霊山寺はもともと飯縄山北側に峰続きの霊仙寺山の麓にあった寺です。天台の戸隠、真言の飯縄霊仙といわれ修験山の寺として隆盛を極めました。しかし、戦国時代に武田勢に滅ぼされ、その末寺である長野市長沼の宝珠院に逃れ霊山寺としましたが、その後度重なる水害などにより寺は衰退してしまいました。 この荒れた寺から中興の租として大正時代、ご本尊を現在の場所に復興されたのが、寺があった霊仙寺山を見上げる現在の信濃町に育った原田義吽師であります。師は奥様と共に弘法大師の篤信者で四十才を過ぎてから高野山で修行して、托鉢一つで霊山寺を復興したのです。復興当時は真言宗高野山派でしたが、その後智山派に属しています。
長野市 花岡平にある 真言宗 智山派のお寺 大峯山 霊山寺 の公式ホームページです (しんごんしゅう ちざんは おおみねさん りょうざんじ)