白いシーツと黒い猫

 

 

 寝乱れたシーツに頭を擦りつけながら、壁に向いていた体を捻る。向き直した視界には雑然としているのに何処か殺風景な部屋が映り、ぼんやりと現状を把握し始めた。

 いなくなる寸前に彼が何を言っていたかなんて覚えていないけれど、玄関のドアの音が一度聞こえたから少なくとも外に出ていったのだろう。

 体を起こそうとするだけで、安物のベッドが軋んだ音を立てる。行為の最中も、壊れはしないかと思考がかすめるくらいには気になっていた。けれど、この地に長く止まるつもりで揃えたわけではない家具なのだから仕方ないんだろうと諦めている。何よりそれに関して自分が文句を言うつもりもない。

 肩から毛布が落ちると、暖めていない部屋の空気が肌を刺す。思わず布団に逆戻りしようとして、体の奥の不快感にそれを阻まれた。
 ベッドから剥がしたシーツを引き擦りながらバスルームへの僅かな距離を歩くだけで、腰の痛みに眉が寄る。いつまでたっても加減を覚えない馬鹿のせいだ。

 夜には帰る、と昨日言っていたけれど、それまで僕がいることを期待してはいないだろう。僕だって、軋むベッドで寝るよりも自室を選ぶ。

 ようやく辿り着いたバスルームで、湯を出してさして広くもないバスタブに湯が溜まるのを待つ。体に巻いていたシーツは落としてきたから、少し肌寒い。仕方なく、まだ浅い湯に足を入れ腰を降ろした。
 肩まで浸かるくらいでなければ体は暖まらない。シャワーだけなんて、水浴びと変わらない。ひたひたとふくらはぎまで上がってきた湯の表面を、手持ち無沙汰で撫でた。

 ぼんやりとした思考の空白を、昨晩の記憶が埋めに掛かる。理性を飛ばすまでに至らなかったから全て記憶していた。情けない顔をして、必死に僕を抱く彼の顔を。

「下手くそ」

 抱えた足の上に顔を伏せても、膝までに届かない湯に浸かることはない。けれど足先から温度は確実に上がってきていて、首の後ろがじわりと汗ばんだ。

 ぽつりと、胸に落ちる雫の感触を思い出していた。あれは、何回目だっただろうか。お互い十分に汗も掻いて、銀の髪が濡れていた。それでも続けようとするのを留めようと肩に触れたときだった。

 自分で好きに体を貪るのと違って、与えられるばかりの行為は時に不満にしかならない。それも単に彼の経験不足によるのだということはわかっていた。けれど回数を重ねても、行為に慣れと学習を感じるようになっても、余裕のなさは変わりはなかった。

 思考に溺れる余りに湯が口元に到達していることに気付いて、溢れた湯が冷たい床を温めていることに結果良しとひとり納得して栓を閉じた。途端、響いていた音がなくなりバスルームは静かになる。

 肩を擽る湯は、ぴりりと肌を刺激する温度。先に水分でも取っておけば良かったかと思ったけれど、もう暖まるまで動く気もない。
 深く息を吐けば、下腹部の内側の違和感に眉が寄った。散々掻き回され、吐き出されたものはそのままになっていたから仕方がないのだろうけれど、放っておくわけにもいかない。それに、最中以外はいちいち遠慮がちに触れる彼を追い出して自分で処理をすることくらいは良くあった。

 湯のせいだけでない熱さをもつそこに指先で触れると、じわじわと痺れるような感覚が拡がる。まだ余韻が抜けきれていないまま息を吐いて、指先を埋め込んでいく。
 肩が揺れる度に水面が揺らぎ、口元を塞ぐ。溺れまいと息を止めるより内側から呼気が迫り上がった。
 ぬるぬると内部に指を侵入させて、指先を軽く曲げる。それだけで大袈裟に体が跳ねそうになって、固まるように身を丸めて堪えた。思い出さないようにしても、記憶から蘇るのは白く節高い彼の長い指で。下手なくせに何度も確かめるように探るから、彼はもう僕の体の中を届く範囲までは知り尽してしまっているんじゃないかと思う。

「……っ」

 二本の指を鈎のように曲げて、不快の原因を少しずつ体から追い出していく。代わりに隙間から流れ込む湯と混じって、体温が馬鹿みたいに跳ね上がる。それでも、何度か繰り返せば体内に埋め込まれた情事の余韻は湯に溶けて、早鐘を打つ心臓以外は元通りの体になる。
 そのはずなのに、指はまだ余韻が残されてはいないかと奥を探り続け、伏せた目に映る水面には、緑の色を探していた。

「馬鹿、みたいだ…」

 足りる、足りないではなくて繰り返してしまうのは、結局自分の欲に底がないからだろう。求めているはずもないのに、与えられないと不満なのは馴れのせいで。体を知ったのはごく最近のことだと記憶しているけど、その前と今とでは体の造りがすっかり変わってしまっているんだろう。でなければ、こんな、自分を慰めるような行為を続ける理由がない。

「…ッ…!」

 体の内に爪を立てただけで、握ったそこから湯の濁りが増した。それでも満足はしないまま指を引き抜いて、湯船の栓を抜く。溺れるほどだった水面が下がり始めてようやく、シャワーから冷水を被る。

 自問自答は性格じゃない。浮かぶ考えを頭を振って消し、替わりに彼の顔を浮かべた。帰ってきたら、ぐちゃぐちゃにしてやろう。どうせ僕がまだ残っているとは思っていないはずだから、間抜けな顔にどんな表情が浮かぶか、想像するだけでおかしくなる。

「咬み、殺してあげるよ」

 くつくつと浮かぶ笑みを冷水で流して、彼が戻ってくるまではもうひと眠り、新しいシーツを広げてそこで待つとしようか。



 張られた罠に、愚かな犬が脚を踏み入れるまで、あと何時間?

 

 

 

 

 


 意識はしてなくても肉体的には依存してる感じで

えろー方面の話ばかりになるのはそういうことです(言い訳)