若狭の伝統工芸
「海のある奈良」と呼ばれるここ若狭小浜には、たくさんの文化遺産や、建造物・祭り・民話が多く残されています。また、多くの伝統工芸の技を 受け継ぎ、守ってきた街でもあります。
若狭地方に今も残る伝統工芸は、 *若狭瑪瑙細工 *若狭塗り *若狭和紙 *若狭粘土瓦 など、ございます。
『若狭瑪瑙細工』
貴石のルーツと呼ばれるめのうは、約三億年位前に出来た石で、珪素の酸化物を主成分とする、硬く、重い石です。
現在でも、製造方法、研磨材料などは、全て昔から受け継がれたままです。寸時の油断もゆるされない、厳しい修行のなかか
らうまれる、美しい光沢を持つ「めのう細工」は、全国でも若狭でしかありません。
若狭めのう細工は、享保年間、若狭の高山喜兵衛という人が、浪花に出て、眼鏡屋で、丸玉製造の技を修得し、帰郷後この事業をはじめたのが、はじまりであると言い伝えられています。
その後、明治初年に、中川清助という人が、更に、技術の改良に苦心し、工芸彫刻法を案出し、内外各地の美術博覧会等に、出陳して、広くめのう工芸の妙を紹介し、その都度褒賞の栄に浴し、若狭めのうの名声は徐々に高まり、好評を博するに至りました。
そもそも、めのうの原石は、若狭の地でも明治中期までは、産出されていたと言われますが、その後は北海道から、現在は、ブラジルから良質の原石を輸入しています。
原石の産出されない、現在の若狭の地で、なぜこれだけめのう細工が発展を遂げたのか。
それは、江戸時代から受け継がれている、優れた研磨技術があったからだと言われます。
めのう細工は、磨きに三年、細工に五・六年、一人前になるには少なくても、十年から十五年はかかると言われています。また、小さな置物一つを作るのにも、原石から製品に仕上げるまでに、数年もかかります。それだけ、手間ひまのかかる細工なのです。
しかし、戦前は百件近くほどあった従事業者も、時代の流れにより、現在では、熟練した職人が、数少なくなってきているのが現状です。
昭和五十一年に、通商産業大臣より、伝統的工芸品として指定を受け、またこれを、後世に伝えるべく、日々技を磨き、たゆまぬ努力を続けています。
現在は、仏像や、各種の動物の置物、香炉、風鎮、帯留、ブローチなどが、作られ、製造工程を垣間見る事もできるようになっていますが見られるところはございません。
若狭めのう細工ができるまで
原石を調べ、どの様な細工に適しているかどうかをその石の色・模様から判別する。中まで椅震な石だと彫刻用の大物に、中が空洞たとイヤリングやフローチなどの装身具に良質の部分を使う。細工に適切な大きさにするための工程で「弓式切断機」で原石を切断する。鋼鉄製の板には刃が付いておらず、
すり砂と水を混合させて泥状にしたものをポンプで汲みあげ絶えずかけながら、一週間程かけて切断する。
「焼入れ」後の色彩を鮮やかにするため、ちりやほこりが直接つかないように地面におき、原石の内部まで自然酸化が進むまで置いておく。焼入れとは、原石が含有している鉄やクロームなどを加熱することで酸化させ、石の色彩をより鮮やかに発色させる方法である。下の写真は火窯と呼ばれるものであるo
使い方は、原石を灰の中に入れその上から炭をおこして焼入れする。
これを何度も繰り返して赤みがでるまで行なう。熟しすぎると石が割れ、逆にぬるすぎると色は不透明なままで職人の腕と感が必要な作業である。現在は、下の写真の電気窯を使い約300度の温度で数日かけて焼入れを行なう事が多い。
焼入れした原石の色・模様・キズを見なからどの様に加工するかを決め、石墨で大雑把な意図を描きダイヤモンドカッターなどで余分な所を切断していく。石を膝や足で支えてから五寸釘のような鉄矢を当てかい、その頭を小槌で叩き、石を削り、形をととのえて行く。ロクロと呼ぶ細工機に鉄ゴマを付け、水を含ませた金剛砂(炭化珪素の研磨材)を石に絶えずかけてやりながら削っていく。荒削り・中砂・仕上げ削りの順に砂を細かくして削り、形を仕上げていく。
形ができあがれば表面を滑らかにする泥磨きが行なわれる。
ロクロに木ゴマを付け、細かいすり砂を使い磨いていく。最後に木ゴマと酸化クロームという磨き粉を使い仕上げ磨きを行ない、めのうが内包している貴石特有の深い透明感を表に引き出す。
大切り後の生地取り・小切り・欠け込みで約12時間、荒削り・中砂・仕上げ削り
で約16時間、泥磨き・仕上げ磨きで約8時間の時間をかけてめのう細工が完成する。

 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
| 生地取り |
|
小切り |
|
欠け込み |
|
荒摺り |
| げんせきを見分けどのように利用するか決める。 |
|
原石をそれぞれの寸法に切断する。 |
|
鉄矢を小槌で叩
き不要の部分を欠き粗方を作る。 |
|
細工機を使い金剛砂30番を使って研磨していく。 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
| 中砂 |
|
あげ砂 |
|
泥かけ |
|
泥磨き |
|
|
| 荒摺り同様の方法で金剛砂80番を使って研磨していく。 |
|
荒摺り同様の方法で金剛砂120番を使って研磨していく。 |
|
泥砂により滑らかにしていく。 |
|
桐ごまと泥砂状の金剛砂により磨く。 |
|
|
制作コーナーを併設しています。
天然石を使って 自分だけの壁掛けを作ってみませんか?
初めての方でもお楽しみいただけます。
(小学生以下のお子様は保護者同伴) |
| 制作時間 |
60〜90分 |
| 制作材料費 |
1人 630円(税込み) |
| 制作受付時間 |
9:00〜16:00 (17:00閉店) |
| 対 象 |
個人・家族連れ・小グループ
※場所に限りがありますので、観光団体バスのお客様はお受けできません |
| 台紙サイズ |
タテ11cm ヨコ9,5cm |
| 制作サイズ |
タテ8,8cmヨコ7,5cm |
|
|
◇貼り絵体験風景  |
|
(石の種類、大きさ等については内容を変更することがあります) |
 |
| ワンポイントアドバイス |
◇ 石を張り詰めないほうが仕上がりがきれい
◇ ボンドは少し多めに!
◇
小さな石はピンセットを使うといい |
|
 |
下絵の種類は3パターン お好きな絵を選んでください |
石の種類が豊富なので、同じ下絵でも出来上がりが多種多様です
| 白紙台紙を使って、好きな絵を自由にデザインすることもできます |
できあがり!!世界中探しても同じものはありません
|
若狭めのう・商品案内
「若狭粘土瓦」
小浜市の南西部、山に囲まれた口名田地区で「若狭粘土瓦」は製造されています。その口名田地区における焼物の歴史はたいへん古く、多数の須恵器の破片の発掘から、約千二百年前にはすでに行われていたと思われます。
瓦の製造については、比較的新しく、若狭粘土瓦のはじまりは、今から三百六十年ほど前、小浜城築城の際、西津の海辺において御用瓦を製造しており、その後南川沿いの新滝・口田縄区で焼かれるようになり、宝暦の終わりから明和の初め(一七六〇年頃)にかけて、西相生区で焼かれ現在に至って居ります。
若狭粘土瓦は、だるま窯によるいぶし瓦の技法で、現在では若狭小浜にだけ残っている
古い技法です。
だるま窯とは、昔からの古い型のもので、ちょうどダルマのような形をしており、焼き物に適した型として現在もその姿は変わっていません。

厳選された良質の粘土を使い、成型し、その後、乾燥させた半製品を窯に詰め、それから窯の戸口と窓を、煙の出る部分を残しふたして焚口から火を入れます。(まきを使用)約一昼夜かけ窯の内部を摂氏一千度まで上げ、製品を焼き固めます。
そして、窯の煙りの出る部分(十センチほどのあなをあける)を残し、戸口と窓を土で塞ぎ、最後に松の木をくべて焚口を土でふたをします。この状態で約三時間いぶします。その間に煙に含まれる炭化水素を製品に付着させることにより、銀色に発色させ、十センチのあなをふたして完全に密封にします。
その後、窯の中に水を注入し、水蒸気が発生することにより、窯の内部の圧力が上がり外気を遮断して、銀色にムラができるのを防ぎます。十二時間ごとに水入れをし、窯を冷やして、約一昼夜半後、窯の戸口を開けて製品を取り出します。
まきで造った瓦は良質で、さらにいぶす技術により銀の光沢と艶が他産地に比べて優れ、色あせがほとんどなく、何十年以上ももつと言われています。また、寒冷地における凍結による割れが少ないのが特徴で、そのため北前船ルートに沿って北陸から北海道まで幅広い地域で使われていました。北海道小樽市の博物館の屋根に現在も使用されているそうです。
かつては、口名田地区に百程の窯があり、煙が昇らない日はないほどの盛況ぶりでしたが、近年は他産地の工業化などにより、現在では一業者がいぶし瓦・飾り瓦や、、飾り瓦をインテリア化した置物等を製造しています。

NHK『ちりとてちん』でおなじみの「若狭塗り」

約四百年の歴史を誇る若狭塗りは、慶長年間、小浜藩の御用塗師であった松浦三十郎が中国の漆塗盆を模して作ったものを藩主に献上したのが始まりとされています。
その後、海底の模様を意匠化して「菊鹿塗」を案出し、その門人らによって海辺の貝殻や白砂の美しい景観を描く「磯草塗」が創られ、万治年間(一六五八〜一六六〇)に現在の卵殻金銀箔塗押の技法が完成され、また、松葉模様などの意匠も考案されて現在のかたちが定着しました。
全国の数多い漆器産地の中でも若狭塗は、漆を幾重
にも塗り重ねては研ぐという研ぎ出し技法を使ってい
るのが特徴です。
中塗りした漆の上に松葉や菜種などをのせ、さらに
貝殻、卵殻を散らして模様付けをし、漆が乾燥したら
葉や菜種などは除いて合塗(黄や朱の色漆を重ねてぬ
り、若狭塗独特の色彩と艶が生まれる)を行います。
模様
の周囲に金箔を埋め込み、さらに漆を何度も乾いては
塗り、乾いては塗っていきます。
それから荒砥石、中砥石、仕上げ砥石で模様が出る
まで研ぎだします。この研ぎ一つで微妙な色合いが生
まれます。
そして炭研ぎをして表面をいっそうなめらかにして
から、砥の粉と菜種油を練ったものを布切れにつけて
磨き、べんがらで磨き、最後に鹿の角粉を手の平や指
につけて丹念に磨き、仕上げます。
十数回も塗っては乾かし、五度、六度と磨く工程が
必要なため、仕上がりまでには半年はかかると言われ
ています。
それだけに独特の重量感と風格があり、愛好家志向
の塗物としてたいへん珍重されてきました。
今日では全国シェアの八割をしめる若狭塗箸をはじ
め、箸箱、盆、茶器から装飾品まで幅広く生産されて
います。
昭和五十三年に通商産業大臣より伝統的工芸品とし
て指定を受けました。現在、小浜城跡を中心に五件の
製造所があり、この伝統の技法に加えて現代的感覚を
取り入れた意匠づくりに努力しています

「若狭和紙」
若狭和紙の歴史は大変旧く、延暦(七八二〜八〇六)の頃、田村の地(現在の小浜市和多田地区)に、和紙の製造技術が伝わったと言われております。

「若狭国志」には延喜(九〇一〜九二二)の頃、若狭から都に庸として紙が送られていたことが記述されております。また、小浜藩主・酒井忠勝公の治世(一六三四〜一六五六)にコウゾやミツマタの栽培を奨励したことによって、製造が盛んになったと伝えられております。
若狭和紙は、原料にコウゾを使用しております。コウゾの黒皮を刃物で削ぎ落とし、一昼夜から二昼夜、水に漬けてほぐれやすくします。
それを、作業場内に引き入れた谷水の中で洗い、打解機に三十分程かけてコウゾをたたき、なぎなたビーターとよばれる機械に水とコウゾを入れ十五分程回転させて細かい繊維に独立させます。その細かい繊維になったものと水とトロロアオイ(植物の根をたたいて水に浸し粘りを出したもの)を(四尺×六尺×一尺)に溶かし、すけたとよばれるもので紙を漉きます。
トロロアオイを使うのは、繊維を均一にし、粘性を与えるためです。漉いた紙を重ねて一晩、圧搾し水を切ります。そして、水を入れ火を焚いてその熱を利用して乾燥させる湯たんぽ式の乾燥機(三角柱を横にした形)に一枚ずつ貼り付けて乾燥させて出来上がります。
このコウゾから出来た若狭和紙は、繊維が長く丈夫で水にも強いのが特徴です。また、若狭にはその特性を生かした「型染め」という技法での染め方が旧い形で残されております。

型染めとは、まず、漉かれた和紙の上に模様をくり抜いた型を置き、その上から友禅のり(もち米の糊)をすり込み、色が付かないように防染します。その和紙を天日で干し、乾燥させてから、ハケで全体に顔料を塗っていきます。
[地色引き]地色引きした上から模様に合わせた型紙を当て、別の色をハケを使って小さな模様に色を差していきます。
[色差し]これを繰り返し、最後に染紙ののりを水で洗い流すと、艶やかな絵柄が浮き出ます。これを天日で干し乾燥させて作り上げます。
かつて若狭和紙は、絹布などの包紙として愛用され、和傘・障子紙・研磨紙などを生産しておりました。その後、型染めの技法で美工紙をも手がけるようになり、現在は、ハガキ・名刺、そして和紙人形などの材料となる千代紙などを生産しております。
その中でも国産のコウゾ百パーセントで仕上げた若狭和紙は、絵画・書道関係の人達に根強い人気があります。現在も和多田地区を中心に五軒が、純良で頑丈な若狭和紙の紙すきの技術を受け継いでおります。

雑誌掲載のご紹介♪