当サイトはまもなくhttp://machikun.la.coocan.jp/aaaaaa.htmへ引越しとなります。ブックマークしていただいている方には、お手数ですが、変更をよろしくお願いいたします




クリスマスソング
本にならなかった本の原稿

マタイ受難曲のページ
バッハのマタイ受難曲を素人なりに解説しています。人類が作り上げた最高の叡智をご堪能ください
地域医療のページ
地域医療をしながらいろいろ感じたことを書いてみました。

マイエッセイのページ
人生論、教育論、政治や
社会について気ままにつづったページです。

わが家のビオトープ池
似顔絵ギャラリー
ウィンドウズ付属の「ペイント」を使って似顔絵を書いています。現在約900人の似顔絵があります。
音楽エッセイのページ
翻訳を含めたこれまでに書いた音楽に関するエッセイがあります。

モーツァルトの教会音楽
その価値の割には不当に看過されているモーツァルトの教会音楽にスポットを当てました。
海水魚飼育事始
MIDIコーナー
MIDI日本の歌・世界の歌
なつかしのあの映像コーナー
これまで作ってきたMIDIが2000曲近く、また「YouTube」の懐かしい映像へのリンクもあります。一部の曲はQuickTimeでは聞けません。
平成30年気まぐれコラム
平成29年ミニコラム
平成28年ミニコラム
平成27年ミニコラム
平成26年ミニコラム
平成25年ミニコラム

平成24年ミニコラム
平成23年ミニコラム
平成22年ミニコラム
平成21年ミニコラム
平成20年ミニコラム
平成19年ミニコラム
平成18年ミニコラム
平成17年ミニコラム
リンク集
普通にリンク集です。

第一次安倍内閣から第二次安倍内閣へ(YouTube物語)
たかじん
社説資料集
発言小町おもしろ発言集
電力関係リンク集
参考図絵1
参考図絵2

Emiさんの絵コーナー 政治漫画いろいろ

気まぐれコラム(H30.5.12 実情に合わせ名称変更)
風評被害を煽る東京新聞 原子力の国家管理について

 水で薄めて海に放出−。シンプルで、わかりやすい解決法には違いない。でも本当に、それでよいのだろうか。

 メルトダウン(炉心溶融)した原子炉を冷やすなどした汚染水には、多種多様な放射性物質が含まれる。そのほとんどは多核種除去設備(ALPS)で取り除くことができるという。

 ただし、トリチウム(三重水素)は例外だ。性質が水素とそっくりなので、水から分離することができないというのである。ALPSで処理した後も、タンクを造ってため続けているのが現状だ。

 トリチウムは放射線のエネルギーも弱く、生物の体内に入っても蓄積されない、とされている。だから、海に流せばいいと。

 ところが、トリチウムは生物のDNAの中にまで水のごとく入り込み、遺伝子を傷つける恐れがあるとの指摘もある。

 タンクの中に残った放射性物質は、トリチウムだけではない。

 ヨウ素129やルテニウムが実際に検出されている。

 原子力規制委員会は、このような物質も「水で薄めれば基準値以下になり、問題ない」との立場だが、本当にそうなのか。

 思い出すのは、「公害の原点」といわれる水俣事件である。

 原因企業による有機水銀の海への垂れ流しを政府が放置し続けたため、深刻な被害が広がった。

 「海水の希釈能力は無限と考えたのは誤りだった」。事件に関係した高名な学者が、後に漏らした苦渋のつぶやきだ。水銀と放射性物質は同列にはできないが、不気味ではないか。

 規制委は「海洋放出は唯一の手段」と言うが、政府側からは、薄めて大気中に放出したり、地下に埋設したりなど、“代替案”も提示されている。ただし、海洋放出よりも手間や費用はかかる。

 このままでは廃炉作業に支障を来すという、東電側の主張はよく分かる。だが言うまでもなく、最も大切な“物差し”は人体への「安全」だ。「海洋放出ありき」は危うくないか。

 放射線の影響は未知なる部分が多い。漁業被害の問題だけにはとどまらない。

 議論はまだ、熟しているとは言い難い。


本当にこの新聞は、廃刊になってくれないかなあ。社会の木鐸どころか、社会に害悪を撒き散らすだけの存在ではないか。

そもそも、サヨクの喜びそうなテーマの場合、必ず非科学的な主張をする勢力が出てくる。

福島原発事故後の場合、欧州のECRRという、公的には認められていない団体やその息がかかった”科学者”が撒き散らす非科学的見解が多くあった。そして、脱原発派は、そうした見解を使い、自らの主張の根拠とした。

私の分野の医療でも例外ではない。共産党系の医師、特殊な考えを持つ医師らが、明らかに学会や学術団体の公式見解とは異なる主張をしている。

たとえば、福島県での小児甲状腺がんの罹患者数の増加がスクリーニング効果によるものであることは、すでに世界中の学界の権威が認めているところである。しかし、イデオロギーがかった少数の医師はそれに異を唱え、それが広瀬隆や脱原発派の主張の根拠となっている。

残念ながら、こうした連中の誤った意見は、当方にある程度以上の知識がないと、そのウソを見抜くことができない。多くの国民は、放射線や甲状腺がんについての専門知識はないから、一部の人は必ずだまされることになる、”彼ら”のマーケットが出来上がる。”彼ら”のトップクラスは、そのマーケットを対象に、著作を出し、講演などをして、食っている。

こうした害悪も、彼らのサークルで閉じてさえいれば、とりあえず社会への害はさほどではないのだが、困るのは、それがサークル外へ漏れ出し、いわゆる風評被害となることである。

風評というのは要するに、「本当は危険性はないのだがいかにも危険性があるように見える」ことであり、専門知識がないとその真偽が見分けられないような微妙な事象がその対象となる。

トリチウム水などはいかにもそうした対象となり得る。確かに、放射性物質は含まれているから、ゼロリスクを追求する思想からすれば、絶対に安全、ということではなくなるから。

しかし、良識ある人は、そもそも世の中に”絶対安全”など存在しないことは、よく理解している。私たちが毎日食するモノにしても、さまざまな危険物が混じっていることは間違いない。ただその量が、健康に問題ない範囲であるから、毎日食べているだけのことである。

トリチウム水はまさにそのような範疇に入るのであるが、「目的のためには手段を選ばない」サヨクは、これをまさに、自らの主張の糧とする。脱原発派の裁判官が、1万年に1回の危険事象を頼りに原発の運転指し止めを命令したように(そしてそれを支持するあまたの新聞があるように)、あまたある"危険事象”のうちの、都合の良いものだけを取り上げ、その危険性をとりわけ強調する。


●”水俣病”を持ち出すあくどさ
東京新聞があくどいのは、たまたまその認定50年を迎え、改めて世の注目を集めている水俣病とトリチウム水をひっかけたことだ。

しかし、そもそもその原因追求から始まり、したがってもともとろくな排出基準もなかった水俣病と、自然界にもともと存在し、その危険度が科学的に実証されているトリチウム水を比べること自体、ナンセンスだろう。まあこれは東京新聞も”同列にはできないが”という断り書きは入れてはいるが。

それでもやっぱり比較している(笑)。

おかしいのは、要は、トリチウム水を排出することが、水俣病を連想して”不気味だから”排出に反対、という、きわめて感情的な論理である。そして、風評被害は、理性ではなく、まさにこうした”感情”によって、拡大するのだ。

本来、社会の木鐸たる新聞の役目は、こうした風評被害をなくすことに努めることではないのか。

あまり知識のない一般人が、風評を信じてしまい、風評被害が発生することは、ある意味、仕方がないこと。だからこそ、新聞が正しい知識で社会を啓蒙し、まさに社会の木鐸になる必要があるのだ。

最近の新聞は逆であり、木鐸どころか、古い価値観に囚われた、社会の足を引っ張る役割をしている。

今、社会の木鐸はネット
である。ネットの情報は確かに、便所の落書きのようなものも多いが、中には正鵠を射たものもある。少なくとも、東京新聞のような害悪を撒き散らす新聞は、便所の落書きレベルのネット情報よりたちが悪いことは、間違いない。

正しい知識の普及に、イデオロギーを挟んではいけない。20世紀初頭の有名なマックスウェーバーとシュモラーの価値判断論争の原点に戻り、科学者、新聞といった、社会を啓蒙する立場にある者は、自らの主張はともかく、そのために客観事実を曲げて解釈する(これは、保守側にも言えることである)ことは、社会に害悪を撒き散らすだけであり、厳に慎まなければならない。


<安倍政権に注文する>「原発ゼロ」への転換を

 原発、エネルギー問題は、総裁選の争点にされなかったと言っていい。

 告示前日、地震による停電で全北海道が闇に包まれ、北海道電力泊原発の外部電源が一時途絶えた。一極集中電源の危うさや、3・11を経てなお脆弱(ぜいじゃく)な原発の防災体制が露呈して、国民の不安と関心は一層高まったというのにだ。

 原発の“持続可能性”は、おのずと怪しくなりつつある。

 膨大な「国費」を投じた高速増殖原型炉「もんじゅ」が廃止に追い込まれ、使用済み核燃料サイクル計画は、事実上破綻した。核のごみの処分場は、一向に決まらない。二〇三〇年代には一時保管の施設から放射性廃棄物があふれ出すという。国際社会は、核兵器のエネルギー源にもできる大量の余剰プルトニウムの処分を迫る。膨らむ維持費や廃炉費用に耐えかねて、電力会社と原子炉メーカーは提携に動き始めている。

 極め付きは、事故に備えた賠償金の上限引き上げを、政府が断念したことだ。

 原子力損害賠償法は、電力会社の賠償責任に上限なしと定める一方で、原発一カ所に付き千二百億円を用意するよう電力会社に義務付けている。

 福島の賠償費用はすでに八兆円を超えている。少しばかり積み増したところで焼け石に水ではあるものの、上限引き上げを断念するということは、原発は民間企業の手に負えないと、国が正式に認めたというに等しくないか。

 福島の賠償費用は不足分を国が立て替え、一部はすでに電気料金に転嫁されている。いずれにしても、ツケは国民に回される。

 もはや原発は、国家の意思と力がなければ、管理も廃棄もできない状態に陥っているなのに、国民の多くが抱く不安や疑問に国は答えてこなかった。

 世界が再生エネルギーへのシフトを進め、国民の過半が原発再稼働に反対する中で、なぜ原発を主力電源と位置付けたままなのか。核燃料サイクルをなぜ断念できないか。福島のような事故が再び起きたとき、誰が、どのように責任をとってくれるのか。そもそも責任がとれるのか−。恐らく答えられないのだろう。

 原発事故の責任は、政府にも負いきれるものではない。福島の現状を見れば明らかだ。だとすれば「原発ゼロ」への転換を「国策」として明確に示すべきなのだ。

この東京新聞社説は、一部は正しくもある。間違っているところはこれまで繰り返し指摘しているので、今回は、正しいところのみを指摘して脱稿しよう。それは私が赤字にした部分で、結局は原発はもはや一民間企業には手におえる代物ではなくなっており、国家的管理が必要である、ということ。

実はこれは、原発容認派の池田信夫氏もかねてから主張していることだ。要するに、福一事故以降、安全対策費用が膨らんでしまい、建設コストも倍増し(一基5000億円だったのが、1兆円以上になった)、これまでのように、おいそれと、一電力会社レベルで建設するのが困難になった。今後は、原発の新規増設は、電力会社レベルでは困難であり、強固な国家的後押しが必要となってくるだろう。

ただし、わが国、否、世界中をこのような状況にしてしまったのは、脱原発派である。さらにさかのぼれば、原発の絶対安全神話を作り出した元になったのも脱原発派の存在であり、さらにはずーーと元を正せば、読売新聞の大誤報にさかのぼる。


●もともと原子力は危険視されていなかった!
日本の、否、世界的な原水爆禁止運動が行われたのは、昭和29年に起きた第五福竜丸事件以後で、それは東京都杉並区の婦人たちが最初に始めた、と言われている。

言い換えれば、それまでの約10年、被爆者は無視されていたことになる。そもそも原爆医療法が制定されたのは、昭和32年である。被爆者医療は、10年以上、”放置”されていたことになる。まさにこの時期こそが、強力な被爆者医療を行わなければならなかったはずなのに、一般医療と同じ位置づけだったのである。昭和27年までの占領期間があったとはいえ、昨今の核兵器禁止運動の高まりを見ると、こうした歴史は、奇異である。

そもそも、現在脱原発、核兵器禁止を唱えるサヨクこそが、昭和20年代には推進者だったのである。

たとえば共産党の徳田球一は、「原子核分解のときにでるエネルギーを、爆発力つまり爆弾としてつかうだけでなく、そのエネルギーを適当に人間が管理し、制御していけば、りっぱにできる」(「日本の社会主義」 加藤哲郎著p142)などと言っている。また、サヨクの物理学者武谷三男は、さかんに原子力の利用を煽っていた。
昭和25年頃のことである。

おそらくは、第五福竜丸事件がなければ、戦後のサヨクは、自らの自己否定となる原子力の積極的利用、核兵器禁止運動に手を染めることはなかっただろう。原爆医療もさらに遅れていたに違いない。


”第五福竜丸事件”はなかった
実は、こうした反核運動の原点になった第五福竜丸事件そのものが、読売新聞の大誤報であったことがわかっている。つまり、被爆半年後に死亡した久保山愛吉氏の死因は、被爆ではなく、輸血後肝炎なのであった(Wikipediaでも、久保山氏の死因は、肝炎、となっている)。

ということは、結局は、肝炎という通常の病気で死亡した(そのきっかけが被爆ではあったとしても)人の死をマスコミが誤って被曝死と報道し、それがきっかけとなって、サヨクもその思想を変え、その後の逆に、強力な反核、反原子力運動に力点を置いていったのである。

その後、昭和54年に米国でスリーマイル島原子力発電所事故が起こり、昭和61年にかのチェルノブイリ事故が起こる。そのたびに、世界各国で脱原発運動もさかんになり、福一事故が、原発にとどめを刺した、と言えよう。


●今後原発は、中国、ロシアで生き残る
民主主義国においては、東京新聞の言うように、確かに今後、原発は、石油ショックのようなことでも起こらない限り、その新規建設は困難となっていくだろう。もっとも、現在、発電に石油はほとんど用いられないから、”天然ガスショック”などというものでも起こらない限り、原発の冬の時代は続くことだろう。

では世界は、脱原発派が言うように、脱原発に向かっていくのか、あるいは、向かっているのか。

少なくとも、中国、ソ連ではそれはない、とは言えよう。中国は、NHKには、再生エネ大国に映っているようだが、実際は原発大国でもあり、再生エネと同じレベルで原発発電量が増えている。ロシアも、中国ほどではないが、やはり増加傾向にある。

両国は、民主主義国ではないため、国民の意向など反映することなく国策が決められる。一般的にはそのような国は”悪い国”と思われているが、かつてのナチスが当初は経済政策を成功させ、失業率をあっという間に低下させてしまったように、国民の反対が間違っている政策の場合には、こうした非民主主義国の方が、思い切った政策をすることができる。

原発に関しては、私は両国は正しい政策をしている、と思っている。仮に、化石燃料の供給不足の事態になれば、ほくそ笑むのは両国だろう。

国民の声を直接反映することが正義とは限らないことは、EU離脱を選んだ先の英国の国民投票が証明した。こうした状況から、残念ながら、民主主義国は、今後も原発に関しては、せいぜい横ばいが良いところであろう。

しかし、かつて原発を一時的にでも放棄し、いまや原発大国であるスウェーデンのように、今後の化石燃料の需給状況によっては、やはり世界中が原発回帰に向かわざるを得ない時が来る可能性もある。その時、中ロに笑われないためにも、東京新聞が言うとおり、国家管理としての原発が維持されねばならないだろう。