不良論

2004年3月9日

2004年1月10日から16日の日記より

最近のニュース番組を騒がせる殺人や、強盗、殺傷、誘拐などの事件を見ると、50歳代の犯行が非常に多い。所謂、団塊の世代と言われる年代である。戦後のベビーブームは、昭和22年生まれがピークで400万人を超え、それから1年毎に出生率が減少するが、日本人の人口比率からするとべらぼうに多い。我輩も今年で55歳になり、団塊の世代の一番年下にあたるが、時代の変貌と、急激な人口増加による歪を直接受けた世代である。昭和22年生まれは要領のいい人間が多く、状況の変化に手のひらを返すように変身したが、我々の世代は要領が悪く、いいように使われ、融通がきかずに取り残されるものが多かった。バブルが弾け、景気の悪化で雇用情勢が厳しくなり、ここでも年代によって、上手く立ち回って切り抜ける者と、そんな役回りを受ける者との差が出来ている気がする。50代の犯罪でも、昭和24年生まれが多く、要領が悪いために犯罪に走った者もいるのではなかろうか。少々乱暴な分析であるが、1年、2年の違いで、生き様の違いは間違いなく存在する。

昨日の話の続きになるが、犯罪の多発と、犯罪者の年代について考えてみると、時代の検証ができるのではなかろうか。青少年犯罪は増加の一途を辿っており、対策が無いままに時代が推移している。青少年を育てた親、その親を育てた親と辿っていくと、「親の姿を見て子は育つ」のたとえが浮かび上がってくる。30年、40年も昔になるが、不良と言うのは青少年が中心で、人数比からすると、ごく少数で、大変目立った存在だったが、現代は不良がごく普通の存在になってしまったので、警察沙汰にならないかぎり目立たなくなってしまった。不良と言うのはモラルを逸して他人に迷惑をかける人間であり、現代は自分の都合だけで動く人間が多く存在し、モラルで律しきれないので、何でも法的な規制が必要になってきている。いい例が携帯電話で、電話をしながら車を運転すると事故を招くという、当然のことを、本人の自覚で無くすことが出来ないので、法律で規制されるようになった。規制されても老若男女関係無く、改善されず、不良が数限りなく存在しているのである。50歳、60歳にもなれば何でも分かり、分別が付いて当然なのだが、昨日も話したように、中高年の犯罪が多発している。自分さえ良ければとの不良根性が、犯罪を誘発しているのである。そんな大人たちに育てられた子供は当然不良となり、不良の子供は自ら不良が育つのである。不良が普通になってしまい、不良の自覚の無い人間が多く存在しているのだから、世の中が良くなりようがないのである。

11日の日記で不良の話をしたが、年を積み重ねても不良ということは、いつまでたっても大人になれないということである。物事の良否の判断が出来ないのである。自分の都合ばかり考えて、他人にどんな悪影響を及ぼすか、意に介さないのである。自分の欲求を満たすためには他人を傷つけても何とも思わない。それが、親子関係や夫婦関係でも同じであり、娘を保険金目的で殺害したり、親や兄弟を殺害したりする事件が後を絶たない。母親による幼児虐待が多発しており、そこには、子供は自分の都合で存在し、都合が悪ければ無用になってしまう、現代親子事情が浮き彫りになる。子供の意思よりも、親の意思で人生が決せられ、子供の真の幸福など関係ないのである。愛情と程遠い世界が普通になり、子供が成長して自意識が芽生えると様々な軋轢が生じてしまう。人間性喪失の生活に順応した子供たちが、どんな人生を歩むのか考えると、とてもではないが、明るい未来を見出せない。いずれにしても、現代っ子が、まともな生活をするのは非常に難しいのである。

駄目な大人たちを誹謗中傷ばかりしていても、世の中が良くなるわけではない。日本の人口分布を見るとき、中高年のウエイトが大きく、経済に与える影響も大きい。バブルが弾けて、多くの企業が破綻したが、経営者や投資家の資産は膨らむ一方ではなかったか。具体的な数字は分からないが、日本の総資産のうち、企業や国に属するものと、個人に属するものとを比較すると、個人の所有部分が遥かに多いのではなかろうか。個人が使う資産など高が知れており、多くの資産が凍結して動かないために、日本経済の再生がいつまでも出来ないのである。資産と暇を持て余している高齢者を社会参加させることが、日本経済を活性化する最良の方法である。経済の発展、雇用の促進へと繋がり、若者たちが働き甲斐を感じられる社会に生まれ変わるのではなかろうか。高齢者を社会参加させるには、パソコンに興味を持たせるのが一番である。パソコンの売れ行きだけの問題ではなく、パソコンの利用が子供、孫へと連なり、家庭で日常的に使われる道具になっていくことが期待される。指先だけで間に合うちっぽけなIモードの世界から、思考力を織り交ぜた、どこまでも広がりのあるコンピュータの世界へ生活が切り替わっていく。多くの子供たちがコンピュータを道具として使いこなせるようになることが、これからの時代を作り上げていく上で、不可欠である。高齢者へのパソコンの普及は、ボケ防止だけではなく、経済的社会貢献や、子孫繁栄など、一石二鳥にも、三鳥にもなる。高齢者自身の存在感も出てくるだろうし、親子関係、家族関係、青少年の非行など、現代の病巣に対する特効薬にもなるのではなかろうか。我輩もパソコンの普及に是非とも努めてみたいと思う。