旧 1-17 そ゛ーきんか゛けを□しなけれは゛、□と□おもいなか゛ら、□そー 1-18 そー、□さ゛しきの□かーてんを□ふゆよーの□ものに□かえないと 新 1-18 そーそー、□さ゛しきの□かーてんを□ふゆよーの□ものに 2拍の語の繰り返し言葉も、ひとつひとつに意味のまとまりがあれば切ることになっています。 そこで、何を意味のまとまりと考えるか、ということになるのですが、 「そうそう」は「そう(然う)」という副詞があって、それを繰り返しているから、 「ソー■ソー」でも良さそうにも思います。 しかし、いっぽうで「ソウソウ(然う然う)という副詞も、国語辞典に載っているので、 「そうそう」で一語と言ってもいいようです。 国語辞典という根拠がありますので、一応続けていいのではないか、と思います。 このへんは、私もよくわかりませんし、意見のわかれるところかもしれません。 旧 2-13 やるきて゛わ□なく、□ひとえに□きおくりょくに□かかって□いる、 新 2-12 すいこー□されるか□いなかわ、□わたしの□かし゛えの□やる      2-13 きて゛わ□なく、□ひとえに□きおくりょくに□かかって□いる、□と 「やる気」はいまのところ切って書くようです。 そのうち続けることになりそうな気もするのですが・・・ 旧 2-17 ほこりまみれに□ならなくて□すんて゛□いる。□□しかし、 新 2-17 ほこり□まみれに□ならなくて□すんて゛□いる。□□しかし、 「まみれ」は「まみれる」という動詞から転成して名詞化したものですが、こういった語の多くは切って書くことになっています。 続けるのは、自立性が弱く、切って書くと意味の理解を損なう場合(てびきP44)なのですが、何が自立性が弱いか、というのもまたいろいろな捉え方があります。 ただ、前回のてびきの改正で、切る範囲が広くなった、とは言えます。 旧 4- 3 ないなあ。□□ほんとに□たよりないんた゛から」□‥‥‥□こんな 新 4- 3 ないなあ。□□ほんとに□たよりないんた゛から」□□‥‥‥□こんな 解釈にもよりますが、このカギ閉じのあとで、いったん文章が切れていて、 点線部分からまた新しい文が始まっている、と考えてよいかと思います。 なので、かぎ閉じのあと2マスあけたいと思います。