第13議定書



  日々のバンの必要。政事の諸問題。産業の諸問題。娯楽。遊び場。「真理は一つ」。大問題。


  日々のパンが必要なために、ゴイムは余儀なく沈黙を続け、われわれの従順な召使になっている。われわれの新聞がゴイムの中から選んだ代理人に、公文書であからさまに触れるのは都合の悪い問題を議論するようにさせる。その間、われわれは論議の渦の真中で静かに聞いていて、われわれに必要な部分を取り込み、それから公衆に既定事実として提示するのである。いっそう改善したものを説明するのだから、何びとも一度定めたことを撤回せよとは言わない……そして間髪を入れず新聞は世論を新しい問題の方に向けさせる(われわれは人民を何か新しいものを求めるようにずっと馴らして来たではないか)。頭が足りない運命の小売屋≠スちは自分の議論する問題が髪の毛一筋も解っていないということさえも理解できずに、新問題に飛びついてしまう。政事の諸問題は、これを考案した大先達、過去何年にもわたって先導してきた人々でなければ、誰も参入できないのである。

 以上のことからお解りのように、群集の意見を先導するには、われわれの仕組の働きを良くするだけで事足りるのであり、われわれがかれらに賛同を求めるのは、あれこれの問題についてのわれわれの行動ではなく言説であることに気付かれるであろう。われわれは常に、希望に導かれ確信に基いてすべての事業にあたり、公共の福利に奉仕しているのであると公言している。

  厄介になるかも知れない連中に政事の諸問題に首を突っ込ませないようにするのに、われわれは政事に代わるものを熱心に勧めている。すなわち商工業の問題である。この分野でなら、どれほど騒いでもよろしい! 政事に代わって何か没頭できるものがあれば、群集は政治活動の類いから手を放して一服することに異存はない(政治活動は、ゴイ政府と一戦交えさせるために、われわれがかれらに施した訓練であった)。商工業問題においては、われわれは政治そっくりの事をやっているかのように思うように処方してある。かれらがかかずらわっていることを解き当てさせないように、われわれは娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、更に政事から遠ざける……そのうち、われわれは新聞を使って芸術、スポーツなどありとあらゆる種類の競争を始める。こういうことに関心が向けられれば、われわれがかれらと争わなければならない問題から、かれらを完全に遠ざけるだろう。ますますかれら自身の意見を反映したり形にしたりすることが難しくなるに従って、人民はわれわれと同じ口調で語るようになる。なぜならば、われわれだけがかれらの考え方に新しい方向付けを示しているからである……もちろん、われわれとは表面的には無関係の人々を通じてであるが。

  われわれの政府が承認されると、自由主義者、空想論者の役割は最終的に終る。その時まで、かれらはたっぷりとわれわれに奉仕し続けてくれる。そのために、われわれはかれらの頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論、今では進歩的と呼ばれる理論の方に引っ張り続けている。が、われわれはゴイムの空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかった。ゴイムの中には、物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは遠ざかるばかりだということが判る人間はいないのである。なぜなら、真理は一つであり、そこには進歩が入り込む余地はないのである。進歩、それは誤った推論に基く思想のようなものであり、神の選民であり、真理の保管人であるわれわれの外には何びとも知らない真理を覆い隠すのに役立つ。

  われわれの王国が実現した暁には、われわれの弁士たちは、人類をすったもんださせてきたこの大問題を解義して、われわれの慈悲深い支配の下で結着を付けさせるだろう。

  その時になって、これらの人々は一人残らず、幾世紀にもわたり何びとも推測もしなかった政治計画に従って、われわれに踊らされていたのだということを、いったい誰が疑うだろうか。