バッハ先生直撃いんたびゅーその1 |
TOPページへ | 音楽エッセイのページへ戻る |
次ページへ | J.S.バッハ マタイ受難曲へ戻る |
![]() Dr.町田 |
![]() |
皆様、本日はお越しくださいましてありがとうございました。さて本日はかの大バッハ先生によみがえっていただき、いろいろ生前の思い出などをお聞きする機会をいただきました。それではバッハ先生、よろしくお願いいたします。 | ||
Guten Tag, みなさん、わしがJ.S.バッハですじゃ。ん?今年は2004年じゃと?ふーむ、わしが死んでからもう250年以上もたつんやね〜。月日の経つのは早いもんじゃ。バッハッハ。 | ![]() |
![]() J.S.バッハ |
||
![]() |
![]() |
ところでバッハ先生、あなたの書かれた膨大な音楽が今や世界中で演奏され、あなたは「音楽の父」などと言われてチョーあがめまつられているのはご存知ですか? | ||
なに!?それは本当かね。そうか、やはり人類というものは賢いもんじゃ。いやね、わしも本当はそう思っとったんじゃが、わしが生きてた頃はなかなかわしの作曲の才能を世間が認めてくれなくてな、バッハッハ。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
バッハ先生はご存命中はオルガン奏者として有名だったんですね。 | ||
そうじゃ。オルガンの腕は誰にも負けんかった。じゃけん、わしは作曲家としては二流でもオルガニストとしては一流と言われてたんじゃ。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
先生の「トッカータとフーガ ニ短調」なんて今じゃ日本の子供でも知ってますよ。 | ||
何々、ああ、あのチャララ〜っていうやつね。ありゃ本当はたいした曲じゃないんじゃよ。「パッサカリア」とかとかもっともっといいオルガン曲をたくさん書いたのになあ、もっとわしが全力を傾けた曲を評価して欲しいなあ、バッハッハ | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
先生、よく笑いますね。バッハ先生だからバッハッハって笑うのかな。先生、もっといかめしい方かと思っていましたよ。 |
||
バッハッハ。このいかめしそうな肖像画![]() |
![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
なるほど。後世の人たちが先生のイメージをゆがめてしまったんですね。ところで先生のオルガン曲はむずかしすぎて一般の人にはよくわからないと言われていたそうですが・・・。 | ||
バッハッハ。何を言うとるんじゃ。真の偉大なる芸術というものは常に同時代のもんにはわからんものなのじゃ。今ではオルガンといえばバッハ、バッハといえばオルガン、と言われてるじゃろ? | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
たしかにその通りですね。先生が亡くなられてしばらくは先生のオルガン曲があまりにもすばらしいためかオルガン曲というものはほとんど書かれませんでした。しかしその後はロマン派という人たちが現れてまたオルガン曲をいろいろ書き始めました。リスト先生なんかは先生に負けないくらいのすばらしい曲を書いていますよ。 | ||
そうか。まあしかし何だな、音楽というものもわしがあまりにも完璧に仕上げすぎてしもうて後世の者もやることがなくなってしもうたんじゃないかね? | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
うーん、本当にそうですねえ。でも実は先生の亡くなられたすぐあとから”古典派”という新しい音楽が生まれたんですよ。先生があまりにも対位法というものを完成しすぎてしまって複雑な音楽を書かれたもんで、メロディーと伴奏というわかりやすい音楽がはやっていったんです。 | ||
ああ、あのマンハイム楽派(注)とかいうやっちゃろ。どうもあいつら好かんな。わしだってバカじゃないけん、わしが死ぬ頃はどうも音楽の世界が変わりつつあったのはわかっていたんじゃよ。しかし何でシュターミッツとかの野郎は音楽をドソミソドソミソみたいな単純なのにしちまったんじゃろかな。なんであんな音楽が受けるようになったんか、わしにはさっぱりわからん。 | ![]() |
![]() |
||
注;マンハイム楽派; 前古典派とも呼ばれる。18世紀中頃ドイツ選帝侯カール・テオドールのもとマンハイムにあつまった作曲家らをいう。シュターミッツ、カンナビヒらが有名。イタリアオペラを継承し、その後古典派として発達していく西洋音楽の基礎を築いた。惜しむらくは真の天才がおらず、後世に残る名曲は書かれなかったが後のハイドンらが活躍する下地を作った意義は大きい。 | ||||
![]() |
![]() |
たしかにマンハイム楽派とかは芸術としては今いちでした。しかしその後にハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどという大天才が現れてこの古典派音楽を継承し、西洋音楽はバッハ先生の頃以上の大発展をとげたんですよ。 | ||
ほう、そうじゃったのか。そんならちなみに”古典派”とかいうやつをどれか一曲聴かせてくれんか。楽団ならわしが楽長しとるところを用意するでな。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
そんなものは必要ありません。(Dr.町田CDを取り出して)ほらバッハ先生、今はCDっつうもんがあるんですよ。シーディー!これがあればいつでもどこでもパソコンかCDプレーヤーがあれば聴けるんですよ。それじゃモーツァルト先生の弦楽四重奏曲K387第四楽章を聴きましょうか。 | ||
(バッハ、CDを手に取って)シェー、今はこんなつぶれたドーナツみたいなんに音楽が入るようになったんか。時代の流れじゃのう。わしにも一枚くれんか。アンナ・マグダレーナ(バッハの後妻)のやつにも聴かせてやりたいでな。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
まあまあ、とりあえず一曲聴きましょう。 | ||
(バッハ先生はモーツァルトK387第四楽章をじっと聴き入る) | ||||
うーむ、これが古典派音楽か。しかしわしが精魂かたむけたフーガ形式はここでも使われておるな。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
そうです。先生が完成させたフーガ形式はその後古典派から現代音楽にまで受け継がれているんです。西洋音楽は先生が亡くなってからソナタ形式というものが発達し、ジャンルも交響曲、弦楽四重奏曲といった新しいものが生まれました。オーケストラの使い方も劇的に変わったんですよ。 | ||
ふーむ、やっぱりわしは時代遅れの堅物じゃったのか | ![]() |
![]() |
||
(バッハ、肩を落とす) | ||||
![]() |
![]() |
いいえ違います。こうした新しい音楽もすべてバッハ先生がそれまでにできあがった音楽をきちんとまとめておいてくれたからこそできあがったものなんです。先生はだから後世の人から「音楽の父」と呼ばれてるんですよ。先生の音楽は一時期忘れられていたけどベートーベン先生やモーツァルト先生なんかはそんな時期でもちゃあんと先生の音楽の偉大さを認めていたんですから。 | ||
な、何!? わしが忘れ去られていただと?そりゃ初耳じゃな。いったいどういうことかい? | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
先生の音楽は複雑すぎて一般の人には理解できなかったんです。先ほどご自分でも「偉大な芸術は何とかこーとか」っておっしゃってたじゃないですか。だからあれだけの才能をお持ちになりながら作曲家としては二流にしか評価されなかったんですよ。 | ||
なるほどそうか。ばってん、その後は誰かがわしを再評価してくれたんかね?じゃないとわしの音楽は一部の人以外は永遠に忘れ去られてしまっただろうに・・ | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
さすがはバッハ先生、カンがいい。実はメンデルスゾーンという人が先生の”マタイ受難曲”の偉大さに気づいて1829年にこれを復活演奏したんです。そしてこれがきっかけとなって「バッハの音楽は実に偉大である」という評価が世間に広まっていったんです。 | ||
うーむ、わしゃメンデルスゾーン君に感謝せにゃならんな。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
というか、全人類がメンデルスゾーンさんに感謝ですね。あの方がおられなかったら今ごろ人類は貴重な音楽遺産をふいにしているところでしたよ。ところでバッハ先生はピアノに関してはどう思われてたんですか。 | ||
何ピアノ?ああ、フォルテピアノのことね。(バッハの頃はピアノは鍵盤のたたき具合で強弱をつけられる楽器とのことでこう呼ばれていた)ああ思い出したよ。ありゃだめじゃな。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
へえー、バッハ先生ともあろうお方がピアノに対しては評価がきびしいですね。でも先生は「平均率クラビア集」とか「インベンション」とか、ピアノのための曲集をいくつか書かれたじゃないですか。 | ||
あれはチェンバロを頭において作ったんじゃ。だってピアノフォルテはくすんだ音しかでないし、チェンバロで十分じゃよね。バロックはやっぱりチェンバロじゃ。それに鍵盤楽器は何といってもオルガンじゃ、オ・ル・ガ・ン。 |
![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
先生やっぱりちょっと古いですねえ。しかし古典派時代に入ってピアノの改良は急速に進み、ペダル機能もついてたいへん魅力的な楽器になったんですよ。 | ||
へえー、そうなの。知らんかった。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
さすがのバッハ先生もピアノ音楽の未来までは予見できなかったようですね。ピアノ音楽はその後ベートーベンによって花開き、さらにショパンという大天才の出現によりその頂点に達しました。ベートーベンはピアノと闘い、ショパンはピアノを歌わせたと言ってよいと思います。 | ||
そうか、そうと知ってたらもっとピアノフォルテのための曲も書いとくんだったな。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
いえいえ、「平均率クラビア曲集」も「インベンション」もたいへんすばらしい作品です。どちらも今では先生を代表する作品となっていますよ。 | ||
そう聞いたらよけいもっと書きたくなった。今から書き足してもよいかな? | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
もうあっちの世界にいるんだから無理でしょ!特に「平均率クラビア曲集」はベートーベンの32曲のピアノソナタと共に前者がピアノ音楽の旧約聖書、後者が新約聖書とも呼ばれ、ともにピアノ音楽の最高峰として今日まで受け継がれています。 | ||
もっと書きたい、書きたい!! | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
なんかバッハ大先生がだだっ子のようになってきたんで今回のインタビューはこの辺で終わりにしたいと思います。次回はバッハ大先生にその偉大なる生涯をお聞きしたいと思います。お楽しみに! | ||
TOPページへ | 音楽エッセイのページへ戻る |
次ページへ | J.S.バッハ マタイ受難曲へ戻る |