だからその声を聞かせて
真夜中の電話。着信音も、光を放つ液晶すら煩わしい。手を伸ばして確認する気も起きず、頭まで布団を被った。
余計なもののせいで、静寂の戻った部屋の中に外から雨音が侵入してくる。湿度を払うためのエアコンの音ですら不快で仕方ない。
どれだけ経ったか、数えることも止めた頃、もう一度液晶ディスプレイが光を放った。けれど、着信音が鳴り出す前に切れたのか、そのまま暗くなってしまう。
「……?」
予感があった。こんな日には独りで寂しい想いをしているんだろうと思い浮かんだ彼。意地っ張りだからそんなこと認めはしないだろうけれど、僕は知っている。
鈍い動きで手を伸ばして、携帯を手の平に収めて。確認したのはやはり彼の着信と、知らない番号のもの。
「馬鹿だね」
明日君に問い正したなら、間違いとでも言うのだろう。でも、寂しくて眠れなくてベッドに横になりながら携帯を弄っている君の姿は簡単に想像できた。こんな小さな機械で誰かと繋がっていると安心するなんて僕にはできないけれど、気休めにするならすればいいさ。
通話ボタンを一度押して、ダイヤル音が切れたらすぐに電源を落とした。
慌ててるかな。
掛け直して、繋がらなくて怒ってるかな。
――きっと全部だ。
携帯をベッドの上に投げ出して、肩まで布団を掛け直す。
雨の音が、いつしか子守り歌になっていた。
朝から何か言いたげな視線を投げられて、僕の機嫌は悪くなかった。昨日から今まで携帯の電源は切ったままで、鬱陶しい着信に煩わされることもなく平穏に過ごしている。
そろそろ、痺れを切らす頃だろう。
ほら、苛立った足音が廊下の向こうから聞こえてきた。
「ヒバリ!」
躊躇いもなく乱暴にドアを開けて、彼が応接室にずかずかと侵入してくる。
「なに」
デスクに向かった僕の傍らに置いたままの携帯電話に視線を落とし、また僕を睨み付けて。
「何で電源切ってんだよ、昨日から!」
「必要ないからね」
冷静に答えると、その分君の温度が上昇するようで、おかしな感じだ。
「…くそっ」
問い正しに来た割にそれ以上の言葉を用意してなかったのか、視線を外してソファに座ってしまう。短絡的な行動は今更だけど、すぐ頭に血が上る性格はどうにかならないものかと思う。
「そういえば、昨日、間違えて君に電話したかもしれないね」
びくりと肩を揺らして、わかりやすい反応。
「…間違いかよ」
「寝惚けてたんだ、僕としたことが」
心にもなく、君の用意した答えを先に並べれば、ほっとしたような複雑な表情に瞳が揺らぐ。噛みついてくるときの真っ直ぐな目とは大分違う。
「そっか…」
口の中で反芻するように呟き、反応に困った自分を誤魔化すように煙草をくわえる。無意識の癖とはいえ、良い度胸をしてるね。
「俺も、間違いだからな」
「そう」
照れ隠しでなかったことにするくらいなら、何かを期待して電話なんかしなければいいのに。
沈黙に耐えきれず煙草に火を点ける様子をじっと見ていた。過度に指を飾る指輪や、手首を隠すように巻かれた革紐などがあっても、流れるような動作に迷いはない。彼のパーツや動きは時折はっとするほど綺麗で、自然と目が追うことがある。
「……なんだよ」
目が合って、照れる表情を煙草を挟む指で隠した君に問われる。
「僕の前で煙草を吸ってるのは君だよ」
機嫌が少しでも傾けば、咬み殺す材料としては十分。
「…悪ぃ」
言いながらも消すつもりはないのか、顔を逸らしただけで煙を吸っている。そんなものの何が美味しいのかわからないし、煙は不快でしかなかった。
携帯を手に取り、電源を入れる。少し操作すれば、ほどなくして着信音が鳴り始める。
「……?」
数秒の間音が流れた後、腰を探って携帯を取り出す君を、僕は携帯を耳に当てながら眺めていた。
「…なんだよ」
「やぁ」
生の声と、電子音の声。奇妙なステレオに苦笑が浮かぶ。
「わけわかんねぇ、お前」
携帯から聞こえる声のせいか、目の前にいるのに、遠く感じる。
「君が電話して欲しそうだったから、ね」
電話口に囁き掛ければ、顔を赤くして向こうを向いてしまう。折角近くにいるのに卑怯だ、と思うけれど君の表情なんて手に取るようにわかる。
「しらねぇ。てめぇこそ、こっちに掛けときながら電源切ってんじゃねぇよ」
表情はよく声に出て、音という振動として伝わってくる。まるで陳腐な糸電話のようだ。
「寝るのを邪魔されたくなくてね」
それは本当。あの後電話を待っていても、電話を受けても眠れなくなりそうだった。それなら、こちらから切り捨てた方が楽だ。
「わがままヤローが…」
「君に言われたくはないよ」
視線を外している隙に気配を消して背後から近付き、短くなった煙草を指から取り上げる。どうせ吸ってないなら煙が出ているだけ無駄だからね。
「……ッてめぇ!」
慌てて離れようとするのを首に腕を回して引き留めて、テーブルの上の灰皿に吸い殻を押し付ける。
「吸わないなら消して」
「電話したのはおめーだろ」
癖のある髪が首筋に触れて擽ったい。そのまま携帯をまた耳にあてれば、切れてはいないようだった。
「なら、切りなよ」
「掛けた方が切りゃいいだろ」
通話時間は伸びていく。気付けばお互い言葉を失って、繋がったままの携帯は床に転がっていた。
超過分の通話料金は君に払わせるとして、請求されたときの君の顔が見物だね。
あれ、どこのバカップル?
いちゃいちゃしすぎです、君ら