フーガについて  
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フーガの歴史

 フーガという形式は、特定の主題が各パートより調性を変えて出現してくるものである。この形式は、16世紀始め、ジョスカン・デ・プレの作品から明瞭になってくる。(当時の”フーガ”という言葉は、現在のカノン形式を指す。正確にはしたがってジョスカンのこの形式は、通模倣形式と呼ばれる。また通模倣形式は、今日でいうフーガよりも広い概念を指すが、ここでは一応通模倣形式=フーガとしておく)

 下譜は、ジョスカンの有名な「Missa Pange lingua」の冒頭である。テノールに最初にあらわれるフーガの主題が、その後順を追って、バス→ソプラノ→アルトとでてくるのがわかる。主題は、完全5度づつずれて出現してくる。


  
 
 
ジョスカンより前の時代、主としてデュファイの頃(15世紀前半)までは、まだこうした多声音楽では、カントゥス・フィルムス(グレゴリオ聖歌などから主題をとった定旋律のこと)を中心に、その他のパートがこれにからみつくような構成で作られることが多かった。ジョスカンの時代になると(というかそれはジョスカン自身が切り開いてきた”時代”なのであるが) 、終止形もランディーニ終止をとることも少なくなり、さらに各パートは和声的な配慮もなされるようになり、終止形には和音の第三音も入るようになった。そのために、この時代の音楽になってはじめて、私たち現代人の耳にもあの中世音楽独特の響きが薄れ、ルネッサンス的な響きとなるのである。そして作曲形式も、カントゥス・フィルムスに捕らわれずに、自由な形でポリフォニーが形成されるようになる。

 ここで問題になったのが、カントゥス・フィルムスに代わる何らかの一定の形式である。カントゥス・フィルムスを中心に作曲していた頃は、とにかくこれを主体に考えればよかった。そして他パートをカントゥス・フィルムスの変形としたり、リズムを半分にしたり、等のさまざまな作曲形式が完成されていたのである。
 
 しかしカントゥス・フィルムスを排した作品が多くなるにつれ、そこになんらかの統一性が必要になったのである。そこで考えられたのが、のちにフーガと呼ばれるようになるこの形式である。(前述のようにこの時代のそれは通作模倣様式と呼ばれる) 比較的短い主題を、完全5度ないしは4度の間隔で、次々と出してゆくやり方である。そして、曲の途中でも次々とこれを行い、一つの主題が全体にばらまかれた形となって曲全体の統一性を保つのである。
 
 ここで重要なのは、ルネッサンス時代の頃(特に初期)は、まだ和声の概念がはっきりしていなかったことである。今日の眼でみれば、たとえば上記のジョスカンの曲は、emoll→amollと転調して入ってくると理解できるが、ジョスカンは決してそんな和声というものは意識していなかった。あくまでも、旋律が重要であったのである。テノールがEで入り、バスがAで入るときテノールとバスは完全5度となる。(第2小節のはじめ)そんな具合で作っていったものと思われる。
 
 このように、ルネサンス時代にはとくに和声というものをはっきりと意識せずに多声音楽が作曲されていったわけであるが、ここで重要となるのが、ムジカ・フィクタの問題である。(これに関してはムジカ・フィクタのページを参照のこと) すなわち♯や♭をどこでつけ、どこでつけないか、という問題があった。当時はまだ鬼ッ子的存在であった臨時記号の問題である。この問題は17世紀になって平均律の概念が確立してはじめて解決を見るようになるのである。


バッハの時代のフーガ
 このフーガというものは、ジョスカン以降、ルネッサンス時代にはさかんに使われるようになり、バッハへと受け継がれた。バロック時代に入ってもたとえばモンテヴェルディなどはこの形式をそれほど重要視せず、もっぱらデクラマシオンの発展が目指されたのであるが、バッハの出現により、フーガは空前の大発展をとげるようになり、デクラマシオンの方はその真の発展をワーグナーの出現まで待たされることになったのである。(この辺は多分にシュバイツァーの影響を私は受けております)
 
 今日、バッハといえばフーガ、フーガといえばバッハという感があるほどに、バッハとフーガとは切っても切れない関係にある。バッハのフーガの特徴はなんといっても、和声学と結合した、緊密な建造物のようなそれである。バッハに至り、フーガという形式は、明確な和声学の産物となったのである。

 ここで典型的なバッハのフーガをひとつ見てみよう。下譜はチョー有名なバッハのオルガン曲「小フーガト短調」の冒頭である。





 この主題を見てみると、まずこれがト短調であることがはっきりとわかる。G→D→B→(A)→Gとはっきりとしたト短調を構成する和音をとるのである。その次の音符は、今度は明瞭にト短調の属調であるニ長調であることを示す。(Fis→A→D)  こうしてこの主題は、所属する和音を明瞭に示すようにできていることがわかる。そして対旋律には、はっきりした和音にピタリと合う旋律がつけられ、主旋律がゆったりとしていれば対旋律は細かく、主旋律が細かい時は対旋律はゆったりと、とあたかも凹凸あるブロックを組み合わせるような形で作曲され、全体として堅牢な建造物となっているのである。
 
 このように、平均率を用いて明瞭な和声を基礎にしていたところに、バッハのフーガの特徴がある。バッハはさらにこのフーガを発展させ、その様式を徹底的にしゃぶりつくした「音楽の捧げもの」や、死の直前に、未完となった「フーガの技法」を作曲したことは有名である。とにかくフーガという形式はバッハによりその潜在していた可能性が十二分に引き出され、以後の時代へと受け継がれていったのである。
 
 次に、フーガの空前の発展ともいえる三重フーガの例をみてみたい。下譜はバッハの「ハープシコード、フルート、ヴァイオリンのための協奏曲BWV1044の第三楽章である。この曲ではなんとほぼ同時に現れる3つの主題がそれぞれフーガとして処理され、さらに適宜対旋律もつけられる、という、すごい作品である。


 
 

バッハ以降のフーガ

 さてバッハによりその可能性のすべてが試されたともいえるフーガは、古典派以降もまた欠かせない作曲技法となっていった。古典派以降の作曲家は、ソナタ形式といった新しい音楽形式の中に、巧みにフーガを取り込んだのである。ことに、ソナタの展開部において、フーガは好んで使われた。

 下譜は、ブラームスの交響曲第2番第一楽章の第204小節以下の部分である。ソナタの展開部に入り、これから緊張感が漂うところで、効果的に、3重フーガが入ってくる。


その技巧的な形式は、作曲家の腕を存分にふるうよき器となったのである。ルネッサンスからバロックにかけて、さまざまな音楽様式が生まれたが、結局後世に残り、作曲家に多大な影響を与えたのはこのフーガだけであろう。
 
 フーガはある意味で、現在でも生きているといえよう。私は現代曲はさっぱりわからないが、少なくとも20世紀の曲でも、このフーガは使われているのである。それだけフーガという形式は奥が深いものであり、この形式をとことん追求し、発展させたバッハの功績をあらためてたたえたいと思う。

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