知床半島から根室半島にかけての海岸線。
澄切った晴れの日ならば必ずといって望むことの出来る国後島の風景。
初めて目にしたときの感動は私は今でも忘れることはありません。
手が届くほどすぐそばに見えるこの「北方領土」と呼ばれる島々を共に考えてみませんか。
 はじめに
北方領土が旧ソ連に占領されてからはや60年以上の経過となりました。
残念なことに2006年8月16日、根室市のカニかご漁船「第31吉進丸」がロシア国境警備庁警備艇に銃撃され、乗組員の盛田光広さん(当時35歳)が死亡という事件も起きてしまいました。
国境問題は北方領土に限らず日本の近海各地でも未だ解決には至っておりません。
※以下の項目に関しての記述は文献や関連の資料を基にまとめたものですので個人的見解などは一切含まれておりません。またこのコーナーは北方領土を解説しているのみで思想、政治的意図、特定の団体との関連も全くございません。したがいまして誤記以外のこれらに関する全ての苦情、意見等はお受け致しておりません。ご承諾頂いた方のみ以下をお読み下さい。
 北方領土あんないマップ
四島の主要地点をGoogleMapで案内しています。
 北方領土(ウィキペディアより)
北方領土とは根室沖にある歯舞(はぼまい)諸島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の四島のことを指し、日本国が自国の固有の領土と主張している島々です。
歯舞諸島 水晶(すいしょう)・秋勇留(あきゆり)・勇留(ゆる)・志発(しぼつ)・多楽(たらく)・カブ・春苅茂尻(はるかりもしり)・海馬(かいば)・カブト・貝殻(かいがら)・オドケ・萌茂尻(もえもしり)など小さな島々の総称。
昆布などの水産資源が豊富な地域です。
色丹島 シコタンとはアイヌ語で「最良の村」を意味します。高山植物が咲き乱れる自然の宝庫だそうです。根室の納沙布岬からはわずか75Kmの沖に位置します。
国後島 標津町野付半島からはわずか16km先の佐渡島の2倍の面積を誇る島です。戦前は缶詰加工で栄え、島では数多くの鉱山・活火山の存在も知られています。
択捉島 島は我が国最大の面積でその広さは鳥取県とほぼ同じだそうです。第二次大戦中は日本軍による真珠湾攻撃の拠点となった単冠(ひとかっぷ)湾が島の中央に位置しています。
 2月7日は北方領土の日
1855年2月7日(旧暦の安政元年12月21日)に伊豆の下田にて日露通好条約が結ばれました。
この時両国の国境を択捉島とウルップ島の間と定めました。これによって、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島は日本の固有の領土として確定したとされてます。
1981年(昭和56年)閣議による了解を得てこの日を「北方領土の日」とすることに決めました。
 史実の概要(ウィキペディアより)
条約締結以前
ロシア人のイワン・チョールヌイが1760年代、択捉島でアイヌの人々から毛皮税を取り立てたという記録が残っているそうです。最上徳内が最初に択捉島を訪れた1780年代には、アイヌの人々中にロシア正教を信仰する者がいたことが知られており、ロシアの決定的支配がされていたわけではないですが多少の影響力があった事がうかがえます。
ロシアの動きに対抗して当時の江戸幕府は樺太や千島を含む蝦夷地を幕府直轄地として統治することとし、支配勘定近藤重蔵や最上徳内らを派遣し、国後・択捉を調査させ、彼らも択捉島に「大日本恵登呂府」と書いた標柱を建てて帰国しました。
最初の条約締結
1855年2月7日(安政元年12月21日)に伊豆の下田において日本とロシア帝国の間で日露和親条約結ばれました。これにより両国の国境を択捉島と得撫島(うるっぷとう)の間とされました。
(以後千島列島とは得撫島(うるっぷとう)以北を指すとしています。)
その後の条約締結
1875年5月7日に日本とロシア帝国との間で樺太・千島交換条約が結ばれ日本は樺太を放棄する変わりに択捉島以北の得撫島から占守島(しゅむしゅとう)を領土としました。
(この時交換の対象の千島列島は得撫島以北と確認されています。)
日露戦争後
1905年9月5日のポーツマス条約により再び南樺太が日本の領土となりました。
太平洋戦争末期
1945年旧ソ連のヤルタで米・英・ソの3国が会談(ヤルタ会談)を行い、この中で日本の戦争降伏後南樺太と千島列島を旧ソ連に引き渡すことが決められました。この千島列島の国際的解釈が国によって異なり今日の領土問題となってしまいました。
(択捉島以南は日露和親条約・樺太、千島交換条約などに基づき千島列島ではないと日本は主張しています。また歯舞諸島・色丹島は元々千島列島ではありません。ヤルタ会談も連合国だけの密約であり日本との間には何の根拠もありません。)
1945年8月8日、旧ソ連は日ソ中立条約を一歩的に無視しこれらの島々を占領して今日に至っています。
占領直前、四島には一人もロシア人は住んでいませんでした。
太平洋戦争後
旧ソ連は1949年までに全ての日本人を強制退去させました。
そして日本は1951年のサンフランシスコ平和条約で、北方四島以外の千島列島を放棄しました。
1956年12月12日「日ソ共同宣言」が両国の間で結ばれ平和条約締結後の歯舞諸島と色丹島の二島返還が明記されました。
以上の流れにより日本は旧ソ連崩壊以前は四島一括返還を求めていました。
しかし現在の公式立場は北方四島の主権が認められるなら、返還の時期や条件及び態様については、柔軟に対応するとしています。また、北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益、希望は、領土返還後も尊重して行くとしています。
対してロシア政府は独自の解釈、見解に基づいて日ソ共同宣言以上の譲歩は発表していません。

ロシア政府の解釈、見解については上記ウィキペディアへリンクの「北方領土」の項目をご覧下さい。
 領土問題解決論(ウィキペディアより)
四島一括返還論 柔軟な対応はとらずあくまで四島の返還を求める方法です。
これまで北方領土に対しての援助を止めればロシア側が困窮した島を重要視しなくなるだろうとの日本政府の考えがあったようですが、択捉島では近年鉱物資源が期待されたり、北米市場向けの水産加工業が盛んになったりとその思惑が通用しなくなってきているとの指摘も出て来ているようです。
二島返還論 日本の立場としては「2+2方式」とも指します。まず平和条約を締結させ二島を返還してもらい、その後国後・択捉の問題を継続協議する案です。
(ロシアは継続協議に関しては拒否しています。)
三島返還論 最近話題に出ている解決案。「フィフティ・フィフティ」とも呼ばれ両国の過去の経緯を無視して平等に土地を分割する方法。択捉島の半分あたりを両国の国境とする案も浮上していますが、いずれにしてもロシア側の譲歩なくしては実現は厳しいとの意見です。
共同統治論 両国の潜在的主権を認めつつ住民に自治権を認め、両政府が施政権を住民に任せる方法です。日本としては漁業権などの復活、ロシアとしては行政負担の軽減と投資や援助の期待などがあげられます。
施政権賃貸論 潜在主権はロシアのままで、施政権を日本に貸与するという案。ロシアの研究者から提案されたそうです。
上記の逆論 潜在主権を認めさせ、施政権はロシアに残す方式です。かつての沖縄がモデル。最終目標は施政権も日本のものとして行く案です。
外務省元分析官
佐藤優氏の談話
「四島一括論は空想的。潜在主権を認めさせることも、二島先行返還論も可能性は薄い。共同統治などの現実的な解決策を探るべきだ。」
(2006年1月15日釧路全日空ホテルで開催の道新政経文化懇話会にて)
 問題のまとめ
ロシアの立場 長い歴史の間に領土を獲得したり手放したりと、国境に対する反応が日本の比ではないということ。四島を手放してでも得るものがない限り、戦争の結果による支配は正当であり日本の主権を認めることは外交上の負けを意味すると考えてます。
日本の立場 どんな妥協案が出ても元島民の意見を全てまとめ上げるのは困難です。また政府としても補償問題などが懸念としてあります。元島民の方の理解を得、今後どこかの案で妥協する立場に公式に政策変換出来るかが領土返還の鍵を握っていると思われます。
日本とロシアの貿易額は全体の1パーセントしかありません。お互いの国益を増す考えに基づけば何か進展があるかもしれません。そのスタートラインとしてロシアは日ソ共同宣言の有効性を今でも認めていることに着目しておくことです。今はまだ双方が問題解決に向けたテーブルさえ着いていない状況です。目をそらさず積極的に働きかけあうことが大事なことと思われます。
 北方領土関連リンク
首相官邸キッズルーム
過去ページ
子供向けに作られた北方領土の解説です。
難しさを嫌う大人の方にもお勧めです。
外務省ホームページ トップページ>各国・地域情勢>欧州(NIS諸国を含む)>北方領土問題へ
北方対策本部 内閣府の北方領土に関するホームページ。
北方領土の過去から現在に至るまでの様々な資料、報告を載せています。
北海道ホームページ TOP下段の行政・政策・税のカテゴリー内に「北方領土」の項目があります。
四島(しま)のかけはし 独立行政法人北方領土問題対策協会の運営サイト。
元島民が語る「北方領土」のコーナーは是非お読み下さい。
ライブカメラから北方領土方面を見ることも出来ます。
HOPPORYOUDO ON LINE 北方領土復帰期成同盟の運営サイト。北方領土に関する資料がとても充実しています。
ピースボート主催のOLIVIA号に乗って国後島に向かわれた松村さんご夫婦のサイト。国後島の様子がわかる貴重な写真が満載です。
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