農家休日表
 1960年という年は「60年安保」で、日本がゆれにゆれた転機の年だったろうと思う。この年安保の影に隠れて大問題にはならなかったが、日本の農業に転機となる法律「農業基本法」が通って、日本の農村が大きく変わり始める年ともなった。「選択的拡大」だの「構造改善」という言葉が聞かれ始めたのもこのころからだった。このころから経済成長路線が始まっていて、産業界は多くの人手を必要とし、それを農村に求めていた。農民を囲い込んで建設・製造・流通などの労働者としていく政策の始まりである。農民は従来の農業を変えて換金作物を探して試行錯誤する一方で、「出稼ぎ」で産業界の要請にこたえるようになる。東京オリンピックの工事・高速道路や新幹線を初め、都市の建設工事から、自動車電機などの工業にたくさんの農民が働いた。
 経済成長の過程で都市の労働者と農民との間の格差が開いてくると、「農村の嫁飢饉」ということがいわれる事態となった。こうした事態の解決策として考えられたのが、農家に都市並の休日(農休日)を設けようという動きである。
 この町の場合、農家に限らず町中の全戸に配られていたように覚えているが、いつから始まっていつまでだったかなどはよく覚えていない。地域によっては看板や幡などを設置して監視や説得をして農休日の徹底を図ったところもあると聞くが、この町の場合は自然が相手の農業という特殊性や経営形態の違いもあり、理想とは程遠くさほど守られもしなかったように思う。農家休日表がなくなったのは、列島改造のころ町にも工業団地ができて、農民が常雇いの労働者になったころだったと思う。その結果は「兼業農業」であり、野良にいるのは嫁と年寄りばかりの「3チャン農業」になった。そのうち嫁も常雇いの労働者となって「2チャン」となり、所得は上がったが労働者となっても朝夕や休日に農業では、全くの休みなし時代になってしまった
 町の工業団地の創業は、72年から造成が始まり72〜73年が操業の始まりであるから、この休日表は最後の方の休日表だと思う。赤い文字が消えかかっていて見えにくいが、「昭和46年」と書いてある。(1971年) よく見ていくと、必ずしも日曜日というわけでもなく、当時の農村・農家行事の名残りを反映していて興味深いものがある。