K島のK病院
-Dr.コトー診療所になりそこねた診療所-
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大阪の武田博通先生ならびに関係者の方に対するおわび
K島の概要−医者のいない島
 K島は人口約2000人弱の小さな島である。島のほとんどが山であり、わずかな平地に集落が点々としている。すぐそばに日本で二番目に大きなA島があり、そこまでは船で15分で行ける。

 K島は昭和61年に民間の医療法人による病院ができるまでは医者もおらず、診療所さえなかった。対岸の町には診療所がいくつかあり、船で15分でそこまで行けるのだからK島に診療所は必要ないであろう、との判断からであった。(下の地図参照)



病院の開設
 しかしながらK島の人々はどうしても自分たちの島に診療所を欲しがった。悪天候の時には船が出ないこともあるし、重症患者を船で搬送するのは大変なことだからである。昭和56年に自治医大の診療所が結局K島ではなく対岸の町にできてしまったことも島民の失望を買った。結局行政はあてにできない、ということになり島民の有志が運動し、民間の医療法人による60床の立派な病院ができあがった。最新の医療機器を備え、手術も可能となった。それまでK島から手術が可能なN市の病院までは船に乗り、バスに乗り、で2時間i以上もかかっていたのでこうした病院の設立は島民には大きな朗報となったのである。

病院はできたけど・・・
 こうして立派な病院はできたのであるが、問題はそこに勤務する医師であった。なかなか長期に定着する医師がいない。まあそれもさもありなん、このK島に内地から来るためには鹿児島から飛行機に一時間乗り、空港に着いてからもそこからK島まではクルマと船の乗り継ぎで3時間ほどもかかった。要するに非常に交通の便が悪かった。(島はだいたいどこもそうかもしれないが)ちょっとした買い物をするためにも対岸の町まで船で渡らねばならない。確かに船に乗っている時間はそうかからないが、便数があまりない。チャーター船は頼めばまあすぐに来るが料金が高い。とにかく住むのにはなかなか難しい島であった。

 加えて医師一人では島からの脱出もままならない。代わりの医師はなかなか来ない。といった状態で、医師派遣がシステム化しておらず場当たり的であったことも災いし、島の病院で1年と持つ医師はいなかった。さらにまたせっかくの病院の近代設備を使いこなせる医師がいない。

 島ではすべて一人で対処しなければいけない。どんな病気にも対処しなければならない。手術室があるから手術をしよう、と思っても麻酔は自分でかけなければならん、前立ち(手術の時の助手)は看護師、さらに手術中に緊急患者が飛び込んできたらどうする、手術中何かトラブルがあっても助けてくれる人はいない、その他猛烈なストレスが離島医には加わる。これだけのプレッシャーの中で手術のできる医師などめったにいるものではない。

 要するにK島の病院にはついぞDr.コトーは出現しなかったのである。

ある事故
 それを象徴するような事故が起きた。平成6年この病院で人口骨頭置換術が行われることになった。K島のそばのY島から右大腿骨骨折で運ばれてきた60代の元気な女性であった。このとき院長は不在、外部から数人の医師がやってきて手術が始まった。しかし術者の不慣れもあって手術は難航、手術室は外回り看護師、器械出し看護師でさえ何が起こっているかわからない状態となり、気が付いたら患者さんの意識はなくなっていた。通常なら1〜2時間で済む手術が8時間以上かかり、手術室から出てきた患者さんはあわれ、植物状態であった。不可抗力でも合併症でもない、明らかな医療事故であった。

事故はなぜ起こったのか
 この事故は以下の原因で起こったのである。
@病院の責任者がいない間に離島としては大きな手術をした。―緊急手術でもないのになぜ病院の責任者不在の時にこうした手術が行われたのかは不可解。普通は責任者が術者となるか、少なくとも手術室には入るべきである。

A術者が不慣れであった。―当初この手術はベテラン医師が来島して行われる予定であったが、その医師が来れなくなり、4〜5年目の若い医師が執刀したらしい。

B医師が数人いたにも関わらず、全体を統括する医師がいなかった。―@とも関連するが、この手術には数人の医師が立ち会っていたらしい。その時に手術室に入っていた看護師の話では医師同志で何か話し合っているうちにどんどん患者さんの状態がおかしくなっていったとのことである。看護師にはこうした医師同志の会話が伝わらなかったとのこと。

離島での手術のむずかしさ
 この事故以後K島ではあまり手術が行われなくなり、ついには手術室は倉庫となってしまった。病院自体も規模が縮小されて診療所となり、せっかくの鳴り物入りの設備も遊んでいることが多くなった。(対岸の町に60床の病院ができたことにもよるが)

 この事故は示談となったが、ご家族としては「もしもう少しスタッフや設備の整っている本土かN市の病院で手術を受ければ(そこまで行くのが大変だが)患者はこのようなことにはならなかっただろう。こんな小さな島で手術を受けたのがまちがいだった」との思いをずっと抱きつづけるであろう。

 離島であればこそ、このような事故は絶対に起こしてはならないのである。それは必ず患者さんの家族が上記のような思いを抱くからである。ここで取り上げた症例は明らかに医療事故であったが、実際には医療事故ではなく、不可抗力による合併症などによって患者さんが不幸な転帰を取っても家族は上記のような思いを抱く。ここが離島での手術のむずかしいところである。

 医療というものはうまくいってあたり前、しかし時としては予期に反して結果が芳しくないこともある。大学病院などの大病院での不幸な転帰ならば家族も「あんな大きな病院でもだめだったんだからしょうがない」とあきらめる。しかし、離島のようにスタッフも設備も不十分な場所で手術して結果がうまくいかなければ必ず「こんな場所で手術したから・・」と家族は思う。医師の立場からすれば「どこで手術をやろうと結果に変わりはなかったはず」と確信しても家族はそうは思わない。

K島にDr.コトーがいたら
 Dr.コトーは絶対に合併症は起こさないことになっている。無論事故など起こすはずもない。さらに前立ちの柴咲コウは完璧な助手となり、事務員の筧利夫は無資格ではあるが完璧な術中管理を行うことになっている。こうしたスタッフがK島にいたら無論上記のような事故は起こらなかっただろう。実際問題としてDr.コトーのような医師は一つの理念型であり、こんな完璧な医師など存在するべくもないのだが、少なくともDr.コトー医師がいればK島の医療はもっともっとよくなっていたであろう。

 現在の離島では手術をそこでおこなっている病院や診療所というものはまず少ないであろうが、少なくとも離島で手術などをやる、というのであれば最低限必要なのがDr.コトー的医師の存在である。ところが実際にはDr.コトーはいないし、Dr.コトー医師などもめったにいない(しかし全国にはきっとこうした優秀な離島医がおられるにちがいない)から離島で手術をやるとなると現地スタッフだけではとてもできない、どっかから何人か医師を連れてきてやろう、ということが多い。

 それはそれでかまわない。一人の医師がオールマイティーであるわけがないし、より専門的な医師などを招聘して離島でもかなりの高度は手術ができるということは島民にとっても朗報であろう。

 問題はこうした外から招いた医師たちに全権を与えてしまいがちになるということである。すなわち離島のスタッフがこうした医師たちにすべてをまかせてしまい、治療がブラックボックスになってしまうことである。その結果どういうことが起こるかというと、たとえば術中に何か起きても離島のスタッフは手の出しようがないし、術後に何か合併症が起きても離島のスタッフではまったく対応不可能といったことになってしまう。上記の事故症例はその際たるものである。

 結局離島で手術をしようとするのであれば、絶対にDr.コトー的な医師が必要なのである。できうれば彼が全権を把握して手術をし、きわめて専門的で困難な手術のみを外部の医師に委託し、その際もしかし手術の全権はやはり離島医が握っているべきなのである。

 K診療所にはDr.コトー不在ゆえに不幸な事故が起こり、結局当初の理想からはどんどん離れた医療となってしまった。私がK診療所に勤務していた昨年12月にはついに病棟さえなくなり、無床クリニックになり下がってしまった。

医療は人
 K島では今、せっかくの設備も遊休状態であり、かつて手術なども行われていたなど信じられない状態である。オープンした当初からDr.コトーがここにいればもっともっとよい離島医療が行われえたであろうに、まことに残念である。ことに地元出身の医療スタッフの島の仲間を救おう、という熱意は本当にすばらしいだけにそれに応えられる医療が行い得なかったのは本当に残念!!

 結局いくらよい設備を整えてもそれを生かすも殺すもそれは人(医師)である。K診療所は設備はよいものを整えたが、それを使いこなせる医師がいなかった。そしてそれゆえ不幸な事故が起こってしまった。そして当初の目的は縮小され、今では最低限の救急処置まであやしくなってきてしまった。実は私はK診療所を再生させるプランは持っているが、採用されそうにはないのでぐたぐた言うのはこの辺でやめておこう。      (2003.9.24)
 
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