中学生獄寺+10年後雲雀 標的162 捏造
砂と銀灰
静かな廊下。あちこちに未整理な荷物が積まれ、配線も剥き出しで、必要に迫られて吊られたような電球が無機質な壁を照らしているけれど、人の気配はない。
余裕がないのはこの時代、この場所も彼も同じだった。形式で身を守るように固め、けれど自分自身を失うことのないように装身具は身に付けていて。それが自らを縛る鎖だと気付いていても、決して解きはしなかった。変えることを、恐れるように。
「なんでてめぇがいんだよ」
近付く足音に顔を上げずにいれば、やがて焦れたように声を掛けてきた。酷く表情を彩る眉間の皺に、逆に笑みが浮かんだ。
「差し入れだよ」
扉に背を預けたまま紙箱をひけらかし、反応を見る。餌に釣られる振りをすればいい。そうでなければ、苛立ちを僕にぶつけることになる。それを彼が赦すはずもないことを僕は知っているから、口実を用意する。
「…入れよ」
紙箱を奪うように取り、体をずらした僕の横からドアを開ける。至近距離で見ると、腕や頬にまた細かな傷が増えていることは良く見えた。
「邪魔するよ」
眠る場所を最低限確保してあるだけの部屋で、君は不自由無く暮らせるのだと言っていた。実際修行の時間以外は体を休めるだけの余裕しかないから、今はそれで構わないのだろう。けれど、そんな息の詰まるところに自分を押し込んで君は何に気付けるというのか。
「随分ヒマそうじゃねぇか」
ベッドに腰かけた君は、非難を口にしながらも受け取った煙草の箱から一本、手慣れた動作で口にする。
「時間の使い方を心得てるからね」
「人の使い方を、だろ」
お気に入りのジッポは、まだ深い傷もないが、小気味良い音を立てるのは変わらない。それを手にする君の手は、記憶よりまだ少し小さいままだった。
「貰うよ」
隣に座って箱から一本引き抜くと、驚いたように目を丸くしている。意外、とでも思ってるんだろう。火を差し出してくる気配もないから、彼の銜えた煙草に、自分の銜えたそれを寄せる。
「――ッ!」
身を引かれて、火は点き損ねた。無理に吸うつもりでもないし、行き場を無くしたそれは口から外して灰皿に捨ててしまう。
「なに」
僕の方から聞かなければ言葉を発する機会を得ないのだろうと声を掛ける。そうすれば案の定、飲み込みかけた言葉を恐る恐る口に乗せてきた。
「…吸うのかよ」
「別に」
嫌いだし、味も分からない。けれど、立ち上る煙が揺れる様は嫌いじゃないから、君のいないときにたまに拝借することもあった。
「わけわかんね…」
誤魔化すように煙を吸い込み、溜め息と共に吐き出す。
「また傷だらけだね」
小さく呟いた言葉に、大袈裟なくらいに反応する。隠しているわけでもないが、指摘されたくはないところだろう。
「…うるせぇ」
追求を防ぐように目を反らし、煙草に添えた指で口元を隠す。僕も何かを聞くつもりもないから構わないけれど、無数の傷跡が妙に目に付いた。
「な…ッ!」
手首を掴んで腕を引いて、そこに舌を這わせる。じゃり、と嫌な感触がした。
「砂っぽい。シャワー浴びてないの」
「あぁ…朝にでも入る」
固まったように腕をつっぱねたまま、顔を反らして。でもそれ以上の抵抗はできないのか、おとなしく傷を舐められるままにされている。
「ベッドが砂だらけになるよ」
「どーだっていいだろ、てめぇにゃ関係ねぇ」
「そうだね」
自分で否定する言葉を述べながらそれを肯定されるのは嫌だと、わかっていながらも僕はその言葉を受け入れる。実際、僕と君の間には言葉で表せる関係などないのだから。
無造作に貼られた絆創膏を剥がし、代わりに新しいのを貼っても、逸らされた瞳のまま変わりはない。
「隼人」
呼べば、ぎくりと反応するくせに。意地を張っているつもりでも、張りきれていない君。引き寄せて、砂に荒らされた髪に触れる。
「なん…だ、よ」
短くなっている煙草は取り上げ、灰皿に押し付けて。空いた唇を代わりに塞ぐ。
「――っ!」
何度か触れ合わせるだけのキスをしていると、胸元を強く押されて、体が離れた。
「…やめろよ。そういう気分じゃねぇ」
「知ってる」
笑みを返すと、馬鹿にされたように思ったのだろう、かっと顔を赤くして睨み付けてくる。
ただ僕は、弱っている君が好物なだけなんだけど、気付いてはいないようだね。傷付いて、弱っている君を追い詰めて、それでも失わない火を持っている君だから、追い詰めたくなる。
「このくらいじゃ、まだだよ。もっと強くなる方法は君が知っているんだから」
「…ッてめぇに何がわかる!!」
そのぎらぎらと燃えるような瞳が研ぎ澄まされるとき、それを僕は待っている。
「知っているんだよ」
何があったか、なんてどうでもいい。僕は君の揺れる感情と自らに対する激情を知っている、それだけで十分だ。
「くそ…ッ」
握り締めた拳は、自分に対する怒りでしかないね。
「もう、寝たら」
疲労は顔に出ているし、体に力が入ってもいない。頭がどんなに思考を回転させていても、これだけ疲れていたらすぐに眠くなってしまうだろう。
「…てめぇは」
「君が寝たら戻る」
遠慮なんて必要ないのに。僕がいるから、シャワーを浴びるより体を休めたいほどでも無理に起きていたのか。
「ちっ」
頭を掻き、舌打ちをしたかと思うと急に距離が縮まった。僅かにだけ触れた唇は見た目よりずっと乾いていて、体温を少ししか伝えてこない。
「……俺は寝るから、おめーはそれで我慢しとけ」
言い逃げるように布団に潜り込むさまに、苦笑よりも深い笑みが浮かんだ。別にしてもらうことを期待していたわけじゃない。けれど、君の気遣いはありがたく貰っておこう。
「おやすみ、隼人」
隠れきれていない銀の髪に口付けて、布団の上から何度か撫でる。
まるで、僕が慰められたような気分になる。ただ行き詰まってどうしようもない君の顔を見に来ただけなのに。
「君は強くなる」
だから忘れないで欲しい。君の守りたいもの、強くなる理由を。
僕には見守ることしか出来ないから。
聞こえ始めたのは小さな寝息。下らない意地を張らないで、寝てしまえば良かったのに。まぁ、君のそういうところは悪くないけれど。
砂混じりの髪に指を絡めながら、もう少しだけ、と煙草の匂いの残るそこから動くことはできなかった。
その後、生魚が入ったおにぎりのような物体が雲雀さんのところに届けられたとかどうとか。
愛用している銘柄を草壁にカートン単位で買ってきてもらって
それを一個ずつ手渡しに行ってる雲雀さん。
未来編のごっきゅんはヤニ切れだと思うよ。