東日本大震災 2011年3月11日

 ここでは、2011年3月11日に発生した東日本大震災について、日記で書き綴ってきたことを集めてみた。特に福島第一原発事故の事について、多くの問題を感じてきた。

2014年6月3日

 

地震メモ

2011年3月11日14時46分 東日本大震災M9.

11日●14時46分地震発生大きな揺れが4分程●宮城県沖M8.8後日訂正9.0●福島県沖M7.4●茨城県沖M7.2●宮城県沖M7.0など相次いで発生、各地で5メートル以上の津波●22時00分死者行方不明1000名以上

12日●10時00分死者行方不明1300名以上●14時30分死者行方不明1400名以上●14時35分福島原発セシウム漏れ検出炉心溶融となる●15時00分死者行方不明1600名以上●16時00分死者1000名以上●16時30分津波高い所で10メートル以上最大20メートル?●15時36分第一原発1号機爆発音と煙●16時30分1号機屋根外壁無くなり、屋内の水素爆発で原子炉影響無し●17時30分大量放射線確認1015μs●19時09分避難指示範囲10キロから20キロへ変更●20時25分津波警報が注意報にかわる●20時40分菅総理の福島原発声明(予想を越える地震のために緊急冷却装置が働かなかった)

13日○06時00分1号機海水で冷やす非常処置、3号機も炉心溶融が始まる●07時00分第2原発でも制御不能となる●08時00分関東の鉄道ほぼ通常運転●11時45分安否不明1万人超、39万人が避難●12時00分マグニチュード9.0に訂正、死者1600人以上、東北地方太平洋沖地震、東日本大震災、東日本巨大地震などの名前が上がる●14時30分福島原発から100キロ離れた女川原発で通常の400倍の放射能を検出、女川原発からは放射能漏れなし●15時30分3号機大量放射線確認1557.5μs、放射線量184μsへ低下●16時30分宮城県では死者万単位と推定●18時10分3号機も爆発の可能性が高くなる●20時00分3号機水位上がらず●21時00分計画停電実施表明、

@06:20〜10:00、16:50〜20:30、A09:20〜13:00、18:20〜22:00、B12:20〜16:00、C13:50〜17:30、D15:20〜19:00の5分割交代実施

14日●06時00分計画停電6時20分は見送られる●11時40分3号機水素爆発●16時00分2号機も水素爆発の可能性●16時10分計画停電D17:00〜19:00実施との発表あり●20時30分15日の計画停電についてグループ毎の実施時間の変更発表

15日●06時20分計画停電実施時間になったが熊谷では停電無し、上尾、桶川など実施ざれる●08時00分2号機爆発●6:00頃格納容器の一部破損の可能性、炉心水位低下燃料棒露出(8217μs記録)、4号機火災使用済核燃料の建屋破損、東海村(茨城)でも放射線確認●10時00分計画停電実施B13:00まで●10時50分福島第2原発5号機、6号機停止●11時00分菅総理のメッセージ、枝野官房長官の説明、4号機(停止中)火災発生(9時38分2号機に欠損)炉心水位燃料棒半分迄回復、大量の放射線漏れ最大400ms20キロ〜30キロ圏屋内退避●13時00分計画停電D実施熊谷無し

●15時50分枝野官房長官の説明(4号機火災11時沈下)2号機炉心水位減少傾向、5、6号機温度上昇、海水冷却現状良好?●19時30分死者数3000人超、不明者15000人以上

16日●05時54分4号機炎30分後沈下●08時00分死者3570人、不明7582名●10時00分計画停電実施、停電とともに消防の出動●11時18分枝野官房長官の説明、燃料関係の供給は被災地優先、8時30分に3号機から発煙、1000、800、600マイクロシーベルトの放射量、10時54分下がり始めている、格納容器の一部破損による?●13時30分死者行方不明者11000人超

●16時00分死者行方不明者11600人超、3号機使用済放射線棒水位低下、剥き出非常事態の可能性、自衛隊ヘリによる水投下検討、福島原発正門付近で断続的に10ミリシーベルト前後検出、20キロ当たりで0.20.3ms、放射線量が高くて近づけない

17日●09時48分福島原発3、4号機ヘリで放水、第一弾4回放水、放水前と後との放射線量差なし●10時25分死者4377人●11時45分死者5198人●14時40分計画停電各地で実施●16時05分死者5321人●17時40分自宅停電回復したが近隣で停電●共同アンテナ(新幹線電波障害)停止となりテレビ利用できず、基地局の停電のため?●19時40分TVアンテナ電波復旧●19時35分3号機への放水、機動隊消防車1台放水、自衛隊消防車5台放水●21時55分けっこう大きな地震福島震度4、マグニチュード5.8

18日●福島原発の情報は滞り、一進一退と言ったところ、在留する外国人に対し各国は80キロ以上退避勧告、国によっては国外退去、メディアのあり方、避難者へのインタビュー無用、厳しい現状は出揃っている、支援進行状況を速報する態勢、避難地への情報提供態勢●10時35分死者5693不明人9522人、死者不明15000人以上●14時25分死者不明16000人以上●16時15分死者6539人阪神淡路大震災を越えて戦後最悪●20時00分死者6918人、死者不明17000人以上、放射線事故レベル5へ変更

19日●07時20分死者6911人、死者不明17000人超、被災者を受け入れる自治体●10時07分9日目に気仙沼で1人救出●13時00分原発5,6号機冷却機能回復●14時10分3号機連続海水放射●15時00分死者7197人、死者不明18000人超●16時10分牛乳、ホウレンソウ放射線量既定値を越える(食品衛生法)、1年間摂取人体に影響ない●18時00分連続海水放射順調、外部電力取り込み設備2号機対応配電設備完了●20時30分死者7384人

20日●07時00分3号機に対する連続放水7から13時間に変更、放射間もなく放射線量激減、4号機放水準備始まる●11時05分5、6号機冷却確認●19時00分 9日ぶりに祖母、孫救出

21日●12時00分福島原発の影響で各地で通常値基準値を越える放射線量検出、死者8649人不明13262人、死者不明21000人超●16時30分死者不明22000人超

22日●13時20分死者9079人、死者不明22000人超

23日●14時00分死者9423人、死者不明24000人超●15時00分東京貯水池で放射線基準値

超検出乳児摂取注意発表、金町浄水場幼児規制の倍以上●16時00分福島原発3号機黒煙、前日も煙収束中の発表有●17時15分3号機黒煙収束中の発表、予定されていた放水作業中止

24日●13時10分 死者9700人超、死者不明26000人超

25日●10時00分死者9811人、死者不明27000人超●11時40分死者10035人

26日●8時00分死者10102人、死者不明27000人超●17時40分死者10418人、死者不明27000人超

27日●10時00分死者10633人、死者不明27000人超●17時30分死者10668人

28日●07時00分死者10804人、死者不明29000人超

29日●07時00分死者11004人、死者不明29000人超●12時20分死者11063人

●17時15分死者11102人

30日●07時00分死者11168人、死者不明29000人超

31日●10時00分死者11362人、死者不明29000人超●12時20分死者11417人

4月2日東日本大震災と正式決定

4月12日●11時00分福島原発事故レベル7に引上(IAEA)深刻な事故となった

 

震災時の日記

3月11日(金)の日記より

 今日の天気は昨日の天気をなぞらえる様で、午前中は良く晴れていたが、午後になると雲が多くなり、昨日と少し違うのは雨が降ってきそうな空模様だった。午後の雲の流れは、何となく嫌な感じがあり、そのうちに大きな揺れがあって、今まで経験したことが無いほど、長々と続いた。今までにも大地震を経験しているが、大きな揺れは10秒から20秒で、1分を越えることなどなかった。これは過去にない大地震と直感し、未曾有の大被害が出ると予想した。この1週間に何度か宮城沖の地震が繰り返されていたので、東北方面では、とんでもないことになるのではと思った。

 14時46分、東北地方太平洋沖地震と名付けられた地震はマグニチュード8.8の、日本史上最大の地震となった。東北から関東の太平洋沿岸では5メートルを越える大津波が押し寄せ、甚大な被害が出た。宮城沖の地震に続き、福島沖、マグニチュード7.4、茨城沖、マグニチュード7.2、宮城沖、マグニチュード7.0と、30分間にM7以上の大きな地震が立て続けに起こった。余震も強弱を織り交ぜていつまでも続き、北海道から関東まで被害が広がった。関東では全ての鉄道が運転を見合わせ、帰宅の出来ない人で街は溢れた。大きな揺れによる東北内陸部の被害の情報は流れてきたが、津波による被害者がどれほどなのか、今日の時点では全く把握できていない。世界でも最大の被害となる可能性もある。揺れを感じながら、様々なストーリーが脳裏で展開され、大津波に対する避難は進まないと想像され、太平洋沿岸で何十万もの被害者がでると予想した。この地震で、日本の経済は麻痺し、食料危機が起こり、枯渇した財政にあって金で解決することは困難である。災害の復興は日本再生と一体として、金を動かすのではなく、人を動かし、地産地消の、地域主体の国家に塗り替えていく必要がある。

 

3月12日(土)の日記より

 昨日の地震が嘘のように朝からよく晴れ、気温が上がって、熊谷では最高気温が13℃を越え、今月に入って2番目の暖かさとなった。夕方雲が張り出してきたが、天気が崩れるようなことはなかった。陽気は良かったが余震が続き、不安が拭えない一日だった。被災地でも雪は止んで晴天となり、寒さが和らいだのは唯一の慰めである。このまま駆け足で春めいてくれると有難いのだが。

 東北地方太平洋沖地震は、大津波による甚大な被害をもたらして、一夜が明けた。余震が続き、津波の規模は小さくなったがいまだに続いており、さらには地震の連鎖も各地で起こり、今朝は信越地方で震度6強の地震が発生、東日本全体が地震の脅威に見舞われている。福島原子力発電では1〜4号機が緊急停止し、停止に伴う冷却装置が稼働せず、原子炉が制御不能の状態に陥っている。放射能漏れも想定されて、10キロ圏内の避難指示が出された。

 昨日、原子炉の緊急停止した時点では、今のところ放射能漏れの心配はないなどと発表されていた。緊急稼働すべきものが動かなかったのだから大問題であり、危機管理意識が希薄なのに怒りさえ覚えた。今まで数多くの原発事故を起こし、うやむやのうちに安全宣言を発してきた。その結果が今回の異常事態を引き起こしたのである。

 大津波による被害が少しずつ明らかになってきて、壊滅した村落も数多くある。死者、行方不明は1000人以上から1300人以上へと変わり、状況把握ができていない地域を考えると、万単位、さらには十万単位へと変わっていくのではないか。大地震によって陥没した地域もあり、津波によって入り込んだ海水がひかず、取り残された人たちが救助を待っている。避難している人たちの水や食料が不足し始めて、緊急支援が求められている。東日本の各地で大きな被害をもたらした中で、埼玉は一番被害が少なく、高みの見物になりがちだが、単なる災害復旧と、今までの、何とかなる、せわない、の延長で考えるわけにはいかない。日本を根本から再生しなおすつもりでいないと、立ち直れない事態である。

 15時36分頃、福島第一原発1号機より爆発音と煙が確認され、1号機建物の屋根、外壁が無くなった。17時30分、大量放射線確認、1015マイクロシーベルト、これは人が年間で放射される数値と同じで、それを30分程で放射された。19時09分 避難指示範囲20キロへ変更となる。20時40分、菅総理の福島原発に対する声明があり、その中で、予想を越える地震のために緊急冷却装置が働かなかったとの発言があった。原子力発電を行う最低条件として緊急冷却装置の存在があるはずで、地震で機能しないと言うことは、原子力の運用そのものが否定されることになる。電力会社、行政ともに危機管理ができていない。大変な問題になりそうである。

 

3月13日(日)の日記より

 今日は3月に入って一番の暖かさとなり、言いかえるとこの春一番と言うことになる。空気の入れ替えで窓を開け放したが、寒さは少しも感じず、ひんやりとしていた部屋が春めいてきた。花粉が多く飛散していたようで、目がしょぼしょぼするおまけが付いたが、心身ともにホッとさせられた。暖かいのは明日までで、明後日からは再び寒の戻りがあるようだ。早く春へ完全移行してもらいたいものである。

 今回の大地震は名称が二転三転して、東北関東大震災と呼ばれることになったようだ。三日目に入っても余震が続き、被災した地域に人たちはいたたまれない思いとであろう。悪いことに福島原発では、1号機に続いて3号機も水素充満による爆発の恐れが出てきている。それ程問題はないとの結果が放射能漏れとなり、異常な状況の中では避難もスムーズにいくはずがなく、被曝した人も少なからず出てきている。量が小さいと、問題が無いように弁明しているが、量の問題より原発による放射能漏れがあったという事実は、そう簡単に消しされるものではない。

 原発停止のみならず、各地の発電設備が地震により停止し、電力供給がままならなくなっている。計画停電なる非常処置が打ち出され、関東各地で、一日3時間を目安に停電にすることになった。計画停電の予定を見ると、熊谷は1〜5グループ分けされた中の4グループに組み込まれ、いつ停電するのか全く分からない計画である。3時間停電をするのは、非常事態を考えると止むなしと思うが、目安が立たないと動きが取れなくなってしまう。

 

3月14日(月)の日記より

 午前中は良い天気で気温が上がり、熊谷では20℃を越えた。午後に入ると雲が広がり、夕刻になる頃にはすっかり曇ってしまった。天気予報では明日には雨も予想しており、気温も低くなる見通しだ。東北関東大震災による避難者は、地域によっては充分な支援が行き届かず、寒さは重くのしかかってくるに違いない。関東でも従前の電力供給が難しくなり、計画停電が打ち出され、当面4月迄は継続される見込みである。停電のみならず、まだ大きな地震が起こる可能性が高く、スーパーやホームセンターなど、非常用品を購入する人たちで混雑していた。電池類や水など、在庫がゼロとなっていた。

 

3月15日(火)の日記より

 朝から曇って、昨日上がった気温が下がる一方で、日中は昨日より10℃以上低く、寒く感じられた。全国的に寒さが戻り、大震災の被災者のことを考えると、大変気がかりである。

 岩手県宮古市は、過去の津波の苦い経験から、全国でも一番の津波対策を施したことで有名である。過去に押し寄せた大津波に対応できる、高さ10メートルの防波堤が作られていた。東北関東大震災では20メートルの大津波が押し寄せて、自慢の防波堤は役に立たなかった。むしろ、市民の間では、防波堤があるからと、避難を遅らせたのかもしれない。今日の情報で、宮古市民で避難した人が初めて確認されたが100名に満たない人だった。人口5万だそうで、そのままの数字が行方不明ということになる。他にも避難が遅れた町が幾つもあるようで、行方不明者は10万に達しそうである。

 福島原発は非常冷却装置が稼働できないという非常事態が始まり、東京電力のコメントは、現状では大きな問題にはならないであった。冷却装置が稼働しないとの想定ができなかったものが、今後どうなるか想定できるはずがない。セシウム漏れ、炉心溶融、水素爆発と、聞きなれない言葉が出てきて、排出された放射線量は増すばかりである。政府の説明では事象といっているが、事故に他ならず、全てが想定外の出来事である。それでも、人体に与える影響は少ないと、危険性を低く扱っている。一方で、避難指示が10キロから20キロ、屋内退避が20〜30キロと、拡大するばかりである。次はどんなことが起こるのか、全く分からないというのが実情である。

 世界の国々で、ただ単に災害として見ることより、原子力発電の安全性を注視しており、世界の原発政策が根本的に見直されそうである。日本政府と原発関係者だけがいつまでも悠長なことを言っている。福島第2原発の5号機、6号機は問題なく停止したと思われたのが、温度上昇が始まり、炉心溶融、水素爆発へと進んでいくのかもしれない。言いかえると、いつまでたっても先が見えてこないで、とんでもないことになるかもしれない。

 

3月16日(水)の日記より

 未明に雨が降ったらしく雨跡があり、明け方はまだ雲が残っていたが、朝のうちに晴れ上がった。午前中は良く晴れて朝のうちは風も弱かったが、昼前から風と雲が多くなり、怪しげな空模様となった。風は弱まることはなかったが、雲は一進一退が続き、幸い、大きな崩れはなかった。東北地方では雪が降っている地域もあり、気温が低く、避難者には厳しい天気となっているようだ。

 朝のニュースで、5時54分、福島原発4号機で再び炎が上がるのが確認されたとあった。30分後には炎は見えなくなったようだが、緊急事態に対し、全くコントロールできない状態のようである。3号機でも温度が上昇し、何とか冷却しなければ大変な事態になりそうだ。

 被災者への支援は地域によって差があるが、どこも不足しているようである。個人で何かしたいと思っても、邪魔になるだけとされている。そんな中で、企業の動きを注視していると、パナソニックが電池を被災地に送るとの情報があった。メディアを通して得られたのはこれだけで、企業の積極的な支援の動きは見えてこない。今日本の置かれた状況は、再生ができるかの瀬戸際であり、企業の存在価値が問われている時でもある。

 証券取引に置いて、個人投資家から自分の資産がどうなるか問い合わせが殺到しているという。自分さえよければ、という、日本社会の本性が出ている。あくどく儲けて富の集中を図り、教育をイエスマン作りに捻じ曲げ、抵抗なく国家崩壊の道筋が作られた。すでに日本は財政破綻しており、さらに大震災で未曽有の被害が出ている今、資産価値はゼロである。金によって、被災地の復興と国の再生はあり得ない。人の力が全てである

 緊急事態に支援できる業種をあげるなら、石油、製薬、食品関連、輸送、重機、繊維、住宅など、自社保有のものを全面支援することが求められている。自治体も、空き室を早急に把握し、避難者の受け入れ態勢を確立するとともに、水補給など全面協力することが求められる。

 避難者の受け入れについては新潟県などが動きだしたが、用意されたのは体育館などで、空き室、空き家屋の有効利用については表立っていない。マンションやアパートなど、空き室を数えれば、千や万の数字が簡単に出てくる。一人暮らしの、空き室を持つ家主も少なからずいるはずで、自治体は積極的に動きだす必要がある。地域住民の結束力を作り上げ、活性化のきっかけとすることもできる。

 福島原発の緊急事態に対応して、日本全国の、20歳未満の青少年、幼児と母親、妊婦は全員、関西以西へ避難させることも、早急に判断すべきである。

 

3月17日(木)の日記より

 今日は朝からよく晴れたが、北西の強い風が吹いて気温が上がらず、寒い一日となった。3月も半ばが過ぎたというのに、真冬を思わす寒の戻りとなり、東北関東大震災の被災者には想像以上の打撃に違ない。風は、夕方には大分弱くなり、寒さの峠は越えたようだが、明朝は放射冷却現象が強まって厳しい冷え込みとなりそうである。計画停電で、明日の早朝対象となっている地域では、被災者がどれほど厳しい状況なのか実感するのに違いない。

福島原発は予断を許さない状況である。特に3号、4号が極めて危険な状況にあり、苦肉の策として、自衛隊のヘリコプターによる海水空中散水が行われた。本来なら次の段階の避難処置を打ち出さなければならないところまできているのに、政府は動こうとしない。最悪の事態が起こってから対応したのでは、無意味である。今までの全て予測が誤りだったことを考えると、国民自らが避難するしかない。

避難所への支援は順次届きつつあるようだが、全てが不足していることに変わりがないようである。昨日の日記で記した企業の支援体制について、石油会社が全面支援体制となった。情報としては入ってこないが、食糧支援についても一部の企業で動きがあるようである。一方で早期に通常の生産体制に戻そうとする動きもある。東海以西では大震災の影響を受けておらず、計画停電の意味合いを解さないのだろう。関東では供給電力が平常に戻る見通しは全く立っておらず、どこの企業も通常の生産体制は確立できない。そもそも生活に直接関連するもの以外は生産しても売れるはずがない。浪費大国はバブルの時点で崩壊していたが、それでも無理やり維持してきた企業が数多くあり、大震災で全てが消去してしまうだろう。

 

3月18日(金)の日記より

 今日も冬の陽気で、非常事態にあっては辛い天気だった。それでも、一日を通して雲が張り出さず、日射しがたっぷりだったので、日中は暖かく過ごすことができた。風がもう少し弱まると思ったが抜けきらず、洗濯物は一日揺らいでいた。夕方荒川へジョギングに行くと、風は北西から南西へと変わっていて、それでも空気は冷たかった。明日になれば太平洋高気圧の空気と入れ替わり、一気に気温が高くなるのではなかろうか。

 東北関東大震災の被害は少しずつ明らかになって、今日の20時時点で死者6900人以上、不明者を合わせると17000人を越えた。阪神淡路大震災の死者数を越え、災害史上最悪の被害者が出た。不明者は家族などの申し出によって出された数字で、認知されていない不明者はどれだけに及ぶか、想像がつかないようである。

 福島原発は様々な方策を講じているが、厳しい状況に変わりがない。アメリカや韓国など、各国で自国民に対して80キロ圏外へ退避するよう勧告している。日本政府だけが30キロ屋内退避の楽観的な指示を変更していない。相変わらず、今のところすぐに人体への影響はない、の一点張りである。一方で、各原発では放射線量が高くて近づけない状況であり、放射線事故レベルが4から5に引き上げられた。

 政府の緩慢な対応にしびれを切らした原発近郊の住民は自主避難を始め、政府が外国並みの80キロ圏外避難を出す頃には全員避難が済んでいるのではなかろうか。東電、政府を信頼している人は、もっともらしく解説する専門家だけで、安全を強調する専門家たちが、30キロ圏内で待機を求められたら、何と答えるだろう。

 日本人は「せわない」民族で、実際に問題が起こらないかぎり、せわない、と言って危機意識が持てない。今回の事故で連発される「想定外」が象徴し、原発の危機的状況まで想定外で通してきた。危機意識をもつ優秀な人材がいれば、あらゆる事態を想定して全然違った対処の仕方があったはずである。チェルノブイリ原発事故と比較して、福島原発は同様な事故にはならないとしているが、今までのことを想定できなかった専門家に、想定できるのだろうか。

 大人たちの独りよがりな救いの無い実態とは裏腹で、子供たちの素直さが多くの命を救った姿があった。釜石市の小中学生は、津波に対する避難教育がされていて、中学生が小学生を誘導して避難した。想定外の大津波に対して、指定された避難場所よりさらに高い場所に避難して、多くの命が守られたそうである。大人たちの、せわない、に対して、子供達は独りよがりな先入観は存在せず、ひたすら目的を果たそうとしたのに違いない。16日の日記で記したが、人類の宝である子供たちを、原発事故の犠牲にしては絶対にならない。チェルノブイリの事態を想定して、20歳未満の子供と、幼児を抱えた母親、妊婦は関西以西へ避難させるべきである。

 

3月19日(土)の日記より

 朝のうちは薄雲が広がっていたが、日中は晴天で、寒気から暖気へ入れ替わって、気温が上がり、熊谷では最高気温が20℃近くとなった。10時過ぎに徒歩で買い物がてら街中を歩いてきた。出始めは寒さが残り、昼ごろに帰り着いたときには上着を着ていると汗ばむようだった。今日の買い物は停電対策が中心だった。大震災後、買い溜めによって店頭から電池が消えてしまった。大震災まで想定しなかったが、テレビの買い替えに伴うエコポイントで、LED電球と合わせ、充電式乾電池を多めに集めた。充電式は単3、単4のみで、懐中電灯などは単1、単2が中心なので利用できるものは限られてしまう。充電式乾電池を使えるペンライトを100円ショップで見つけ、買ってきた。最後に寄ったスーパーでは乾電池がちょうど入荷したところで、幸い、単1、単2も買い揃えることができた。今のところ、我が家では停電対策は万全である。

 東北関東大震災の被害実態が明らかになってきて、今日の15時現在で死者行方不明を合わせると18000人を超えた。4分間近い地震の揺れを感じながら、被害の大きさを予想し、テレビで津波情報を見て、甚大な被害が想像された。福島原発で緊急冷却装置が稼働できないと聞いた時、想定外の言葉の中に、今後どうなるか想定できないと受け止め、とんでもないことになると予言した。予想し、想像し、予言したことが全て現実ものとなってしまった。余震を感じながら、規模の大きい地震がもう一度来る予感があり、東京も大きな被害に見舞われるような気がしている。

 

3月20日(日)の日記より

 昨日の天気予報だと曇りが中心だった。薄雲こそ張り出したが、1日を通して晴天がベースだった。春のような空模様で気温が上がり、昨日に引き続いて熊谷では最高気温が20℃近くとなった。日当たりの悪い室内にいると外気の暖かさが実感できず、電気ストーブが離せなかった。彼岸に入り、本来の春らしさが続くと思いきや、週間予報だとまだ寒の戻りがありそうである。桜の開花情報が聞かれる頃なのに、大震災ですっかり霞んでしまった。

 今日は仕事の関係で震災情報がほとんど入ってこないので、どんなことになっているか気になるが、19時のニュースで、9日ぶりに祖母と孫が救出されたことが話題になっていた。押し潰された家の室内に閉じ込められ、身動きとれなかったが、冷蔵庫が近くにあって、ヨーグルトなどで凌いだという。

 

3月21日(月)の日記より

 明け方はまだ曇り空だったが、朝の早いうちから雨模様となり、強弱はあったものの一日間断なく降り続いた。今日の最高気温は日付が変わって間もなく出たもので、日中は温度が下がるばかりだった。気温はけっして高くなかったが、湿気が多い所為か、それほど寒く感じられなかった。気温が上がるとアブ、ハエの仲間や、ガの仲間が姿を見せるようになり、確実に春の足音が高まっている。

 東北関東大震災の犠牲者の数は、捜索が進まないこともあって、実態が中々明らかにならないが、死者8649人、届け出のあった不明者13262人、総数で20000人を超えた。避難者の数は24万人余り、その多くは劣悪な避難生活を続けている。避難者の多くは被災地を離れるのに抵抗があると思われるが、各自治体が避難者を受け入れるべきである。一刻も早く人並の生活を取り戻すことが重要である。被災者、避難者の検索システムの導入によって、情報を一元化し、現地にいなくとも所在がすぐに確認できるようにする。今回も個人レベルでインターネット活用し、生存が確認できた例があるようだ。

 

3月22日(火)の日記より

 雨は昼頃まで続き、午後になっても曇りのままで、季節外れの寒さがジワリと迫ってきた。計画停電で暖房など不自由をしているが、東北関東大震災の被災者のことを考えると、苦になるほどではない。夜間停電が実施されたとき、事前に2リットルペットボトルの水半分を沸かして湯たんぽ代わりに炬燵に入れておいたら、けっこう効果があった。我が家では計画停電の実施時間など把握し、それなりの対策をしてあるので、生活実感に乏しい、でたらめな停電でも、今のところ問題を感じていないが、お年寄りの一人暮らしでは、準備のできていない人も少なからずいるのではないか。

 

3月23日(水)の日記より

 明け方は雲が残っていたが、3日ぶりに朝から晴天となった。朝の冷え込みは弱く、寒の戻りとしてはそれほど苦にならなかった。午後になると雲が広がってきて、御日様の恩恵が乏しくなり、暖房器具などの節電を心がけているので、昼寝をした。計画停電に慣れてきて、停電に合わせて準備万端、問題はないが、3時間の停電はちょっと長すぎる感がある。特に夜間に当たると大変である。老人の一人暮らしが多く、懐中電灯などの準備ができずにロウソクで対処している人もいるようだ。計画停電に伴う火災が起こったら、どうなるのだろう。

 昨日菅総理から福島原発の問題に対して光明が見えてきたと挨拶したようである。初めか相手にせず、全く無視しているので、実際にどんなことを言ったのか分からない。メディアでも菅総理の挨拶についてはほとんど報道されておらず、原発問題は完全に蚊帳の外である。挨拶の間もなく、3号機において白煙、黒煙が出て緊張感が高まり、手立てもなく、煙の量が少なくなったので収束したとの楽観的な発表があった。ところが、今日の夕方再び黒煙が出ているのが確認され、放水作業の準備に携わっている消防署員は退去し、放水作業は中止となった。

 福島原発は予断が許さない状況に変わりなく、専門家たちも先行きが全く見えてないのにもかかわらず、放射線汚染に対して、直ちに人体への影響はない、の一点張りである。風評被害やパニックを避けるとの大義名分で、報道規制が厳しくされているようで、国民の本音は少しも表に出てこない。放射線従事者の話を聞くと、原発反対や放射線の危険を唱える者は左翼ゲリラで片付けられてしまう。企業の後押しと、そういう軍団が原発を推し進めてきているのだから恐ろしい。今回の事故も想定外で片付けようとしているが、スマトラ沖地震で東北関東大震災を越える大地震、大津波が起こっているのだから、その時点で想定を変更すべきである。何もかも起こるべきして起こった事故と思える。

 東京都水道局から、金町浄水場から基準値を越える放射線を記録し、東京23区など、幼児の摂取の制限を求めている。ここでも、すぐに人体への影響はないと、専門家はこぞって言っている。風評被害を諫めているが、確実に汚染が広がっていることを示し、有事の際には80キロ圏内どころか、300キロ圏内は確実に影響を受け、風向きによってはどこまで汚染が広がるか想像がつかない。うまく収まってくれればそれにこしたことはないが、最悪の事態を想定して、対処できることを早期に進めることが、最善策である。

 

3月24日(木)の日記より

 ここ何日か、日中は冬を思わせる寒さでも朝の冷え込みは緩んでいた。今朝は氷点下近くまで気温が下がり、一段と寒く感じられた。天気を晴と記したが薄雲が広がり、日射しが弱いので気温が中々上がらなかった。九州方面でソメイヨシノの開花があり、お花見シーズンであることを思い出させられたが、今年は全体的に開花が遅れ気味で、3月半ばを過ぎても春らしい日はたった二日である。荒川での写真撮影は3月下旬から始めることが多い。今年はその時季が来ても、震災と寒さでその気になれない。しかし、震災の影響と福島原発の影響を調査する意味で、出来るだけ荒川へ出かけたいと思う。

 

3月25日(金)の日記より

 昨夜からよく晴れて風もなく、今朝は放射冷却現象が強まって、熊谷では久々に氷点下の寒さとなった。午前中を中心にスッキリと晴れ上がり、気温が上がって最高気温は13℃を超えた。春と言うにはほど遠いが、凌ぎやすかった。今月も残すところ1週間を切り、春本番はすぐそこまで来ているのに、陽気のみならず、気分も中々その気にならない。原発事故の影響が拡大して、200キロ圏内の飲み水が汚染され出した。

 今朝、荒川大橋を渡っていると、外灯にコアホウドリが止まっていた。コアホウドリの存在は2002年に確認しており、何度か写真も撮れている。撮影までできなくとも2007年ごろまでは荒川で確認しており、2羽同時にも見られたので永らく棲みついていた。その後見ることが無くなり、いなくなったと思っていたが、世代が変わって、営々と棲息してきたと見ている。今のところ、地震や原発事故の影響は受けていないようである。

 

4月1日(金)の日記より

 昨日までは午後になると天気が怪しくなったが、今日は一日安定した青空だった。午前中は気温が一気にあがったが、午後からはそれほど気温が上がらず、暖かさが薄れていく感じだった。週間予報でも寒さが戻る予想となっていて、春が足踏みしそうである。一昨日の雷雨で福島原発事故の影響がどのように出るのか気になっていたが、報道規制でもされているようで、少しも情報が出てこなかった。放射能による人体実験でもやるつもりか、原発事故が終息した時、人体に影響が無かったとして、原発開発の足がかりにするつもりではないのか。

 

4月12日(火)の日記より

 朝から風が強く、強弱はあったが夕方まで寒気が流れ込んできて、寒の戻りとまではいかないが、寒さを思い出させられた。強風で荒川堤の桜が散ってしまうと思われたが、まだしっかりととどまっていて、満開状態はまだ何日か維持されそうである。昨日の夕方に大きな地震があり、その後も断続的に地震が起こり、今日の夕方まで落ち着けなかった。大震災の余震はまだ暫く続きそうで、そのうち大きな地震が再び起こるような気がしている。福島原発事故について、事故レベルを5としてきたが、本日レベル7に訂正された。チェルノブイリ原発事故と同レベルとされた。原発事故直後に日記に書いたが、チェルノブイリ事故並みの想定をして対処すべきとした。我輩の判断が正しかったことになる。

 

東日本大震災に思う 2011年3月24日

 今、日本は未曽有の震災に見舞われ、日本の経済は存亡の危機に陥っている。特に福島原発事故は、経済成長の大きな原動力である、石油に代わる安価な電力供給源を断たれてしまったのである。何としても原発事故を一定の範囲で収め、全国の原発廃止の機運を阻止しようとしている。放射能汚染が確実に浸透しており、避難対象を広げるのが当然にもかかわらず、政府はがんとして動こうとしなかった。専門家たちは口を揃えて、直ちに人体に影響を及ぼさない、の一点張りで、汚染が拡散しているという事実は表立たない。報道規制がされているのは間違いなく、うがった見方をするなら、避難すべき人たちを危険地帯に留めておくのは、人質であり、大事に至れば市民(福島原発関係者の家族が多く含まれている)を巻き添えにするという、圧力をかけ、東京電力に逃げだすことを許さず、何としても事故を鎮静化させようとしているのである。作業員は、放射線に関する作業基準を越えた劣悪環境下で作業させられ、被曝線量は基準値を遥かに超えて、犠牲を強いられている。

 福島原発の放射線の拡散範囲は、アメリカなどが想定した80キロを越えて、200キロに及んでおり、最悪の事態(チェルノブイリ事故)となれば影響範囲は300キロ、風向きによっては600キロと想定される。避難となれば関西以西ということになる。遷都という事態に発展すれば、黒幕の影響力は格段に下がってしまう。福島原発に対する政府の対応やメディアの姿勢をみると、黒幕の暗躍が、放射線漏れのごとく、飛散しているのが見えてくる。かつてない存亡の危機に、かつてない焦りが窺える。

 東北関東大震災は、被災額、被災範囲からして、復興は被災者個人の力や義援金で賄えるものではない。破綻状態の国の財政でやりくりしても、借金が増えるばかりである。借金財政の利息の支払いは、無駄な公共事業や、働く者を縛り付ける制度改革、教育の偏向、メディアによる情報操作など、富の集中と、市民生活の混乱を招いている。次代を担う人々も借金でがんじがらめにされて、現代社会のように安らげる生活は得られない。

大震災で失われた耕作地は全国の三割近いと仮定するなら、自給率50パーセントを大きく割った日本の食料事情に与える影響は尋常ではなく、瀕死の状態に陥ってしまう。食糧確保が緊急課題となり、災害からの復興と、国の再生をも目指す、遠大な構想を描く必要がある。

 黒幕にとって、一番恐れている事は、膨大に膨れ上がった資産の価値が無くなってしまうことである。浪費経済を維持しなければ、資産はただの紙くずになってしまう。資本主義経済の宿命で、国民が人間らしい生活を取り戻すのは何よりも不都合なのである。人と人とが互いに思いやり、存在価値を見出すことが、人として生まれてきて、誰もが求めていることである。浪費経済は、自由の名のもとに、自分勝手を煽り、人間関係をいかに希薄にするか、謀略をめぐらしてきた。家庭崩壊、家族崩壊、母性の喪失、幼児虐待、いじめ、少子化、過疎化、高齢者の一人暮らし、過重労働、母性保護法の形骸化、低賃金と失業、犯罪の低年齢化、少女売春、自殺者の増大、詐欺の増大、無差別殺人など、表向きの繁栄とは裏腹で、未来を引き継ぐ子供たちにとって地獄図である。

 今やるべきことはハッキリとしている。地方分権が囁かれるようになって久しく、地産地消が求められて久しい。食の安定、生活の安定が急務である。

 東北関東大震災で史上空前の被害をもたらした。被災者への支援が急務で、最も求められることは、全国の自治体で受け入れ可能な空き室を早急に割り出し、被災者を受け入れることである。被災者を一刻も早く人並の生活に戻すことが、安心と希望の源となり、復興の第一歩を踏み出すことになるのではないか。浪費経済が作りだした空き室、空き家屋は被災者数を補って余りあるはずである。

 次にとるべき手立ては、復興への道筋をどう描くかである。過去の災害のように個人資産を基本とした、一時的な支援では不可能であり、失った食料と耕作地のことを考えれば、食糧不足は回避できない。国家の責任において復興するにも、破綻状態にある財政では金で動かすことは不可能である。電力供給も、関東の要となってきた原子力発電が使用不可能となった今、電力供給不足は一時的なものではなく、長期に渡って、従来の生産活動は不可能である。

 生活に直結する生産の拡大は必要であるが、あってもなくても同様な生産活動は停止せざるを得ない。日本経済は浪費で成り立ってきたものであり、これからは従前の経済を維持していくのは不可能ということである。地球温暖化問題、石油供給問題、食糧問題を考えるに、地産地消を中心とした自給率の向上、安全と安定、エコを叶える省力発電、流通の簡素化など、災害復興と、日本再生が一つのものとして早急に取り組んでいくことが望まれる。

 金で社会を動かすのではなく、人の力、人の英知によって動かしていく。それは、生活実感に基づいた、家族の絆、仲間の絆、町の絆を原動力とするものである。生活の安心を食料の増産が急務であり、個人農業ではなく、地域農業として生産の効率性を高めていく。住宅建設の促進、実用衣類の増産と、先ずは衣食住の安定供給を目指し、大震災被災者を含め、若者の帰郷を促進し、全市民で取り組んでいく。幹線道路、幹線鉄道沿いを中心に、大災害を想定した町作りを促進し、これらの町が運命共同体となって、それぞれの町が不足しているものを補い合い、巨大な連邦都市を目指す。

 それぞれの町にゆとりができたら、今度は大震災被災地域の復興に着手し、同様な連邦都市を作りあげる。全国の連邦都市同士の連携を深め、日本の再生を図っていく。同時に、世界の模範となり、全世界の目標国家を作り上げる。