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「みずほ流」点訳入門教室

5.分かち書き概説



分かち書き(『てびき』p32〜)

もうすでにおわかりのことと思いますが、仮名点字は続けて打つと意味がわかりにくいので、「分かち書き」をします。
いままでの練習問題では、マスをあけるところを■で表してきました。
そのうちの、文節ごとに切っていくことを「分かち書き」といいます。(複合語の内部でマスをあけることは「切れ続き」と言って、あとで出てきます)
文節で切る、というのは、大雑把に言えばかなり簡単なことで、付属語と言われる助詞・助動詞は、前の自立語(動詞・形容詞・形容動詞・名詞・代名詞・連体詞・副詞・接続詞・感動詞)に続ける、それ以外は切る、ということです。
つまり、ずらずらと続けて打ってあったらわかりにくいので、なるべく短く切りたい。但し、単独で置いても意味がわかる言葉はいいけれど、意味がわからなくなりそうなものは、独りでは置けないので、前にくっつけてやる、というわけです。

文節とか品詞とかいう言葉を聞いただけでアレルギー反応を起こす、という方がよくいらっしゃいます。
そういう方は、ご自分なりの方法で理解してくださればいいのです。
点字の表記が一応文法にのっとって定められている以上、説明する側としては文法的な説明を避けて通るわけにはいかないのですが、それは聞き流して、ああ、こーんな感じなんだ、と体得してくだされば、それで充分です。
もちろん、文法的に納得できなければ前へは進めない、という方もいらっしゃるでしょう。
満足な説明ができないかもしれませんが、不審な点はどんどんご質問いただければ、どなたか詳しい方が教えてくださるかもしれません。

分かち書きは、かなりの部分は「慣れ」です。
ノートにまとめる、何度も調べる、人によってやり方はいろいろだと思いますが、私はとりたてて何かした、という記憶はありません。
いろいろな文章を打ってみて、頻繁に出てくるものから順に、自分の中で自然とリズムみたいなものができてしまったように思います。
これでは、ちっとも参考になりませんね。
ひとつ言えるのは、億劫がらずに辞書を引くことです。
そして、こういうわけでこうなんだ、と自分なりに納得することです。
答えだけを覚えても、次に応用がききません。
こういう必要があるからこういうルールがあるんだ、ということが少しわかると、別の言葉に出会っても、多少自分で考えることができます。
急ぐことはありませんから、ご自分でひとつひとつ、なーるほど! と思いつつ進めてください。

それでは、早速ですが、練習問題をどうぞ。
もう、■の印は付けませんから、文節の切れ目を考えて打ってみてください。
まだ詳しい説明をしていないので、迷われる点も多少あるでしょうが、今はだいたいの切り方がおわかりになればいいと思います。
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  練習問題 8
 1.私はよほどの大雨や体調の悪い日以外は毎朝6時に起きて犬と散歩に出かける。
 2.散歩に行くと近所の犬や猫やあるいは鴉や雀にあちこちで出会う。
 3.私の目にも犬と猫と鴉と雀の区別はつくし右隣の家のポメラニアンと向かいの家の柴犬の違いはわかるが、隣の犬とさらに2軒向こうのポメラニアンの区別はつかない。
 4.毛色も大きさも鳴き声もそっくりな2匹は実は親子なんだそうで、見分けられなくて当然のような気もするが、うちの犬にはちゃんと区別がつくらしいのだ。
 5.まあよく考えれば私にだって隣の奥さんと娘さんの区別はつくのだから、それほど不思議に思わなくてもいいのかもしれないとは思うのだが。
 6.犬や猫はそれでも形や色や大きさが違ったりいつもいる場所がだいたい一定だったりでおおよその見当はつくのだが、鴉や雀はさっぱりわからない。
 7.散歩に出かける直前に庭に3羽の雀が来たのを見たが、家の反対側にある玄関を出た途端に出会った2羽がさっきの3羽のうちの2羽なのかどうか。
 8.鴉は自分あるいは自分の仲間に危害を加えた人間を覚えて後日攻撃をしかけると言われるが、それははっきり人間ひとりずつの識別ができるという意味であり、これは大変な能力だ。
 9.いわゆる文明と引き換えに、人間は他の生物が持つさまざまな感覚のかなりの部分を失ったのだろうが、それは少しつまらないような気もする。
 10.鴉の1羽ずつを、あれは昨日の喧嘩で敗けたヤツだとか、コンビニの裏でゴミを見張ってたヤツだとか、この2羽は去年生まれた子とその彼女だとか見分けられ、庭にくる雀に500メートル先の公園で会ってもそれとわかって挨拶できれば、それはそれで結構楽しいのではなかろうか。
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<練習問題8>について

 1.「悪い日以外は」の「悪い」「日」は自立語です。「以外」は品詞としては名詞とも造語要素とも言われているようですが、意味をはっきりさせるために切ることになっている言葉なんです。
「は」は助詞なので、前に続けます。
つまり「ワルイ■ヒ■イガイワ」と打ちます。助詞の「は」は「ワ」ですからね。
 3.「目にも」の「目」は名詞、「に」と「も」は助詞ですから、「に」は前の「目」に、「も」も前の「に」に続きます。
 4.「親子なんだそうで」は「親子」以外はみんな助詞・助動詞なので、結局全部続きます。
 5.「私にだって」「つくのだから」「思わなくても」「思うのだが」はひと続きです。
「いいのかもしれないとは」は「イイノカモ■シレナイトワ」と打ちます。
 6.「一定だったりで」はひと続きです。
 7.「2羽なのかどうか」の「どう」は副詞なので前を切って、「数符2ワナノカ■ドーカ」と打ちます。「どうか」の「う」は長音です。
 8.「できるという」は「デキルト■イウ」と打ちます。
この「いう」は実際に「言う」という動作の意味とは少し違いますが、形は動詞の「いう」です。
この動詞は発音どおりではなく、現代仮名遣いどおりに「イウ」と打つんでしたね。
 9.「失ったのだろうが」の「だろう」は助動詞、「が」は助詞なので前に続けます。
『てびき』にも書いてあるように、便宜的な見分け方として、「ね」を入れて言ってみておかしくなければ切れる、というのがあります。
「3羽のね、うちのね、2羽なのかね、どうかね」は、まあ、なくはないけれど、「感覚のね、かなりのね、部分をね、失ったのね、だろうがね」は、最後のところが不自然だろう、というわけです。
 10.「楽しいのではなかろうか」は「タノシイノデワ■ナカローカ」と打ちます。

それから、分かち書きの話ではないのですが、この問題の中に、二通りの読み方が可能な言葉が入っています。
 1.「私」――正しくは「ワタクシ」である、と国語の時間に習った、という方もいらっしゃるでしょう。
これは、ケースバイケースだと思っています。
特にこの頃は「ワタクシ」と言う人が少なくなりましたので、たいていの場合、「ワタシ」でいいと思います。
但し、何か非常に正式な場所での発言であったり、肩に力の入った感じを表現するには、「ワタクシ」の方が相応しいこともありますね。
よく、漢字の読みは、その本の中で統一されていればいい、という言い方をしますが、「私」の場合には、その必要もないでしょう。
誰がどういう場面で言った言葉であるかによって、使い分けた方がいいとさえ思います。
 2.「行く」――「ユク」の方が古風な感じがしますね。
近頃は、「イク」の方が多用されます。
ですから、やはり内容によって読み分けるのがいいでしょう。
かなり趣味の問題だったりもしますが、「行く春の・・・」というような場合は、「ユク」と読みたいですね。
 3.「家」――「イエ」はhouse、「ウチ」はhome、とも言われますが、必ずしもそうとも言い切れません。
「家制度」「家意識」などというときは、建物のことを言っているわけではないけれど読みは「イエ」ですね。
それに、どちらの意味とも判断できないケースは山ほどあります。
「もう家に帰る時間だ」「家を出たらもっとしゃんとしなさい!」など、どう読むのがいいでしょうね。
書き手によっては、意図的に「家」と「うち」を書き分けている場合もあるので、全体の傾向を見て判断することも必要です。
 3.「柴犬」――私の手元にある辞書には「シバイヌ」で項目が立ててあります。
記事の中には「シバケン」の読みも入れてあるものが多いので、決して間違いではないと思いますが、NHKの資料によると、次のようになっています。
――日本犬保存会によると、原則として和犬は「〜イヌ」、洋犬は「〜ケン」と呼んでいるが、「紀州犬」などの例外もある。代表的な呼称は、「〜イヌ」と呼ぶものは秋田犬、土佐犬、柴犬、「〜ケン」と呼ぶものは紀州犬、カラフト犬、北海道犬。
難しいですね。
 7.「3羽」――「3バ」より「3ワ」の方が音が柔らかくてきれいだと思いますし「1ワ」「2ワ」とくれば「3ワ」が自然ですが、「三羽烏」のときは「バ」ですね。
 9.「他」――たいていは「タ」でも「ホカ」でもいいのですが、もしどちらでもいいなら、仮名で読むことを考えた場合に、「タニ」「タノ」「タワ」と言うより「ホカニ」「ホカノ」「ホカワ」の方が意味がサッととりやすいかな、という気はします。
但し、慣用句などで、「タ」と読まないと格好がつかないような言葉もあります。
「他の追随を許さない」「どうせ我々はその他大勢だからね」というようなときですね。
 9.「生物」――「セイブツ」が一般的でしょうか。「イキモノ」と読む場合は「生き物」と「き」を送りますね。
けれども、送り仮名というのは時代や書き手によっていろいろなので、絶対とは言えません。
文脈によっては「生物」を「イキモノ」と呼んだ方がいい場合もあるかもしれません。
「ナマモノ」は意味が違うので、1語だけ唐突に出てくる場合を除けば、わかりますよね。
 10.「昨日」――「サクジツ」だと改まって硬い感じ、「キノー」だとくだけた感じですね。
その場に合ったように読み分けます。
もちろん「昨日の敵は今日の友」とか「昨日今日出てきた話じゃないんだ」というときは、「キノー」ですね。

たいていの場合、みなさん無意識のうちに読み分けていらっしゃるのです。
ただ、日常生活の中で、声に出して読むことは少ないし、漢字というのはなんとも便利な表意文字なので、直接意味がわかってしまうため、音にする過程を省く癖がついてしまっているんですね。
ときどき声に出して読んでみると、案外迷うこともあって面白いですよ。


「犬」

「犬」の読み方について、ちょっと書きます。
小学館の週刊「日本の天然記念物」の「日本犬」という本に書いてあるのですが、
「犬」を「ケン」と読んでいるのは、甲斐犬、紀州犬、土佐犬、北海道犬、
「イヌ」と読んでいるのは、秋田犬、越の犬、柴犬となっています。
ところが、です。巻末に日本犬に関係した団体が載っているのですけれど、「土佐犬登録保存会」のところのルビが「トサイヌ」になっているんです。
で、中身をよく読んでみたところ、どうも「トサケン」と「トサイヌ」は違うものらしい。
「トサイヌ」と読むと、土佐闘犬、あの、怖い顔した戦う犬ですね、あのことを言うらしい。
でもって、天然記念物の「土佐犬」は、正式には「トサケン」というらしいのですが、やはり闘犬の方とごっちゃにされてしまうので、「四国犬(しこくけん)」と呼ぶ場合が多いそうです。
柴犬なら「シバイヌ」でも「シバケン」でも、犬種が違うってことはありませんけれど、「土佐犬」は読み方で犬種が違ってしまうらしい。
このあたりのこと、詳しい方にお聞きしてみたいですが、そういうわけですので、「犬」といえど、うかつには読めない、ということのようですね。


分かち書きの話

この「入門教室」も、いよいよ「分かち書き」に入ってきました。
点訳を、難しいものにも、興味深いものにもしている「分かち書き」について、ちょっと雑談を書いてみます。

点訳を勉強していくさい、まず覚えるのは、今までお話ししてきましたように、点字独特の「仮名遣い」です。
原本の墨字をそのまま点字に置き換える、というだけでは、「点訳」にはならないことは、もうお分かりのことと思います。
その「仮名遣い」の次に覚えていかなくてはならないのが「分かち書き」と呼ばれる、点訳特有の文章の書き方です。

日本語の文章は、仮名・漢字・カタカナなど、一見して形の違いがわかる文字が交じり合っているので、ずらずらと続けて書いてもちゃんと意味をつかんで読んでいくことができます。
しかし、英語のアルファベットのように、1種類の文字だけしか使わない文章というのは、個々の単語を続けて書いてしまったら、何が何だかわからなくなってしまいます。
そういうわけで、英語を書くときは、必ず単語ごとに区切って書くわけですが、同じことは、漢字もカタカナも使えない仮名文字体系の点字にもいえます。
ひらがなだけが区切れのないまま続いている文章というのは、実に読みにくいものです。
英語のように単語の集積で成り立っている言語は、原本が最初から単語ごとに区切られているからいいのですが(このことが英語の点訳が簡単であることを示すものではないでしょうが)、助詞・助動詞など、単独では用いられない語(自立語ではない語)で、自立語と自立語のあいだを接着して表現される日本語のような言語(膠着語というそうです)は、区切って書くこと自体、けっこう面倒なのです。

小学生の点字教室などを開くときに、なぜ点訳で分かち書きが必要か、ということを説明するために、ときどき利用してきた文がありますので、ちょっと書いてみますね(「なぎなた読みの部屋」から引用させていただきます)。

1.「きょうじゅうにたべましょう」
2.「いまいちえんがないんです」
3.「とうきょうといしかい」

さて、以上のみっつの文章の意味、わかりますか?
1.の文章は、「今日中に食べましょう」と読まれましたか? でも、切り方によっては、「教授ウニ食べましょう」でも、読めちゃうんですね。
2.「今1円がないんです」と「いまいち縁がないんです」
3.「東京都医師会」と「東京砥石会」

ね、切る場所がわからないと、思いもかけない読み方もありうる訳です。
漢字が入っていたら、「東京都医師会」を他の意味に読むなんてこと、考えもしませんよね。
日本語が、意味を伝えるのに、どれほど漢字に頼っているか、よくわかります。

その漢字を、点訳では使えませんから、意味やリズムを考慮して文章を区切っていくことは、点字を読みやすいものにするためには必要不可欠なことです。
しかし、先ほども書きましたように、個別の単語で成り立っているわけではない日本語を、適切な場所で区切る、というのは、けっこう難しいもので、そのルールもどうしてもある程度複雑にならざるを得ません。
また、区切る場所についての考え方もさまざまで、点訳者・点訳グループごとに、少しずつ違っていたりもします。
覚えるのにちょっと苦労するかもしれませんが、「分かち書き」の基本を覚えるということは、ほとんど「点訳を覚える」と同義といってもいいくらいですから、じっくり取り組んで、自分のものにしていってくださいね。


いよいよ「分かち書き」

分かち書きと言えば、忘れもしない「あの女の子はあの男の子だ」という文章。
文章といえるほど長いものではありませんが、切りようによって、ここにもいろいろな意味が隠れています。
これを分かち書きしてくださいと言われ、点字になおし、いそいそと先生のところに持って行ったら、 「ははあ、まるで不倫ですね」と、笑われてしまいました。
日本語っておもしろい。

助詞に助動詞、名詞に動詞、形容詞に形容動詞・・・、品詞など過去の忘れ去られたものでして、最初はすっごく抵抗がありましたが、今では怖いもの知らずというか、品詞よりも自分の勘を大切にというのがモットーでございます。
ですから、皆さんも気楽に気楽に。
でも、やっぱり辞書とはお友だち。

「分かち書き」、悩んでください。
でも、おもしろいことに出会えたり、発見したり、言葉の意味や由来がわかったりしてね。


いろいろな分かち書き

分かち書きは、平仮名ばかりで書かれている子どもの本などでおなじみですね。
ただ、子どもの本はすでに分かち書きがされているので点訳が簡単だろう、と思って、最初に手掛ける方が多いのですが、思わぬ苦労もあるのです。
それは、概ね同じように文節で分けるのですが、細かいところで少しずつルールが違うからです。
つい原本の分かち書きに引っ張られてしまうと、点字の分かち書きのルールとは違ってしまいます。

図書館でコンピュータによって本を検索したりするときも、書名をカタカナで入力したりします。
検索システムの種類にもよるようですが、たとえば、助詞の「の」や「と」の前はスペースをあけてください、という場合もあります。
それは、キーワードで検索できるようにしてあるからなんだそうです。
たとえば『吾輩は猫である』という書名の「猫」しか思い出せないとき、「猫で」でないとヒットしないのでは探しにくいですね。
だから、「猫」だけで出てくるようになっているんです。

それぞれの分野の必要に合わせて、世の中に、分かち書きの方法はいろいろあるのですね。
点字の分かち書きは、その中のひとつです。
点字の場合は、原則として、自立語は独立させ、付属語である助詞・助動詞は前の自立語にくっつけます。
分かち書きの原則は、それで言い尽くされているはずなので、そんなに複雑なことはないのですが、その中で間違えやすい点、迷いやすいところを、これから少しずつ詳しく見ていきましょう。






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