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『うさぎ』
BGM from オルゴールの城
 
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日輪の下へ (にちりんのもとへ)
 
 強い陽光と、曇りのない青空によく映えた鮮やかな緑が、視界いっぱいに飛び込んでくる。
 日陰で涼しい室と違い、扉の向こうは季節感であふれかえっていた。
 十五歳の大人びた少年、周瑜は日射しを一瞥(いちべつ)してから、そっとため息をつく。こんな暑い日は、室で静かに読書をしたり琴を弾いたりしていたいものだが。
 そうさせてはくれない足音が、近づいているのを知った。
「若君」
 予想通り、家僕が回廊を小走りにやってきた。
「なんだ?」
「孫家の伯符どのが、お越しになっておりますが」
 やっぱり。
 どんな気候であっても元気でいるのは、あの幼馴染みしかいない。
「公瑾! 江行こうぜ、江!!」
 家僕が伝えに戻るのを待てなかったらしい、同い年の孫策が、回廊から飛び出してきた。
その存在自体が夏を思わせるほど眩しく、強く惹(ひ)かれずにはいられない。広く淀みない空と、輝かしい太陽がよく似合う。
 それが、孫策。
 孫策と出会うまでは、館にいることが多かったのに。孫策となら、どんな時でも共に行きたいと思える。
「なあ、いいだろう? 早く行こうぜ、暑い日は水浴びに限る!」
「水浴びですか? 釣りではなく」
「舟で遊覧でも構わないけど」
 少し驚いた、というよりも少し引き気味の周瑜に気付いてか、控えめな遊びを提案した。
「いえ、いいですよ。江に水浴びをしに行きましょう」
 周瑜はそんな彼の様子に苦笑を浮かべながら、承諾を伝える。
 いいのか? と確認はするものの、孫策の目はすでに江で遊ぶことを見ていた。足を門の方に向けながら、早く行こうと言わんばかりに周瑜の右腕を掴んで引っ張る。が、不意に力が抜けたように手を放した。
「やめた。やっぱ舟にしよう。公瑾、お前の館の舟、借りてもいいか?」
 先程までうきうきとしていた彼の表情が、ふっと消える。
 周瑜がきょとんと立ち尽くした。
「どうかしましたか? 急に。元気がなくなったみたいだ」
 訝しげに彼の顔を覗き込む。
「なんとなく」
 孫策は素っ気なく一言だけ返し、
「借りても、いいのかよ」
 同じ問いをぶつけた。まだ不審そうに窺う周瑜を、上目遣いで、拗ねた子供のように睨む。
 孫策も、なぜ自分が舟がいいと思ったのかわからなかったのだ。
 ただ、なんとなく。
 本当にそれだけだった。それしか説明のしようがないし、他にも理由がありそうだが言葉にできない。
「なあ」
「あ、すいません。舟、用意しますね」
 孫策が焦れたように声をかけると、彼は忍び笑いをしながら奥へ行った。


 光が反射して、水面に珠玉のようなきらめきが散らばっている。映しだされたもう一つの揺れる空。長江の緩やかな流れが、空をかき消しながら、影を運んでいった。否、影を運んでいるのは流れだけではなく、時折大きく動く櫓(ろ)でもあった。
 それは、どこへ行くともなしにただ、さまよっている風でもある。
「伯符っ。あまり動かないで下さい。舟から落ちてしまいますよ!」
「どうせ水浴びついでじゃん。変わんねーって」
 舟にすると言ったものの、大して面白いわけでもなく。ついつい動き回りたくなってしまうのだ。
「伯符だけならまだしも、転覆(てんぷく)する時は私も道連れですよ。できればそれは避けたいですね。いくら夏だといっても、水浸しで館まで帰るのはちょっと困りますし」
 櫓を漕いでいるのは周瑜で、孫策はなぜか弓矢を持っている。別に船上で何かに襲われることを心配している訳ではない。
 獲物がいたら、捕れるかもしれないじゃん。
 孫策の主張だ。
「じゃあ、俺一人なら落ちてもいいってことかよ」
 むっと眉をひそめ、声を尖らせる。
「“水浴びついで”なんでしょう?」
 周瑜にさらりと言われ、いっそう不愉快げな顔をする。暫く睨みつけていたが。
 ははは、と孫策は声を立てて笑い出した。つられるように、周瑜の方もくすくすと笑いをもらす。

 ひとしきり笑い合った後、二人は静かに、江に任せて流されるがままにしていた。
 こうしているのもあまりある事ではないし。
 すると。
 二人の間を一羽の鳥がばさっと飛んでいった。薄茶色で、中くらいの大きさ。孫策の目が輝く。
「やった! 獲物っ」
 ここがどこであるかを忘れた彼は、弓を手に矢をつがえる。
 周瑜が何事か叫ぶが、彼の耳には届いていない。孫策は立て膝でかまえ、狙いを一点に絞った。
 ひゅっ。
 風を切る音を間近に聞く、直前。
「わ……っ」
 孫策の放った矢は、大きく揺れる舟に阻まれ正確に射ることができなかった。
 ざば……ん――
 つい身を乗り出した孫策によって、舟は平行を保つことを断念したのである。
「わああ!!」
 二つの身体が投げ出され、同時に水しぶきを上げた。
「だから、言ったでしょうっ!? あまり動かないで下さいとっ」
「悪ぃ……夢中になってて……」
 怒鳴る周瑜に返す言葉もない。あるとしたら、謝ることぐらいだ。
 深さはあるが、流れは遅く水温も温かいので溺れる心配はないだろう。しかし元々水浴びに来たのではないので、着替えも水を拭う布も何も無い。それが一番問題だ。
 水面に頭を出して、取りあえずひっくり返った舟を戻しにかかる。舟の端と端をそれぞれが持ち、手をひねって起こす。水が舟の中にはいるので、その分重い。
「どっちが先に入ります?」
 舟のことだ。好き勝手に入り込もうとすれば、舟は軽いのだから体重をかけた方にまたひっくり返る。特に不安定な水の上なら尚更。
 左右から二人同時に入り込むか、一人が入る時に反対側でもう一人が体重をかけて支えるか。
 どちらかだ。
 同時にというのは難しいので、後者になる。
「お前、先に上がれよ」
 孫策は周瑜と逆側の船縁を掴む。周瑜が船縁から一気に腕だけで体を持ち上げるのと同時に、孫策も体重をかけて舟を支えた。彼は舟に乗り込む前に、自分たちと一緒に江へ投げ出され浮いている弓矢を拾い上げて、舟に投げ込む。それから先と同じように舟に上がった。
「あーあ、びしょ濡れだな」
「伯符のせいでしょう」
 周瑜はすかさず釘を刺す。
 物言いたげな表情を孫策は出すが、黙って上着の袴褶脱ぎ、江の上でぎゅっと絞った。

 不意に、目の前を黒い影が孫策の目の前を通り過ぎる。先ほどの鳥だ。足場の悪さで命拾いしたその鳥は、舟の上を何度か旋回した後、すーっと空へ吸い込まれていった。
 つられて彼も空を仰ぐ。
 変わらない澄み切った空と、穏やかな風――
「なあ、公瑾」
 隣でせっせと濡れた袴褶を広げている周瑜の腕を、見上げた姿勢のままでつつく。
 手伝えと言いたげに周瑜は顔を向けた。
「あれ見てみろよ。あの、大きな雲」
 見上げていて表情の見えない孫策は、構わず言を継ぐ。彼の指を辿(たど)っていくと、夏の空によくある入道雲。
 孫策は浮かされているように熱心に雲を見ている。
「あれ、城市に見えないか。城壁のない、自由な城市に。俺、あの空みたいに淀みなくて、戦乱のない、城壁なんかいらない城市を造りたいんだ」
 周瑜は入道雲と孫策とを順に見やって、また孫策に視線を戻した。目が真剣に光っていて何か強い意志を感じる。
 孫策も空から視線を外し、周瑜を捉えた。
 真っ直ぐに射られると、ついそらしたくなってしまうほどに、毅(つよ)い。
「お前と一緒に」
 周瑜は瞬間、語られた言葉の意味がわからなかった。
 一緒に。
 なぜか惹かれる言葉だった。
「俺と一緒に、理想郷を造ろう。お前となら、夢じゃない気がする」
 一言一言が胸に染み込んで重く蓄積される。それほど力のある、それ以上に自信に満ちたものであったからかもしれない。
 思いが、徐々に膨らんでいるのを周瑜は知った。自分も浮かされているのではと思うほどに。
 しかし別の思いも甦ってきた。
 楽師でも、理想郷を手伝えるのか?
 いや、いい。今はまだ何も考えなくても。理屈で抑えることもない。まだ心に従ってもいい。
「どう思う? 公瑾」
 孫策は念を押すように見据えてくる。懐かしむように、周瑜は微笑んだ。
「ええ、理想郷を建てましょう。共に」
 もう一度、鳥の消えた天を仰いだ。


 ゆらゆらと揺れながら、二人を乗せた舟はもと来た水路を戻っていく。
 遊覧どころではなくなってしまったが、何か身体を満たすものが確実にあった。


「伯符どの!!」
 予想は何となくしていたが、それをはるかに超える怒声が叩きつけられる。
 周家に遊びに行ったはずの息子が、水浸しで帰って来るという光景を目の当たりにした孫策の生母、英は、容赦なく正座をさせて説教を浴びせた。
「舟の上で狩りなどとは、一体どういうことです!」

 この冬に同じようなことでまた叱られることになろうとは、しかもこれ以上大変な状況になるとは知るはずもない、夏の昼下がり。



   −了−


                                     2002.5.4
 

  ★あとがき★

前回の「空に贈るしらべ」と違って、明るい話を考えてみました。というより、無性に15歳の二人が書きたかっただけなんですがー… 旋風生の前で楽しいものを、と思い立ちました。
実はこの話、友人と作ったんですv 旧友と久々にあった時、「ネタ出せ」といって寒空(風が強かっただけ)で一緒に知恵を出し合いました。入道雲の理想郷とか、鳥がきっかけとかは友人の考えです。感謝感謝♪ 本当はその時点では舟から落とさないことにしていたんですが、私が勝手に落としました(爆)

次にタイトルについて。
「にちりん」とは太陽のことです。夏&孫策のイメージが太陽なので、ちょっとかっこつけて「日輪」。はじめ自分で「ひわ」って読んでました;

ちなみに、名目上は孫策命日記念です(遅)ひと月間違えてるんじゃないかというつっこみはなしで。ですから孫策を中心に書いているつもりなんです。
従軍前の予感というのでしょうか。そういうのを周瑜が感じていて、周瑜の視点から孫策を見てみました。しかし、舟で狩り…さすがだ、伯符(^_^;)あと、BGMすごくおすすめなので、聴きながら読んでみるといいですよ。聴くだけでも好きですけど。お気に入りになってしまいました(あは)
 ’02.5.5
 
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