観光旅館について


旅館建築の附加条件として、建築を形成する機能と意匠という要素に加え、情緒という空間意識が必要である。訪れる人の心にやすらぎと更に感動を与える空間であることが、日本固有の旅館の持色たりえるものでなければならない。情感という言葉で置き替えれば、日本の風土に培われ、日本の民族が育んだ日本人の感性である。情感という空間意識を、建築というかたちで現わすならば、それは紛れもなく和風という建築様式のもつ日本的なるものの味であり姿であるといえる。そして、その情感という心を形づくることが、情緒産業たる日本の旅館建築でありえる不可欠な要素である。

旅館は日本的でなければならないと思う。日本的という意味が不可解なら、和風という言葉に置き替えて良い。これは意匠と情緒という意味の中での話である。いつからか日本の文化による美意識が、近代化という代償と共に、その時代の文明の波に呑まれていった時代があった。あたかも文明開化の明治維新のように---。異文化の先進性・合理性から生まれた用と美の前に、日本文化の多くがそうであったように、旅館の中にもホテルという異文化の中で発生し育ったものへの畏敬の念を抱く時期があった。旅館がホテルを追い、あるいは自らホテル化することで何かを失ったり、日本に同化しない何かがあることで、それが模倣であり陳腐化してしまったりしたのではなかったか。異文化の洗礼を受けてそれを学び、修得し、やがてホテルにはない何かを見つけ、異文化と異なる道を歩むときが今来たのではないかと思う。まるで今まで知らなかったように、和の空間の中でやすらぎをおぼえる。日本人が自らの文化に触れて共鳴するように、忘れていた何かをその中で蘇らせてみてはどうか。

旅館は日本の日本人の文化の中に成り立ってきた。その情緒性こそが、ホテルにはない日本人の美意識であり、現代における旅館の進むべき姿であると思う。文化は長い将来にも永続する日本の財産であり、情緒産業たる旅館の不滅の商品ではないだろうか。旅館が日本の風土の中に存在する限りは・・・・・。温泉は日本人のくつろぎであり、人情豊かなもてなしと郷土のごちそうは日本人のやさしさであり、宿は日本人のやすらぎであった。これは現代まで永々と息づいてきた。あるいは続いていくだろう旅館の姿である。やすらぎのある宿を日本の和の心で造らねばならないと思っている。

建築とて、異文化の洗礼の中で、現代に生き続ける様式がある。美しい自然や庭園に解けこむ和の情感を、数奇屋の空間の中に見ることが出来る。それは想う人の心であり、心を映すことの出来る空間である。故に、数奇屋は想造であり、一つの様式やかたちで把えられるべきものではない。この定型化を拒む自由さが、今日に数奇屋を継承し、なおいきいきと現代によみがえる所以であろう。

現代の数奇屋建築は、それが持つ本来の装飾を越えた技巧の中から、華麗で優美な面を合わせもつことになる。そしてその建物が商業建築であるなら、なおさらの事である。明るく華やかであること、そして又「粋」であり「艶」であることは、旅館建築での大切な情感という要素であり、必要な条件である。旅館の空間造りの要点は、このあたりにあるのではないかと思う。しかしながら数奇屋本来の数寄の心を見失ってはならない。なおかつ、数奇屋の洗練された美しさに、現代の感性と個性を加味し練磨することによって、和風の情感の演出を、現代の旅館という空間の中で展開していかなければならないのではないだろうか。

自然の景観や町並による和風のよさを維持できなくなった現在、和の文化と情感を保つなら、外空間すらその体内に実像させることが可能であり、それに迫る感動を、旅館という商業空間の中で再現できるのではないかと信じている。これからも大きな和風空間は、合理的な構造体に内包された中で展開されていくに違いない。しかし和風の本質は決してそれで後退していくものではない。いや、なお一層構造の制約から解き放たれて、情感のおもむくままの、自由でいきいきとした美しさを追求できるであろう。

日本のかおり高い和の文化を、現代の新しい感覚で研ぎ澄ましていくならば・・・の話である。様式を、木構造の柱・梁といった“線”の構成から壁という“面”での捉え方に置き換えることであるかもしれない。数奇屋本来の数寄の心と美意識を失わず、そうすることによって、和風の心と形は将来にも生命あるものとなるだろう。

旅館の施設には、日本の、あるいは地方の風土に密着し、その自然を、季節を取り入れて、折々の移り行く自然の姿と、その地方の伝統的な民芸・工芸・芸能といった文化をも移していくべきである。それはただ単に宿泊施設ではなく、同時に日本の文化が作り出したものであるからである。今迄の日本人の生き方がそうであったように、自然と環境と文化を大切にしていかなければならないだろう。

やすらぎの空間は、そこに花が逢って、そして始めて匂うような輝きを放ってくれるようなものだと思う。もてなす心と花が融けあって、そしてその花が何時までも、息づくような空間であって欲しいと思っている。