5.こうやって集まるのもいいかな?


話を続ける前に少し脱線を。
人が異動するときに必ずやるものが送別会です(って、普通そうですよね?)。
御多分に漏れずこの職場でも送別会はやりました。
第1陣用送別会。
第2陣用送別会。
第3陣用送別会。
当然すべてやりました。
当然私はやってもらっていませんが。
毎回既に異動してしまった人にも声をかけました。
みんな集まってきてくれます。
お互いの今の職場でのことなんかは必ずのぼる話題です。
そういえば、若干数名残った第4陣ですが、やってもらえるのかどうかは不明です。
どうでしょう?

そんな送別会とは別に、バラバラになる前に若い人間(と言ってもたいして若くはないですが)だけで泊まりで遊びにいこうという話になりました。
というか、私が話に乗ってきそうな友達に声をかけました。
土日に一泊で行こうということになり結構多くの人が集まってくれました。
これが仲間だ!
と心のどこかで意外と思ってたかもしれません。
”解散会議”と名づけたこのお泊り、みんながどういう気持ちで参加したかはわかりません。
当然その中には私生活で遊ぶ仲間もいれば、会社内のみの仲間もいるでしょう。
だけど、少なくともこの一瞬は色々な意味での”仲間”として、同じ時間を共有していたと思います。

今までにあった面白い話や苦労話。
若い人間が知らない昔の話。
これから異動する人の大変さについて。
残る人の大変さについて。
誰が負け組みで、誰が勝ち組みか。
くだらないことですが、いろいろ話ました。
途中ゴキブリも出ました(ちなみに私は大嫌いなので結構ビビリました)が、トイレの水とともに流れました。
短い時間だったけど、充実した時間でした。

職場内ではグループというわけではありませんが、色々な集まりがあります。
今回のこのメンバーでの旅行はきっと最初で最後になると思います。
他の集まりでは今後も会う人がいるので”会えなくなる寂しさ”はないのですが、、この集まりに対する寂しさが残りました。
その寂しさとは”今度このメンバーと会ったときは今の製品の話はしない。もしくは、したとしても過去の話としてのみする”と言うことです。
決してこの話では未来の話はできないのです。
一つの時代が終わると言う表現があっているかはわかりませんが、その言葉とおりです。
昭和が終われば昭和の未来は決して語りません。
つまり、そういうことです。

何はともあれ、いまさらジタバタしてもしようがありません。
今回感じた”こうやって集まるのもいいかな?”という感じ、これから何度感じるかわかりません。
もしかしたら最後かもしれません。
製品の未来は語ることはできませんが、私たちの未来はいつまでも語ることは可能です。
また、いつか、このような形ではなく別の形で、”こうやって集まるのもいいかな?”そう思いたいと思います。

続く

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