イエス・キリスト
2000数年ほど前に地上に誕生された神の子、メシア(キリスト)、救い主のことです。ガリラヤのナザレという町で若き時を過ごされました。その誕生の物語は聖書のマタイによる福音書、ルカによる福音書に記されています。この方は33歳で、その生涯を終えました。その最後は、人々から見捨てられて十字架に磔(はりつけ)にされました。しかし、最後まで人間を愛し続けられ、人間たちの罪が赦されるように神様に執り成しを続けられました。完全に死んだ後、3日後に、弟子たちの前に現れて、ご自分の復活の姿を示されました。その後40日間、復活されたイエス様は弟子たちと共にあり、エルサレムの東にあるオリーブ山から神様のもとに昇天されたのです。そしていつも神様に私たちを執り成し続けてくださっています。
キリスト教会
キリスト教はイエス様の命令により、弟子たちによって始まりました。その中心的なメンバーはペトロと呼ばれるガリラヤの漁師出身のユダヤ人でした。彼と他の11人の男性の弟子たちと女性の弟子たちによってユダヤのエルサレムでキリスト教会は出発しました。最初は、ユダヤ教と変わりなく接していたのですが、次第にユダヤ教との違いがはっきりとし、キリスト教は迫害を受けるようになりました。キリスト教会を迫害していた側のパウロはある時、そのイエス様から呼び止められるという不思議な経験を通して、キリスト教徒となりました。そしてイエス様の教えは次第にユダヤ人たちから外国人たちに伝えられて行きました。時に大きな迫害を受けましたが、命をかけてイエス様を信じることに生きたキリスト教徒たちの証が人々の心を変えて行くのでした。キリスト教は当時のローマ帝国をさらに全世界に伝えられています。しかし、残念なことにイスラム教徒たちへの十字軍やユダヤ人への差別など、キリスト教会は大きな間違いをしてもいます。近代の無神論、唯物論などの批判にあいながらも、現代まで神様を信じることの意味を保ち続けています。
群馬のキリスト教
群馬のキリスト教は、戦国時代のカトリック教会の伝道を別として、明治時代にキリスト教禁令が解かれて盛んになります。群馬の人々は江戸末期から明治時代に生糸関連の産業が盛んになり、諸外国との貿易、商売のため、横浜に拠点を持っていました。そこからキリスト教や外国の知識、物資が群馬県に入って来ました。群馬県のキリスト教会を建てたり、育てたりした人々の多くは、こうした生糸関連産業に関わる人々でした。キリスト教の禁欲、誠実な教えに人々は感激したのです。新しい時代の日本を導くのはこの教えだと人々は感じたのです。中でも幕末に国禁を省みずに渡米し、キリスト教の伝道者、教育者となった新島襄は、群馬県に多くのキリスト教会を建てました。また多くの弟子たちが群馬県のキリスト教会を育てています。また群馬県にはいくつものキリスト教教育の学校、幼稚園、保育園、福祉施設が存在しているのも、キリスト教を新しい日本人を導くものと信じた人々の働きによっているのです。
レント
レント、受難節、四旬節、大斎節、色々な呼び方がありますが、イエス様の受難、十字架を思い起こす時です。わたしたちにとってイエス様の十字架は贖いであり、救いのしるしです。イエス様のなさったことにわたしたちは報いることなどできません。それでもわずかながら主の受難を自分たちの生活の中に思い起こし、身に受けてみようとする時です。何よりも悔い改めの思いを強くして、神様の前にへりくだって、祈りと聖書の御言葉に聞き、主イエス様に従う思いを新たにする時なのです。レントの終わった後には主の復活、イースターがやってきます。喜びのイースターを皆さんと迎えたいと願っています。レントは40日間と伝統的に定められています。春分の日に一番近い日曜日が復活日、イースターとなります。そこから40日遡ってレントが始まります。日曜日は主の復活を祝う主日なので、これを除いて考えることになっています。
イースター(復活日)
イースターは、イエス・キリストの復活を祝う礼拝、祭礼です。イエス・キリストは肉体として完全に死亡しました。そんなイエス・キリストが再び弟子たちの前に現れたのです。イエス様の復活がなければ弟子たちは神様を信じる信仰を失っていたかもしれません。そんな傷心の弟子たちを再び呼び集めてくださったのは復活のイエス様です。呼び集めるだけでなく、弟子たちを教えられ、導かれて、教会(エクレシア)を作られました。聖書にはイエス様ご自身が「教会」を作ることを明確に命令した言葉はありません。しかし、復活されたイエス様のなさったことは、弟子たちを再度召命する、呼び集めるということでした。呼び集めた弟子たちは、イエス・キリストの福音を伝えるために派遣されました。イエス・キリストを信じること、弟子たち、教会は、復活の主イエス様によって始まったのです。もちろん、十字架の主イエス様、十字架につかれる前のイエス様と復活された主イエス様とは同じイエス様です。イエス様の十字架のおける死は、イエス様の復活につながっています。復活の主イエス様があるからこそ、わたしたちの救い、命、信仰、教会があるのです。
聖霊降臨(ペンテコステ)
聖霊は、イエス様が神様のところから、わたしたちに遣わされた方です。単なる神様から来る聖なる力ではなく、正に神様そのもの、神様やイエス様と同じように人格を持ち、愛を持ってわたしたちを時には教えたり、時には導いたり、時には慰めてくださったりしてくださいます。すべては、イエス様が天に昇られた後、神様、イエス様と私たち人間がいつも共にあるために聖霊は私たちに遣わされたのです。そして、イエス様が再びわたしたちの世界に到来されるまでずっと一緒にいてくださるのです。それが聖霊なる神様のことです。聖霊が降った出来事を示すのがペンテコステ(五旬節)の出来事です。イースターから数えて50日目の出来事なので、このように呼ばれています。その時、イエス様の弟子たちが最初に聖霊降臨の出来事に出合いました。弟子たちはみな聖霊と一体となり、聖霊を受けて、神様をたたえました。本当に神様が一緒にこれからもいてくださることを実感する大切な出来事となりました。その後も聖霊は絶えず私たちの世界と共にあり、わたしたちを神様へと導いてくださっているのです。そしてそのためにイエス様の教会のを建てられました。
ハロウィンは、キリスト教と関係ありません。
ハロウィンという行事があります。10月31日がハロウィンです。これはもともとキリスト教が伝わる以前からあるケルト人のお祭りです。ですから、キリスト教が祝うお祭りではありません。ヨーロッパの人々は、習慣としてハロウィンをお祝いしますが、キリスト教徒の関係はありません。ローマカトリック教会は、同じころに諸聖人の日とうい日を設けていますが、プロテスタントのキリスト教会がハロウィンを祝うことはあまりありません。ただヨーロッパからやってきた風習なのです。