苦い林檎と甘い毒

 

 

 やけに整った顔に、良く似合う黒髪。同じように黒い制服を肩に掛けて、眼差しも闇のように深く暗い。対照的なのはその肌が真っ白なシャツと同じように白いことで、奴の潔癖さを表すようなそれは、時折俺の中の嗜虐心を目覚めさせた。

 黙っていればいいものを、口を開けば皮肉めいた毒舌で俺を馬鹿にしやがるし、余計にこっちも苛立って一方的な喧嘩になるのはいつものことだ。
 けれど、こうして同じ空間にいられるのが自分だけだと思うと妙に優越感を得られるのは何故だろうか。視界に捕えたままのやつはこちらを気にするわけでもなく表情も変えずに風紀の仕事とやらで忙しいようだ。

 不意に、伏せられていた睫毛が揺れる。同じ色の瞳や髪に隠れて目立たないが、間近で見ればそれが案外長いものだと知っている。

 向けられた視線は俺の上を通り過ぎ、ドアへと向けられた。同時に響いたノックの音は、この部屋への訪問者の存在を告げる。大方風紀委員だろうが、俺には関係ない。

「開いてるよ」

 雲雀の許可を得て入ってきた草壁が、ソファにいる俺の方に一瞬目を向けて眉を顰めた。今日は雲雀に咎められなかったので丁度三本目の煙草に火を点けたところだったせいだろう。
 それでも用件を事務的に述べて、頭をひとつ下げて草壁は出ていく。委員長のご機嫌を伺わねぇとならねぇ立場は大変だな。俺には関係ねぇけど。

 ただ、こういう時は妙に風紀委員長という肩書きが目に付く。いつも風紀が乱れるとか言って人を殴り付けてくるこいつを、自分がどう意識しているかはわからない。

「ヒバリ」

 呼び掛けても、返事どころか反応もない。視界に入っていないわけでもないだろうに、俺がここにいることで雲雀に変化が表れることなどなかった。

 仕方なく、吸い込んだ煙を吐き出すだけの行為を繰り返す。煙草を嫌う雲雀の前にいるときに限って喫煙量が増えるのは気のせいじゃないはずだ。手持ち無沙汰なせいだけじゃなく、妙に苛立つ気持ちがあることは気のせいだと思うけれども。
 煙に霞む視界の向こうでは雲雀が変わらず書類を睨み付けていて、変わらない距離を示しているようで。

「ちっ」

 煙草を灰皿に押し付けるほんの一瞬、目を離しただけだった。顔をあげた時には、雲雀が影となって眼前に覆い被さっていた。思わず見開いた目に映ったのは、射殺すほどに鋭い瞳を持った端正な顔と、はらりと床に落ちた一枚の書類だった。

 机乗り越えてんじゃねぇ、と言おうにも唇はやんわりと塞がれ、殺人衝動を押し殺しているような眼差しに刺されながらその感触を味わわされる。ぬるりと絡めた舌は、何の味もしないくせに中毒性があり、酷い毒のようだった。

 畜生、黒い髪に白い肌っつったら白雪姫だ、なんて考えが浮かびそうになった自分が憎らしい。こいつは毒りんごそのものじゃねぇか。
 ただ、いかにも毒がありそうな外見からは押し計れない甘さで、致死量を軽く越えるそれを口に運ぶように誘うんだ。

「何勝手にその気になってるの」

 吐息も混じる距離で、濡れた唇が皮肉に歪む。指摘しながらもそこをトンファーで押し潰すようにされて背筋も冷えるが、逆に体の反応は素直だった。

「仕方、ねぇだろ」

 からかうように唇を舐めながらも、幾多の血を吸った固い金属は不自然に捏ねるような動きを続ける。言葉が途切れるのも、息が上がるのもどうしようもなく性質の悪いこいつのせいだ。

「弱すぎ」

 煙草の匂いは塗り変えられ、五感がひとつずつ雲雀に支配されていく。こいつの存在や強さには反感を覚えても、惹かれるのは本能のままでしかない。

「てめぇに触ると毒が回るんだよ」

 一瞬表情がなくなり、すぐに余裕の笑みが浮かぶ。虚を突いたつもりでも油断や隙を伺うことすら出来なかった。

「ふぅん」

 だからなんだと聞くわけでもなく雲雀は俺に触れてきて、いや、わざとなのかもしれない。俺が毒に侵されるというのなら、もがき苦しむ様を観察するために。
 もともと寛がせている襟の中に差し込まれた手は、体温を計るように首筋に添えられていて。いつの間にか細い指にしかりと握られていたトンファーは手を離れ、代わりにベルトへと指が掛かっていた。

「…ヒバリ」

 咎められもしない弱い呼び掛けは、役に立たずに煙と消える。けれど雲雀の耳には届いていたようで、間近に迫る唇は意地悪な色を湛えていた。

「ねぇ」

 わざとらしく唇を押し付けたまま、雲雀が囁く。

「どんな味?」

 言えるわけもない。ただ、それでも触れられて悪い気はしない俺は、答えの代わりに自ら腰に手を回して、細い体を抱き寄せた。








「――ッ!」

 雲雀が体を揺らめかせる度に何度となく押し寄せてくる性感の波を、与えられるまま堪える。それにしても、泣く子も黙る風紀委員長様が俺の上で腰振ってる、なんて以前の俺を含めて誰も予想できなかっただろう。実際今だって手の届くその肌に触れながらも、熱に浮かされて夢現に惑わされているような気分だ。

「ヒバリ…っ」

 近付いてくる限界に焦ったように名前を呼べば、楽しそうに目を細めて唇の端を上げる。俺を苦しめるためには手段を選ばないと、公言しているわけではないが態度が示している。その体に何度捕えられて追い込まれたかも知れないが、今まさにソファという生贄台の上で毒牙は首にめり込んでいた。

「まだ、早い…よ」

 余裕のある声で嘲りながらも、雲雀の体は紅く染まり、濡れた前髪も額に張り付いている。そろそろ、なんだろう。俺が動くまでもなく自らの体を犯していた雲雀は、次第に引き攣るように動きを止めた。

「てめぇも、そろそろだろ」

 腰を支えていた手を片方外して蜜を垂らすそれを握り込むと、見た目以上にぬるぬると濡れている。添わせるように指を滑らせれば、雲雀が息を詰め、内側からの締め付けが強くなる。

「――ン、」

 細い肩を震わせて快感に耐えながら、雲雀の目が俺を射抜く。挑発的なそれに逆らわず、掴んだ腰を加減なく揺すり上げた。
 生き残りを賭けた勝負のような性行為には、飽きがない。何度自尊心を傷つけられても負けられない、勝ちたい相手。

「ん、ぁ…ッ!」

 汗やなにやらでぐちゃぐちゃになりながらも声を聞きたくて掻き回して、奥を狙って突き立てれば仰のく首筋に魅せられる。

 わかってる。こうなった以上はどうやっても勝てはしねぇんだ。だって、こいつは俺を溺れさせることと自分の性欲を満たすことが目的なんだから。俺がやっきになって余裕を奪おうとすればするほど、罠に引き込まれて抜け出せない。

「…ハヤ、ト」

 なんてこった。白雪姫と毒林檎の次は魔法使いだ。呪文で俺を惑わせて偽りの夢を魅せやがる。畜生、崖下に転落するのがわかっていても見せかけの橋に踏み出した足は引けねぇ。

「っヒバリ…!」

 思考が飛ぶほどに激しく突き上げて握ったそこを擦り上げて先端に爪を立てると、白い体がびくん、と引き攣るようにのけぞり、急激な締め付けに堪えきれず雲雀の体内に放っていた。

 俺と自分の腹を汚して、雲雀が羽根を失ったように倒れ込む。肩口に触れる柔らかい髪が擽ったいが悪い気はしなかった。

 それにしても、だ。

「…声くらいもっと出せっつーの」

 感じてないわけでもないくせに、ほとんど噛み殺されている声。僅かに漏れるだけでも色っぽいのをもっと聞きたいと思うのは仕方ないだろう。

「やだよ」

 意識はあったのか、不愉快さを隠しもしない声が耳元から聞こえる。内容はともかくまだ整っていない息を感じさせるそれにまた欲情しそうだと言ったら、それこそ咬み殺されるだろう。

「君を泣かせるならともかく、僕はごめんだよ」

「てめぇ、俺を泣かせるって何だ!」

 さすがにそれは聞き捨てならない。

「ぐちゃぐちゃにするってことだよ」

 体を起こして合わせられた視線は、魔女の毒。やたら甘いと錯覚しそうになる。

「泣かされて後悔すんなよ」

 触れた唇には毒よりも甘い魔力があって。

「しないよ」

 もう一回か、と頭の片隅で考えながら、そういえば白雪姫は指一本も動かさずに男を手玉に取っていたな、と不確かな童話の記憶を振り返っていた。

 

 

 

 

 


 良いように手玉に取られて、まぁそれも悪くないか
なんて思ってしまうのがへたれのへたれたる所以