砂の肖像〜あるサラブレッド(馬)の話
01/12/18記す→02/7/9修正を加えUP


  生涯戦績42戦16勝、これがホクトベガの記録である。この成績は一流馬の中ではとびぬけて良いというわけではない。しかし、俺はこの馬が大好きだった。 この馬ほど意外性に富んだ一生を送った馬も少ないだろう。


  彼女は不思議な馬だった。平成5年1月4歳(昨年競走馬の年齢の計算方式変更、現方式だと3歳)の遅いデビューだったが、フラワーカップ(GVと言う格付の それなりに大きなレース。)を勝ちすぐにオープン入りした(レースは獲得賞金ごとに分けられており、オープンとは最上のランクと言う意味になる。その中でも1番上の レースがGTと呼ばれ、そこで1着をとれば1億円前後の賞金が手に入る)。だが、その後は桜花賞(GT)5着、オークス(GT)6着、と、ほとんど活躍できず目立たない 馬であった。そんな時に秋の4歳牝馬(メス馬)の頂点(当時)を決めるレースに出走することになった。当然のことながら人気は無く、9番人気であったが、なんと周囲の 予想(人気となっていたのは「ベガ」という馬だった)を裏切り1着になってしまった。その意外性のあまり実況のアナウンサーが、「ベガはベガでもホクトのベガー!!」 と絶叫したのはあまりにも有名である。結果、馬連(1着と2着を当てる馬券)256.5倍と言う大荒れのレースになった。


  古馬(大人の馬と言う意味。当時の計算方式では5歳以上の馬)になってから本格化するかと思いきや、相変わらずはっきりしないレースが続く。なかなか勝てない。やっと札幌 でのレースで勝ったかと思えば、そのレースでなんとレコード(歴代1位のタイム)を出してしまう。このレースを足がかりにGT戦線に復帰するというのが大方の予想であったが、 GUなどを走り、しかも負けてしまう。こうなったら引退して繁殖入り(子馬を作る事)するのが通常だが、ここに来て「障害入り(普通の競馬のレースでは無くて障害物を飛び越えながら 競争するレース。レースの格、賞金、共に低め)」のニュースが。。。訳がわからない。


  そんなこんなで、強いか弱いか分からないままだった。ところがここに来て彼女の自我が目覚める、つまり「砂の女王」の誕生である。地方であろうが、中央であろうがダート(砂道のレース。 芝生の上を走るレースはターフと言う)レースでは勝ちまくった。ダートレースでは体力が必要だが、どこにそんなスタミナがあるのかと思えるほど強かった。ドイツ人を思わせる彫りの深い顔で 圧倒し続け、後にダートレース唯一の中央競馬GTとなる、フェブラリーステークスも当たり前のように勝った。彼女が本気になってからは、 どんな強豪ダート馬がかかってきても、それが屈強なオス馬であろうとも、まるでかなわぬ女傑へと成長したのである。


  やや偏った成績であるが、ダートでは誰にも負けない能力を見せつけ、十二分な活躍をした。彼女の第2の人生は、その魅力ある血脈を次の世代につなげるために繁殖入りして、母となる ことであった。そしてその予定も決まっていた。あと2〜3戦してからだが。。。
  その2〜3戦の内の1つが中東アラブ首長国連邦で行われる国際GTレース。ドバイワールドカップである。このレースはアラブの王族が主催するレースで、その賞金は世界最高額であり、 賞金とダート世界一の名声を賭け、世界各国の一流馬たちが競うのである。この名誉あるレースに日本の「砂の女王」たる彼女が出馬したのである。


  レース当日、彼女は日本からの長旅のせいかあまり元気がない。いざレースが始まってもいつものような迫力はない。位置は中段やや後ろ、最終コーナー、前へ行くかと思ったその時、、、
崩れ落ちた。。砂の中に。。。いつも涼しい顔で先頭を切っていた彼女が、、、である。。
「予後不良」これが彼女に下された審判であった。つまりは安楽死である。。


  サラブレッドは人間によって創られた生き物である。自然の者で無いが故に、その命は微妙なバランスの上に成り立っている。特に過度に洗練されたその脚は、「ガラスの脚」と表されるほど 脆いのである。そのうえに彼女の圧倒的な強さは成り立っていた。強さと脆さ、その相反するものが俺を魅了してやまないのかもしれない。

ちなみにホクトベガが没した翌年、フランスの地にて、シーキングザパールとタイキシャトル、、この2頭の馬が、日本馬として初めて、海外のGTに勝利することになる。

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