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| ふわっと、暖かく優しい風が頬をなでていく。 太陽もまた、柔らかい光で体を包み込む。 青年は、春の心地よさにそのまま横になりたいのを抑え、座った姿勢から後ろに手をついて軽く伸びをした。目をつぶって深呼吸をすると、ますます体中が温かくなって気持ちいい。 今頃みんなは自分のことを探しているのだろうか。 春風に身を任せながら、ふと思った。何せ、何も言わずにこっそりと出てきたのだから。あの相方にも告げず。ただ一人になりたかったから、軍議の前にふらりと外に出てしまった。悪かったなと思うものの、もう少しここにいたくて、ずるずると長居してしまった。 さすがにそろそろ戻らないと……でもあともう少し。 再び春の日射しに身をゆだねながら、相方の顔を思い起こした。もしこの事を告げてきたとしたら、何と言っただろう。きっと…… 「あっ、こんな所で何をやってるんです!」 とろとろとした気持ちに、いきなり大きな声がかぶさる。 見つかってしまった。 声の主を確かめようと、目を開け頭を巡らせる。馬に乗って、こちらに近づいてくる人を捉えた。 「子明か」 目をすがめて、馬からおり走ってくる青年の名を呼ぶ。 呂蒙は息を切らせながらすぐ側に駆け寄り、言った。 「皆探していますよ! こんな所で何をやってたんですか、公瑾どの!!」 「ああ。すまない。外が暖かかったから、つい誘われてしまって」 周瑜はのんびりとそう答える。 「誘われた……って」 周瑜の悪びれもしない返答に、呂蒙は信じられないといった表情をした。 「もう軍議も始まっていますよ。公瑾どのがいなくなるなんて初めてだから、皆びっくりして。殿も、何も知らないってすごく驚いておられました」 「そうか。軍議の前には戻るつもりでいたのだけど、風がとても気持ちよくて、ずるずると居座ってしまった」 「もうすごかったのは公覆どので、『なぜ公瑾どのがおらん!』って怒鳴られてばかりで、おろおろされてましたよ」 くすくすと笑い声をもらしながら、呂蒙は黄蓋の口をまねて言ってみせる。だが周瑜は対照的に表情を曇らせた。 「公覆どの……それは、非常にまずいな」 左手を額に当て、しばらく考えこむような仕草をする。 呂蒙はへえ、という声をあげ、 「なんだ、ちゃんと罪悪感あったんですね」 驚いたように言った。そして続ける。 「まだありますよ。徳謀どのは『まったく何を考えているんだ』で、子衡どのは『殿じゃあるまいし、信じられない』、子綱どのは『何かの間違いではないのか』。それから殿は」 「子明、子明。もういいから、わかったから」 周瑜が困ったような笑みを浮かべている。 「伯符さまが何とおっしゃっていたのかは、だいたいわかる。きっと、『どうせなら一緒に行きたかった』とでもおっしゃったのだろう?」 「すごい! その通りですよ」 「それでその伯符さまは、どうしておられるんだ?」 穏やかな問いに、また呂蒙は笑い出した。 「もちろん『俺が探しに行く』っておっしゃいましたけど、今言った全員に止められて、大人しく陣舎にいるはずです。大変だったんですよ、殿を押さえるの! 子衡どのが、殿が行くとややこしくなるから動くなって説得してました。多分今ごろ、相当腐って待っているんじゃないかなあ」 立て板に水を流すように、喜々として喋る。呂蒙は周瑜に、いたずらっぽい眼差しを向けた。まるで周瑜がどんな反応をするのか、面白がっているみたいだ。 周瑜はそっとため息をつく。 「何か言い訳を考えないとな」 彼はちらりと呂蒙を見た。今度は周瑜の方が面白がっているようである。 「子明、さっきの理由は皆に内緒にしておいてくれないか」 「さっきの?」 呂蒙は会話を頭の中で繰り返してみた。 確か、俺が何やってるんですかって聞いたら、暖かさに誘われてっておっしゃって。 わけを理解して、彼は頭をぶんぶんと縦に振る。 そんな怖(おそ)ろしいこと、程普たちに言ったら。どんな顔をされどんなことを言われるか。 想像に難くない。 「ありがとう」 相変わらず周瑜はにこにこしている。呂蒙は、彼はある意味孫策より手に負えないかもしれない、と思った。 さてと、と、周瑜が立ち上がる。 「そろそろ戻るか。せっかく子明が見つけてくれたのだし。子明もあまり遅くなると怒られるだろう?」 「え? あ、そうだった。公瑾どのを連れ戻しにきたんでしたっけ」 呂蒙も腰を上げた。陽の高さを確認する。ほぼ真上にあり、もう正午過ぎだと伝えていた。二人がそれぞれ馬に乗ろうとした時。 馬の蹄の音といななきが聞こえ。 「公瑾!!」 孫策、だった。彼は周瑜の姿をいちべつすると、馬首を返して一直線に向かってくる。 「伯符さま」 「殿」 二人の呆然とした声が重なった。 驚いている周瑜の前に、孫策は馬を引いてずかずかと歩いてきた。 「お前っ、公瑾! 何しに黙って出たんだよ!」 いきなりわめく彼の顔を、周瑜は不可解そうに眺める。 「まさか伯符さま。子衡どのたちが止めるのも聞かず、飛び出してきたわけじゃないでしょうね」 「なん……っ」 孫策は思いっ切り顔を引きつらせた。そしてわなわなと声を震わせる。 「今日は、お前にだけは言われたくない」 睨みつけてくる孫策に、周瑜ははじめきょとんとし、次いで堪えきれず笑い出した。 「公瑾どの? 殿……」 呂蒙がためらいがちに声をかける。 「そうですね。今日は立場が逆でしたね。すみません」 周瑜の子供めいた表情に、孫策は少々呆気にとられた。 「どうしたんだよ。何で勝手に出てきたんだ?」 「いつも伯符さまが抜け出すので、私もつい抜け出したくなったんです」 笑顔のままで、即答する。 孫策には返す言葉もない。 原因が自分だと言われれば、そうなんだとしか言いようがない。思い当たる節がありすぎるから。 「もう、お二人ともっ。帰ったらどう言い訳するおつもりなんですか!」 完全に忘れられていた呂蒙は堪えきれず叫んだ。 二人の表情が一変したのは、しん、と空気が流れたあとだった。 咲きはじめの桃の花が、風に揺れている。 −了− 2003.03.17 |
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