和風旅館の計画と理念
日本的なサービスが、時代と共に後退した分、高級な日本料理と共に、見た目<建築>の和風化が進んでいるといった見方も出来なくないが、生活の向上により日本文化の価値が再発見され今日の高度な技術社会の一方に“こころの時代”が引用され、余暇社会の中でますます時代の情緒産業として大きな位置を担えるものになってきたとも考えられる。 今日の和風旅館の型は、誰が作り決めたものでもなく、過去から現代にいたって、そこに逗留した客が時代の好みで育て残してきたものといって良い。なぜなら、それはあくまでその時々に求められるだけの価値あるものでなければならなかったからである。和風旅館は日本文化の商品化であり、時代と共に大きくは変わりえない商品であるともいえる。心変わらず装いは、現代感覚をまとった和風であることが、今は又とりわけ商品価値の高い時代である。 |
和風旅館の設計は機能と情緒との綱引きである。省エネルギー、省力化に始まる合理化の追求と、日本的なサービスと料理を飾るもてなしの和風空間とのバランスである。 ソフトを生かせるハード造りに心掛けるべきである。建築が自ら生かせる所を別に特定し、そこでサービスと料理に負けないような最大限の意匠空間を演出すべきである。 日本的なサービスの継承がいろいろな要因により難しい今日、商品力における施設の占める割合は、ホテルのそれが何よりも重要であるように、より大きくなってきている。その分建築を担当する設計者の責任も増している訳である。加えて20時間にも及ぶ滞在時間の快適性と安全を保障する設備も高度化していく。 数えあげると切りがないほどの複雑さは、他に例を見ない建築設計といえるが、旅館の計画と設計の中で考慮しなければならない要素がある。その中で幾つかの問題点をかいつまんで、とりあげてみたいと思う。 |
旅館施設のもっとも基本的な宿泊空間であるが、この中にホテルの客室にないくつろぎややすらぎといった和風情緒をおぼえる広さとデザインが要求される。 昭和40年代の7.5畳(一室にいかにたくさんの布団が敷けるか・・・)の時代。高度成長の後の12.5畳(和のやすらぎとゆとりを求めた・・・)の50年代から今日。そして今、やがてそうなってしまうだろう一室2人の時代を目前にひかえて、和室としてのゆとりと、寝室としてのプライバシーと、一方では建築コストや防災設備の問題のなかで、はたしてどのような和風客室が求められているか、難しいところにさしかかっている。 広さはともかくこの室内で食事(部屋出しの場合)と就寝と団欒をするわけで、一部屋に何人泊めるかが設計の大きなポイントになる。今でも定員は「1人たたみ2畳」を基準としており、たとえば10畳では5人部屋となり、5人が泊まって定員稼働率100%となる。現在では、大体平均すると80%以下であるが、それでも3,4人で一部屋ということになる。少し寄り道するが、旅館の宿泊料金もこの定員性を敷いているところが多く、5人で泊まって(2食付き)一人分いくらとなっており、4人で泊まるとやや高くなり、2人になると5割増しくらいになるところが多い。このあたりが食事付きということもあるが、ホテルのルームチャージ式の料金体制と異なり独特の不明瞭さを感じる。とにかく一般的には、4人位が一部屋に泊まることを前提に客室の設計をすることになるわけだが、このあたりに当然問題が出てくることになる。個性や生理的要求をある程度無視しなければ解決しない。なんとも割り切れない快適性の追求になる。洗面器や便器といったものも、当然1ユニットにはなり得ないし、2ヶ所以上は必要になってくる。 いいかえれば、一部屋の中で10数時間の間4人の客それぞれに快適さを感じさせることは、最初から不可能と云わざるを得ない。それでもわずかの妥協を目指して、誰もが感じる不快感を、少しでも和らげるような客室の設計を続けていることに虚しさを感じている。それならやはり来たるべき1室1人、あるいは2人を基準にした時代の早からんことを願うのみであるが、このとき和風の座敷の良さが、どこかへ一緒に行ってしまいそうな不安と淋しさを味わうかもしれないと思うのである。 2人部屋で最小限(25u位)の和室(8畳)を作ってみた。これは国観連の基準に見合ったものである。これならシティホテルのスタンダード部屋の広さと同程度であるが、果たして和室として商品価値があるかどうか、そして広さとゆとりを売りものにした12.5畳+次の間付といった70u位の和室(ただし5〜6人定員)という売り方と、当然宿泊料金の問題も含めて、どちらが客のニーズに合っているのかはなかなか興味深い比較になると思う。現時点では丁度中程の安心感で、10畳(50u位)の客室が一番多く、それにどういった快適機能をプラスするかによって付加価値を高められるかが、設計のポイントになっている。 いずれにしても風呂(温泉)あがりの広間での和風宴会のあとは、「1人になってたまにはたたみの上でゆっくり休みたい」という客のニーズを満足させることが、和風旅館のこれからの最も人気のある売り方になると考えられる。 A宴会場 ○料理との一体的演出 部屋出しから料理茶屋・料亭、レストランシアターへ ○舞台の機能 ○厨房とのサービス動線 B大浴場 ○温泉のみなおし---露天風呂 ○施設のおもむき、広さ C省力化 ○動線の短縮化 料理の部屋出し---料理茶屋・食堂 ○リフト---ELV/シューター 階段の廃止---スロープ 調理・設備機器・清掃の機械化・自動化・遠隔操作化 コンピューターによるデータ処理・レジの集中化 ○裏の合理化<ハイテック>---表の人的サービスの向上<ハイタッチ> ○整理---動線上の物入・什器倉庫のワゴン化 使い勝手の良い施設を設計することも含めて、予算の許す限りメンテナンスのし易い施設造りを心がけねばならない。少なくとも5年先の様子を見極めて計画し、ディテールすべきである。清掃・交換・補修安全性等であるが、何といっても次のリニューアルが5年から10年先であることを考えればと、特に設備機器に関しては、その間に時代遅れにならないか、快適性を保ちえるかを考慮して決定しなければならない。 又省面積化を出来る限り考えるべきである。最小の面積で最大の効果を得るような設計が、コスト高から考えても必要である。これは同時に省力化と省エネルギー化につながる。空間を多角的に使えるようにするとか、共通あるいは共有するものを集めるとか、その空間の滞在時間や移動時間を考えて、空間の広さと高さを順序づけて考えることからも、省面積は計れるものである。 サービス側の人手を、あるいは人数をどうすれば減らせることが出来るか。この問題は決してオーナー側の労務上の解決だけでは済まされない。「サービスとは物を運ぶこと」だと独断している。ホテルは施設集約型でありサービスを受けたい客がそこへ移動するのに比べて、旅館は労働集約型であり客の廻りをサービスする側が動くのである。決められたエリア内のサービスというよりも、マンツーマンのサービス系体である。客とサービス側との動線の整理と短絡化を計ること、収納の広さと場所と、廊下の関係を結びつけて考えること、1人でサービスできる範囲を拡げるため、視角と動線を考慮すること等によって、積極的にサービス側の人手を減らせるプランニングは出来るはずである。人手を減らせなくてもその分、質の高いサービスが提供できることになる。これはプランナーとしての大事な仕事である。客は廊下が少々長くても、多少高低差があっても、その移動の時間と空間が豊かな雰囲気の中で経過するなら無理は言わないものである。一般的に、優れた施設なら客は設計者の意図したとうりに動き、感じてくれるものである(一部の酔客を除いて・・・)。一番の問題は施設で働く人達である。日々新たな客を迎える毎日を過ごすうちに、最も楽な方法というか、合理的な働き方をしようと考えるものであって。この動きを最初からよみきるのはなかなか難しい事である。中にはかえって教えられるものもあるが、一般的にはあまりいい方向へはいかないものであって、それを最初からどこまで把握できるかは、経験が必要な難しい問題だと悟るべきである。そのうち半分は、営業的な販売促進といった大義名分もあるのだが・・・。 D省エネルギー化 ○イニシャルコスト---ランニングコスト ○断熱 ○スケールメリット・コージェネレーション ○集中化---分散化 E情緒性に加えて明るさ・清潔さ・快適さが要求される ○2面性の問題 秘境------ 清潔さ 明るさ----- 十分な睡眠は価値 F安全性 ○見た目の安全性 ○売りものの安全性 ○適マーク G遊び---楽しさ、面白さを与える---感動 ○遊ぶところを与えてあげる---販促につながる ○遊ばせてあげる---旅館的イベント H高級感を感じさせる ○目で見る高級感 I地方の文化性を取り入れる ○工芸・民芸・芸能 ○文化の産物が旅館 J自然・季節感を取り入れる ○花 ○祭事 K華やかさ・粋・艶 ○遊び心・数寄 ○客室のやすらぎ---パブリックのはなやぎ L旅館の個性化・差別化 ○特色/立地・サービス・料理・施設 ○オーナーの顔/宿の心 旅館によっての施設づくりの違いはいろいろな要素があるが、そういった設定条件の違いをもとにして、旅館としての個性を発揮し、他の旅館とどう差別化を計っていくか、あるいはそれを商品価値としてどう高めていくかが重要な設計コンセプトになる。 M本物の和風・美しい和風---情感の演出 伝統の様式<文化>+現代の美意識<機能>+設計者の感覚<個性> Nビジネス/研修・会議・展示 建前と本音 ブライダル---シティー旅館---コンベンション O話題性<目玉商品> ○
体験・感動---意外性・非日常性 立地・サービス・料理といった総合的な旅館の特色は、当然個性化された商品企画力によって販売されるわけだが、施設そのものの特徴がどうなのかを、なによりも問われるじだいになってきている。それは新しさであることも、それだけで大きな利点であるし、話題性のある建物というか、変わった趣向を凝らしてある施設の特徴が、そのままその施設の商品力として必要であり、営業上の大きな潜在力として顧みられる時代になってきている。旅館の大型化や余暇時代における競合、旅が観光ということと同時に、旅館そのものを目的にする時代になったことにもよるだろう。そこにより建築家としての創造性といった企画力が要求されることになる。敷地の広さや環境といった立地条件を最大限に効果として把えることが何よりも大切だけれど、云い詰めれば、いいロケーションを生かす設計よりも、「ロケーションのない所にいいもの<施設>を創造し、客を呼び寄せることができたら・・・・」それこそ建築家冥利につきると思っている。 ホテルにおけるヨーロッパからアメリカの近代建築を経て、現代のジョン・ポートマンの吹抜空間の中に、全く新しいエクステリア空間を見つけた時の、あの驚きと感動が、今日のホテル建築の話題性の源のひとつになっているのは確かである。伝統や格式やサービスといった見えざる値に匹敵する、あるいはそれを超えるだけの効果というか、力を持つことが出来るのだという証であると思う。当然ながら、長い商品力を支えるサービスや料理が裏付けられた上でのことだが・・・。 旅館の施設造りのプロジェクトの中で、「他とどこを違わせればそれがより優れた商品力となるのか」を考えるなら、ある意味でそういった感動を想起させるような話題性のあるものを考慮する必要もある。これは当然、単なる意匠的なものでなく、難しい構造体や複雑な設備でもなく、どういったモチーフをどういったフォルムで展開していくのかといったものであり、独創的な企画と実践である。対象が一般の客であるところの価値感である。理屈と注釈の世界ではない。簡単に云えば、「いかにお客が楽しみ歓んでくれるかのシナリオを、建築空間の中で物語れるか」ということである。それが成功すればその旅館の戦力となり、設計者自身の個性にもなる。普通の旅館施設を充分にこなせることの必要の上にこの1点がこれからの旅館建築の商品力としての決め手になるだろう。これを思考できるのは、イタリアのあらゆる分野における建築デザイナーの活躍のように、建築家の空間想像力であると思われる。その中で建築家は、トータルプランナーでありトータルコーディネーターとしてのイニシアチブをとらなければならない。 又、さまざまの仕掛け(装置空間)を提起できれば、自らの空間を演出するアーティストにもなる。とりわけ和風旅館では、日本の文化をあらゆる角度で分析し、選択・抽出して、大胆な構想を伝統的な精緻なディテールで、可能な限り本物に近づける能力が必要になってくる。さもなければそれは陳腐な仮物になってしまう。研かれたディテールの裏付けは、絶対に必要なテクニックである。 Pパブリシティー マスコミ---話題性/タイミング・トレンド 高級な和風旅館の最多の客層は50代である。しかもその中で女性の割合が増えている。家事や子育てから解放され、自由になる暇と金を手にした女性達が、和風旅館の人気を左右しているらしい。なぜなら旅や宿への評価は、口コミによる評価も含めて女性の方がかしましい。となると、中年女性の好むような旅館を造ることが商品価値として必要であり、これを分析して、この客層にジャストミートさせるソフトを含めた、建築デザインの表現方法が必要になってくる。これは非日常性の提供であり、伝統と流行、華やかさや夢を合わせもった様な、いわば女性雑誌等の世相であり世界である。必要なのは、新しさと、そして古さの、巧みなバランス感覚なのだろうか。 Q旅館設計の考え方の一つは、常に客の立場になって物を感じ考えて、頭に描いた空間で何度もシュミレーションをすることである。ここで客は何を見、何を感じることになるのかということを・・・。 そして自分のものでも、他のものでも、同じようなものを造ってはいけないと思わなくてはならない。それはその旅館の大切な商品であるのだから・・・。そして設計者は、それを自己満足のための道具にしてはいけないのだと知るべきである。その施設はそこで働く人と客の為にあるのだから・・・。 現代の旅館は(ホテルもそうだが)宿泊+飲食といった施設だけでなく、館内に遊びや会合やスポーツを伴った複合施設としての形態をとってきている。大型の旅館であればあるほどその多角化は顕著である。 旅館のパブリックの構成は、その施設の立地や経営の特色とかを別にすると、その収容力の差でその種類と大きさが決まってくるものである。夕食後の3時間余りを、客に楽しく過してもらえる施設を、販促を含めて効率よく選択し、レイアウトすることになる。大きな売店や飲食・娯楽施設といったものを館内にちりばめ、泊り客をもてなすことの是非は別として、一方で館内から外へ出て行く客が少なくなることは、温泉街の陳腐化に始まり、その情緒性の荒廃につながり、やがては今はやりの地域の活性化とは逆方向へと進んで行く可能性もある。温泉街で、昔ながらの浴客の下駄の音が響かなくなり、旅館ばかりが大型化し、町並の叙情が消えて行くことは淋しいかぎりである。温泉街に調和し、その中で共存して、旅館を取り巻く環境の中に情感があればこそ、和風旅館が生き生きと息づくものであろう。旅館から一歩出れば、そこは日常生活空間。旅人の1人として、非日常性への旅のあこがれが、期待を裏切らないようなところにあって欲しいものである。 |