当サイトはまもなくhttp://machikun.la.coocan.jp/aaaaaa.htmへ引越しとなります。ブックマークしていただいている方には、お手数ですが、変更をよろしくお願いいたします




クリスマスソング
本にならなかった本の原稿

マタイ受難曲のページ
バッハのマタイ受難曲を素人なりに解説しています。人類が作り上げた最高の叡智をご堪能ください
地域医療のページ
地域医療をしながらいろいろ感じたことを書いてみました。

マイエッセイのページ
人生論、教育論、政治や
社会について気ままにつづったページです。

わが家のビオトープ池
似顔絵ギャラリー
ウィンドウズ付属の「ペイント」を使って似顔絵を書いています。現在約900人の似顔絵があります。
音楽エッセイのページ
翻訳を含めたこれまでに書いた音楽に関するエッセイがあります。

モーツァルトの教会音楽
その価値の割には不当に看過されているモーツァルトの教会音楽にスポットを当てました。
海水魚飼育事始
MIDIコーナー
MIDI日本の歌・世界の歌
なつかしのあの映像コーナー
これまで作ってきたMIDIが2000曲近く、また「YouTube」の懐かしい映像へのリンクもあります。一部の曲はQuickTimeでは聞けません。
平成30年気まぐれコラム
平成29年ミニコラム
平成28年ミニコラム
平成27年ミニコラム
平成26年ミニコラム
平成25年ミニコラム

平成24年ミニコラム
平成23年ミニコラム
平成22年ミニコラム
平成21年ミニコラム
平成20年ミニコラム
平成19年ミニコラム
平成18年ミニコラム
平成17年ミニコラム
リンク集
普通にリンク集です。

第一次安倍内閣から第二次安倍内閣へ(YouTube物語)
たかじん
社説資料集
発言小町おもしろ発言集
電力関係リンク集
参考図絵1
参考図絵2

Emiさんの絵コーナー 政治漫画いろいろ

気まぐれコラム(H30.5.12 実情に合わせ名称変更)
データ解釈で世論を騙す東洋経済 エアコン設置は逆効果

それでも「教室にエアコン不要」と言う大人へ
東洋経済オンライン
7/24(火) 6:00配信

7月17日に、愛知県豊田市で小学1年生の児童が熱中症で亡くなりました。各社報道によると、公園で30分ほど昆虫採集をした後、児童たちは教室に戻って教室で休憩していました。ところが、休憩中に意識を失い、救急車で搬送されましたが亡くなりました。かけがえのない子どもを失ったご家族の心情は察するにあまりあるところです。

この教室にエアコンはなく、扇風機が4台設置されていただけとのことです。暑いさなかに公園に出掛けた判断も問題になっていますが、教室にエアコンがあったら助かった可能性があるということも指摘されています。この事故を受け、豊田市では、小学校の教室のエアコン設置工事を前倒しで進める方針を決めました。
.
■根強くある「エアコン不要」の根性論

学校にエアコンを設置すべきか否かという議論は十年前からありました。そして、数年前までは、「子どものうちからエアコンの中で過ごしてばかりいては、体が弱くなる。せめて学校では……」「教室を快適にしてしまうと、休み時間にも外に出て遊ばなくなる」「つねに快適な環境の中にいては忍耐心が育たない」などという意見もありました。

ですが、今年の酷暑を経験してみれば、もはやそういう議論をしている段階でないことは明らかです。豊田市の事故は校外学習の後ということでしたが、このままでは、ずっと教室にいて熱中症になる児童が続出する可能性があります。
.
休み時間に外遊びをした子どもたちが汗だくで教室に戻ってくると、体感温度はさらに上がります。そうでなくても、1つの教室に40人近い子どもがいるのですから、子どもたちの発する熱の量だけでもハンパないものがあります。

私も講演先の学校で授業中の教室を参観させてもらうことがありますが、エアコンがない場合、7月や9月の教室内は勉強に取り組めるような環境ではありません。また、勉強面だけでなく、不快な環境にいればストレスもかかりますし、いら立ちにより子ども同士のトラブルやいじめが増えることも考えられます。

「昔は学校にエアコンなどないのが当たり前だった。今の子は今の子は軟弱だ」という意見は根強くあります。そこで、気象庁の「過去の気象データ検索」で調べてみました。

■50年間で2.5度も上昇した平均温度

たとえば奈良県奈良市の1967年(50年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.5度でした。

そして、1987年(30年前・今の子育て世代が子どもだった頃)の7月の「一日の最高気温」の平均は、31.0度でした。
.
ところが昨年、2017年の7月の「一日の最高気温」の平均は33.0度です。

つまり、50年間で2.5度も上昇したのです。また、この30年間だけでも2.0度の上昇です。平均が2.5度も上昇したというのはすごいことです。しかも、上昇の度合いも上がっています。

また、たとえば愛媛県松山市の1967年(50年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.7度でした。

1987年(30年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.7度で、これは1967年と変わりがありません。
.
ところが昨年、2017年の7月の「一日の最高気温」の平均は32.6度です。

つまり、この30年間だけで1.9度も上昇したのです。

ついでに、7月の「一日の最高気温」の平均が30年間でどのように変化したか、気象庁のデータより、あといくつかアトランダムに調べてみたら、次のような結果が出ました。

福岡市は3.0度上昇

静岡市は1.1度上昇

長野市は0.5度上昇

横浜市は1.7度上昇

高知市は2.2度上昇

秋田市は2.3度上昇

札幌市は2.9度上昇

那覇市は1.6度上昇

ということで、もう十分ですね。このように、日本の気温は確実に上昇しています。ですから、「昔は学校にエアコンなどないのが当たり前だった。今の子は軟弱だ」などという意見は成り立たないのです。

以下略

前回は少しデータが古かったので、今回は最新のデータで、「昔と今では夏の暑さが違う」という通説について、再度考えてみたい。

今回はまず、この東洋経済のデータがまやかしであることを示しておこう。東洋経済によれば、「奈良県奈良市の1967年(50年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.5度。1987年(30年前・今の子育て世代が子どもだった頃)の7月の「一日の最高気温」の平均は、31.0度。 2017年の7月の「一日の最高気温」の平均は33.0度。 つまり、50年間で2.5度も上昇した。また、この30年間だけでも2.0度の上昇。平均が2.5度も上昇したというのはすごいこと。しかも、上昇の度合いも上がっている」となっている。

これをそのままグラフ化すると、下図のようになる。確かに、”7月の”データに関しては、最高気温平均が著しく上がっているように見える。

気象庁データより作成

だが、上図を見るとわかるが、それはあくまでも”7月の”データであり、一番暑い月である8月のデータを見ると、さほど変化はしていない。これがまず第1のトリック。あえて差異の大きい月を選んでいるのだ。本来なら、最暖月である8月を比較しなければ、あまり意味がないであろうに。

だが、この東洋経済記事には、もっとひどい第2のトリックが隠されている。それを暴いてみよう。下図は、上記気象庁データより、筆写が作成した、7月の奈良の1967〜2017年における最高気温推移を示した図である。

気象庁データより作成

はたしてこのデータを見て、直感的に、この50年で、奈良の7月の最高気温平均が上昇している、と言えるだろうか? 高い年、低い年のばらつきがきわめて大きいが、全体として上昇傾向にあるとは、とても言えない。

つまり、東洋経済は、都合の良い年のデータだけを抜きだしておいて、それらをつないで、「最高気温が上昇している」を”演出しているだけなのである!東洋経済のその他のデータについては調べてはいないが、一事が万事、ひとつのことで、およそこれだけのうそをついているのであるから、それだけでもう、記事として、失格である。


●あまりのご都合データは、常に疑おう!
ドイツの再生可能エネルギーがうまくいっているという人たちや、福島県では小児の甲状腺がんが多発しているという人たちのデータが、あまりに彼らに都合が良すぎて、私が解析してみたら、すべて自己に都合のよいようにデータが作られていて、驚いたことがある。そうか、”彼らは”このようにして、世間を騙すのか、と思った。

東洋経済にせよ、”彼ら”にせよ、データを自分たちに都合よく解釈していることは、彼ら自身だって、十分にわかっているはずなのだ。つまり、知らずにではなく、敢えて、読者を騙しているのだ。

その理由は何か。売らんかな、である。とにかく、本が売れればいい、記事が読まれればいい、そのために、読者など騙してもかまわない、彼らはそう踏んでいる。

彼らは、決してデータを捏造はしていない。そこがポイント。つまり、データを捏造して論文を書いたらアウトだが、都合よく解釈して、偽りの結果を導いても、少なくとも学術論文でなければ、セーフなのである。言論の自由があるのだし。

結局は、騙される読者が悪い、ということ。世間が「昔より今の方が暑い」と言うことを間に受け、それが正しいと思っているから、騙される。

騙す方も、世論にあまりに逆らうと、本は売れない。うまく世論に迎合することが大事なのだ。かといって、あまりに当たり前のことを書いても売れず、多少角度をつけて、世論を驚かすようにする。暑さでいえば、「昔より今の方が暑い」を若干誇張する。

英国の女流経済学者J.ロビンソンは、「経済学を学ぶのは、経済学者に騙されないためだ」と言った。私たちは、世論を騙そうとする人たちから騙されないために、いろいろなことを勉強しておかなければならない。



小1の男の子が校外行事で亡くなってしまったのは本当に悲しい出来事であったが、私は敢えて、世間のこうした”正論”的考えに、異論を唱えたい。

●はたして”熱中症”だけが死因だったのか
そもそも、児童が亡くなったのは、”熱中症”という外因だけが原因だったのだろうか?

報道によれば、校外学習は、毎年恒例のもので、110人ほどの小1児童で、学校から約1キロ程度のところで、学習場所の公園までは20分程度の距離だったという。無論、水筒は携行しており、いつでも水分補給は可能な状況だった。はたしてこの条件は、小1の児童にとって、命を落とすほどに過酷なものと言えるのか。

特に疑問に思うのが、110人もの児童がいながら、体調不良を訴えたのは、亡くなった児童を含めて3人のみで、しかも残り2人は軽度の頭痛を訴えただけだった、ということ。亡くなった児童だけが突出して、重症であったのだ。

条件が小1児童にとって本当に過酷であったのならば、かなり多くの児童が体調不良を訴えたのではなかったか。実際、野球の応援をしていて、30人以上が救急搬送された例もある。また同時期に、宮城県名取市の小学校で7月18日、校庭で航空写真を撮ったあと、児童38人が熱中症で搬送され、熊本県の高校では19日、部活練習中の女子生徒4人が熱中症とみられる症状で搬送され、さらに都内の高校でも19日、体育館で講演を聞いていた生徒25人が頭痛や吐き気など、熱中症のような症状を訴えた。こうした状況なら誰もが、誰にとっても苛酷な環境だった、と感じるだろう。

一人だけ重症、というのは、やはり奇異だ。だから私はそこに、医師として、内因的なものがかぶっていたのではないか、と感じざるを得ない。

亡くなった児童は、もともとは持病などはなかったという。しかしながら、子供の突然死の大きなひとつである急性心筋炎も、もともと何ら前触れもないことも多いし、したがって、こうした内因もまた、完全には否定はできないように思う。こうした内因に熱中症が加わり、結果が不幸な転帰をたどったと考えられなくもない。

あるいはまた、根拠もなくこんなことを言えば大変失礼なことと思いながらもあえて書くが、子供が前日夜更かしなどをしていて無理をしていたとか。


●体調不良が死の要因ではあったとは思うが・・・
亡くなった児童は、校外学習の当初より、体調不良を訴えていたという。したがって本来の体調でないところに、20分ほど歩かされたことで、熱中症を発症、不幸にも死の転帰をたどった、という経緯は間違いないが、小1ではなかなか体調が悪いことを担任にうまく伝えられなかった、ということは考えられ得る。

私自身、小1の時、体調が悪く、医師から予防接種を控えるように言われていたにもかかわらず、担任にうまくそれを伝えられず、結局予防接種を受けてしまって、担任が青くなった、という経験がある。

おそらくこのような例は過去に無数あり、ただしかし、ほとんどは大事には至らず、今回は残念ながら、最悪の結果に至ってしまった、ということであろう。この場合、学校にどこまで責任があるかを問うことは、難しいだろう。

すべての児童の体調が万全であり、かつそれを正確に把握する、ということはおそらく不可能なのであり、どうしてもこのような児童が混じることは、こうした校外学習の場合、避けられない。実はそのために、これまでかなりの人が命を落としたりしているはずのではあるが、外因のみならず、不可抗力的内因が考慮され、それなりに社会的に処理をされてきた。たまに、理不尽な裁判が起こされたりして、Dr,町田の好餌になったりしているが・・・


●エアコンの悪影響
現在では、こうした事故をなくすためにこそ、小中学校にエアコン設置を!という流れになっているが、私はむしろこれは逆だと思う。

そもそも、暑さとは、慣れも大きい。基本的にはそのためには、暑い環境に身体を暴露させなければならない。それにより、汗腺が開き、高温対応を身体が行うようになる。

たとえば、甲子園や夏の野球応援などで、熱中症になるのは、多くは観衆であり、彼らよりはるかにハードな動きをしているはずの球児自身は、意外とそうしたことは少ない。本来の基礎体力の問題もあろうが、おそらくは、彼らは日ごろの鍛錬で、暑さに身体を順応させているのである。マラソン選手などもそうだ。

昔に比べて今は暑さが違うからエアコンが必要、という根強い意見があるが、統計的には正しくない(平成27年2月27日当ミニコラム参照)。少なくとも子供たちが学校にいる時間の暑さは、昔からほとんど変わっていない。

だが熱中症になる人が増えていることは間違いない。なぜか。おそらくは、エアコンの利用が増え、暑さに順応しきれない人が増えたのではないか、というのが、私の医師としての意見である。

現在はほとんどの家庭にエアコンがある。特に、よく保護されている子供たちは、エアコンがよく効いた部屋で育てられる。そのために、昔の子供よりも暑さへの順応が不足し、熱中症になりやすいのではないか、と思われるのだ。

この理論にもとづき、我が家では、子供が寝る部屋には、エアコンは置かなかった。彼らは毎夜、汗だくで寝ていた。しかしそれが、彼らの熱に強い身体を作った、と私は信じている。

こう考えると、学校にエアコンをつけることはむしろ愚策、ということがわかるだろう。大人たちの変な配慮が、子供たちが、せっかく熱順応する機会を奪っているのだ。

無論、エアコンなしでは暑すぎて、授業の中身が頭に入らない、という問題はある。しかし、少なくとも小中学生の間くらい、このくらいは我慢せよ、と私は言いたい。この年代の子供にとって、勉強の出来不出来と暑さとはさほど因果関係はないだろう。(高校生くらいになれば別)。

暑さの環境に晒して熱順応をするか、涼しい環境で学習の効率化を目指すか、両者はトレードオフ関係にあるが、私は、前者を優先すべきだと思うのだ。

子供と高齢者が熱中症になりやすいことは広く知られているが、高齢者は無論、エアコンのある環境で手厚く保護をすべきなのは当然であるが、子供は逆に、過酷な環境で、暑さ順応をさせることを優先すべき、したがって、小中学校へのエアコン設置は逆効果である、というのが私の意見である。


●わたしが診ていたら・・・
私は、正直言って、亡くなった小1児童の診断自体に問題があったと思っている。確かに熱中症にはなってはいただろうが、前述したように、はたして死因はそれだけであったのか、疑問がある。

私がこの子を診たのなら、少なくとも、熱中症と断定はしなかったと思う。「熱中症であったことは事実だが、その他の複合的要因もあり、不明な要因も含めて、残念ながら死の転帰をたどった」と発表したことだろう。

熱中症に明確な診断基準があるわけではない。確かにこの病名で死に至る危険はあるが、実は脱水状態からの肺塞栓症だった、心筋梗塞だった、などという病態が、診断されることなく含まれていた可能性もある。子供の場合は、急性心筋炎が熱中症にマスクされていた可能性もある。

医師が「死因は熱中症」と断定してしまえば、今まさにそれが、熱い話題となっているのだし、診断は一人歩きをする。内因が隠れていても、無視されてしまう。必然的に、より過重な責任が学校にかかってくることになる。

無論、医師が何かを守ろうとして、診断書に手心を加えるなどといったことは、絶対にしてはいけない。しかし、診断が絶対ではない以上、社会的影響も考慮して、あまりに断定的診断はすべきではない、と言うことは間違いではない、と私は思う。

私の次男が以前通っていた中学校で、部活動中に生徒が死亡したことがあった。結局死因は不明とされ、社会問題化することはなかった。もしも医師が”熱中症”と断定していたら、もっと問題は大きくなっていたことだろう。


●結局、校外学習はなくなるだろう
最近の訴訟では、明らかに不可抗力と思われる事象でも、被告の過失とされ、高額な損害賠償請求がなされることが多い。雷雨におけるサッカー少年死亡事故、複数の特養での誤嚥事故などで、そうした判決が出ている。

もはや、法もまた、正義の味方ではなく、ゴネ得の味方である世の中である。

今回のこの死亡事故は、死因が”熱中症”断定されているので、間違いなく訴訟になるだろう。そして間違いなく、原告が勝訴することだろう。そうなる前にしかし、学校でこれまで行われてきたこの校外学習は、来年からはもう廃止されることだろう。

そして小中学校には、次々とエアコンが設置され、子供はひ弱になっていく。決して最高気温が上昇しているわけではないのに。





私には、今の熱中症に関する風潮は誤まっている、対策も誤まっている、としか、考えられない。