京極年表 Caution!ネタバレ多数有り!!Caution! 記述方法 文中に記述があれば年月日順に、 年しか分からない出来事はその年の最初にまとめてあります。 はっきり分からないけれども推測可能である事柄には(?)をつけました。 どの年の出来事かが本文中の記述で分からない時は、たとえ重要なことでも記述していません。 誤りがありましたらGuestbookまたはjmimu(α)sea.plala.or.jpまでお知らせいただければ幸いです。※(α)は@ 1888(明治21)年 箱根・仙石楼新館増築。地滑りで半壊した別棟大浴場跡に建てられた。 1895(明治28)年 禅師・和田智稔、作庭のため仙石楼に招かれる。浅間山中で明慧寺を発見。 1917(大正6)年 木場修太郎誕生。 降旗弘誕生。 1923(大正12)年 川島大作の妻(川島新造の母)・死去。 9月柴田耀弘夫人・トキ、関東大震災で死亡。 1925(大正14)年 松宮仁一郎、明慧寺の土地を買収。 1926(大正15)年 大西泰全、明慧寺入山。 1928(昭和3)年 小坂了稔(35)、円覚丹、明慧寺入山。 1929(昭和4)年 柴田耀弘嫡男・弘明(30)、結核のため死亡。 1931(昭和6)年 寺田兵衛、サトと結婚。 1932(昭和7)年 寺田兵衛・サト夫妻に長男・竣公誕生。 1933(昭和8)年 藤野牧朗の母、死去。 「骨董今川」開業。 寺田忠、死去。 柴田弘明夫人(弘弥の母)死亡。 6月4日(日) 加藤麻美子、故郷韮山(静岡県)でひょうすべを見たと記憶。 6月5日(月)加藤麻美子父、脳溢血で死亡。 1935(昭和10)年 冬、中島祐賢、桑田常信、明慧寺入山。 川島大作、急死。 1936(昭和11)年 「骨董今川」青山に店舗を開く。 1937(昭和12)年 8月15日(日)柴田弘弥(20)柚木陽子(17)駆け落ち。翌日連れ戻される。 1938(昭和13)年 木場修太郎・榎木津礼二郎、川島新造と知り合う。 和田慈行、明慧寺入山。この年明慧寺は初めて5名の入門僧を受け入れる。 秋楠本頼子誕生。 5月 戸人村駐在光保公平、召集され村を去る。 6月20日 (月)巡回研師津村辰蔵(42)、戸人村から村民が消えていることに気付く。30日(木)付地方紙に掲載。追って7月1日(金)付全国紙に掲載。 9月頃雨宮典匡、柴田家から柚木陽子・加菜子のもとへ派遣される。 1939(昭和14)年 箱根・明慧寺の組織が固まる。 南方朱美、奉公に出される。 夏藤野牧朗、鬼子母神の縁日で雑司が谷・久遠寺病院の娘を見初める。 12月28日(木)松宮仁、父親と口論の末、家出。 1940(昭和15)年 美馬坂絹子、死去。 1月3日(水)箱根の小さな集落にて松宮仁一郎宅全焼、松宮夫妻は撲殺体で、 外国人の使用人3人は焼死体で発見。 9月16日(月)関口巽、久遠寺病院に藤野牧朗の手紙を持参する。 この日、久遠寺嘉親・菊乃夫妻、次女・梗子は箱根・仙石楼に宿泊。 9月18日(水)藤野牧朗、久遠寺の使者より手紙の返事を受け取り、初めての逢引。 12月31日(火)久遠寺京子より藤野牧朗へ、妊娠を告げる手紙が届く。 1941(昭和16)年 2月藤野牧朗、久遠寺梗子に求婚。 春久遠寺医院小児科医・菅野博行、失踪。その後、箱根・明慧寺入山。 4月藤野牧朗、渡独。 1943(昭和18)年 南方家、火事で全焼。一家全員焼死。 1944(昭和19)年 7月7日(金)米軍サイパン上陸、日本軍玉砕。柴田弘弥戦死はこの時と思われる。 8月31日(木)〜9月1日(金)長野県で『兵役忌避者猟奇殺人』発生。被害者は佐田申義。 容疑者として妻・朱美が連行されるが9月2日に釈放。 9月末〜10月(?)作家宇多川崇(49)、埼玉県本庄の利根川沿いで溺れた女を助ける。 1945(昭和20)年 北条勇治、柴田耀弘の養子になる。 石田芳江、自殺。 1948(昭和23)年 伊佐間一成、釣り堀『いさま屋』を開業。 牧村托雄、明慧寺入山。 夏平野祐吉の妻・宮、自殺。 1950(昭和25)年 関口巽、結婚。 中禅寺秋彦、『京極堂』を開店。 光保公平、マレー半島より帰国。 5月30日(火)関口巽『嗤フ教師』(近代文藝)でデビュー。 6月5日(月)藤野牧朗、久遠寺家に婿養子に入る。 7月雑司が谷の久遠寺医院で、赤子失踪事件。 8月23日(水)久遠寺牧朗、慶応大学医学部産婦人科部長K博士と面接。 9月久遠寺医院で、再び赤子失踪事件。 9月九州・築上で、久保竣公の育ての親である「鬼神殿」氏子の婦人、死亡。久保が遺産を相続。 9月30日(土)関口巽『イデオロギヰの馬』(近代文藝)発表。 11月久遠寺医院で、三たび赤子失踪事件。 11月久保竣公、三鷹に寺田兵衛を訪ねる。 1951(昭和26)年 伊藤美江、久遠寺涼子に会う。 1月9日(火)未明、久遠寺牧朗「失踪」。 1月30日(火)関口巽『E.B.Hの肖像』(近代文藝)発表。 2〜3月三鷹・寺田木工製作所に『穢封じ御筥様』信者が集まり始める。 3月(初め)澤田時蔵・富子夫妻、久遠寺医院を出て、板橋の『梅屋商店』に身を寄せる。 春平野祐吉、信濃町に家を借りる。家主は矢野泰三。 4月杉浦隆夫・伊藤美江、見合い結婚。 4月30日(月)関口巽『天女転生』(近代文藝)発表。 6月杉浦隆夫、勤務先の小学校で児童に怪我を負わせ、休職(夏に退職)。 7月30日(月)関口巽『蒼ざめたものを持つて』(近代文藝)発表。 10月30日(火)関口巽『舞踏仙境』(近代文藝)発表。 10月末文化藝術社主催・本朝幻想文学賞発表。新人賞に久保竣公『蒐集者の庭』。 1952(昭和27)年 榎木津礼二郎、『薔薇十字探偵社』開業。 今川雅澄、『骨董今川』改め『待古庵』開業。 2月杉浦美江、隆夫と別居。 2月頃木場修太郎、豊島区の所轄から本庁に配属になる。 春織作紫(28)死去。 4月7日(月) 加藤麻美子、みちの教え修身会会長磐田純陽に会う。 4月9日 (水)加藤麻美子の娘、溺死。 5月1日(木)平野祐吉、精神神経科の診察をうける。担当医は降旗弘。 5月2日(金)信濃町にて矢野妙子(19)殺害される。犯人は平野祐吉(36)。 5月(初め)二階堂寿美、『御筥様』を訪れ、事務員になる。 5月(中旬?)川島喜市、千葉で母の死を知る。 5月30日(金)関口巽『温泉郷の老爺』(近代文藝)発表。 7月『姑獲鳥の夏』雑司が谷の産院で事件。3人死亡、警官1人重傷。 7月柴田耀弘倒れる。 7月〜8月(?)降旗弘、白丘亮一と知り合い、『飯島基督教会』に居候を始める。 8月(盆明け)箱根湯本・旅館『富士見屋』の主人、湯坂道で歌う振り袖の少女を目撃。 8月15日(金)中央線武蔵小金井駅構内で人身事故。被害者は鷹羽女学院生徒・柚木加菜子(14)。 8月22日(金)清野と名乗る男、赤井書房に『穢封じ御筥様』の名簿を持参する。 8月28日(木)柚木加菜子、再手術。 8月29日(金)『武蔵野連続バラバラ事件』の発端となる右腕が見つかる。 8月30日(土)相模湖で両脚発見。29日に見つかった腕と同じ人物のもの。 同日、鳥口守彦、関口巽を伴って相模湖に取材に行く。中禅寺敦子を加えての帰り道、 「美馬坂近代医学研究所」にて職務質問を受ける。 同日、関口巽『目眩』(近代文藝)発表。 8月31日(日)楠本頼子、小金井駅で黒手袋の男を見たと証言。 午後6時過ぎ、柚木加菜子、「美馬坂近代医学研究所」から誘拐される。直後、 担当医の須崎太郎、 撲殺体で発見される。 同日、杉浦隆夫、小金井市の自宅から出奔。 9月1日(月)朝、久保竣公、伊勢に向かう列車の中で匣を抱えた雨宮典匡に逢う。 9月2日(火)雨宮典匡、誘拐・殺人容疑で全国指名手配。 9月5日(金)木場修太郎、一箇月の謹慎処分。 9月6日(土)『武蔵野連続バラバラ事件』2人目の被害者(浅野晴子)の右脚、八王子で発見。 9月7日(日)久保竣公、稀譚社宛に『匣の中の娘』前編を郵送。 『武蔵野連続バラバラ事件』2人目の被害者の左脚が調布で、右腕が登戸で発見。 9月10日(水)昭島で左腕が2本見つかる。うち1本は2人目の被害者のもの。 9月13日(土)車返で3人目の被害者(小沢とし江)の右腕発見。 9月14日(日)芦花公園で3人目の右脚発見。 9月16日(火)田無で4人目(柿崎芳美)の右腕発見。 9月19日(金)柳沢で4人目の左腕発見。 9月20日(土)葉山・双子山山中で男女10名が集団自殺。 同日夕方、鳥口守彦、三鷹に『御筥様』を訪ねる。 同日、小泉珠代、『匣の中の娘』ゲラ刷りを関口巽に郵送。 榎木津幹麿、自転車で蟋蟀を採りに行った帰りに土手から落ちて捻挫。 9月21日(日)未明、柴田耀弘(92)死去。 多摩霊園で3人目の左脚、田無で4人目の右脚発見。 同日午後、鳥口守彦、『御筥様』再訪。 9月(半ば)鈴木敬太郎(川崎市在住)、職場から失踪。 9月22日(月)『金色髑髏事件』最初の頭蓋骨が目撃される。 同日、関口巽と鳥口守彦、京極堂を訪問し、『武蔵野連続バラバラ事件』と『御筥様』の関連について話し合う。 関口巽、『匣の中の娘』ゲラ刷りを受け取る。 9月23日(火)弁護士・増岡則之、薔薇十字探偵社を訪れ、探偵・榎木津礼二郎に柚木加菜子探しを依頼。 9月24日(水)朝、関口巽、里村医院を訪問。 青木文蔵、謹慎中の木場修太郎を訪ねる。木場修太郎、里村医院を訪問。 榎木津礼二郎・関口巽・鳥口守彦・木場修太郎、京極堂訪問。 9月25日(木)朝刊に『金色髑髏事件』第2報掲載。 小金井市の喫茶店『新世界』で榎木津・関口、久保竣公に遭う。その前後に楠本家を訪ねる。 小金井駅前派出所・福本巡査、鷹羽女学院で聞き込み調査。 木場修太郎、小金井市に柚木陽子を訪ねる。 9月27日(土)関口・榎木津・鳥口・青木、京極堂に集まる。 武蔵境で両腕発見。被害者は楠本頼子。 木場修太郎、池袋に川島新造を訪ねる。 9月28日(日)早朝、中禅寺秋彦、榎木津・関口と共に三鷹『御筥様』と対決。 青木文蔵、事情聴取のため国分寺の久保竣公宅を訪れるが、久保と格闘になり重傷を負う。久保は逃走。 久保宅で4人の少女の他殺体発見。 9月29日(月)久保竣公、全国指名手配。稀譚舎、翌日発売予定の『近代文藝』を事前回収。 9月下旬杉浦隆夫、聖ベルナール学院に就職。 10月1日(水)朝、町田にて紐で括られた久保竣公の両手足が発見される。 中禅寺秋彦、「美馬坂近代医学研究所」へ。美馬坂幸四郎、久保竣公死亡。木場修太郎軽傷。元女優・柚木陽子逮捕。 10月8日(水)〜9日(木)島根県川合の物部神社で、山陰旅行中の伊佐間和成、匣を抱えた雨宮典匡に逢う。 10月14日(火)関口巽、単行本『目眩』見本が出来上がる。 郷土史家・笹原武市、歌う振り袖の娘について記す。 10月(中旬以降)千葉県興津町にて川野弓栄(35)殺害される。 11月1日(土)伊佐間一成、逗子で佐田朱美に逢う。 宗像賢造、宇多川邸を訪れる。 11月4日(火)鷺宮邦貴、宇多川邸を訪れる。 11月11日(火)(?)宇多川朱美、復員服の男の訪問を受け、入ってきた男を殺す。 11月半ば『金色髑髏事件』第3報が新聞に掲載。石井寛爾警部の談話も載る。 11月25日(火)(?)『金色髑髏事件』第4報が新聞に掲載。肉片や髪の毛の付いた髑髏が目撃される。 11月27日(木)日雇い労務者の矢沢駿六、鎌倉で失踪。 11月28日(金)宇多川朱美、『飯島基督教会』を訪ねる。帰宅後、またやってきた復員服の男を殺す。 12月1日(月)久保竣公葬儀。 関口巽、宇多川崇と会食。 逗子湾に生首が打ち上げられる。後に被害者は矢沢駿六と判明。 12月2日(火)中禅寺秋彦、古本購入のため京都へ旅行。 関口巽・中禅寺敦子、薔薇十字探偵社に宇多川の件を依頼。 午後7時〜9時、宇多川崇、死亡(推定時間)。 12月3日(水)夕方5時頃、伊佐間一成、逗子再訪。桃囿館に宿泊。 12月4日(木)朝5時20分頃、宇多川崇、他殺体で発見。妻・朱美を逮捕。 12月7日(日)午後3時過ぎに木場修太郎、午後5時に石井寛爾警部が関口家を訪問。 12月12日(金)木場修太郎、降旗弘と再会。 12月15日(??)中禅寺秋彦、逗子の聖宝院文殊寺で憑物落し。 12月(末?)千葉県勝浦町にて私立聖ベルナール学院教師・山本純子(30)殺害される。 12月(末?)久遠寺嘉親、仙石楼に隠棲。 1953(昭和28)年 1月3日(土)関口夫妻、京極堂へ年始の挨拶に行き、宮村香奈男(薫紫亭)に会う。 1月31日(土)東京警視庁に「目潰し連続殺人事件」合同捜査本部設置。 2月(下旬)『鉄鼠の檻』「箱根山連続僧侶殺人事件」起きる。明慧寺僧侶・小坂了稔(60)、 大西泰全(88)、菅野博行(70)、中島祐賢(56)相次いで撲殺体で発見。舞台となった箱根・明慧寺は焼失。 同寺僧侶・和田慈行、焼死体で発見。 2月(上記と同時期)四谷にて前島(旧姓・金井)八千代(28)殺害される。 3月初旬(?)関口、稀譚社に『イヌの逝く道』の原稿を持っていく。その後、宮村香奈男から加藤麻美子を紹介され相談を受ける。 3月『絡新婦の理』千葉県勝浦・聖ベルナール学院及び織作家で惨劇が起きる。「目潰し連続殺人事件」 「連続絞殺魔事件」も含め死者は15人に上った。 4月(初め?)中禅寺秋彦、蔵書の処分依頼を受け織作邸を訪問。 関口巽同行。 4月下旬(織作邸訪問の数日後)関口、鳥口守彦、宮村、加藤麻美子、京極堂訪問。鳥口「鉄道唱歌」を歌う。 5月下旬 赤井書房「實録犯罪」編集長妹尾友典、関口を訪問。 6月4日 (木)関口、取材のため伊豆へ入る。 6月10日(水)関口「戸人村」佐伯家に入る。