第11曲〜12曲
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ユダのはなし


<第11曲;ユダの裏切り>

さて、いよいよ裏切り者、ユダの登場である。ヨハネ受難曲では最初からユダが登場するが、マタイではここにおいてやっとユダがでてくる。(このマタイ、ヨハネ両者の差異はむろんそれぞれの聖書の構成の差異のためであるが、バッハはそれを意図的に利用している

 第11曲はレシタティーボ。エヴァンゲリストがユダの策略を暴露する。この曲のキーワードはずばり、「JudasIscharioth(ユダ)」と「verraten(裏切る)」である。バッハはこの2語をきわだたせるために、特殊な和音を用いている。これはマタイに限らず、ヨハネにおいてもこの2語が出てくる場面ではたいてい特殊な和音が取られるので、ここで少し詳しく書いておきたい。

 まず、「ユダ」である。譜@の如く、ここの和音はA上の七の和音の第三転回形である。この七の和音の第三転回形は人をして不安感というか、耳目を引く響きがあるため、バッハはユダの名が出る場面では好んでこの転回形を使用したのである.(音を聞いていただければ御理解いただけると思う)

 次の譜A〜Bはヨハネ受難曲において「ユダ」が出てくる場面の和音を抜書きしたものである。2箇所ともに調性こそ違え、七の和音の第三転回形である。
(図3のケースは正確にはE上の減七の第ニ転回形であるが便宜的にはC上の七の和音第三転回形とも考えうる) バッハがこの使用法をマタイに限定していないことがわかる。

↑譜@マタイ受難曲の例 ここをクリック!


譜A    ここをクリック
譜B   ここをクリック

 次はverratenである。この「〜rraten」のところ(第6小節)であるが、一聴してなんかヘンな和音が響くことがわかる。ここの和音は普通ならAdurとなるであろう。ところがバッハはここをCis上の七の和音の第一転回形を用いている。

ここをクリック!

 マタイにはこのほかにもverratenという言葉が出てくるが、いずれも特殊な和音(特に七の和音の第一転回形が多い)ないしは悪魔の減5や増4度を用いている。バッハはマタイに出てくるさまざまな言葉のうちで重要と思われるそれには必ずそれなりの和音なり、音程を用いるのである。それにより、和音を聞いただけでここは何かあるな、と聴衆に感じ取らせている訳である。
あたかもワーグナーがライトモチーフを用いて、それを聞いた聴衆が特定の人物や情景を思い浮かべるようにしむけたことを彷彿とさせるものである。

 さて、物語はこうしてユダの裏切りに入っていく訳であるが、ここで突如アリアが出てくる。通常はレシタティーボがあらかじめこれまでの経過をあらかた説明してから、感情表現としてのアリアが出てくるのだが、ここはなんの前触れもなくしかもはげしいアリアがでてくる。うんちをしていていきなりドアを開けられたようなもんだろう。普通はトントンとノックをするがね。ノックに相当するのがレシタティーボなんだろうが、ここはノックがない。


<第12曲;音楽の中に蛇がいる!!>
 レシタティーボなしでいきなりアリアが入ってくるのはこことあのチョー有名な第47番「erbarme dich」,そして第51番「gebt mir meinem Jesu]3箇所である。いずれも確かにレシタティーボは必要ないな、と思う。あったら興ざめだ。(第51番の場合はあまりにも唐突にでてくる感じがするが)この12番も歌詞の内容は蛇になったユダがイエスを殺そうとしているという非常にはげしいものであり、音楽もまたそれに見合ったはげしいものとなっている。
 
 第11曲でいよいよユダが登場、ここよりマタイも本格化するのかなあ、という場面でバッハはいきなりこのアリアをぶっつけてきて聴衆のどぎもを抜くのである。それまでもイエスが自分の埋葬のことを語ったりしていたが、ユダが登場することにより、そのイエスの預言がイッキに現実のものとなったのを受けてである。
 
 このアリアもABAのダ・カーポ形式であるが、まずはそのAの部分からみてみる。ここは弦楽合奏+フルート二本のフル合奏であり、歌手はオペラ並みの声量を要求される。一般的にバロック期の音楽は後世のベルカント唄法よりもビブラートのない素直な歌い方がよいと思われるが、この曲だけはビブラートをバンバン効かせてヴェルディやプッチーニのオペラのように朗々と歌うのがよいと個人的には思う。なにせ蛇になったユダがイエスを殺そうと、狙っているのだ。歌詞には血だの殺すだの、サスペンスドラマのような言葉が並んでいるのだ、はげしく歌わねば面白くないだろう。
 
 さてここのところで目立つのが第13小節のソロの入り。ソロはFisで来ると思いきや、Fで入ってきて弦と対斜を構成すると共に、ナポリの六にもなっており、強烈な印象の残る部分である。
 
 次にダ・カーポのBの方。ここは一転して弦楽が引っ込み、通奏低音とフルートが伴奏の主役となる。フルートはほとんどアルトをなぞっているだけなので、ここの部分は実質は通奏低音と,アルト,フルートの2声となる。弦楽は時折割り込んで入ってくるに過ぎない。そのため歌詞の内容からすれば拍子抜けしてしまうような音楽であるような気が一瞬する。しかしここの通奏低音に秘密が隠されているのだ。

 実はここにへびがいるのである。この部分はつい、アルトソロとフルートに聞き惚れてしまってそちらに耳が奪われがちであるが、ここの通奏低音だけを耳をすませて聞いてみるとじつにヘンな音の進行であることがわかる。(下の譜面を参照してください。音を聞くとよくそれがおわかりかと思います)この通奏低音の※のところがいかにもへびさんがにょろっと顔を出している感じを受ける。また、へびのにょろりのあとは減五度進行となっており、へびの不気味さを強調している。


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 そして最後のきわめつきが下譜である。アルトソロの最後の部分の「Schlange(へび)」の旋律、これはまさにへびそのものなのである。この部分はバッハの最初の稿にはなかったらしい。改定稿になって始めて現れてくるので、バッハも少しいたづら心を起こしたのだろうか。



↑へび
 さて、ここでとりあえず、ピラトの悪巧みの話はいったんおしまいとなり、過ぎ越しの話が次より始まる。

<補遺;シンコペーションについて>
 この曲ではシンコペーションが重要な役割をしている。タンタータンというリズムが頻繁にあらわれ、この曲の内容の不安定さをリズムでもって表現しているのである。歌詞自体はシンコペーションを要求していないが(ほとんどの単語で語頭にアクセントがくるドイツ語では本来的にシンコペーションは合わない)これを強引にアクセントをずらせることにより、独特の効果が得られるのである。
 


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ユダのはなし


 




第11番
エヴァンゲリスト

そのとき、12人のひとりで
名をイスカリオテのユダという者が、
祭司長らのもとに行って言った。
ユダ
どれだけくれますか?
あの男のことを皆さんに密告しましょう。
エヴァンゲリスト
そこで彼らは、銀貨30枚を差し出した。
このときからユダは、
密告の好機をうかがった。













































30デニエルを受け取るユダ











第12番
YoutubeNo.12-16
ソプラノアリア

血をながされるがいい、いとしい御心!
ああ、あなたが育てた子、
あなたの胸で乳を吸った子が
今、育ての親を殺そうとしている。
なぜならその子は、蛇になったのだから。
血を流されるがいい、いとしい御心!