いまさら言うまでもないが、私は酒が好きである。 しかし、好きな割にはそれほど強くはない。 いったいいくら飲めるのだろう?と一度チャレンジしてみたことがある。 体調を調えて1升瓶を用意した。 5合や6合までは平気だったが、7合を過ぎると限界という感じである。 1升全部なんてとても飲めやしない。
というように、好きな割には弱い私であるので、 飲んだ翌日は二日酔いなのは やむをえないことである。
1年のうちで、二日酔いの日と二日酔いじゃない日のどっちが多いんだろう? ってなもんである。だから、いちいち二日酔いのことなど覚えていない。 しかし、そんな私でも、心に焼き付いて忘れられない二日酔いというのが いくつかある。そこで、 記録より記憶に残る二日酔い の特集をお送りする。
タイトルだけで既に おいおい、そんな日まで二日酔いだったんかい! というツッコミが聞こえそうであるが、いや全くそのとおりである。(^^;
当時、大学4年生の私は、母校の高校に教育実習に行っていた。 4年前に卒業したばかりの高校なので、顔なじみの先生方も たくさんいらっしゃった。われわれ教育実習生の歓迎会を開こうと 先生方が企画してくださるのも、全く自然なことであった。 そして、その阿鼻叫喚の宴は、私がはじめての授業をする前夜に 実施されることになった。
宴の模様は割愛するが、土鍋蓋一気 というキーワードから想像していただきたい。土鍋の蓋の穴を思い出しながら...
正確には覚えていないが、その日の朝のタイムテーブルは以下のように なっていたはずである。
8:20までには学校に到着し、8:45からは生徒の前で元気に授業を しなければならなかったのである。8:20−8:30 職員朝会 8:30−8:45 1時間目の授業の準備 8:45−9:35 1時間目の授業(はじめての授業実施)
教育実習の2週間は、実家に戻っていた。 実家から学校までは、自転車で約15分の距離である。 実家にいるので、朝起こしてももらえるし、朝食も出てくる。 一人暮らしでダレきった大学生活を送っていた私には、妙に新鮮であった。
その朝は、7時くらいに起こされた。しかし、身体が動かない。 朝飯を食えと言われた。しかし、食えるとは思えない。とりあえず、 二日酔いに効くという噂の味噌汁だけ腹に入れてみた。7:20くらいのことである。
いくら遅くても、余裕をみて7:55には家を出たいところである。 しかし、7:30の時点では、自転車に乗るどころか立って歩くこともできない。 っちゅうか、倒れこんでいた。 そして7:45、1時間目の授業開始のわずか1時間前、事態は お食事中の方にはお伝えできないレベル に発展した。無理して腹に入れた味噌汁も胃薬も、 すべては無に帰してしまった。
今の私なら、迷わず「二日酔いだから休みます」と電話である。 しかし、もちろんそんなわけにはいかないのは明らかである。 私は、学校に行かなければという精神力に、抜け殻のような身体を乗せ、 自転車で学校に向かった。無事に着いたから良いようなものの、途中のことは ほとんど覚えていない。
(単に立っているだけだが)地獄のような職員朝会も終わり、いよいよ1時間目の授業が はじまる。また、よりによってその日の1時間目の授業は、 力学台車による等加速度運動の実験である。 力学台車をバネ秤で引っ張るのであるが、同じ力で引っ張りつづけるように、 バネ秤の目盛りが一定を指すように引っ張りつづけるのである。 これには、ちょっとした熟練が必要となる。
生徒たちに実験のやり方を説明するために、立っているのもやっとという フラフラな状態で高度な運動を実演 しなければならなかったのである。
さいわい、生徒たちの目の前で××とかいう最悪の事態だけは免れたが、 もう2度と酒など飲むまいと心に誓うのであった。(嘘)
1988年くらいのことであろうか。
横浜横須賀道路は、基本的に片側2車線である。 しかし、その日は片側3車線あった。 しょうがないので、真ん中の車線を走った。 無事に到着した。
それは、1994年くらいのことだと思う。その前日の宴の記憶は定かではない。 しかし、その日の気持ち悪さは天下一品である。
その日は、お客様との打ち合わせで司会をつとめていた。 その打ち合わせは、朝の10時から夕方の6時くらいまでやっていた。
私が、司会をしながらたえられなくなり、中座して××を吐きに行ったのは、 午後4時頃のことであった。 ちなみに、その日2度目であった。 (1回目は、午前11時頃)
会社でUnixマシンばかりを使っていたが、 どうも世の中は Windows95 あるいは WindowsNT へとトレンドが変遷しているようである。 気がつけば、社内ではUnixしか使えないオヤジの 扱いを受けかねない勢いである。
このままではいけないと思い、今風のパソコンを買って自宅に置くことを決意した。 1996年12月のことである。しかし、いくらパソコン暦は長いとはいえ、 6年のブランクは長い。今風のパソコンのことなど全くわからない。 そこで、会社の詳しそうな若いもんたちにみつくろってもらうことにした。
しかし、どうも相談した相手が悪かったらしい。私は、大手メーカ系の機種名を紹介して もらえると期待していたのだが、やつらは違った。
キットとは、ボード単位に部品をそろえて、自分で組み立てるものである。 しかし、私には、何を買えば良いか、どう組み立てれば良いかなど全くわかるはずもない。 買う部品のリストアップ、買い出し、組み立て、全てをやつらにお任せである。
買い出しの日は、1996年12月14日(土)に決まった。 秋葉原の駐車場に車を停めるため、朝の集合時間は早い。 しかし、12月というのは忘年会シーズンである。 週末の金曜日にしらふで帰るわけがない。 ということは、14日(土)の朝は、二日酔いに 決まっている。
しかし、その買い出し当日の朝は、いつもの12月の土曜日の朝とは少し違っていた。それは、
たぶん、仕事があっても休んだのではないか?というくらいの体調である。 ひとりだったら、迷わずに買い出しは順延したに違いない。 しかし、後輩たちにお願いしている手前、それはできない。 私は、ふらふらしながらも自分で車を運転して集合場所に向かった。 まさに、命がけと言っても過言ではないだろう。
秋葉原に着くと、真っ先に私は薬局に飛び込み、二日酔いの薬を購入して飲んだ。 しかし、私は知っていた。このくらいの二日酔いになると、薬は効かない。 単なる気休めに過ぎないということを...
後輩たちも買いたいものがあるようだが、まず最初に私の買い出しを手伝ってくれた。 いや、私は彼らについていって金を払うのがやっとだったため、 彼らが買い出しをしたと言った方が正確だろう。
彼らと一緒に買い出し歩くうちに、予想通り薬は全く効かず 体調はどんどんと悪化し、もうこれ以上は歩けないというレベルに達した。 とりあえず必要な金を払い終えたので、買い出し途中ではあったが 「あとはよろしく」と駐車場の車に戻り グーグー寝ることにした。 後輩たちが戻ってくるまで、1時間以上寝ていただろうか。 そのころには、私も少し元気をとりもどしつつあった。 やはり、二日酔いには睡眠が一番である。
後輩の家に戻り、キットの組み立てがはじまった。彼らは慣れており、 非常に手際が良い。私は邪魔にならないように少し離れて見ていたが、 私の予想よりもかなり早く組み立てられた。 しかし、動作確認しようとしたが動かない。 どうもマザーボードの初期不良のようである。 けっきょく、死ぬ思いで買いに行ったのに、その日のうちには動かなかった。 動作確認は、後日マザーボードを交換してもらうまでおあずけとなった。
(教訓)
二日酔いなのに、無理して命がけで行動しても、ろくな結果にはならない!
今後も何か思い出したり、やっちまったりしたら追加するかもしれないが、
とりあえず今日のところはここまで。
あでぃおす、あみーご!