えると、イラク国民は、イラク戦争をアメリカの侵略と受け止めている人のほうが多いのではなかろうか。
12月9日(火)の日記より イラクへの自衛隊派遣について、連日騒がれているが、大騒ぎするような問題ではない気がする。派遣が決まっている以上、細部については関係各所で決めることで、マスコミが細部に渡って検証する必要は無い気がする。専門家を名乗る人が、派遣に賛成、反対、色々と講釈をぶっているが、危険回避は、派遣された自衛隊員が、状況に応じて臨機応変に対処するしかなく、机上の論議で、あれやこれやと言っても何にもならない。実際に派遣されて、どんな派遣効果があったのかを検証すべきで、しばらくは、黙って様子を見ているしかないのではなかろうか。
12月14日(日)に日記より フセイン、元イラク大統領が、アメリカ軍によって拘束されたと、ニュースでやっていた。現在、どれだけの力があるのか分からないが、フセイン元大統領を逮捕したからと言って、毎日のように起こっているテロが無くなるとは思えない。今では、ただの、年老いた逃亡者に過ぎないのではなかろうか。アメリカ対フセインの構図は、イラク戦争が終結した時点で終了しており、今はアメリカ対イスラムの戦いになっているのではなかろうか。だから、多くのイラク国民は、アメリカを侵略者と受け止めており、自爆テロなど、自らの命を引き換えに、戦いを挑んでいるのではなかろうか。フセイン元大統領を補足しても、アメリカがやってきたことを正義だったと証明することはできないだろう。
12月16日(金)に日記より 暦作りで、今日は印刷に入ったが、写真用の印刷はインクが多くかかり、すぐに取替えが必要となる。最新の機器が何でも安価に手に入るようになったが、故障の多さと、部品交換の高値に、メーカの戦略を窺い知ることができる。機器を安く売って、儲けが少なくとも、維持費で元を取ればいいとの考えである。売ってしまえば部品や消耗品などは独占となり、値段は言いなりで、大きな儲けになることは確かである。企業は設けることが目的だから、見え透いた商魂を糾弾することはできないが、日本の厳しい経済状況を考えると、今は自社の儲けよりも、国家の発展を最優先にすべきである。プリンターを例に考えても、インク代が高くつくために、パソコンの利用が滞る要因になっているのではなかろうか。パソコンやプリンターが多くの家庭に根付くようになれば、インクの売れる絶対数が格段に多くなり、一個一個の儲けが少なくても、充分に元を取れるはずである。日本が発展するには、これからは誰でもが気軽にパソコンを使うようになることが絶対条件であり、企業は目先の利益にとらわれず、社会の発展にどれだけ寄与できるか、考えなければならない時である。
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