第42番〜44番
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第42番その1;レシタティーボ


 このレシタティーボはホ短調で始まる。短調で始まるレシタティーボはマタイでは数曲あるが、すべて根音で始まっている。これは短調では第3音が導音となりえないために、長調の曲において第1転回形で始まる導音的効果が期待し得ないためである。すなわち長調で始まる場合は導音が最低音として始まることにより、次の和音へはまさにこの最低音が短二度変化してその導音としての役割をはたすのであるが、短調で始まる場合は導音は長二度変化となり、その役割を果たせないないからである。

 マタイのレシタティーボは大多数が長調で始まっているのに何曲かは短調で始まっている。理由はよくわからない。ただ、短調のレシタティーボを頭の中で長調の第1転回形に置き換えてみるとやっぱり違和感があるのよね。(短調の始まりに慣れてしまっているともいえるが)

 さてそれにしても、この尋問は拙劣だと、ど素人の私でも思う。だいたいいきなり「お前は神の子か」なんて聞かれて「はい、そうです」と答えるバカがいるだろうか。(そう答えたら当時の律法では死刑になるのはわかりきっていた訳で、イエスはこの世を超越していたからおバカさんを演じてしまい、結局大祭司たちのワナにはまってしまったのだ)

 
もし、イエスからちがう、と言われたらそのあとはどう尋問をすすめていくつもりだったのだろうか。あるいはえらい人の中に知恵者がいて、「いきなり核心をつきましょうや、あいつ(イエス)はバカ正直だから、きっとすぐ吐きますぜ」とか悪知恵をつけたヤツがいたのかもしれない。

 ところでこの曲の第5小節の「du seiest Christus」のところの音型は裁判の場面である後の第54番の第13小節の「wird er sei Christus」の音型と似ていると思いませんか?(下譜参照) 両者は主語は異なるが、ともに「イエスがキリストであるかどうか」という尋問を受けている場面であり、共通場面である。したがってこれは偶然の一致ではなく、バッハが意図的に合わせたものであると解したい。

 
第42番第5小節
 
第54番13小節



その2 イエスの言葉
 ホ短調で始まった曲は大祭司の言葉が入ると長調系になる。第6小節で大祭司の言葉が終わるところの和音は根音が第1転回形となりそうであるが、なぜか転回なしでどっしりと終わる。この和音からするとこの時の大祭司の言い方は早くイエスの証言を引き出そうというあせった気持ちよりは、必ず死罪の証言を引き出せる、という大祭司の確信のようなものを感じる。(バッハはそうした大祭司の心境を和音で表現したのだろう)

 大祭司の言葉が終わってイエスの言葉が入るとまた短調(hmoll)となる。hmollは第9小節よりH上の七の和音となり、第10小節の第3拍目ではなんとイエスがCを歌うために九の和音となる。(Cf.第40番のレシタティーボ。ここでももまた当時では珍しい九の和音が使われている)

 尚、このイエスの光背における16分音符の連続は歌詞の中に出てくる雲をあらわしている。この音型、いかにもふわふわした雲(積雲だろう)のようにみえるではないか。(下譜参照)

 


 イエスのこの言葉が終わると今度は大祭司の言葉となるが、この部分では、「神を穢した(laestert)の和音が目立つ。すなわちここは7の和音の第三転回形であり、これはユダが出るときのライトモチーフ(と言うかライト和音)である。

第15小節

レシタティーボから合唱へ
 このあとは和声学的には第16小節の「gelaestert(汚す)」に対し悪魔の増4度が与えられているのが目立つ程度である。イエスから絶好の証言を引き出した大祭司が皆の者に誇らしげに「この男は神を汚した、これ以上何の証拠が必要だろうか?」と叫ぶ場面である。

 そしていよいよ久しぶりの聖句の中の合唱が始まる。これよりしばらくは聖句には合唱がたくさんちりばめられるようになり、マタイもいよいよ核心に入っていく。

 ところでこのレシタティーボから合唱への入りの和音が少しおもしろい。第20小節でエヴァンゲリストが高い音で叫び、にわかに動きはじめた16分音符の通奏低音とともに次のはげしい合唱を引き出すが、ここからの調性がホ短調となるのである。これはエヴァンゲリストの歌う旋律の流れからすると当然にこうなるのであるが(Hdur→Emoll) このあとの合唱がこれらの調性と関係ないト長調で始まるために、つなぎが不自然なのである。

 すなわち下譜の※の所のように通奏低音がHで終わっており、和音がGdurの第一転回形となって合唱が始まっている。そのために何となく不安感を残したまま
(既述のように和音の第一転回形は不安定さを表す)合唱が開始されるのである。

 これはおそらくこのいかさま裁判に対する後ろめたさが大祭司や民衆の頭の片隅のどこかにあり、そのために通常ならば低音が根音をしっかりとって始まるべき合唱がこのような中途半端な開始形態となっているのではないかと思う。バッハはそのあたりの民衆の深層心理を読んでこうした中途半端なつなぎをわざとやったのではなかろうか。



合唱


 この第42番の後半の合唱は短いけれども実質的に八声合唱となっているために厚みがある。「彼は死すべきである!」という短い語句を民衆が全く統制が取れない状態で口々に叫びだす様子を表現している。(すぐあとの「Weissage uns・・」という比較的長い合唱がある程度統制が取れているのと比べるとよいです) 各声部とも、出だしの音型は同じなのであるが、調性がバラバラなのがそれを物語っている。

 たとえば、最初の2小節において、調性はGdur→Cdur→emoll→Edurと変化している。こうした入りは、フーガの概念とも異なり、あまり一般的ではない、こうした不自然な入りもまた、冤罪を支持する不自然な民衆の叫びを表現している。

 さらに注目したいのは、合唱の最後の部分、「彼は死に値する」である。この部分で、「Todes schuldig(死に値する)」の部分では、バスが、1stと2ndでオクターブを歌っており、非常に目立つのである。


 最後の小節では、バラバラに始まった民衆の叫びがこの時点で「Todes shuldig(死罪に値する)」とホモフォニックに叫び、一気に全員一致のイエスへの非難となっている。フルートは例によって民衆の軽薄さをあざ笑うかのような高い音である。ここもやはりピッコロを加えるべきだろう。


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第42番レシタティーボ
エヴァンゲリスト

Und der Hohepriester antwortete und sprach zu ihm:
そこで大祭司が答えて、
イエスに言った。

大祭司

Ich beschwore dich bei dem lebendigen Gott, das du uns sagest,
生ける神の名において、
われわれへの答えを求める。

ob du seiest Christus, der Sohn Gottes?
お前は神の子、キリストなのか。


エヴァンゲリスト

Jesus sprach zu ihm:
イエスは大祭司に言った。

イエス

Du sagest's.
あなたの言うとおりだ。

Doch sage ich euch:
あなたがたに言っておく。

Von nun an wird's geschehen,
今より後、次のことが起こるだろう。

dass ihr sehen werdet des Menschen Sohn sitzen zur Rechten der Kraft
und kommen in den Wolken des Himmels.
人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗ってくるのが見られるだろう。

エヴァンゲリスト

Da zerris der Hohepriester seine Kleider und sprach:
すると大祭司は衣を引き裂いて言った。

大祭司

Er hat Gott gelastert;
この男は神を汚した。

Ewas durfen wir weiter Zeugnis?
これ以上、何の証拠がいるだろうか。

Siehe, itzt habt ihr seine Gotteslasterung gehoret.
見なさい、神を汚す今の言葉を聞いたはずだ。

Was dunket euch?
お前たち、どう思うか。

エヴァンゲリスト

Sie antworteten und sprachen:
彼らは答えて言った。



















大祭司の前のキリスト











第42番
合唱

Er ist des Todes schuldig!
この男は死罪に値する!