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穴観音の由来
自然の妙を見せるこの岩窟には、古くから様々ないい伝えがあります。
戦国時代に高井地方を支配していた信濃源氏は甲斐の武田氏に攻略され、
越後の上杉氏を頼る途中、避れた妻と子がこの岩窟で一夜を過ごしましたが、
ついに追いつかれて妻子ともに自害した 「 母子塚 」 (ぼこづか)が近くにあります。
また、元和五年高井郡に配流となった悲劇の武将、福島正則公が持仏である
観音菩薩を安置した場所とも言われています。
正則公が広島城主であった頃、家臣の中にキリシタン信徒がかなりおり、
配流の時も従ってマリア観音を秘かに祀っていたとも伝えられています。
この岩窟を覆うように建てられていた観音堂は享保年間の創建になり、
地元雁田をはじめ、地域の人々の信仰の拠点でありました。
明治初期に大修理が加えられましたが、風雪厳しく、ついにとりこわすの止むなきに至りました。
この穴観音周辺は信仰と、健康の憩いの場として注目を浴びており、
現在観音堂再建の準備が進められております。
尚、毎年5月中旬には穴観音様の御開帳とお祭りが行われております。

