「一人じゃないよ - 小耳症(しょうじしょう)とぼく -   作:MEW

 

   一人じゃないよ


   ゆうきのひみつ

  「ゆうき 早くおきなさい。」
   ママの声にゆうきは布団から顔を出してうなずきました。 
  ママはカーテンを開けると 忙しそうに部屋から出ていきました。
   ほんとうは ゆうきはもうとっくに目がさめていたのですが
   なんだか布団にひもでぐるぐるまきにくくりつけられているみたいに 
 体が重くてなかなか起きあがれません。
  ゆうきは 今日から小学校の1年生です。
   幼稚園の友達は今日の入学式をとっても楽しみにしていました。 
   小学生になるって なんだかとっても大きくなった気がするし 
 どんな事があるのか楽しみなんですって。
   それはゆうきも少しは思うのですが どうしても気になってしまう事があって 
   心から楽しみって気持ちになれませんでした。
  じつはゆうきの右の耳は”小耳症(しょうじしょう)”といって うまれたときからありません。
   耳たぶみたいなものはありますが 耳のかたちはしていないのです。
   あなも無いからこちらがわは聞こえません。
   でも左の耳はみんなと同じだから ちゃんと聞こえます。
    たしかに聞こえにくい事もあるのですが ゆうきにとってはこれがふつうの事でしたし 
   ほかの人とちがうって事はなんとなくわかってはいたけれど そんなに気にしていませんでした。
   そうしていられたのは 鏡にでもうつさないかぎり自分にはみえない所だからなのかもしれません。
     あの日までは・・・・

 幼稚園に行くようになってどのぐらいたってからだったのか ゆうきはおぼえていませんが 
  あの日の事はちゃんとおぼえています。
 いまもゆうきの髪は長めだけれども 
 あのころは女の子がするおかっぱという髪型によくにた頭だったので よく
  「女の子みたい」 と言われてゆうきはいやでたまりませんでした。
  その日 砂場で遊んでいたら 乱暴者のけんたがやってきて
  「おまえ 女みたいだな。」
  と言いながら いきなりゆうきの髪をつかみました。
  それがちょうど無い方の耳のところだったから そこがまるみえになってしまったのです。
  けんたはおどろいて ゆうきの髪をぱっとはなすと 
  「げっ! なんだよその変な耳!こっちくんなよっ うつるとこまる。」
  大きな声でそう言って きたないものでも見るような目でゆうきを見ました。
  一緒にあそんでいたほかの子たちも ゆうきのそばからはなれてしまったみたいに 
 ゆうきには思えました。
  ゆうきはびっくりして かなしくて わんわん大きな声をだして泣きました。
  その声をきいて先生があわてて走ってきて
  「どうしたの?」
  と聞いてくれましたが ゆうきは何も言えず ただ泣き続けるだけでした。

  いままでゆうきの耳をいやがった人は一人もいませんでした。
  でも もしかしたらぼくの耳をみんなはきらいなのかもしれない。
  この耳だとわかったらみんなはもうあそんでくれないかもしれない。
  そう思うと ゆうきはもっともっと悲しくなってしまい 涙が止まらなくなってしまったのです。

   その後 先生はみんなにゆうきの耳の話をしましたが 
 どんな話だったのか ゆうきはおぼえていません。
  この日 ゆうきの心には大きな傷ができました。
  そしてみんなに知られてはいけないひみつができたのです。

 
   入学式

   桜の淡いピンク色が 水色の空をふんわりと囲んでいる 桜並木の向こうに
  ゆうきが今日から通う事になる岡村小学校がみえます。
  「学校だ・・・」
  一歩足を出すたびに胸のドキドキが大きくなってきます。
  その上 いつもパパがしている様なネクタイを締めているからなんだか息苦しくて
  パパはいつもこんなのしてるんだ。大変だなあ。と ゆうきはちょこっとパパの事を思いました。
  隣を歩いているママも 今日は綺麗な洋服をきてばっちりお化粧しています。
  なんだか別の人みたいです。
  離れちゃったら どれがゆうきのママなのか分からなくなってしまうかもしれません。
  ゆうきは心配になって ママの手をぎゅっと握りました。ママはゆうきを見てくすっと笑って
  「緊張してるの?大丈夫よ。今日はきっとすてきな日になるわ。」
  ゆうきの手を握り返してくれたママの手はとてもあたたかくてやわらかでした。

   入学式のあと 1年生の担任の先生方が前に出て 
 それぞれ受け持ちになる子達の名前を呼んでくれました。
  ゆうきは1年2組です。若い女の先生でした。昨日 ゆうきの家にやってきた人です。

  ママが夕食の準備をしていた時の事でした。
  「ゆうき君の事で御相談があってまいりました。」
  「ゆうきは むこうで遊んでいなさい。」
  ゆうきも話を聞きたかったのですが ママはゆうきに聞かれたくない様でした。

  奥の部屋でTVをつけていましたが ゆうきはママ達の話が気になりました。
  ゆうきの事を話しているのに 本人がのけものなんておかしいとゆうきは思いました。
  だからしずかに音を立てないようにと気をつけながら ママ達の声のする方へ近づいてみました。
  どうやら玄関で話しを続けているようです。
  「遅かれ早かれ いつかはクラス中にゆうき君の事が知れてしまうと思うんです。
  だったら一番はじめにみんなの前でお耳の話をした方がいいのではないのでしょうか?」
  「ゆうきはお友達に知られたくないみたいなんです。
 私はゆうきの気持ちを大事にしてあげたいんです」
  「でも 後になればなるほど・・・」 
  「そうかもしれませんね。」
  ママは下をむいてつぶやくように言いました。
  「いやだ!」 
  ゆうきは飛び出してそう叫んでいました。
  いじわるをされたわけでもないのに目からなみだがぽろぽろとこぼれ落ちました。
  「ゆうき・・・」
  ママ達のおどろいた顔がゆうきの目にうつりましたが 
 すぐになみだでにじんでみえなくなりました。
  でも おどろいたママの顔がかなしそうな顔に変わった事はわかりました。
  ゆうきは服のそででなみだをぬぐいながら布団の中へもぐり込んで
  泣きながらそのまま眠ってしまったのです。
  「ごめんね」
  泣きながらつぶやくママの声を聞いた様な気もしますが 夢だったのかもしれないと 
 ゆうきは思いました。

 
   自己紹介

   教室には机とイスがきれいに並んでいて 
 机には名札がおいてあったから自分の席はすぐに分かりました。
  ゆうきの席は窓側から3列目の後ろから3番目です。
  ぐるっと教室をみわたすと けんたの姿が目に入りました。
  幼稚園でゆうきはけんたに 何度も泣かされた事がありました。
  (いやだなあ)
  ゆうきは心の中でそうつぶやきました。

  「はい みんな自分の席が分かったかな?分からない人いますか?」
  先生の大きな声に 話をしていた子もおしゃべりをやめて急にシーンと静かになりました。
  「みんな分かったみたいですね。 今日からここにいるみんなと1年間
  一緒に勉強したり運動したり 一杯 楽しいことをしていくことになりました。
  山野陽子です。隣町に住んでいる28歳です。よろしくね。」
  先生はそう言いながら
   ”やまの ようこ”とひらがなで大きく書いた紙を 黒板にセロテープで貼りました。
  「じゃあ みんなの名前と顔を早く覚えたいから 一人ずつ自己紹介してもらおうかな?」
  「自己紹介って何ですか?」
  髪を三つ編みにした女の子が大きな声で聞きました。
  ゆうきと同じ幼稚園だったかなこです。
  「はい。 これから言いたいことがある人は手をあげて名前を呼ばれてから話してね。」
  かなこはしまったという様に ちょっと小さくなって上目使いに先生を見上げました。
  いいのよっていうように先生は優しくわらって続けました。
  「自己紹介というのは初めてあった人に自分の事を話す事なの。
  相手に自分のこんな事を知ってもらいたいと思う事を何でもいいから話してね。
  はい じゃあ こちらからお願いします。立って話してね。」
  先生はそう言いながら廊下側の一番前の子をみたのでその子はあわてて立ち上がりました。
  クラス全員がその子をみています。

   ゆうきは困りました。自分の事を話してといわれても特に何もありません。
  もちろん 耳の事を話すつもりはありません。
  話す時に みんなの注目をあびてしまう事も嫌だなって思いました。
  もしかしたら だれかがゆうきの耳に気づいてしまうかもしれません。

  「はい。えっと えっと 僕は青木だいきです。 えっと。・・・えっと」
  えっとしか言わないだいきに先生は笑いながら
  「そんなに堅くならなくていいのよ。何でもいいの。だいき君が好きなものでもいいのよ。」
  「あ それなら ぼくイチゴが好き!犬も好き!」
  「私もイチゴが好き。犬は嫌い。」  
  「なんでかわいいじゃん」
  急に教室内がさわがしくなりました。 先生は手をぱんぱんとたたいて
  「みんな静かにしてね。お友達の発表が聞こえないでしょう? 
 だいき君はイチゴと犬が好きなのね。 先生も好きよ。よろしくね。 
 じゃあ 次の人お願いね。」

  次の子が立ち上がりました。だんだん ゆうきの番が近づいてきます。 
  どっきん どっきんと胸がなりだしました。 
  胸のここにはハートの形をした心が入ってるって ゆうきは前に本で読んだ事がありました。
 そのハートが暴れています。
  こら おちつけ おとなしくしてくれ!どっきん どっきん・・・
   いつのまにか2つ前の席の子が話し終わり ゆうきの前の女の子が話しはじめました。
  その子の声はちゃんと聞こえているんだけど なぜか何を言っているのか分かりません。

  前の席の子が座りました。 とうとうゆうきの番です! 
  飛び回っているハートが体から飛び出してしまわない様に気をつけながら 
  ゆうきはゆっくり立ち上がりました。
  クラスのみんなの目がゆうきをみています。ゆうきは逃げ出したくなりました。
  ハートが口から飛び出さない様に気をつけながら 早口で
  「野田ゆうきです。好きなものはみかんです。」
  それだけ言うとあわてて座りました。
  「みかんおいしいものね。先生は広島に住んでいた事があるの。
  広島みかんって甘くておいしいのよ。ゆうき君 よろしくね。」
  山野先生はゆうきの顔を見ながら言いました。
  そして 自己紹介は次の子へとうつりました。だれもゆうきの耳には気づかなかった様です。
  山野先生もゆうきの耳の事を知っているはずでしたが 耳の事は何も言いませんでした。
 ハートもおとなしくなりました。 
   ゆうきはほっと小さいため息をつきました。

 
   知られてしまったひみつ

  何日かすぎましたが だれにも何も言われませんでした。
  なにもかもが幼稚園とは違うので 思っていたよりも覚えなくてはいけない事が多く 
  ゆうき自身も耳の事を考えているひまが無いほどでした。
   給食がはじまった時 片耳のないゆうきにはマスクがかけられないのですが
  ママが黒いゴムを使って耳にかけるマスクをターバンの様に 
 頭にはめるようにしてくれました。それをみて
  「何だお前。変なマスクだなあ」
  といわれたけれども
  「ママが作ってくれたんだ。」
  「ふーん」
  で すんでしまいました。
  みんな お腹がすいていてゆうきのマスクの事なんてどうでもよかったからなのかもしれませんが
  ゆうきの方はその時泣きそうになっていたのです。 
  でも 耳の事がばれないですんだので とっても安心して給食を残さず食べました。
  そんなゆうきを山野先生はじっとみつめていました。

  だんだん暑い日が多くなり 春に植えた朝顔やひまわりも大きくなって 葉の色がこくなってきました。
  いつの間にか一年生達もすっかり学校生活になれて 
 どの子も ずっと前から小学生だったような顔になりました。
   ちょうど今 ゆうき達のクラスは4時間目の体育の時間でドッジボールをしています。
  「逃げろ 逃げろ!」
  「あー。あたっちゃったあ。」
  ゆうきの前にボールがころがりました。
  「よし!」
  そのボールをひろうと ゆうきははりきっておもいっきり投げましたが 
  相手チームのけんたががっしりと両手で受け止めてしまいました。
  (やられる!)
  そう思った時にはけんたが投げたボールにあたってしまっていました。
   その後もけんたの活躍で ドッジボールはゆうきのチームが負けてしまいました。
  「今度は負けないよ!」
  ゆうきと同じチームの かなが言いました。
  「残念だけど次の体育はドッジボールは出来ないのよ。来週はプール開きです。
  水着などの準備がまだの人は忘れずに用意してきてください。」
  「わぁい プールだあ!」
  「プールの方がいいよ。」
  クラスのみんなが歓声をあげました。うれしくて ぴょんぴょんはねている子もいます。
  (プールかあ。嫌だなあ)
  ゆうきは少しならビート板無しで泳ぐことができるので プールが嫌いというわけでは無いのですが
  水泳帽はよほど注意してかぶらないと耳が丸見えになってしまいます。
  しばらく忘れていた耳の事を思い出し 心の中に重い石が一つ積まれた様な感じでした。

  「ときどき ゆうき君 なんだか帽子のかぶり方変だよ。」
  いきなり言われてゆうきはどきっとしました。
  あわてて頭に手をやりました。今日は水泳帽ではありません。赤白帽です。
  でも 耳の無い方へ帽子がずり落ちてななめになっていました。
  ドッジボールに夢中になっていて気が付かなかったのです。
  (しまった!)   
  その時 けんたと仲の良いこうじが なぜか得意そうに大声で言ったのです。
  「ゆうきは 耳が片方無いんだよ。だからなんだよ。 なっ。」
  こうじはけんたの方を見てニヤリと笑いました。けんたはゆうきを見ました。
  幼稚園で けんたはいつも ゆうきに負けそうになると耳の事をからかいました。
  「お前なんか耳もないくせに! やーい 変な耳ー」
  ゆうきの耳にいつものけんたの声がこだましています。
  けんたが何か言おうと口を開きかけた時 
 ゆうきはクラス中の目が自分に向けられている事に気づきました。
  (みんなに知られちゃった)
  「あっ ゆうき君 まって!」
  ぱっと身をひるがえすと 山野先生の声を背中に聞きながら 
  ゆうきは涙でにじむ校門にむかって走り出していました。


   おばあさんと杖

  どこに行くというわけでもなく ゆうきは泣きながらしばらく走り続けていましたが 
 だんだん疲れてきて  いつのまにか 歩いていました。
 でも涙は止まりません。
  頭の中はごちゃごちゃで自分が何を考えているのかさえ分からない程でした。
 
 ふと見ると 前の方で道にひざをついて何か捜し物をしている人がいました。
  ママがコンタクトレンズを落とした時と同じ様にみえました。
  ゆうきはその人の近くまで行くと ひざをついて探し始めました。
  その人は 髪の生え際が真っ白になっているおばあさんでした。
 ゆうきに気づいて おばあさんはゆうきの方を見ました。
 「コンタクトレンズ落としたの?」
 そう聞きながら ゆうきはおばあさんを見て ぎょっとしました。
 おばあさんはたしかにゆうきを見ているはずなのに 目はゆうきを見ていないのです。
 どこか遠くをみて考え事でもしているようなそんな目でした。
 なんだかゆうきは怖くなって立ち上がりました。
 「杖が・・・ 杖がこのあたりにないかの?」
 おばあさんはゆうきにすがるように聞きました。 白い棒の様な杖はゆうきの足下にあります。
 (ここにあるのに 変なおばあさん)
 ゆうきはだまってその杖をひろうと おばあさんの目の前に差し出しました。
 でもやっぱりおばあさんの目はどこか遠くを見ている様で この杖が目に入らないようでした。
 「はい。これ。」
 じれったくなって ゆうきはおばあさんの体にその杖を押しつけました。
 「ああ ありがとう。本当にありがとう。助かったよ。」
 おばさんはその杖を大事そうに受け取ると うれしそうに笑いました。
 でもやっぱり目はゆうきを見ていませんでした。

  ゆうきはもう泣いていません。なんだかどうでもいいような気分になっていました。
 でも学校へ戻る気にもなれなかったので家に帰る事にしました。
 (こんな時間に帰ったら ママは何て言うのかな? 怒られるかな?)
 学校から山野先生が 家に電話してくれた事を知らないゆうきが 
 おそるおそる玄関のドアを開けたら 
 ママはやさしい声で言いました。
 「あら おかえり。おやつ食べる?」
 「ママ 怒らないの?」
 「どうして? それより明日なんだけど 上条病院へ行くからね。」
 「上条病院! やったあ」
 上条病院の形成外科にいる上杉先生は ゆうきのお耳の先生です。
 とってもやさしい先生で どんなに忙しそうでも 
 ゆうきのいろいろな話を最後まできいてくれるのです。
 上杉先生と話しをしていると いつのまにか嫌な気持ちが 楽しくなっているのです。
 ゆうきは上杉先生が大好きでした。


  上杉先生の難しい話

 「上杉先生!」
 やっと名前を呼ばれて ゆうきは診察室にいる上杉先生のところまで走っていきました。
 「ゆうき君 ひさしぶりだね。元気そうだなあ。学校はどうだい?」
 にこにこしながら上杉先生はゆうきの顔を見ました。
 ところがゆうきは 診察室に入ってきた時とは違う暗い顔をして下を向いてしまいました。
 「どうした?学校で何かあったのかい?」
 上杉先生は腰をかがめて ゆうきの目を見ながら やさしく言いました。
 ゆうきは上杉先生に話そうか やめようか 迷いましたが思い切って 昨日の事を話しました。
 みんなに耳の事を知られてしまった事 学校を飛び出してしまった事 
 来週プール開きがある事や,道で会ったおばあさんの事も話しました。
 上杉先生はうなずくだけで だまってゆうきの話を聞いてくれました。
 なにもかも話してしまったら ゆうきはなんだかすっきりしました。

 ゆうきの話が終わると 上杉先生はゆうきの頭をなでながら 静かに言いました。
 「そうか 辛かったね。ゆうき君はこの耳が嫌いなのかい?」
 「大嫌い!」
 その時 ゆうきの後ろにいたママが鼻をすすりながら
 「ゆうき ごめんね。」
 と言ったのです。
 「どうしてママが謝るの? ママは悪くないよ。この耳がいけないんだよ。」
 するとママの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれてママはあわててハンカチで目を押さえました。
 ゆうきにはママがどうして泣くのかわかりません。
 「そうだよ。ママは悪くない。」
 上杉先生もはっきりそう言いました。
 ママは看護婦さんに促されて 少し離れた診察用のベットに座りました。

 「ゆうき君 きみがもう少し大きくなったら すてきな耳を作ってあげる」
 「えっ 本当!」
 「僕はうそをつかないよ。手術するんだ。
 十歳ぐらいになったら ここのところから骨をとって その骨で耳を作るんだよ。」
 上杉先生はそう言いながら ゆうきの胸にやさしくふれました。
 手術はちょっと怖いけれども 耳が出来るんだ。上杉先生が作ってくれるんだ。
 なんだかゆうきはうれしくなってきました。
 「先生 今すぐに作って。プール開きまでに!」
 「それは無理だよ。ここの骨がたくさん必要だから 
 ゆうき君が大きくなって 骨も大きくならないと出来ないんだよ。
 それに手術したらしばらく病院に入院する事になるんだよ。」
 それを聞いて ゆうきは心配になりました。
 「ぼく 早く耳がほしいよ。 でも 入院って一人で? 一人は嫌だよ。ママも一緒?」
 先生はハッハッハと笑いながら
 「一人じゃないよ。その時は ゆうき君と同じ手術をする子達と同じ部屋なんだ。
 友達がたくさん出来るよ。」
 「でも知らない子達なんでしょ?」
 「すぐに友達になれるよ。同じ仲間だからね」
 「仲間?」
 「友達の事さ。そうだな。耳仲間といったところかな。」

 でもゆうきはまだその耳仲間に会った事がありません。
 一万人から二万人に一人といわれている小耳症です。
 発生率が低いだけでなく 耳という目につきにくく また髪で隠せるところなので
 仲間がいたとしても気が付かないで通り過ぎてしまっているのかもしれません。
 そんなゆうきには 耳仲間といわれても よくわかりませんでした。
 ママが一緒にいてくれた方が淋しくないのに。ゆうきはママをちらっと見ました。

 「ところでゆうき君。 ママが気になるかい?」
 それまでにこにこ笑っていた上杉先生は 
 急にまじめな顔になって ゆうきに顔を近づけると小さな声で言いました。
 ゆうきはこくんと頷きました。
 「どうしてママは ぼくに謝るの?」
 と もう一度 聞いてみました。上杉先生はまじめな顔のままで
 「それはね。ゆうき君が小耳症で産まれてきたのは自分のせいだって思っているんだ。 
 ゆうき君をお腹の中で大事に育てて産んでくれたのに 
 そのママが悪いんだと思っているからなんだよ。」
 「どうして?それっておかしいよ。ママは悪くないのに。」
 「そう おかしいんだ。誰も悪くない。
 でもママはゆうき君が大好きで とっても大切だからこそ そう思ってしまっているんだと思うよ。」
 「・・・わからないよ。先生の言ってる事。」
 「ゆうき君はママが大好きだろう?」
 ゆうきはこくんと頷きました。
 「ママが悲しい顔をしていたら どんな気持ちになるかい?」
 ゆうきは少し考えてから答えました。
 「・・・ぼくも悲しい気持ちになると思う。」
 「ママだって同じだよ。 
 ゆうき君が悲しんでいるとママも悲しくなるし 楽しいとママも楽しい気持ちになるんだよ。」
 ゆうきはママの方を見ました。ママは もう泣いていませんでした。
 ママはゆうきを見て恥ずかしそうに笑いました。ゆうきもにっこり笑いました。

 「じゃあ 泣かない様に 我慢したらいいんだね。」
 ゆうきが笑ってそういうと 上杉先生もいつもの笑った顔になって
 「ゆうき君はやさしいんだね。でもそれは違うよ。我慢する事は決して良いこととは言えない。
 もちろん我慢するという事は大切な事だけど 
 本当に辛い時や悲しい時は 泣きたいだけ泣けばいい。
 我慢しているのを見るのも辛いものなんだよ。」

 上杉先生は また ゆうきに顔を近づけました。
 「ゆうき君は自分が好きかい?」
 ゆうきは 先生の話が難しくてよく分からなくなっていたのでだまっていましたが
 先生はかまわず話を続けました。
 「きみは自分のためにも 大好きなママのためにも 自分の事をよく知って 
 それから自分の事を大好きになった方がいいと思うよ。
 もちろん耳の事もね。」
 「ぼく この耳は好きじゃないよ。」
 言ってしまってから はっとしてママをみましたが 
 今度はママの目に涙が浮かんでこなかったのでほっとしました。

 「嫌いなものまで無理に好きになる事は ないかもしれないね。
 でも この耳もゆうき君なんだよ。せめて嫌いじゃなくなるといいなって先生は思うんだ。
 自分の事 嫌いだって思うのは辛いだろうからね。 
 それにね 小耳症なのはもちろん誰のせいでもないし 誰も悪くない。
 だから 小耳症は悪い事じゃないんだよ。
 隠すかどうかは ゆうき君がきめる事だから 先生は何も言えないしどちらでもいいと思っているよ。
 でも 小耳症は悪い事じゃないし 恥ずかしい事でもないんだよ。
 今はよく分からないかもしれないけど。」

 ゆうきは少し考えてから 聞いてみました。
 「嫌な事は嫌って言ってもいいの?」
 「そうだよ。でも ゆうき君自身の事までは嫌いにならないでほしいんだ。
 全部ひっくるめてゆうき君なんだから。」
 でもゆうきは 自分の耳が好きではないのです。
 ゆうきは先生から目をそらすと 上杉先生の話が分かった様な分からない様な 
 という困惑の表情で首を傾げました。

 上杉先生はそんなゆうきを見て はっはっはと笑うと
 「昨日 道で会ったというおばあさんは きっと目がみえていらっしゃらないんだと思うよ。」
 「えっ」
 ゆうきは目をまるくしました。
 あのおばあさんには ゆうきの顔も杖も何もかも見えていなかったのです。
 なぞがとけたという思いと同時に ゆうきは あのおばあさんがかわいそうになりました。
 「ぼく 今度あのおばあさんに会ったら もっと親切にしなくちゃ。何をしてあげたらいいの?」
 「ゆうき君はみんなにかわいそうだからって 耳の事で特別大事にされたいかい?
 そうじゃないだろう? 
 そのおばあさんだって同じなんじゃないかな?何かしてあげようって思っているゆうき君じゃなくて 
 いつものゆうき君でいいと思うよ。 
 何か困った事があったら その時に助けてあげたらいいんじゃないかな? 
 それは何も 相手に障害があるからというわけではなくて 誰にだってそうするだろう?
 特別にする事は何も無いと先生は思うよ。」
 「ぼく 分かったよ。」
 ゆうきは大きく頷きました。

 
  耳仲間

  診察室を出て 待合室のイスに座り会計を待っていると 
 そこへ一組みの親子がきてゆうきの前に座りました。
 ゆうきと同じ歳ぐらいの男の子でした。
 「あっ! 耳!」
 思わずゆうきは叫んでいました。
 男の子が横をむいた時に ゆうきよりも短めの髪の下から 
 ゆうきと同じ様な形の耳がのぞいていているのをはっきりと見たのです。
 自分の耳でも 鏡に写してなんとなく見た事があるだけでしたので ゆうきは本当にびっくりしました。
 
 その親子はゆうきの声に振り向きました。近くにいた他の患者さん達もこちらを見ました。
 「こら!ゆうき! あの すみません。大きな声で・・・」
 ゆうきのママは あわてて謝りました。
 ゆうきだって人前で耳の事を言われたら とても嫌なのに
 そのゆうきが 目の前にいる男の子の耳の事を大きな声で言ってしまったのです。
 この男の子は どんなに悲しい思いをしたのでしょう。 どれだけ傷ついた事でしょうか。
 ゆうきは どうしたらいいのか分からなくて どぎまぎしながら下を向いてしまいました。
 
  ところが
 「生まれつきなんだ。本当の事だから 謝ることないよ。」
 男の子はにっこり笑って そう言ったのです。
 ゆうきとゆうきのママはとても驚きました。
 まるで 道を歩いていて 肩が触れてしまったと謝ってきた人に言うように 
 本当に気にしていないという感じの言い方だったのです。
 そして 男の子がお母さんを見ると そのお母さんもにっこり笑いました。

 「ぼくも 同じなんだ。」
 ゆうきは髪をかきあげて 小耳症の耳をこの親子に見せました。
 ゆうきが自分から 耳を見せたのは初めてです。
 自分でも どうしてなのか分かりませんでしたが この親子になら見せてもいいと思えたのです。
 「あら 本当だわ。形もかけるのと似てるわね。」
 男の子のお母さんはそう言うと 耳をかきあげてみせてくれました。
 「まあ。実は私 この子以外の お耳を見たのは初めてなんです。
 もしよろしかったら いろいろお話を伺ってもいいですか?」
 「もちろんです。」
 ママ達は気があった様で楽しそうに話をし始めました。そして ゆうき達も
 「おれ 天野かける よろしく」
 「ぼく 野田ゆうき よろしくね」
 かけるもゆうきと同じ 一年生です。なんだか とても仲良しになれそうな予感がしました。

 かけるは上杉先生の話に出てきた 耳仲間なんだなってゆうきは思いました。
 かけるといると なんだか力がわいてきます。
 自分だけじゃない 一人じゃないって事がこんなに心強いものだとは 
 ゆうきも ゆうきのママも知りませんでした。

  やがてゆうきの会計が済み かけるも診察室に呼ばれました。
 なんだか離れがたくて動こうとしないゆうきとかけるを見て ママ達は笑って
 「すぐ会えるわよ。だって 隣町なんだもの。」
 「家 近いの?」
 「やったあ」
 「小学校は別だけど なんと中学校は同じになるのよ。」
 最後の方は もう二人とも聞いていませんでした。
 ゆうきは かけるに手をふると 小躍りしながら家へ帰りました。 


  けんたとおばあさん

  次の日の朝です。ゆうきはいつもの様に学校へと向かいました。
 学校を飛び出した時の事を考えると ちょっと気が重いのですが 今日のゆうきはいつもと違います。
 耳の事をみんなに知られてしまった事が 前ほど嫌だって思わなくなっているんですから。

 (あの おばあさんだ。)
 向こうから 先日会ったおばあさんが 杖をまるで生きているかのように動かせて歩いてきます。
 「おはようございます。」
 ゆうきは元気にあいさつをしました。おばあさんはゆうきの方を向くと
 「この前 杖を拾ってくれた やさしい坊やじゃないかい? そうだろう?声で分かるよ。」
 にこにこしてそう言いました。そして 手提げからあめを取り出すと
 「お礼がまだだったね。」
 と ゆうきに渡そうとしたので ゆうきはあわてて手を横に振りました。
 「ぼく これから学校なんだ」
 「おや そうだったね。 じゃあ また今度会った時に貰っておくれね。」
 ゆうきはうなずきましたが おばあさんの遠くをみている様な目を見て あわてて
 「うん。」
 と 声に出していいました。
 「今度会った時のために 顔をよくみせてくれないかい?」
 どうやって? 
 とゆうきが聞き返す前に おばあさんは両手でゆうきの顔をそっと包むと 
 指を動かせて ゆうきの目や鼻を触っていきました。

 そして耳に触れると
 「おや まあ。 こりゃあ いい耳をしてなさる。お地蔵様のお耳だわ。」
 「お地蔵様?」
 「最近はお地蔵さんもみかけないからねえ。最近の子は見たことないかもしれないねえ。」
 「絵本で見た事あるよ。お寺でも見たよ。
 でも どうしてお地蔵様の耳だといいの? ぼく いい耳って言われたの初めてだよ。」
 「お地蔵様は いつもおだやかに笑って 人々を見守っていてくださるんだよ。
 皆の幸せを願っておられるのだよ。 
 坊やは 神様に選ばれた人間かもしれんなあ。 
 神様が目印に 地蔵様の耳にしなさったのかもしれんな。」
 神様に選ばれたとか言われて ゆうきは なんだかこそばゆくなってきましたが 
 悪い気はしませんでした。
 嫌いだった耳も 少しは好きになれそうな気がしてきました。 

 「ばあちゃん ここにいたのか。母さんが探していたぞ。」
 ふいに後ろから声がしました。けんたでした。
 「おや そうかい。 じゃあね 坊や。 けんた気をつけて行ってくるんだよ」
 おばあさんは 歩いて行ってしまいました。
 ゆうきとけんたは しばらくその場でおばあさんの後ろ姿を眺めていました。
 「ばあちゃんな 春に家に来て それからずっと一緒に住んでるんだ。」
 「そうなんだ。」
 「ばあちゃんの目は全然見えない。産まれたときからじゃ無くて 
 大人になってから病気で見えなくなったんだってさ。」
 けんたは だんだん小さくなっていくおばあさんから目を離さずに はなし続けました。
 「かあさんが言ってた。世の中にはいろいろな人がいるけど みんな同じ人間なんだって。 
 ばあちゃんは ただ目が見えないだけだって。」
 けんたはゆうきに顔を向けましたが 目をそらして下を見ました。
 「だからさ あのさ 上手く言えないんだけど・・・今まで 耳の事からかったりして ごめんな。」
 それだけ言うとけんたは 走って行ってしまいました。

 乱暴者で幼稚園ではいつも泣かされていたけれども 
 けんたはもう あのころのけんたでは無いんだと ゆうきは知りました。

 
  一人じゃないよ

  「今日は ゆうき君の事をみんなで話し合いたいと思います。」
 山野先生は授業を変更して 一時間目を話し合いに使う事にしたのです。
 「ゆうき君が帰った後 みんな どういう事なのか知りたくてしかたがなくなってしまって 
 うわさ話ばかりしていたでしょう? 
 これって ゆうき君のためにも クラスのためにも良くないと思うの。 
 だから ちゃんと話した方がいいと思うのよ。」
 先生と目が合うとゆうきは 笑いながら頷きました。
 
  朝 ゆうきが学校に着くと 山野先生が待っていて 
 耳の事をクラスで話してもいいかと聞かれた時 ゆうきは迷わず首を縦にふったのでした。
 
 先生はゆうきの耳は「小耳症(しょうじしょう)」といって 生まれつきなのだと言うこと 
 左の耳はちゃんと聞こえていること などを話しました。
 そして今度はゆうきが みんなの前で 十歳頃に手術をして耳をつくってもらえる事 
 昨日 はじめて同じ小耳症仲間に会った事を話しました。
 「今まで会った事が無かったなんて 小耳症って少ないんだね。」
 「仲間に会えて良かったね。」
 「ぼく 無視されたと思っていたけど あれは違ったの?」
 ゆうきはびっくりしました。もちろん 無視なんてしていません。
 「ゆうき君は 聞こえにくい時があるかもしれないね。」
 「そういう時は 左から話しかけたらいいんじゃない?」
 「ぼくだって テレビに夢中になってると お母さんの声聞こえないよ。」
 みんなの話を聞いているうちに ゆうきは鼻の奥がつーんとしてきて 涙がたまってきました。
 「あれ?どうしたの?」
 「こうじ君が 帽子の事 言った時もそうだったよ。」
 こうじはあわてて 立ち上がると
 「ごめん」
 と 頭を下げました。
 ゆうきは 頭を大きく横にふると 言いました。
 「ちがうよ。そうじゃないよ。なんでか分からないけど 嬉しいのに泣けちゃうんだ。」
 それを聞き 子供達の顔がやわらかく 優しくなったのを見て 
 それまで だまって成り行きを見守っていた山野先生は 微笑みながらゆうきの肩に手を置きました。
 「人はね 悲しい時だけじゃなくて うれしい時にも泣くものなのよ。 
 ゆうき君は 一人じゃないわ。
 耳仲間では無いけれども ここにだって クラスの仲間がこんなに沢山いるんだもの。」
 「そうだよ ゆうき。 おれ達は仲間だよ。」
 けんたが大きな声で言うと 他のみんなも そうだ そうよ と口々に言いました。
 ゆうきは涙を袖でぬぐうと クラスの仲間を見渡しました。
 (仲間なんだ。 ぼくの仲間。)
 体中があたたかい気持ちに包まれていくのを ゆうきは感じていました。  


                                                      おしまい




 コウキが生まれたばかりの頃初めて聞く小耳症という言葉にとまどいましたが 
 とりあえず今は 日常生活に支障が無いという事が分かると
 今度は オペの事や病院などの情報収集と同時に同じ悩みを持つ仲間がほしくなりました。
 でも1〜2万人に1人しかいないためか 産院の先生も知らなかった程 情報に乏しく 
 そのどちらも手探り状態でした。でも 縁あって小耳症サークルに出会い  
 今では全国各地に仲間が出来ました。
  たまに会ってはいろいろな話をしています。

 息子以外の子に会った事が無かった頃は
 もしかしたら家の子だけかも?なんて寂しい気持ちを抱えていたのですが 
 ただそこに仲間がいる それだけで その存在だけで どんなに救われた事でしょう。
 そんな気持ちを書いてみました。
 私の思いなので こんなんじゃないよって方もいらっしゃると思います。
 評価 感想など聞かせていただけたら幸いです。 
 つたない文章を最後まで読んでいただきまして ありがとうございました。

 PS ほとんどの小耳症は 補聴器によって聴力を得ることが出来ます。
  

2001.10.25 コウキ2歳の誕生日を目前に1週間ほどで書き上げた作品です。

 


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