「みずほ点訳」ホームページ

「みずほ流」点訳入門教室

21.書き方の形式−2



書き方の形式(『てびき』p99〜)−2

●見出し
点訳での見出しの書き方は何度か出てきましたので、もうおわかりの方も多いと思いますが、もう1度まとめてみます。
『てびき』には、「大見出しを9マス目、中見出しを7マス目、小見出しを5マス目を目安にして書き始める」とあります。
具体的には、

     第1章  母と子の関係について
   その1.反抗期の子供
  A.言うことを聞かない子どもをもてあましたとき
(a)対処の仕方
   ア 小学生  イ 中学生  ウ 高校生
(b)言ってはいけないこと・言うべきこと
 コラム1 反抗期は歓迎すべきこと

なんて、見出しが載っているとします。
すると、「第1章 母と子の関係について」が9マス目です。
「その1.反抗期の子供」が7マス目、「A.言うことを聞かない・・・」が5マス目です。
第1章のあとは2マスあけます。
こういった、見出しの段階・序列を表す言葉や文字のあとに、区切りになるような記号類が付いていても、たいていの場合不要だと思います。
「第1章☆母と子の・・・」のようにマーク類が入っていても、2マスあけるだけでいいのです。

しかし、次の「その1.反抗期の子供」の「その1」のあとのピリオドは必要です。
見出しの段階を示す数字やアルファベット・仮名のあとのピリオドは、見出し語との境をはっきりさせるものですので、原本に書いてあれば原本どおり、書いていないときも読みやすさを考慮してつけたほうがいい場合もあると思います。
とくに、仮名のあとには、ピリオドをつけるとか、カッコで囲むとかしたほうが誤読を回避できます。
仮名のあと、というのは、「ア 小学生」「イ 中学生」「ウ 高校生」のア、イ、ウのような使われ方のことです。
また、1)というように、カッコの片側だけが書いてある場合も、そのとおり書くのは点訳表記としては間違いです。(1)とするか、1.とするなど、書き方を変えます。
こういったピリオドのあとは1マスあけです。ピリオドは句点と同じですが、文末の句点と違って、ピリオドとして使う場合は後ろは1マスあけ。
段階・序列の語がカッコで囲まれているときは、ピリオドをつけたりする必要はありません。
(a)対処の仕方
(b)言ってはいけないこと・言うべきこと
のところの(a)(b)のあとは、1マスでいいのです。
その他、見出しの段階や序列を表す語や記号と、見出しとの間に誤読が生じそうなときは、あまり原本の書き方にとらわれないで、読みやすい方法を考えます。

見出しがたくさんあって、とても9・7・5マスでは足りない、ということはままあります。 点訳者・グループによっては、11マス目から見出しを容認しているところもありますが、これはあまりお勧めできません。
点字の1行は32マスですから、11マス目だとかなり行末に近くなってしまって、場合によっては、行末に書いてあるものなのか、11マス目の見出しなのか、わかりづらくなるからです。
そうなると、ここに挙げた例の(a)と(b)、ア、イ、ウ、および「コラム1.反抗期は・・・」のところをどう書くか、ということになるのですが、こういったときは、これは違う見出しだよ、ということがわかるように囲み記号で囲んだり、記号をつけたりします。
たとえば、(a)(b)「コラム1.反抗期は・・・」をともに3マス目からにして、「コラム1.反抗期は・・・」の方を第2カギなどで囲むのはどうでしょう?
ア、イ、ウは、さらに小さい見出しですが、3マス目の「(a)対処の仕方」のあと、行替えして3マス目から書き流しの見出しとして書いても、わかってもらえると思います。
■■(a)■タイショノ■シカタ
■■ア.■ショーガクセイ小見出し符■・・・・
■■<コラム■1.■ハンコーキワ■カンゲイ■スベキ■コト>
というように、同じ3マス目でも、書き方を工夫することで、それぞれのタイトルの違いはある程度書き表すことができると思います。
ほかにもわかりやすい区別の仕方を考えてみてください。

見出しが長くて2行以上になるときは、2行目以下をさらに2マス下げます。
つまり、たとえば5マス目の見出しが1行に入りきらなかった、というときは、何行になっても、
■■■■トテモ■ナガイ■タイトルワ■ヨミニクイ■コトニ
■■■■■■ツイテノ■コーサツト■ケンショー■オヨビ
■■■■■■ジツレイニ■ヨル■モンダイテンノ
■■■■■■アライダシ
というように、2行目以下をそろえて書きます。

見出しだけをページ末に置いたり、上記のような何行にも渡る見出しの前半と後半で、ページが替わってしまうのはよくありません。
少なくとも、同じページに本文が1行でも入る必要があります。
長いタイトルの場合、前ページがかなり大きくあいてしまうこともありますが、そういったことは点訳では仕方のないことですので、あまり紙がもったいないとかいうことは考えずに、ルールどおり、次ページに移してください。
ただ小見出し符を用いた書き流しの見出しが、最後の行にあるのはかまいません。

原本のレイアウトにもよりますが、見出しと本文のあいだはあけないで書くほうがいいようです。
どうしても、目で見ると、空白があるほうが見出しっぽく見えるので、視覚的なレイアウトをつい考えてしまいますが、点訳書にはあまり意味のない空白はないほうが読みやすいと思います。
逆に、見出しが変わるときは、前を1行あける、ということはよくあります。
例えば、7マス目の見出しの時、前を1行あけるという方針で点訳すると、7マス目の見出しごとのひとくくりの項目の境目が明確になります。
こういった場合、必ず7マス目の見出しごとに前行をあけて、あけたりあけなかったり、というようなことがないように、また前行をあけるべきでない見出し(5マス目の見出しなど)のときにあけてしまう、というような不統一がないように注意します。
しかし、前行をあけるべき見出しが1行目にくるときには、前ページの最後の行があいていなくても、1行目をあける必要はありません。
また、原本で大きな見出しごとにページが替わっているときや、点訳書でも替えたほう読みやすいと判断されるときには、ページを替えます。
この場合も、ページを替えるべき見出しの大きさを統一して、レイアウトを一貫させます。

●出典表示
出典というのは、どこから引用したとか、どういう資料で調べたとか、たいてい最後のほうに書いてあるやつですね。
おおむね原本どおりに書いていいと思いますが、本文と区別がつかなくなるおそれのあるときは、書き出し位置を工夫します。
長くて、そのまま1行に書くと本文か出典かわからない、というようなときは、何行かにわけて(もちろんわかりやすい位置で切って)、2行目以下の行頭をそろえて書きます。

●戯曲・詩歌・短歌・俳句・川柳など(p102〜)
このあたりの説明は、とても難しいですね。
『てびき』に書いてある例も参考になりますが、詩歌・戯曲等が、原本でどのような形式で書かれているかによって、点訳書の形式もかなり左右されてしまいます。
逆に、原本の形式どおりにしようとすると、点訳書としてはとても読みづらいものになったりすることもあります。
基本は、普通の文章と同じように点訳のルールに従って、見出しや本文の書き出し位置に気をつけて、あとは、原本の書き方を見ながら、より読みやすい方法をそのつど考えるしかありません。
現代詩など、あちこちに字を散らばらせて、大きさも変えたりして、とてもそのままでは点訳できないものも多くあります。
ですから、こういったものは点訳のルールに従いながら、試行錯誤してください、としか言えないのです。

●手紙・公用文
これらは、原本の書き方に準じて書きます。
もちろん、点訳書として読みづらい書き方は、工夫してわかりやすい書式を考えます。
普通の手紙の場合、差出人の名前を先に書いておいたほうが親切だと思います。

●図・表
図や表の複雑なものを点字で表すのはかなり難しいことです。
こういったものは、文章の点訳とは別に、ある程度時間をかけて勉強すべきもので、数をこなさないと、読みやすい・わかりやすい図表を作るのは至難の業ではないか、と思います。
この「教室」は入門教室なので、そこまでの点訳は想定していません。
もし、図・表の点訳に取り組みたいと思われる方は、ぜひ充分な時間をとって勉強なさってください。
文章の点訳とはまた違ったセンスや能力が必要かもしれませんが、向いている方には、面白いのではないでしょうか?

●ルビ・マーク
ルビのことは以前にも出てきました。
漢字やあて字のルビは、ルビだけ書きます。
ルビがその語の本来の読み方ではないときは、まずルビを書いて、続けてカッコ内に本来の読み方を書きます。
本来の読み方でないルビでも、もう一般に知られているような語のときには、カッコ内に本来の読みを書く必要のないときもあると思います。
旅券をパスポート、身体をカラダ、と読んでいるような場合ですが、どっちとも決めかねるときもあります。
「未確認飛行物体」に「UFO」なんてルビがあったら、やっぱり「未確認飛行物体」も書いたほうがいいでしょうか?
そんなこと説明されなくてもわかってる、というひともたくさんいそうですが・・・

本のビジュアル化が進んでいる昨今は、文章中にたくさんマークやカットが出てきて、点訳者泣かせの本も多くなりました。
マーク類は読めるものはそのまま読み方を書きます。
マル優、エコマーク、マル秘などは、原本でマークで書いていあっても、マルユー、エコマーク、マルヒ、と書きます。
〒が郵便番号の前についているときは「ユービン■バンゴー」と書かずに「ユー」と書くほうが短くてすみます。

マークの読み方を示せないときは、そのマークを説明します。
原本の中に、マークに言及した文章があって、それで充分説明がなされている、あるいは、マークの説明がなくても支障はない、というときには、説明は不要だと思います。
何が必要なマークで、どこまでの説明が必要か、考えてわかりやすい書き方を工夫します。

●中国語・朝鮮語
漢字で書かれる外国の固有名詞、とくに韓国・朝鮮語の人名・地名などは、昨今は原音で聞く機会も増えました。
ですから、できるだけ原音で書いたほうがいいのですが、つねにその原音がわかるとはかぎりません。
調べればわかるとはいっても、カタカナでうまく表記できない、あるいは、カタカナでの表記が幾通りかある場合もあると思います。
また、「金大中」さんは、今はテレビのニュースなどでは、「キム・デジュン」と原音に近い音で読まれていますので、そのほうがいいですが、「金大中事件」は、この事件当時の読み方で「キン・ダイチュウ事件」と読むわけで、原音と日本語読みが混在している状況も見られます。
「済州島」は、今でこそ「チェジュ島」が一般化しましたが、ある年齢以上の人には「サイシュウ島」と言ったほうが、絶対にわかります。
中国地名でも、「上海」を「ジョウカイ」と読む人はいないでしょうが、逆に「長江」を「チャンジャン」と読む人もあまりみかけません。
そういった、どちらが一般に流布していてわかりやすいか、も点訳する上で考える必要があります。
できれば原音を書くのがいいのですが、場合によっては、日本語読みするしかないこともあるのです。
中国語・韓国語が出てくるものを点訳するときには、あらかじめどういった点訳方針をとるか決めて、調べるべきところは調べ、一般常識に従うところは従うようにするといいと思います。

●誤字・誤植
点訳をやっていると、本や文章を最初から最後まで飛ばさずに読みますから、誤字や誤植に気づくことはしょっちゅうです。
ひょっとしたら、出版社の校正係より詳細に読んでいるかもしれません。
最近はワープロソフトによる文章入力があたりまえですので、変換ミスによる漢字の間違いが、手書きの頃よりはるかに多くなっています。
仮名点字は、「音」が合っていればいいわけですから、「春功労の花の円」でも、「栄養映画を極める」でも、まったくかまわないといえばかまわないのですが、こんな本をお金を出してまで読みたくないですよね。おっと、脱線しました。

はっきりわかる誤字・誤植は、点訳では直して書いてしまっていいと思います。
原本の間違いは点訳者の責任ではないから、どういう間違いもそのままにする、というひともいますが、あきらかに間違っているとわかっているのに、そのままというのも気分のよくないものですし、やはり点字というかなり制約の多い文字を読まなくてはならないことを考えると、できるだけ間違いは少なくしたいものだと思います。
しかし、独断で「これは間違い」と決め付けて直すのはよくありません。
とくに、文章の書き方で少しぐらいおかしなところがあっても、その書き手がそう書いたのであれば放っておくし、本来は間違いだけれど、間違った言い方のほうが一般化している、などというときも、そのままにします。
「間髪ヲイレズ」が「間髪オカズ」になっていても、「病コウコウ」が「病コウモウ」になっていても、基本的にはそのままにしておくしかありません。
修正の必要な箇所を見つけたら、校正者や点訳グループの仲間にも聞いて、どう直したらいいか検討してください。
間違いの扱いは案外難しいのですが、はっきりと誤字・誤植とわかるとき以外にどうしても直す必要があるときは、その旨を点訳者挿入符なり、巻末なりで断ったほうがいいと思います。

練習問題はもう必要ないですね。
あとはどんどん点訳するのみ。






<<BACK   INDEX   NEXT>>