グレイトレイズン事件


それは、私がまだ会社の独身寮に住んでいた頃の話である。 正確な年は定かではないが、1988〜1990年の間くらいだと思われる。 時期的には、2月頃だったような気がする。

その独身寮には、部屋数は100近くあったような気がするが、 空き部屋もかなりあったため、当時生息していた人数は、 およそ50人くらいではなかったかと思う。 間取りは、左右対称になっているくらいで、全ての部屋がまったく同じである。 しかし、部屋には部屋主の性格が反映されるため、各部屋の内部の印象はさまざまである。

部屋の発する印象を伝える表現には、いろいろなものがある。なかでも、 もっともよく使われるのが、散らかっているきたないである。 本題に入る前に、散らかっているきたないの違いについて、 正しくご理解していただく必要があるので少し解説したい。

散らかっている

きれいなものが散乱している

きたない

きれいではないものが散乱している

ひとことでコンパクトにまとめるとこういうことになる。 これで、いつ「散らかっている」という言葉が試験に出てきてもバッチグーである。

え、なに!? きれいなものきれいではないものの違いがわからんだと?

ん、もう、最近のわかいもんは、こんなのもわからんのか。ったく。

きれいなもの

ほっておいても臭くならないもの

(例)新聞、雑誌、CD、カセットテープ、等

きれいではないもの

ほっとおくと臭くなるもの

(例)牛乳の紙パック、スープが入ったままのカップラーメンのカップ、 電気湯沸かし器の中で温めていたのを忘れ去られていた缶詰の焼鳥、等

以上で、散らかっている部屋きたない部屋の違いが明確に おわかりいただけたものと思う。この二つは、混乱することなく、 明確に使い分けなければならない。


さて、私がU氏の部屋にひとりで足を踏み入れるところから事件はスタートする。 散らかっている部屋には見慣れている私の目の前に広がるそのU氏の部屋は、 すこしきたないかもという感じであった。

床を埋め尽くしているものの多くは、衣服である。 その部屋は、日当たりが悪いのでじめじめした雰囲気であり、仮にそれらの衣服が きれいに洗濯をした後に床に配置したのだとしても、それでもカビがはえる可能性がある。 しかし、それらの衣服に、洗濯後という雰囲気を見出すことはできなかった。 私はすぐに、視線を上げて床をあまり直視しないようにした。 自分の視力が良いことを呪うようなことだけはしたくなかったからである。

さて、そもそも私は、なぜそんなおそろしげな部屋に足を踏み入れたのかというと、 別に空巣目的ではない。どうせろくなものがないとわかっているこきたない部屋に、 身体および精神の健康上の危険をおかしてまで 進入する酔狂な空巣などいるわけがない。

ちゃんと説明をすると長くなるので結論だけ言うと、U氏の部屋の中から U氏の車の鍵を探すように、外出中のU氏自身から電話で依頼されたからである。 いわば、人助けのボランティアなのである。 しかし、ここまで危険がいっぱいの ボランティア活動なんて、 国連のPKOも真っ青であろう。

部屋は、約8畳の広さでほぼ正方形に近い形をしている。 どの部屋にも、入口の右(あるいは左)の壁際には作り付けのベッドと押し入れと棚があり、 入口の正面の壁には小さ目の窓が2つあり、その窓の下にはスチーム暖房がある。 ベッドと押し入れは右の壁の入口に近い側、棚は右の壁の窓に近い側にある。 U氏の話によると、車の鍵は、その窓に近い右側の壁の棚の上にある可能性が高いとのことである。 私は、足元に注意しながら、恐る恐る部屋の奥のほうにある件の棚に近づいた。

しかし、棚の上には、種々雑多なものが置いてあった。とてもじゃないが、 鍵があるかどうかなんてわかりそうにもない。とりあえず、棚の上のものを 少しよけてみることにした。

サクッ!

不思議な感触の何か、焼き海苔のようなパサパサ感のある未知の物体が私の指に当たった。 そこにあったのは、 やたらと ばかでかい 干しぶどう であった。

しかし、冷静に考えてみよう。干す前より干した後の方が大きくなるなんてことは、 ありえない。干しぶどうがこんなに大きかったら、干す前のぶどうは いったいどういう大きさだったのだろう? いや、たしかにぶどうにはいろいろな種類があるが、 しょせん一粒の大きさなんてたかが知れている。 こんなリンゴみたいな大きさのぶどうの粒があるわけがない。

ん! ま、ま、ま、まてよ。リンゴだとぉ!

独身寮に住んでいる人の多くは、親元を離れて一人暮らしをしている 地方出身者である。ときどき、各地方の特産品などが送られてくることがある。 寮の友達にも分けてあげるために、ひとりでは食い切れないほどの 量が送られてくることもしばしばであり、そういうときには寮のあちこちの部屋で その配給された特産品を目にすることになる。

そういえば数ヶ月前、季節はまだ前年の秋の頃、 ほぼ同時期に何人かの寮の人間に対し、彼らの実家から箱でリンゴが届いたことがあった。 寮に3〜4箱のリンゴがあったのである。 それらのリンゴは、「そんなにたくさんは食えない」「いいから、食え」などの 会話とともに、寮の各部屋に配給された。

そういえば、数ヶ月前のリンゴ配給直後くらいに、一度U氏の部屋の中を見たことがあった。 U氏もリンゴをもらったらしく、部屋の中にリンゴが1個置いてあった。 ちょうど、その干しぶどうがあったあたりに。

干しぶどうの近くで、無事に車の鍵を発見した私は、長居は無用とばかりに スタコラサッサと部屋をあとにした。

後日、不要だとは思ったが、一応U氏に干しぶどうの正体を確認した。 予想通りであった。いまだに解けないひとつの謎を残したまま、事件は終わった。


どうして、何もせずに常温の室内に放置したリンゴが、 腐りもせずカビもせず、ただ干乾びていったんだ?
新手のピラミッドパワーか?

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