公務員試験お役立ちメモ
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2002年05月26日(日) 行政学メモ4

1887年。W.ウィルソン「行政の研究」を著す。
行政の分野は実務の分野であるとして、当時発展しつつあった企業組織における人事管理や財務管理の新しい手法を紹介し、公務員の新たな技術取得のための研修と教育に貢献する行政の実践的研究の必要性を主張した。


行政学が科学として独立したのは、両大戦期(1920年代)であると言われている。
この時期のアメリカの代表的な行政学者であるギューリックは、行政学が能率追求を「公理ナンバーワン」とする「没価値の世界」に近づきうることを説き、このような見地から行政の語に代えてPOSDCORBなる用語法を提唱した(これらの機能を技術的・没価値的に遂行してゆくことが行政部の役割に他ならないと主張)。


1940年代以降に正統派批判として、政治行政分離論への批判が盛んとなった背景には、ニューディール政策による行政国家化の動きや、古典的組織論の崩壊、人間関係論(新古典的組織論)の台頭による科学的管理法の限界の露呈などが挙げられる。


独立科学としての行政学の成立は、L.D.ホワイトが、それまでの行政研究を総合体系化した初めての教科書「行政学研究序説」を出版した時期に求められる。その中で、行政とは国家の諸目的遂行における人と物の管理であり、能率的行政が優れた行政であると位置付けられた。
技術的行政学を代表する人物として、このホワイトの他に、ウィルソンやグッドナウ、ウィロビーなどが挙げられる。


W.ウィルソンと共にアメリカ行政学の基礎を築いたとされるF.J.グッドナウは、1900年「政治と行政」で能率的行政を可能にするための政治と行政の適切なあり方に関心を注いだが、まさにその同じ年に市政改革運動の交流拠点として結成されたばかりの全国都市連盟がその最初の「都市綱領」(Municipal Program)を世に問うた。
グッドナウは、「政治と行政」の中で、政治を国家意思の表明、行政をその執行とする二分論を提示した。


行政は、政治と対比した場合に、公共的事務の処理が中立的あるいは不偏不党であるという肯定的評価をもって理解されることがあるが、それは政治の侍女ないしサーバントという役割に徹する精神と結びついている。
政治の命令に従って能率的な行政を遂行するという考え方のことで、初期の行政学に典型的に見られるものである。


P.アップルビーによれば、政策的決定が実質的に行政内部で行なわれることもあれば、技術的問題が議会でとりあげられることもあるのであって、両者の相互浸透という現実を見逃してはならない。
P.アップルビーは、D.ワルドー、H.A.サイモンと並んで、正統派批判の新しい行政学の流れに属する。


行動論的・意思決定論的立場から行政組織の研究を行なったH.A.サイモンは、事実前提と価値前提に基づく意思決定を区別した上で、科学が明確な解答を与えうるのは前者の意思決定に対してのみであるとし、規範的立場に立つワルドーらによって批判された。
サイモンはこれまでの行政学は「行政の諺」にすぎないとして退け、価値や規範の問題を排除した行動主義的、科学的厳密性を追及した。そのためにワルドーらによって、新しい形の政治行政二分論であると批判された。同じ正統派批判でもワルドーとサイモンは大きく異なっている。


現代官僚制確立のために政治と行政の分離が主張されていた時期には、政策実施段階の能率を向上させるための組織管理が行政研究の焦点となっていた。それに対して、政治と行政の融合が主張される時期に入ると、政策内容に関する行政の積極的な役割が強調され、効果的な政策立案の実現も組織管理の目的の一つとなった。


戦後の地方制度に関して、集権・融合型の日本とドイツとでは大きな相違が見られ、日本では分権化が十分に進んでいないが、ドイツでは地方自治が強化されている。これは戦前からドイツが連邦制を採用していたことも関係していると言える。
ドイツでは既に1870年のビスマルク憲法の時代から、ナチス時代を除いて連邦制を採用していた点に注意。