ありがとう!! ZZ-R400 その1



出会い

ZZ-R400と出会ったのは、ちょうど今から8年前の94年1月。

以前から、街中で見かける先代(K型)に憧れており、93年のフルモデルチェンジでその想いは加速した。
当時、シリーズ最大排気量のZZ-R1100は、カワサキのフラッグシップとして、世界最速の座に君臨していた。
その頃、中型免許しか持っていなかった僕にとっては、1100はただの憧れに過ぎなかったが、400は手の届くところにあった。

400ccとはいえ、そのスタイリングは兄貴譲りのもので、存在感あふれる大柄なボディ、空力を考慮しフラッシュサーフェス化されたカウリング、非視認性にも優れた大型ビルドインウィンカー。そして、モデルチェンジによってより高められた質感。
また、ツアラーといいながらも、ツインラムエアを装備しレーサーレプリカに劣らぬ動力性能を誇り、スズキのRFとともにスポーツツアラーというジャンルを築いたバイクである。他のバイクは考えられなかった。

1年弱の間、ZZ-R400(N1)を手に入れるために、バイト代をせっせと貯め、それでも足りない分は親からの無利子ローンで賄った。そして、94年1月にお金を握り締め、バイク屋へと向かった。

こうして、僕とZZ-R400(N1)の8年間の付き合いが始まったのだが、この頃はここまで長く付き合うことになるとは思ってもいなかった。

第一印象

ZZ-R400の第一印象は期待を裏切らないものだった。
身長171cmの僕にとっては、足つきも良く、ハンドル位置もちょうど腕を伸ばしたところにある。
ステップ位置も、それほど膝が窮屈なわけでもなく、大き目のタンクと適度な前傾姿勢が、バイクと一体になっているという安心感を与えてくれた。

エンジンにしても、中型クラスとしては十分なトルクがあり、1,000rpm程度でも安定した走行は可能である。
唯一の欠点は、その車重だろう。乾燥重量195kgは、やはり重量級。走り出してしまうとほとんど気にならないのだが、最初の頃はやはり取り回しには苦労した。
ただ、これも慣れの問題だし、大型へのステップアップを考えていた僕にとっては、覚悟の上のことだった。
また、フルカウルの割には、ハンドル切れ角が大きく、重さにさえ慣れてしまえば大丈夫だった。

そうはいうものの、新車で購入したため、慣らし運転期間中は発進加速の鈍さに閉口した。排気量の小さい2stレプリカだけじゃなく、単気筒マシンにも赤信号からの発進加速で置いていかれたのだから…(T T)。

でも、この不満も慣らし運転が終わった頃に解消することになる。

思い出の場所(1)

ZZ-R400と一緒によく出かけたのは、六甲山である。

学校から近いということもあり、通学前によく東六甲を走っていた。
六甲山というと、表六甲や裏六甲などの有料道路が有名だが、これらの有料道路が南北に走っているのに対し、東西方向には県道16号が走っており、表六甲有料道路との交差点から東側を「東六甲」、西を「西六甲」と呼んでいた。県道であるから、当然通行料は不要である。

東六甲は、表六甲などの有料道路と比べると、道幅も狭く、ブラインドコーナーの続くワインディングであったが、平日の交通量は少なく、腕を磨くには格好の場所だった。
また、沿道には展望台や高山植物園、オルゴール博物館などがあり、時間がある時はそういった所でのんびり過ごすのも楽しかった。

それと、六甲山といえば、やっぱり夜景。山と海が近く、その間に大都市が広がっているので、明るい部分と暗い部分のコントラストがはっきりとしており、函館や長崎と並んで日本三大夜景の一つに挙げられている。この夜景を眺めに行くのも好きだった。
特に好きだったのが、夜なかなか眠れない時や朝早く目覚めてしまった時に行く、夜明け前の景色だった。夜明け前ともなるとさすがに灯りの数は減ってくるのだが、神戸は街路灯や集合住宅が多く、十分にその美しさは保っていた。
夜明けが近づいてくると、空が暗い間は光と影のコントラストだけだった神戸の街並みに変化が生じる。うっすらと建物の輪郭が浮かび上がり、山の木々や瀬戸内海、建物たちも徐々に色を取り戻してくる。それに何よりも空気がすがすがしい。
そして、缶コーヒーを片手に東の山並み(生駒山系)から太陽が昇ってくると、やはり感動を覚える。
夜明けの光景だけは、何回見ても飽きない。

そして、そんな時、ZZ-R400はいつも僕の側にいた。

戻る   TOPへ