8/5 説教要旨

マタイによる福音書6章22~23節
「あなたがたの中にある光」、これは神さまからいただく光です。澄んでいる目とは、「まっすぐに見る」ということです。脇目をふらずに本当に必要なもの、欲しいものに目を向けている、そんな眼差しを「澄んでいる目」と言われています。何を見つめているのでしょうか。それは、神さまの報いです。これまでイエス様は、施し、祈り、断食という信仰の行いの大事な要点は、「誰からの報いを求めているのか」であることを教えられました。信仰の行いは神さまにご覧いただくだけでよい行いです。神さまに向かって願い求めていながら、手は人の方に差し出して称賛を受け取ろうというのはおかしな話です。本当に求めている大きな恵み、幸いや赦しは神さまからいただくものです。神さまこそが私たちの全身を明るくするまことの光を与えてくださる天の父です。そのことを信じて、まっすぐに神さまを見つめる眼差しが「澄んでいる目」です。この目で神さまの愛と恵みを見つめるとき、恵みの光が私たちのうちに「信仰」の火を灯します。この光をいただいて私たちは全身を明るくするのです。恵みの光の源である神さまから目を反らして見るのは、罪に支配された暗さです。そこに私たちを明るくする光はありません。そこで与えられる世の報いは私たちの内の光を消し去ろうとします。神さまに救いの希望があります。私たちは神さまから光をいただいて全身を明るくし、私たち自身が恵みの光を携え世を照らすのです。

2018年09月22日