K257 大クレドミサ

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概要
 このK257は当時としてはおそらく破天荒なミサ曲であったと思われる。レシタティーボのようなキリエの合唱の入り、グロリアのロマン派風の入り、CredoCredoと何度も繰り返すクレド等々、K257はモーツァルトのミサ曲としては名曲とはいえないが、彼がいろいろな工夫を試みていることがわかる。そうした工夫は後のミサ曲やオペラなどで花開くのであるが、このミサ曲においてはまだそのための過渡期的段階といえよう。モーツァルト研究の泰斗アインシュタインはこのミサ曲を「リートミサ」と呼んでいる。ソロを含めて複雑なパッセージがなく、全体が流れるようなやさしい雰囲気を持っているからであろう。なお、この「Lied」というドイツ語には「Choral」という意味もあるそうである。すなわち、このミサ曲は必ずしも単旋律の歌曲的という意味だけでなく、ドイツコラールの勇壮なホモフォニックなハーモニー的魅力もあるということである。

 このミサ曲は1776年の11月に書かれている。ほぼ同時期にはK258のシュパウルミサが書かれている。「大クレドミサ」というあだ名がついている所以はいうまでもなく、このミサ曲のクレドが非常に特徴的であるからである。「大」があるからには「小」も無論ある。K192がそれである。このミサ曲もまたクレドにおいて「Credo」が何度も繰り返されており、K257より規模が小さいので「小クレドミサ」と呼ばれている。個人的にはK257の「大クレドミサ」よりはK192の「小クレドミサ」の方がはるかに出来が良いと思うし、好きであるが、ここではK257のおはなし。

各論
1キリエ 前述のように、前奏に続いて合唱がレシタティーボのような形で入ってくるのが非常に印象的である。すなわち和声学でいうニ長調の和音の第一転回形で入ってくるのである。(ニ長調の導音であるファ♯の音がバスに来ている) おそらくこれまでこんなミサ曲はなかったのではないか。この第一転回形はしばらく続き、(第3〜5小節)聴衆はしばらく和音の解決までの焦燥感を味あわされることになる。

 続くAllegroではホモフォニックな合唱(Aとする)のあと、まさに「リート的」な美しいメロディー(Bとする)が始まる。ソプラノソロがアルト以下の2ビートのソロトリオを従えて歌うさまはまさにリートである。

 このAllegroの構造は、ABABA'という形になっているが、2、3回目のA,A'においては、最初にKyrieと歌うドードドミの2拍が抜けているのが面白い。人間はだいたい曲の頭を聴いていろいろ判断をするものである、ということをモーツァルトが知り抜いていてわざと頭をけずったのであろうか。このようにモーツァルトはキリエにおいて、さまざmな斬新な試みをしていることがわかる。すなわち・・・
@レシタティーボ形式の導入
Aリートの利用
Bフレーズの頭のカット

である。

2グロリア


 これも前述のようにこれまでのミサ曲にはない始まり方である。すなわち伴奏は弦のトレモロである。こうした形はロマン派のミサ曲ではよく見られるが、モーツァルトの時代では珍しい。

 続いてEt in terraに入ると、型どおり、terra(地)に合わせたように合唱は低音域を這うようになる。途中いったん、Cdurの七の和音の第三転回形で終止し、この形でbonae と始まっていくのが耳を引く。

 laudamus teからはまた曲想が明るく変わる。続いてDomine Deusからは、ソロが先導してソロカルテットがコラール風に合いの手を入れるという形となる。このやり方は後にケルビーニがかの有名なハ短調のレクイエムでより複雑な形にして踏襲している。

2分45秒から

qui tolis pecata mundiよりまた曲想が変わる。ここでは、トリルの入った弦が耳につく。

 Quoniam tu solus sanctus以下では最初の主題が再度出現するが、今度は新たな主題で歌われるJesu Christe cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patrisのテキストの部分がこの最初の主題の中間にはさまれているのがおもしろい。すなわち最初の主題を(Gloria in excelsis Deo)(Et in terra pax hominibus)とすると、2回目は(Quoniam tu solus sanctus quoniam tu solus Dominus quoniam tu solus Altissimus)(Jesu Christe Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patoris Amen)(Amen)となるのである。Cがはさまれた新たなる主題である。ここでは通常はフーガとなって別扱いされるCum Sancto〜以下が最初の主題に組み込まれてしまっているのが特徴である。しかし聴いている分には確かにCum Sancto〜以下はきちんと目立って聴こえるからまたすごい。

 このグロリアはこのように、通常はフーガで書かれるcum sanctus以下の歌詞も含め、合唱は一貫してホモフォニックに進んでいく。リートミサと称されるゆえであろう。

3クレド


 このミサ曲のあだ名のもとになったのがこのクレド。Credo,Credo,と合唱が何回もけたたましく叫ぶ。ここで全歌詞において、”Credo"がどのように入ってくるかを見てみよう。

Credo in unum Deum, われは唯一の神を信ず。
Patrem omnipotentem, 全能の父、
factorem coeli et terrae, 天と地、
visibilium omnium et invisibilium. 見ゆるもの見えざるものすべての造り主を。

Credo

Et in unum Dominum,Jesum Christum. われは信ず、唯一の主、
Filium Dei unigenitum. 神の御ひとり子、イエズス・キリストを。
Et ex Patre natum ante omnia saecula. 主はよろず世のさきに、父より生まれ、

Credo

Deum de Deo,lumen de lumine, 神よりの神、光よりの光
Deum verum de Deo vero. まことの神よりの、まことの神、
Genium,non factum,consubstantialem Patri: 造られずして生まれ、父と一体となり、
Per quem omnia facta sunt. すべては主によりて造られたり。
Qui propter nos homines, 主はわれら人類のため、
et propter nostram salutem descendit de coelis. またわれらの救いのために、天よりくだり、

Credo

Et incarnatus est de Spiritu Sancto 聖霊によりておとめマリアより
ex Maria virgine: 御からだを受け
Et homo factus est. 人となりたまえり。
Crucifixus etiam pro nobis: ポンシオ・ピラトのもとにて、
sub Pontio Pilato, われらのために十字架につけられ、
passus et sepultus est. 苦しみをうけ、葬られたまえり。

Credo

Et resurrexit tertia die, 聖書にありしごとく
secundum Scripturas. 三日目によみがえり、
Et ascendit in coelum:sedet ad dexteram Patris. 天にのぼりて、父の右に座したもう。
Credo

Et interum venturus est cum gloria. 主は栄光のうちに再び来たり、
judicare vivos et mortuos: 生ける人と死せる人とをさばきたもう、

Credo

cujus regni non erit finis. 主の国は終わることなし。

Credo

Et in Spiritum sanctum,Dominum, 我は信ず、主なる聖霊・
et vivificantem: 生命の与えぬしを、

Credo

qui ex Patre Filioque procedit. 聖霊は父と子とよりいで、

Credo

Qui cum Patre et Filio simul adoratur 父と子とともに拝み
et conglorificatur: あがめられ、

Credo

qui locutus est per Prophetas. また預言者によりて語りたまえり。

Credo

Et unam sanctam catholicam われは一・聖・公・
et apostolicam Ecclesiam. 使徒継承の教会を信じ、
Confiteor unum baptisma inremissionem 罪のゆるしのためなる
peccatorum. 唯一の洗礼を認め、
Et exspecto resurrectionem mortuorum. 死者のよみがえりと、
Et vitam venturi saeculi. 来世の生命とを待ち望む。

Credo
Amen. アーメン。


とにかくよくぞここまで”Credo"を嵌め込んだものと思う。こんなミサ曲は、それまでまずなかったはずで、初めて聴いた人は、度肝を抜かれたのではないか。おそらくモーツァルトは、この曲で何らかの実験をしていたのではないかと思う。あるいは、よほど自分の信仰をやたら誇示したかったのか。

しかしこの楽章は、こんなふざけたことをしている割には、名曲なのであり、そこがモーツァルトのすごいところだと思う。

この楽章は、大雑把にいえば、Et incarnatus est de Spiritu Sancto 以下の緩徐楽章を挟むABA’の三部形式であるが、特に間のBの部分は素晴らしい。

このBの緩徐部分で不思議なのが、et homo factus est(人となり)の部分である。(下譜) 


すなわち、この部分ではアクセントが意識的にずらされている。さらに不思議なのは、音楽的アクセントのみならず、et homo factus estのように、歌詞のアクセントまでずらされているのである。この意図は不明である。

後半部分の聴きどころは、Et in Spiritum sancum〜qui locutus est per Prophetasまでのソロカルテット部分で、バスが主導して、ソロカルテット(一部Tutti)がフォローするという形になっている。この部分は、オーケストラも素晴らしい。

最後は、”Credo"と”Amen"が混在して終わる。このCredoは、K257の中では、一番の名曲だと思う。Credは歌詞が長いので、どうしてもだれることが多いが、、この楽章に関しては、そうではない。

4サンクトゥス 




この曲の旋律はかの有名なジュピター音型である。(下譜参照。さらにまたジュピター音型に関してはモーツァルトの天才の秘密のページを参照のこと)

 
 しかし残念ながらこの曲においてはこの無限の発展の可能性のある音型はK192や交響曲第33番、ジュピター交響曲のようには有効に使われていない。単にホモフォニックに処理されているだけである。だから私はこのサンクトゥスはそれほどいい曲だとは思わない。なお、Hosanna in excelsis ではシンコペーションが目立つ。そのために音楽的アクセントと語学的アクセントは意識的にずれさせられている。ベネディクトルスは伝統にしたがってソロカルテットで歌われる。

5アニュスデイ 


ここも特に大きな特徴はないが、第49小節のアウフタクト以下のソプラノとテノールのこだまするような掛け合いの部分などは見事だと思う。また第79小節と第88小節のdonaのところではソプラノソロとアルトソロがユニゾンとなっている。こうしたソロの使い方は後の彼のオペラではしばしば現れるが、ミサ曲としてはおそらく初めてのことではないかと思われる。したがってこの部分は後のオペラの作法への試行とみたい。

まとめ
 以上のようにこのK257ではいろいろ斬新なアイデアがたくさん盛り込まれているが、モーツァルトを代表するミサ曲とはいいがたい。ただ、Credoは別格でいい曲だと思う。後の彼のオペラの傑作群のための試作品的存在である、といったら少々言いすぎだろうか。