たんじょびあふた

 

 

 何してるのかは聞くまでもなかった。問題はその行動に至る理由と、僕を巻き込んだ訳だ。

「ちょっと…」

「おめーはおとなしく座ってろ!いいか、ぜってー覗くなよ」

 恩返しをする鶴だってそんな暴言は吐かないだろうし、ここまで不穏な空気を漂わせることはないだろう。それでも、わざわざ自室に僕を呼び出して台所に篭るということは何かを企んでいることは明らかで。

「……何なの」

 香ばしい、を通り越して苦さを感じる空気。どう考えても、原因は台所で。その臭いは彼の持ち技であるダイナマイトが爆発したあとの硝煙に似ている。聞いていた限りには爆破音はなかったから、あくまでもそれに酷似した他の何かだということだろう。

 悪い予感というよりは確信で、僕はその禁じられた区域に足を踏み入れた。大体、僕が君の言うことを素直に聞く必要はないんだから。

「何、これ」

 予想を遥かに越えた惨状に、自然と眉が寄る。流しに打ち捨てられたフライパンには黒い円盤状にも似た何かが張り付き、床には乳白色の液体が広がり、他も全てが燦々たる有り様だった。

「てめ、入ってくんなっつっただろ!」

 抱えたボウルの中身を泡立て器で撒き散らしながら、諸悪の根元が振り向く。見ると頭から足元まで甘い匂いのする液体やら粉やらを被っていて、まるで洋菓子のようだ。
 なるほど、彼の行動に関して原因のひとつには合点がいった。けれど、それに至るまでの経緯が全く予想出来はしない。大概にして悪い意味で、彼は先が読めないことがある。

「何してるの」

「――っ、何でもねぇ!」

 手にしたものを隠すように背を向けても、周囲の残骸が物語っている。

「…ホットケーキ?」

 なかば埋もれるようにして見えていたのは、開封されたままのミックスの袋と卵の殻、そして牛乳。

「そんなもの食べたかったの」

 だったらお子様ランチでも食べに行けば、と呟くと、勢い良く振り返った彼に睨みつけられた。

「ちげーよ!いいからてめぇはおとなしく待ってろっつってんだ、さっさとこっから出ていきやがれ!」

「それ、僕に食べさせる気なの」

 どうも彼の言い振りからすると、僕はその得体の知れない炭のようなものが完成するまで待たなくてはいけない。ということはそういうことらしい。

「う、うっせぇ」

 反論できなかったときの常套句を口にしながら、乱暴な手付きでボウルの中のもの、多分生クリームであろうそれを掻き回し、相変わらず撒き散らしている。

「貸して」

「何すんだっ!」

 泡立て器を取り上げようとすると抵抗されるから、とりあえず足を踏み付けるという僕にしては穏便な手段を実行する。

「い…ッ!」

 彼の手から放り出される寸前でボウルと泡立て器を保護して、味を見てみた。意外にもおおよそ表記通りの分量で砂糖を入れてあるらしく、目方が減ってしまっていることを除けば問題のない状態だった。

「ヒバリ、てめぇ何しやがんだ!」

「うるさいよ。これ以上材料を無駄にする前にシャワーでも浴びてきたら」

 顔にも髪にも飛び散ったクリームが乗っていて、イチゴでも添えればまるでケーキのようだと眺めて、その視線にようやく気付いたか顔を拭った彼の、その手を取った。

「――っ!」

「それとも、食べさせてくれるの、君が、この手で」

 笑みを浮かべた唇に、おずおずと指が触れる。くすぐったさに僅かに開けば指先を含まされ、それに躊躇わず舌を這わせた。

「おめーな…」

 呆れた声には耳を傾けず、甘味を味わう。舌で包むように指を舐め上げ、気付いた視線に絡め返す。

「おとなしく待ってろって言っても聞くわけねぇよな」

 言葉を返すこともなく見つめていると、咥えた指ごと唇を舐められる。触れ合った舌先で味わう彼の味も、同じ甘さがした。

 

 

 

 

 

「あー…くそ」

 最悪だ。流されるまま雲雀をベッドに連れ込んだまではいいが、うっかり調子に乗ったり散々付き合わされた挙げ句に寝ちまうとは。
 時計はすっかり朝になったことを改めて教え、携帯に表示される日付は連休最後の日を示している。

「やっちまったぜ…」

 今までの苦労が水の泡、というかまともに報われる以前に成功するかどうかもわからない賭けだったが、途中で全部投げ出したようなもんだ。

「落ち込むなら一人でやりなよ、鬱陶しい」

 足蹴にされることくらいは今更何てことはないが、追い討ちを掛けられると正直へこむ。ベッドに突っ伏していると隣から抜け出る気配がして、布団を被せられた。

「シャワー借りるよ」

 散々することをした割にしゃんとした足音が遠ざかるのを聞きながら、気分は余計に沈んでいく。俺の方がよっぽど腑抜けにされていて、雲雀にとってはあれくらいはどうってことないのだろう。はっきり言って体力の違いとか、そんなレベルじゃない何かの差を感じざるを得ない。

「あー、畜生…」

 もう眠くはないが、しばらく布団のお世話になっていたい気分だった。そうして伏せていてもぐるぐると思考が空回りするばかりで弾き出す答えはひとつもまともなものはない。そのくせ随分と落ち込んでいたのか、雲雀がシャワーからあがったことにも気付かない有り様で、布団の上から遠慮無く踏み付けられてようやく奈落への螺旋から抜け出すことができた。

「おめぇ、ちっとは手加減しろよ!」

「さっさと君も浴びてきなよ」

 布団から顔を出せば、湯上がりの雲雀の脚が見えて目に毒だ。よくも飽きずに欲情するもんだと自分で思いながらも、するものは仕方ない。できるだけ見ないようにして横をすり抜け浴室へと向かった。

 

 

 甘い、匂い?

 シャワーから上がってすぐ鼻孔に感じたのは、覚えのあるもので。思い至った俺は、台所に飛び込んだ。

「ヒバリ、てめぇ…!」

「遅いよ」

 皿には綺麗な焼き目のホットケーキが重ねられ、ボウルには泡立てられた生クリーム、傍らにはイチゴのジャムの瓶が置かれていた。

「運んでよ。狭いんだからこの部屋のキッチン」

 差し出された皿と瓶を受け取りながら見回せば、昨日の惨状は何処へやら、元通り以上に綺麗になったキッチンが見える。今雲雀が洗っているフライパンも、確かこげついてどうしようもなくなっていたはずだった。

「てめぇ…」

 雲雀を責めるのは門違いだとわかっていても、そつなくこなすその態度が気に食わなかった。敵わないと見せつけられているようで、自分が情けなくて。

「早く」

 肩が落ちるのを自分で感じながらも急かされるままに皿を置いて戻れば、雲雀は紅茶を入れるつもりらしく支度をしている。

 今だ、と閃いた。慌てて生クリームのボウルとスプーンを取り、皿の置かれたローテーブルへと引き返す。いつも通りなら湯が沸いてからきっちり三分、何とか間に合うはずだ。

 

 

「……」

 紅茶を持ってきた雲雀は、何とも言えない顔をした。無表情に近いような、呆れたような。どうせ自分でも上手くいったとは思ってないが、もう少し反応があってもいいだろう。

「…何だよ」

 テーブルを挟んで向かい側に腰を下ろすまで無言でいられると、何だかばつが悪いじゃねぇか。

「子供の落書きみたい」

「うっせぇ!」

「読んで」

 今度はわかる、面白がってんだ。だが仕方ない、これは越えなきゃならないミッションだ。

「Buon Compleanno!」

 ホットケーキの表面の生クリームのキャンバスに赤いジャムの歪んだ文字。一日遅れだって咬み殺されても文句は言わねぇ、けど。

「…誕生日、おめでとう、ヒバリ」

「遅すぎ」

 返礼が皮肉な笑顔なのは仕方ない。だけど、まぁ咬み殺されなかっただけましだと思っておこう。

「つーか、てめぇが作ってどーすんだよ」

「君が何かしたら材料の無駄にしかならないでしょ。それに、他に食べられそうなものもなかったからね」

 昨日の結果を思い返すと、言い返す気にもなれない。ただ、何故か雲雀の機嫌は悪くはない。こうなることくらいは予想済みだったのだろうか。

「……ちっ」

 面白くはないが、これ以上何かして雲雀の機嫌を損ねるよりは、黙ってしまった方が良い。

「食べさせてよ、君が」

「は?」

 軽く顎で皿を示されるが、意図は読めない。ついでに運び忘れていたものの存在に気付き、視線が泳いだ。どれだけこいつが性格悪いかは熟知しているつもりだったが、それでも考えは全くと言っていいほど読めなかった。

「フォーク取ってくる」

「いいよ。このままで」

 立ち上がろうとしたのを即座に言葉で止められた。つまり、それは。

「手で、か?」

 無言は肯定だろう。何が面白いのかはわからないが、にやにやしやがってこの野郎。仕方なく、クリームまみれのホットケーキに手を伸ばす。

「来年は何をしてくれるの」

「……お楽しみだ、期待しとけ」

 リベンジが許されている、というよりは何かすることを強要されているようだと思いながらも、とりあえずはこいつの誕生日までには手元に余裕を残しておかなければならないことを念頭に置かなければ、と数日分の食費の成れの果てを雲雀の口に押し込みながら苦笑いと溜め息が無意識に零れていた。

 

 

 

 

 


祝い損ねた感ありありな所が獄ヒバ的ってことで

来年リベンジなるか