夏の陽炎
「何これ」
「見りゃわかんだろ、すいかだよ」
それはわかる。僕が聞きたいのは、何故それが応接室にあって、しかも丸ごとのままデスクの上に置いてあるのかってことだ。
「君のボスに持っていくの」
どうせそんなところだろう、と思って、とりあえず空いている方のソファに移す。うまく転がらずに置いてあったところが余計意味が分からない。
「いや、それはお前の分」
「……は？」
いけない、予想していない答えに油断した。
「僕がこんなに食べられるわけないでしょ」
決して小玉などではないそれは、一切れ食べただけで十分満足しそうな大きさだ。
「10代目のお家にはもう届けてきたからな。お前も甘いすいかでも食って少しは夏を味わえってこった」
わけがわからない。それでわざわざ学校に持ってくる理由になってると思ってるの、君は。
「…意味がわからないんだけど」
「すいかっつったらすいか割りだろ！」
ソファにふんぞり返って偉そうにしている、ということは自分の主張に自信があるという証明だろうね。僕にはさっぱりなんだけど。
「それで？」
「お前海とか行かねぇし、家ん中でやったら面倒だし、学校ならどっかしらやれるとこあんだろ？」
つまり、僕にすいか割りを体験させるためだけに、夏休みの学校に僕がいる日にわざわざ重いすいかを持ってきた、ということ？
「勝手にすれば」
頭が痛い。休み中といえど平気で私服で校内に入ってくるし、その服装も趣味が悪くて見るだけで咬み殺したくなる。
「お前がやるんだっつーの！」
子供みたいに騒ぎ立てるのを無視して、書類と向き合う。これ以上彼の相手をするだけ損だ、と僕は判断していた。
「…ちっ、まぁいいや。これ冷やしてくるぜ」
数秒遅れて頭に入ってきた情報に、何処で、と疑問が浮かぶ前にすいかを持った背中はドアの向こうに消えていた。
あぁ、頭が痛い。冷房を効かせ過ぎたみたいだ。
携帯はいつも唐突に僕の時間の邪魔をする。聞き慣れた校歌に不機嫌になりながらサブディスプレイに目を遣れば、獄寺隼人の文字。
「なに」
片手で携帯を開いて耳にあてる。彼は確かすいかを冷やすとか言っていた後、そういえば戻ってきてはいなかった。
『すいか、冷えたから来い』
「いらないよ」
『お前がこねぇと俺が食えないだろーが！プールのとこだからな、さっさと来いよ！』
一方的な電話は、勝手なことばかり並べて切れた。プール？何故そんなところに、とは思いながら、仕方なく立ち上がる。
この時、少しは熱い空気に当たってみるのも悪くないかと思ったのが間違いだった。
「何、入ってるの」
運動部の活動中のはずのプールには、一人しかいない。彼だけが気持ち良さそうに泳いでいた。否、すいかもひとつ浮いている。
「プールですいか冷やしていいかって聞いたら断られたから吹っ飛ばしてやった」
ボム食らわしたら魚みたいに浮かんでたぜ、と事も無げに言う彼に、呆れるを通り越して憐憫の情を覚えた。
「馬鹿だとは思ってたけど…これほどまでとはね。どうせ最初からそのつもりだったんでしょ」
まさか水着までしっかり持ってきているとは思わなかった。
「ほら、すいか」
僕の呟きなど聞かず差し出されるそれを受け取って、一応水道で洗う。確かに冷えてはいたが、これをどうやって食べろと言うのか。
「まだかー？」
ばしゃばしゃと水音を立てながら子供のように急かされるけれど、とりあえずそのまま目の前に持っていってみる。
「これをどうしろって？」
「ヒバリならトンファーで一撃だろ？」
あぁ、そういうことか。
プールの端に掛けた腕に顎を乗せて、期待の眼差しを向けてくるわけがわかった。何故それを僕に求めるのかと聞いてもたいした答えは得られそうにない。
せめてシートでも用意しておけばいいのに、気の利かないやつ。仕方なく、そこに脱ぎ捨てられたシャツを敷いて、すいかをそこに置く。
「おい、それ俺の上着…」
「うるさいよ」
軽くトンファーを振るえば、あっさりとすいかは割れた。これくらい、僕でなくてもどうにかできると思うんだけどね。
「ほら、割ってあげたよ」
手頃な破片を差し出せば、微妙な表情で受け取られた。文句があるなら食べなければ良い。それでも君は食べるよね。
「ん…美味い」
また子供のような顔をして、君は。
「種はどうするの」
「気にしねー」
プールサイドに種を飛ばして、夢中で齧りつく姿に苦笑が浮かんだ。こんな暴挙を許している時点で、僕の頭は暑さにやられてしまっているらしい。
「冷えるよ、あがれば」
小さな欠片を一つ取って、日陰に避難する。髪が日射しを吸収してやたらに暑い。
「そーだな」
ひとつ食べ終わってようやく水から上がった彼は、すいかの隣に座り込んで両足をタイルに投げ出す。
「あちー」
髪や肌は濡れたままで、日射しの下では余計眩しく見えた。
「日焼けするよ」
「俺、赤くなるだけで焼けねぇんだよ」
確かに、プールや海などで夏休みを堪能しているらしいのにその肌は真っ白なままで、あまり変わってはいない。
「おめーこそ少しは日に当たれよ、もやしっ子じゃねぇか」
手首に伝う赤い汁を舐め上げる舌が、やけに赤く見える。水面に反射する太陽もぎらぎらと目を射して、錯覚を呼び起こしていた。
「僕はいい」
普段、陽を避けているわけでもないが、わざわざ暑いときにそんなところにいる理由はない。
「ふぅん」
マイペースに彼が食べるうちに、気付けばすいかは半分近く消えていた。僕の手の中にある欠片は歯形を一つ残しただけでなかなか減らないと言うのに。
確かにすいかは甘い。けれど、特にお腹が空いているわけでもないことを思い出したら、それ以上食べる気は起きなかった。
「ん」
大きく口を開けてまだ食べようとしている君と目が合い、何か言いたいことがあるのか、視線が外されないまま食べる姿を見つめていた。
眩しい光の中、血のように赤いそれを口にする君に欲情すると言ったら笑われるだろうか。
白と赤のコントラストが、やけに目に焼き付いた。
「もういいや」
手の甲で口を拭って、皮を投げ捨てる。ここをどこだと思っているの、ほんと。
「後はお前の分な」
無邪気な笑顔を浮かべた彼は、腹ごなしに泳いでくる、と言い捨てて、綺麗なフォームで水に飛込んだ。
「…無理だよ」
水の中に沈んだ彼に、僕の呟きが届くわけもない。
遠くに上がる水飛沫。夏に取り残されたような気がしながら、僕は日陰ですいかに歯を立てた。
2年の夏休みまでにこいつらがこんなに出来上がってるわけないので
珍しく時間軸無視な夏のお話
ごっきゅんは人の多いところが嫌なだけで
割と泳いだりするのは好きそうな感じ
雲雀さんはプールとか似合わないから
日陰でわんころの水浴びを眺めているくらいかな