公務員試験お役立ちメモ
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2002年05月31日(金) 行政学メモ9

地方自治は王政から法治行政への転換、民主主義の発展に伴い発展してきたと言えるが、一方で20世紀以降の行政国家化は、機関委任事務の増大、通達行政の深化、補助金行政の膨張など、新中央集権といわれる状況をもたらした。
地方自治が進展しているように見える20世紀において、別の意味での中央集権が進むという逆説である。


中央政府対地方政府という立ての対立だけではなく、各種の専門官僚と総務系組織に属する総括官僚との対立構図も存在し、後者の対立が前者、すなわち中央対地方の対立軸を超えて広がっている。このような中央・地方をまたがる対立は、法令・予算の変更など縦割行政の役割分担に変更をもたらす場合に顕在化しやすい。
R.ロウズは、専門官僚(technocrats)と総括官僚(topocrats)の対立について指摘した。例えば日本の場合、中央対地方という対立だけでなく、<総務省・首長・自治体のスタッフ系組織>VS<その他の官庁・自治体のライン系組織>といった総括官僚の政策共同体と専門官僚の政策共同体が対立することも多い。これはスタッフとラインの対立が中央地方に貫徹したものと理解するとよいだろう。


ヨーロッパ大陸系諸国の市町村は、自治体として自治事務を執行すると同じに国の下部機関として委任事務の執行にも当たるという二重の役割を担っているといえる。
日本でも、これまで自治体は自治事務と同時に機関委任事務を遂行してきた。ただし2000年から施行された地方分権一括法により機関委任事務は廃止され、新たに自治事務と法定受託事務とに分けられた。


アングロ・サクソン系諸国の分権・分離型の地方自治と、大陸系諸国の集権・融合型の地方自治との差異は、第二次世界対戦後、大幅に縮小してきている。この背景には大陸系諸国の分権化の動きとともに、アングロ・サクソン系諸国の側でも、国の事務権限を自治体に委任する「委任」方式を活用するようになったことがある。
ナチス時代の反省からドイツが連邦制を採用し、地方自治を強化したことや、フランスでもミッテラン大統領のとき、道と県を完全自治体に改める地方制度改革が行なわれた。


アングロ・サクソン系の諸国では、自治体の事務権限を定める授権法に、自治体が実施しうる事務、自治体が行使しうる権限を1つ1つ個別に明確に列挙している。攻した授権の方式は、制限列挙方式と呼ばれている。
これに対して日本などは概括列挙方式と呼ばれ、自治体の権限が明確に定められているわけではなくい(地方自治法2条)。


アメリカでは自治体の創設は、いわゆる「住民自治」の精神に基づき、住民の発意によって行なわれることが多い。このため、大都市の裕福な市民が郊外に移転し、新しい都市を設立できるようになると、低所得者層が残る大都市が財政危機に瀕したり、総合的な都市政策が実施できなくなるといった問題が起こるようになった。
住民自治の定義を理解。


イギリスは、他のアングロ・サクソン系諸国と同様、分権・分離型の地方自治である。しかしイギリスの市町村の所管事項はきわめて広く、集権・融合型にもかかわらず所管事項の少ないフランスの市町村とは対照的である。これは、イギリスにおいて大規模な市町村の統合が行われ、世界に冠たる規模の基礎的自治体が形成されていった結果でもある。
1972年の地方自治法によって、イギリスでは市町村の大規模な統合が行なわれた。これにより1974年以前では総数1300強、平均人口3万人弱であったのが、総数333団体、平均人口で12万人弱Jにもなった。逆にフランスの市町村数は現在でも3万を越えるほどである。


イギリスなどのアングロ・サクソン系諸国の分権・分離型の地方自治においては、地方自治体の事務権限は法律で個別に列挙されるが、その範囲の中では、事務権限を執行する際の自主的な裁量の余地は、大陸系諸国の集権・融合型の地方自治より広くなる可能性が大きい。
大陸型諸国の場合に、地方自治の事務にも国が介入する余地がある。


中核市制度とは、これまでの政令指定都市制度に準じるもので、中核市に指定された都市は、都道府県から事務と権限の委譲をうける。
中核市は1994年の地方自治法改正によって創設された。人口30万人以上(50万未満の場合には昼夜間人口比率が100を超える都市)、面積100平方キロ以上で、中核市都市機能を備えた都市に政令指定都市なみの権限特例を認めるものである(2000年の地方分権一括法成立により、昼夜間の人口比は廃止された)。


1999年に制定され、2000年から施行された地方分権一括法により、機関委任事務は廃止され、自治体が主体的に行う自治事務と法定受託事務に振り分けられた。国から請け負う事務は法定受託事務として残っているが、従前の機関委任事務と異なり、条例制定権や地方議会の権限が原則として及ぶことになった。


日本では第二次世界対戦直後の町村数は1万弱であったが、財政力の強化を主たる目的として町村合併が進められた結果、1960年代初頭には3000あまりに減少した。それに伴い、町村の平均規模は拡大し、世界各国の基礎的自治体のなかでは大きな部類に属するようになった。
町村合併には、自治体の財政力の増加というメリットがあった反面、日本の伝統的なコミュニティを破壊し、自治を阻害したとの批判もある。


1999年に成立した地方分権一括法においては、法廷外目的税の創設や法廷外普通税の許可制の廃止、地方債の許可制の廃止などが盛り込まれていたが、税財源の再配分については十分な見直しが行なわれなかった。


地方分権推進委員会の第四次勧告においては、内閣に直属する機関として「国地方係争処理委員会」を設けるとしていた。
「国地方係争処理委員会」とは、国と地方の間に事務権限をめぐる紛争が生じた際、その紛争を裁定するための機関である。


昭和32年の第四次地方制度調査会において、提言された道州制案は、完全自治体としての都道府県を廃止し官治団体としての道あるいは州を設置しようとするもので、縦割行政の弊害を国の総合出先機関としての道州の総合調整機能をもって是正することを意図していた。
地方制度調査会においてこのような提案が行なわれた背景には、戦前の総合出先機関としての役割を果たしていた都道府県が、完全自治体化したことがある。機関委任事務方式の採用とならんで、戦後の地方自治制度改革との関連で理解しておくこと。


政治改革としての地方分権・・・巨大な公共事業が集権的に決定され、有力政治家が事業の展開個所の決定や請負業者の選定に介在することが、政治腐敗の温床となった。このことから地方分権改革が政治改革の有力な支柱とされなければならないと認識された。
金丸元代議士が脱税事件で取り調べを受けたのが1992年のことであったが、自宅に保管されていた裏金のかなりの部分は建設業界等からの献金であると見られている。中央から大量の公共事業が投下され、「族議員」といわれるような代議士がその仲介役として地方に事業を割り振り、その見返りとして献金を受け取る、という構造が出来あがっていた。これを防ぐためには、中央集権的な公共事業のあり方を問いなおさねばならない。


内政重視型中央政府の限界・・・中央政府主導の近代化は、内政重視型となり、地域社会のこまごまとした事項にまで中央政府が介入する。その結果として、国際社会の変動に的確に対応できなくなる。国際社会に重みをもつ国になった現時点では、これは決して好ましいことではなく、中央政府を子細な内政事項から開放する必要がある。
湾岸戦争や国際貿易摩擦などを通じて、日本は世界的に大きな存在となっているのに、国際状況に的確に対応できていない、ということが明らかになった。これまでの内政重視型の政府のあり方が問われている。