大内塗の由来と沿革
大内塗の起源は定かではないが、室町時代、山口における刀の柄、鞘の塗などの料金の基準をを示している大内氏の掟書(文明17年、1485年)がある。
更に李朝の続いた1393年から1863年までの間の出来事が記録されている。「李朝実録」には、室町時代における大内氏との交易の様子が記されており、大内氏が漆製品を重要な輸出品の一つとていたことが記録されている。
これらの文献資料により少なくとも15世紀には山口において漆工芸がかなり行われていたと考えられる。
この時代の現存する遺品としては、文明10年(1478年)の箱書きがある長方形の「猫足四脚付きの盆」があり、また、山口県の有形文化財に指定された、
防府市の毛利博物館に保存されているベンガラ漆塗の下地に金箔や色漆を用いて、四菱形文、雲形、枝菊文を施した椀についても室町時代に作られたものではないかと、言われている。
天文21年(1552年)の大内氏滅亡とともに対外貿易は途絶え、輸出用の漆器産業は大きな打撃を受けたものの、その後においても山口の漆工芸は維持されてきたものと思われる。
まず、天保年間(1830年〜1844年)に編纂された「防長風土注進案」によれば、山口の街の全体の屋敷数1544軒のうち「椀屋三十軒」とある。
また、山口県文化史年表の中に天保14年(1843年)「山口椀の材料に充つるため佐波郡滑山官林の伐採を許可」と記録されている。
これらの資料から江戸時代においても山口で漆工芸がかなり行われていたも のと思われる。明治の後半には、吉敷郡役所内(現山口市)に吉敷漆器講習所が設置され、大正7年には、山口市内に山口県工業試験場が設立、漆工課が置かれ、昭和42年まで漆器について研究・開発が行われた。
昭和に入ってからの大内塗は、第二次世界大戦や昭和33年の日中貿易の中断による漆の入手難、プラスチック製品の台頭等により厳しい状況に置かれたが、人形をはじめとする新製品開発に努め、需要を維持してきたため、大内塗の技術、技法は現在まで伝承されている。
平成元年4月 伝統的工芸品指定
大内塗制作工程
素地工程 | ![]() |
下地工程 | ![]() |
研ぎ工程 |
下塗工程 | ![]() |
研ぎ工程 | ![]() |
中塗工程 |
研ぎ工程 | ![]() |
上塗工程 | ![]() |
加飾工程 |
素地工程
(乾燥、選別)
伐採した木材を4〜5年かけてゆっくり乾燥させる。さらに必要に応じて燻煙乾燥させることもある。
ロクロ物に適する木材 …………… けやき、とち、ちない、さくら指し物に適する木材 ………… ひのき、ほう、きり
●ロクロ物
木材(丸太、角材、板材)をモーターの回転を利用して高速に回転させ、
ロクロがんな(特殊な刃物)で削り形を作ったもの
例 椀、丸盆、大内人形、
◆指し物
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下地工程 ・ 研ぎ工程
下塗工程 ・ 研ぎ工程
中塗工程 ・ 研ぎ工程
上塗工程
1.砥ぎ上がった中塗に上塗漆を塗る。
◎ 加飾の種類(代表的なもの)
漆絵 ……………色漆で模様を描いたもの。
箔絵 ……………金箔、銀箔などを漆で貼り付けて模様を描いたもの。
沈金 ……………上塗をした表面を沈金刀(小さなノミのようなもの)で彫って模 様を描き、その彫った部分に金箔を埋めたもの
蒔絵 ……………漆で描いた模様の上に金粉、銀粉などを蒔いて模様を仕上げたもの。
蒔絵の種類には 消し粉蒔絵・高蒔絵・研ぎ出し蒔絵がある
それらの技法を色々組み合わせて超豪華に仕上げた物もある。
螺鈿(らでん)…上塗をした表面にあわび、夜光貝、蝶貝などの美しく光る部分を薄く削り埋め込んだり貼り付けたもの。