・・・くま日記・・・
2008/07/01(月) 単に気持ちよく
飲み会が一次会で終わることは滅多にない。大抵、二次会へ繰り出す。行き先はスナックであったり、仲間によってはカラオケボックスだったりする。
二次会は、飲み直そうという会ではない。ましてや、一次会で語り尽くせなかった話をしようというものでもない。早い話、カラオケを楽しもうという会である。
10人も連れだっていけば、固辞する人も中にはいないわけではないが、大抵、持ち歌というものを持っていて1曲や2曲は唄う。
こういう場では、歌の巧拙にかかわらず必ず拍手をする、さらに、他人の歌と同じものを唄ってはいけない、などという暗黙の礼儀がある。
30年ほど前頃には、「歌をなくした日本人」<小島美子著>などと言われたが、今やカラオケのないスナックを探すのが難しい程である。すっかり、歌の好きな日本人になってしまった。
実は、もともと日本人は、よく唄う人々だった。それを唄えない形にしたのは、クラシックだけを音楽として教える学校教育にあった。その呪縛から解放したのがカラオケだったのである。こう説くのは、小島美子氏である。
北のアイヌ民族から南の沖縄の人の島唄まで歌は自己主張の手段だったのである。
日本の村落社会では、言いたいこともいえず、つらいことも悲しいことも心の奥に秘めて過ごしてきたのである。その思いを胸の内で唄うことによって、耐えてきたのだと小島は説く。
歌は、もっとも素直に本音を表すことが出来る唯一の手段だったのだ。子守歌も、民謡もその系譜である。歌で語りかけたのだ。それ故に、聞く側に共鳴をもたらした。残念ながら、いまのカラオケにはそれがない。
カラオケは拍手を求めてはいけないのだ。単に、唄う人が気持ちよければそれでいいのである。
2008/07/02(水) 釣りの道具
スタイルなり、構えなりを見ると、おおよそその人の実力がわかると言われている。
ゴルフの場合は、アドレスの姿勢を見ただけで上手いか下手かがわかるそうだ。
「堂にいる」 と言う言葉がある。学問や技芸がすぐれて、深奥をきわめている。また、技術的に熟練していて、身についている様とある。早く言えば、様になっているということだ。
山登りにしても、野鳥観測にしても、それに長けている人には、見るからにそれらしいと感じる雰囲気がある。幾ら素人が外見を真似ても、その雰囲気は出ない。
最近、釣りに連れて行ってもらう機会があるが、釣りの場合でもそうである。行き慣れた人は、持ち物、態度、どれをみても、まさしく「堂にいっている」のだ。
その真似事でもしたいと、用具をそろえている。今日は、「バッカン(写真)」なるものを購入した。
大したものではない。仕掛けや、ペンチ、はさみなどの小物、さらには、タオルや弁当を入れて持ち歩く。簡単にいえば、釣り用手提げ篭(バスケット)である。クーラーのように、腰かけるほどの強度はない。
それにしても、「バッカン」 とは、面白い名前である。
「バッカン」の名前の由来はなにか。ネットで検索しても、しかとわからない。どなたか、ご教示をくださればありがたい。
道具を揃えたからといって、釣れるものではないぞ、という声も聞こえてくるが、準備をするというのは何事につけ楽しいものである。
釣果の報告は、いずれまた……。
2008/07/03(木) 音質は、なかなかのもの
「ビジネス以外にも IC レコーダー」 今日の室蘭民報夕刊の記事である。
もともと、会議や商談の記録のための用途だった。しかし、最近は演奏会の録音や英会話など幅広い場での活用に変化してきた、と解説している。
当方も、会議などの録音にも勿論使う。例えば、先日行った議会フォーラムの録音である。
各会場、各グループの議事録(要点筆記)は、あらかじめ決められていて全て議員が担当する。勿論、議会事務局でも、テープと IC レコーダーの二本立てで録音している。議事録担当議員に、その音源を貸してもくれる。
当方は、Bグループの4会場、全てを録音した。帰宅と同時に、 IC レコーダーからパソコンに取り込んでいる。
議事録の担当会場は、幌別でのそれであった。パソに取り込んだ音源を再生しながら、議事録を作成した。会場で取ったメモもあるから、議事録のまとめは簡単である。
この使い方は、 IC レコーダー 発売先の目論んだ通りである。
当方が、 IC レコーダー を購入したのは、実は異なる目的だった。今日の室蘭民報にある、幅広い用途そのものを期待して買った。
自分の音の録音のために買った。もっと、ありていに言えば、自分の尺八演奏を録音するために購入したのである。MDや音楽CDに負けない音質で録音できる。
さらに、別のソフトを使ってオリジナルのCDをも作成することが出来るのである。録音時間は長い、音質はいい。今のところ、これに勝る録音機器をしらない。
ただ、その取り込んだ音源の加工については、まだ自由がきかない。勉強不足である。身近な所におられる、その道のプロを捜し当てねばならない。
当面は、取り込んだ音で満足するしかない。
2008/07/04(金) 間 「ま」が命だ
「咄家は 世上のアラで 飯を食い」 と、古川柳に出てくる。
無能を装いながら、実は、教養素養をマスターした人が、自らを笑い崩したのが落語の原型である。
本当に無能な人には出来ないのが落語である。今日の落語長屋は、奇しくもそれを実証する形となった。
「伊達家 粋鏡」氏は、高等学校の教頭先生。「コンピュー亭 マウス」氏は、大企業のお偉方、そして、知る人ぞ知る「山笑亭 小粒」氏は、弁護士である。
講談有り、かっぽれあり、南京玉すだれありの楽しい落語の席だった。
落語は一人芝居である。話術は勿論、語り、表情、顔の向き、仕種、全てに完璧が求められる。升酒を飲む、その時の手つきがお猪口を持つような仕草では失格である。
もっと言えば、高座に出てくる時から、すでに始まっているのだ。威張って出てきてもいけない、卑屈な姿勢でもいけない。足の運び一つ一つにさへ、観客の目は向いているのである。
「挨拶…マクラ…一人芝居…ー落ち(サゲ)」。この四要素があってはじめて落語は成り立つ。巧拙を決めるのは、滑舌と間である。とりわけ「間」は命だ。たたみかけて、フッと力を抜く。
ブログもそうである。長々と書いてはいけない。フッと切る。
おあとがよろしいようで……。
2008/07/05(土) なぜ、スリッパ?
町内会会館…我が町では、老人憩いの家がその役目を果たすことが多い…の活用度は高い。
総会をはじめ、役員会や婦人部の集まり、老人クラブ、さらには、カラオケなど趣味の集会など、予定が埋まっていて空いている曜日を探すのが難しいほどだ。
大広間の他に、トイレ、台所、小さな和室があるのが定番である。実は、冠婚葬祭が行える場所として設計されていたためにこのような仕様になったらしい。
かつては、町内会の葬儀のほとんどが老人憩いの家で執り行われた。徐々に、町中に専門の葬祭場が出来、葬儀会場として使用される頻度は減った。
最近は、葬儀のほぼ全てが葬祭場で行われる。
今夜も、通夜に参列してきた。喪主、施主は勿論、ご遺族の方々は喪服である。参列する方々もほとんどがそうである。和服であれ、洋服であれ、失礼のないような服装である。洋服に下駄なんてことはない。
ところが、お寺さん(僧侶)だけは異質である。
立派な衣をまとい、袈裟を身につけた正装でありながら、足元だけは、なぜかスリッパなのである。遺族をはじめ、参列者は、そのままで外を歩ける態勢にありながら、お寺さんの足元は室内対応になっているのだ。
檀家さんの家を訪問する際にも、衣にスリッパ姿なのだろうか。そんな姿は見たこともない。靴なり、和服用の草履なりを履いているのだ。
今宵も、お寺さんのありがたいご法話を拝聴しながら、不釣り合いなスリッパに気を取られ、おちおち居眠りも出来なかった。
なぜ、そうなのか。ぐっすり眠るためには、一度、確かめる必要がありそうだ。
2008/07/06(日) 太公望
笠に隠れて見えないが、顔に安堵の色を浮かべて一息入れている様子がうかがえる。
櫂の前の方には、収穫なった魚がみてとれる。
投網によるものか、竿でつり上げたものかは、しかとはわからないが、場所は恐らくは川であろう。
何年か前に訪れた桂林の、漓江下りの船の中から見た風景に重なる。
一家の生活を支える生業としての漁であろうから、のんびりと太公望を決め込むと言うわけにはいかないだろうが、見るものにはゆるやかな時間の流れを感じさせた。
写真は、全長10pほどの水差しである。
よく見ると、魚も実に細かなところまで表現されている。引っ越しをされたお隣さんからのいただき物である。当方の手元に来てからは、本来の用途に使われたことは一度もない。もっぱら観賞用である。
これを眺めていると、竿を通して伝わってくる魚の当たりの感触が思い出されてならない。
2008/07/07(月) 東京の友人がきた
「 『東京の友人がきた』 今夜のくま日記は、こんな書き出しで始まるのかな…」 東京から来た友人の言葉である。
くま日記の内容までお見通しである。
何度集まってもいい。今日は、遠来の友人を中心に、8人が集まった。
いつも幹事役を務めているMr氏は、奥さまの体調不良とのことで欠席であった。
代わりに、Nt氏がはじめて参加された。みな、かつで苦労を共にした仲間である。
写真の上では判然としないが、参加しなかったMr氏のために、一応参加者を書いておこう。左奥から、札幌から駆けつけたSk氏、主賓のMm氏、胃の大手術を行ったFt氏、長く千葉方面で仕事に従事していたNt氏、顔が隠れているがIg氏。
移って右側手前から、今回の幹事役Sz氏、毎日散歩を欠かさないSe氏、手だけが写っているSm氏。それに当方、前期高齢者、後期高齢者あわせての9人である。
酒量こそ、かつての勢いはないが、談論風発、いまなお意気軒昂である。
このあと、二次会に繰り出したのだが、たまり場だった「シャトー」がなくなって、今ひとつ盛り上がりに欠ける。
Mmさんが来てくれるおかげで、こうした楽しい会を持つことが出来る。東京からでは大変でしょうが、是非ご都合をつけてご来道ください。
今回のように慶事であれば、願ってもないことです。久しぶりに美味しい酒でした。
2008/07/08(火) 七夕だった
しっぱい、失敗。
ピン ポーン 「ローソク一本くださいなー」 何組もの子どもたちが、入れ替わり立ち替わり我が家の玄関先に現れる。考えてみれば、昨日は7月7日 七夕の日だった。
すっかり忘れてもいたし、運悪く、当方が留守番をしていた。如何ともしがたい。
仕方なく、申し訳ない 何も用意をしていなくてごめんなさいと、素直に頭を下げた。折角の子供達の楽しみを壊したようで遺憾の極みである。
「ローソクだせよー 出さないとかっちゃくぞ…」 と昔は言っていたそうだ。
この季節の風物詩だ。昔はカンテラさげて文字通り、ローソクをもらい集めたらしい。最近は勿論、ローソクを差し出す家もないし、子供達だってローソクが欲しいわけではない。
訪問される方も心得たもので、小分けにしたお菓子の袋を用意しておいて、きた子供達にわたす。一杯になった大きな袋を重たそうに持ち歩く子どももいる。
一時期、お菓子の代わりになにがしかのお小遣いを渡す家庭があって、それが段々エスカレートし、小遣いしか受け取らなくなった子供もいるから学校で中止すべきだとの声がでたこともある。
最近は、そんな話は聞かない。子どもたちの楽しみの一つでもあろう。少しずつ形は少し変ってはきても、その地方地方に残る伝統は大事に引き継いで行きたいものだと思う。
もっとも、最近は共稼ぎで留守の家が多く、子どもたちもやりにくいなあ…と感じているかも知れない。
2008/07/09(水) 切り抜きも、楽しみも
「今日から4コマでちびまる子ちゃんが始まります。」
「父ヒロシです。どうぞよろしく!」
「母のすみれです。よろしくお願いします。」
「姉のさきこです。」
「じいの友蔵です。」
「おばあちゃんの名前はこたけでーす。」
「あんまり名前は出ませんが、こたけと申します。」
「その他、ゆかいな仲間がいっぱい出るよ!」
と、登場人物の紹介で一回目が始まった。
北海道新聞に「ちびまる子ちゃん」の四コマ漫画の連載が始まったのは、昨年の7月1日である。今日で丸一年 365回目を迎えた。
欠かさず切り抜いてスクラップブックに貼りつけている。
「早いもので、一年が過ぎました。」とかなんとか、友蔵の言葉でも出るのかと思いきや、淡々と365回目が載った。
それまで、時々だったカラー版も、今年の4月1日から毎日カラーになった。道内、どこでもそうだと思っていたが、実は地方によってはカラーでない所もあるようだ。道南版でそれを見つけた。
初回の自己紹介では名前は出てこなかったが、永沢君、藤木君、山田君、冬田さん、大野君などなど、みんなホッと一息つける時間を与えてくれている。
切り抜きも、楽しみも続く。
2008/07/10(木) 胆振道民芸術祭
今年の胆振管内道民芸術祭が決定した。
「大正琴登別大会」 これが、正式名称である。主催・北海道文化団体協議会 共催・胆振文化団体協議会と登別市文化協会。そして、主管を登別大正琴愛好会が担当する。
胆振管内道民芸術祭で大正琴が取り上げられたのは、平成16年の苫小牧市以来である。今回も、苫小牧市をはじめ室蘭市など多くの参加が予定されている。
このほど、ちらしやポスターを作成した(写真ークリックすると大きな画面に飛びます)。
ちらしやポスターは、例によって手作りである。題字は、登別市文化協会副会長の成田成峰氏にお願いした。氏は、今年4月に登別市文化協会の副会長に就任した。傘下、書道連盟の会長でもある。
全体のアレンジは当方が担当した。登別市らしい内容にというわけで、写真は登別温泉足湯と登別温泉大湯沼を取り込んだ。当方の手元にあった物である。
足湯の方は、写っている方々に一応諒解を取り付けた。ポスターの大きさは、A3サイズである。写真から、誰かと言うことがはっきりとわかってしまうからだ。
大正琴の演奏は、アンプなど周辺の準備が大変である。これから、詳細を詰めなければならない。
まだ、二ヶ月も先の舞台だが、多くのみなさんに来て欲しいと願い紹介させていただいた。
2008/07/11(金) 継続こそ…
単行本2700万冊だそうだ。総務省が発表した内容が報道に載った。
国内で更改されているブログの件数は、1690万件。それを単行本に換算すると、先ほどの数になるというものだ。
毎月40万〜50万件のブログが新設されているという。最近は頭打ちの状態とはいえ、驚くべき数である。
しかし、その多くのブログの中で、更新がされているのは20%未満だそうだ。つまり、折角立ち上げたブログも尻すぼみになっているという。
「訪問者が少ない」 「更新が面倒」 などがその理由という。
ブログの書き手からすると、読んだ方からの反応があるととてもうれしいものである。ブログの場合は、トラックバックという読者とのコミュニケーションの場がある。
この「くま日記」には、それはないが、時々「読んだよ」とのメールをいただくことがあり、更新の励みにもなっている。それは、知人や友人からだけとは限らない。全く見知らぬ人からいただくこともある。
昨日も、ある女性の方からファックスをいただいた。今年の3月3日 「心温まる文章」 の中で紹介した清水倭子さんのお母さんからである。
倭子さんの文章を取り上げたことに対する感謝の気持ちが綴ってあった。
それにしても、1690万件ものブログの中から、目立たぬ「くま日記」を見つけだしてくださったことに驚きを禁じ得ない。
と同時に、書き続けることへの後押しをいただいたような気もして、気持ちを新たにしたところである。
2008/07/13(日) まちおこし
地域の活性化については、どの街も悩み、また、様々な工夫や取り組みを試みている。
道南江差町は、民謡の王様と言われる「江差追分」の保存伝承に力を入れている。
追分会館では、観光客用に毎日江差追分の実演が行われている が、それは昼間に限られる。
宿泊客にも気軽に聞いてもらう場を作ろう、そんな試みが若者を中心に最近始まった。
居酒屋の一角(わずか畳繁盛ほどのスペース-写真-だが…)を利用して、名人の唄を披露しようというものだ。
写真は、第41回 優勝者の寺島絵里佳さん。 まだ、週末だけの取り組みだが、行く行くは常設にしたいという。
江差に宿泊して、江差追分を聞こうとする場合は、宿に名人を招いて唄ってもらうという手法があるが、個人ではなかなか頼みにくい。
もうひとつは、地元の居酒屋「やまもと」に出向く方法がある。ここのママさんの美声は有名である。ご主人が尺八伴奏をされる。ご夫婦の息のあった江差追分を聞くのも悪くない。
今回の試みは、そんな場を増やして気軽に唄を堪能してもらえればとの思いである。場所は、重要文化財 旧中村家のとなり、「せきかわ」という店である。昼間は、茶房。夜は居酒屋に変身。
いにしえ街道、そぞろ歩きの途中にどうぞ…。
2008/07/14(月) 燃料代高騰のあおり
「燃料代の高騰により、営業を続けることが困難になりました。7月末をもって、一時休止させていただきます。」 ここにも、石油製品高騰のあおりがきている。
時々、行く岩盤浴のロッカールームに貼ってあった。
岩盤浴もあちこちに出来た。ここは、比較的早く開店したいわば老舗の部類に入るのだが、それだけに施設そのものは新しくない。
ここ最近、客の数も多くないと感じていた。当方は気に入って、岩盤浴といえばここしかいったことがないのだが、若い人は新しい施設を好むようだ。
今日は、先客が4人、最近では混んでいる方である。いつぞやは、夕張から来た、という人にも出会ったし、半年ほど前まではよく会っていた地元の方もいる。
根強い人気はあるようなのだが、先ほども書いたように最近は満室になることはほとんどない。
一時期、新聞にも取り上げられたことがあるほどの岩盤浴、健康のためには「水、食べ物、そして、岩盤浴」という信念を支えに続けてきた女将の思いもある。
しかし、経営を引き継いだ若夫婦にしてみれば、むざむざ赤字覚悟で経営をすることは避けたい気持ちなのだろう。
「一時休止」 燃料代が下がることはあまり期待できないから、一時休止は永久休止、つまり閉店とほぼ同義語である。
ただ、ここは食堂も経営しているから建物自体がなくなると言うことはなさそうだから、なんとか継続の道を探して欲しいものだ。
それに、「私は、なんとしてでも続けたいの…」 という、女将さんの強い思いに期待しよう。
2008/07/15(火) 苫米地善次郎師逝く
「仏道を学ぶは、自己を学ぶことなり。自己を学ぶは、自己を忘れることなり。」 僧侶の言葉を聴きながら、師は何を思っていただろう。
民謡界の重鎮、苫米地善次郎師が亡くなった。今日のお通夜、師の遺徳を偲んで多くの人が参列した。尺八伴奏をつけて、江差追分の合唱で送った。
師を送るには、もっとふさわしい曲があったのではないか、との思いもあるが、思い浮かばなかった。この際、師も許してくれるだろう。
入院してから、4ヶ月。日に日に体力の落ちていくのが感じられた。しかし、最後まで、指導者として、そして戦前生まれの人間としての矜持を持ち続けた方であった。
民謡界の、今後を随分と心配されていた。そんな思いもあったのだろう、後を託す人への伝承の場は、自ら企画し、自ら記し、そして自らの手で引き継ぎをされた。師にしか、出来ない演出であった。その場の末席を汚すことができたことは幸せであった。
師は、抑留生活を送られた。筆舌に尽くしがたいご苦労があったと聞く。唄の力と、人と人との繋がりの大切さを、その時知った、と折に触れて語っておられた。
軍隊も抑留中の生きざまも
命をかけし明日はなし
幾多のドラマを乗り越えて
走り続けし今もなお
馬鹿まるだしで
ガタピシャの道
平成15年 生涯を振り返って記された「ガタピシャ道」
今にして思えば、これが師の遺書であったような気がしてならない。 合掌
2008/07/16(水) 恥をしる、という文化
映画館で映画を観る時は、椅子に腰を深く沈め、背もたれにゆったりと身をまかせる。後列の人の邪魔にならないようにとの気配りをする。それが、映画鑑賞のマナーであり常識だ。
これは、映画の論評をする記者の間で、先輩から後輩へと申し送られる一番重要な申し送り事項だった、と何かで読んだことがある。
最近、映画を観る機会はほとんどないが、コンサート会場には時々出向く。椅子に座るたびに、そのことを思いだし、深めに腰を沈めることを意識している。
先日、同じ日にマナーに関する記事が二つ載った。
一つは、投稿欄である。札幌で開催された宝塚歌劇団の公演、携帯電話の電源を切るようにとの要請もものかわ、携帯で写真撮影をする人など、目に余る光景が目立つ。恥を知る、という文化そのものが崩壊しているのではないかと嘆く投稿だった。
もう一つは、クラシック音楽会場などでのマナーに関するものだ。
これは、記者の目から書いたものだ。隣同士の肘掛けの奪い合いに始まり、足を大きく拡げ、隣の領域を侵すなど、他人への配慮の欠如。
さらに、腰を沈めるどころか、身を乗り出すようにステージを見続ける行為など、我慢のならないこと、目に余る行為などへの諫めの内容である。
こうした行為は、なかなかその場では注意し難い。お互いに気まずい思いをしなければならないからである。
何から何まで学校教育に押しつけるのはやめて欲しい、との教員の投稿もあった。本来、世の中の常識とか、マナーは親から子どもにきちんと伝えられるべき筋合いのものである。
昔は、「おてんとうさんが見てるぞ…」 という親のひと言で、自らを律する心の文化の伝承がされた。日本人の奥ゆかしさや、恥じらいはどこに消えてしまったのだろう。
2008/07/17(木) たかがゼッケン
足に合う靴を選ぶのに悩んだ方である。小さい頃、「左官屋に向いた足」と、よくからかわれた。
昔の土壁は、粘土状の土に藁の切り刻んだものを混ぜた。混ぜる際、足で踏みながらこねる。つまり、幅広の足が効率いいという意味合いだ。
当方の足は、幅広い上に甲が高い。昔は細見の靴が主流だったから、無理して履いた窮屈な靴に泣いた。
今は、靴のサイズを表すのに長さと、幅の表記がある。25p、4Eなど言うのがそれである。合う靴を探しやすくなった。
陸上競技、特にマラソンのように長時間走り続ける競技では、靴は重要な要素を占める。高橋尚子の靴は、足の長さの違いに合わせて調整されていると何かで読んだことがある。
今日の新聞には、野口みずきらが北京五輪に履く靴のことが載っていた。
軽く、しかも反発力を高めて走りやすくしたというものだ。「消費カロリーで5%ぐらいは得する」というから驚きだ。記録にも好結果が期待出来よう。
靴だけではない、マラソンの場合には着けるゼッケンの性能にも影響するそうだ。
通気性の悪いゼッケンは、皮膚呼吸がしにくくなり体調を崩す選手さへ出るという。穴とくぼみをつけ、通気性を持たせたゼッケンを開発したと、これも先日の報道にあった。
道立工業試験場と金属加工の石川金属製作所(石狩)と共同で札幌の業者が開発したものだという。
水泳では着る水着の素材で大幅に記録が伸びた。
たかがゼッケン、しかし、汗のかきかた一つで記録への影響も大きかろう。新ゼッケン、北京には間に合うのだろうか。
2008/07/18(金) まずは日帰りでも
小さな記事だったから見落とした方も多いかも知れない。
「道南の夏祭りに来て…」 と、上ノ国町など3町が札幌駅でPRしたとの記事が載った。桧山管内上ノ国町と江差町、それに渡島管内松前町の観光関係者が、JR札幌駅で8月に行われる地元の夏祭りのPRをしたというニュースだ。
松前町は、「城下時代まつり(8/13-15)」 上ノ国町は、「エゾ地の火まつり(8/14)」 そして、江差町の「姥神大神宮渡御祭(8/9-11)」の祭りである。
残念ながら、上ノ国町の祭りも松前町のそれも見たことがない。それぞれの町のホームページを見ても祭りの詳細は、わからない。
折角、札幌まで出向いてPRをするのだから、詳細はこちらに載っています、とHPのURLでもいれた「ちらし」を配ったらよかろうに…。
江差町のホームページには、「姥神大神宮渡御祭」の内容が詳しく載っている。宵宮の模様にはじまり、下町巡行、上町巡行の様子が写真入りで詳しく載っている。祭り囃子の音が聞こえてきそうな感じである。
ひいきをするわけではないが、江差の祭りは一見に値する。
当方がはじめて江差の祭りを見たのは3年前、平成17年のことである。その時の感激の様子は、写真に収めてこのくま日記にもアップしている。
写真の部分をクリックすると、順に祭りの模様がわかるようになっている。口で語るより、写真を見ていただく方がはるかにその素晴らしさを実感していただけると思う。
ただ問題は、泊まる場所がないのが欠点である。この期間だけは、ホテル、旅館とも満員である。
それでもまずは、日帰りだけでも見る価値はある…と思います。
2008/07/19(土) のど越しの冷たさ
ビールが旨い季節になった。
今日は、朝から町内会にある公園の草刈りが行われた。来週に迫った祭りの準備でもある。5-6台ある機械と、残りは鎌での草刈りである。大勢の人が参加してくれたおかげで、思ったよりも短時間に終了することが出来た。
草刈りの後、懇親会を兼ねて「ジンギスカン」パーティもあったが、当方は別件があって失礼した。ジンギスカン鍋を囲んでのビールは、さぞかしであったろうと後ろ髪を引かれる思いだった。
昨年のこの時期の新聞には、”ビール離れ”進む、の記事が載っていた。
昨年上半期のビール系飲料(発泡酒と第三のビールを含む)の出荷量は、2億2629万ケース(1ケースは大瓶20本換算)となり、1992年に統計を取り始めて以来、最低になったと報じた。
若者の好みが、酎ハイなどの低アルコール飲料に流れたのが原因と分析している。
しかし、夏はやはりビールである。汗をかいた後、ぐびーっと飲み干すビールの味は何にも代え難い。暑いときに冷たいビールを口にすると、一気に体温まで下がって涼しくなるような気までしてくる。
しかし、これは間違いで冷たいものを口にしたからといって体温が下がるわけではないらしい。飲み込む一瞬の涼しさを感じるものらしい。
つまり、「のど越しの冷たさ」が大事なんだそうだ。
ただ、アルコールは排尿を促進して体から水分を失わせるので脱水状態は改善しない。だから、ビールとともに水分補給せよ、とものの本には書いてある。
かといって、ビールの合間に水を飲む気にはなれない。この時期は、何と言ってもビールだ。とりわけ、ジョッキで「ぐびーっと」飲むのは…。
2008/07/20(日) 登別温泉は、開湯150年を迎えました
今日は、早めにくま日記のアップを済ませておきたい。
他でもない、この後のテレビを観る時間を作りたいからである。そう、ゴルフ全英オープン選手権の放映があるのだ。
今回の全英オープンは、タイガーウッズの欠場で盛り上がりに欠けるのではないかと予想されていた。
しかし、舞台にふさわしいスターは、ちゃんと舞台袖に控えていた。グレグ・ノーマン(オーストラリア)、その人である。ホワイトシャークの異名で知られた。とても、53歳とは思えないプレーを続行中である。
熱燗のグラスを側に置きながら、じっくりテレビを観ることにしよう。
上の写真は、熱燗ならぬ温泉の湯気である。このほど、完成した泉源公園のシンボル間欠泉の湯気だ。今日、登別温泉開湯150年記念式典並びに登別温泉バイパス完成祝賀会が行われた。
式典に先立って、泉源公園の広場でオープニングセレモニーが行われた。
四チームによる、太鼓の演奏があった。巧拙はあっても、太鼓の響きには人を惹きつけるものがある。太鼓の音のように、登別温泉にきてくださった多くの方の心に響くようなもてなしが出来るように市民あげて努力をしたいものである。
噴き出る間欠泉の様子は、いずれ、このくま日記でも写真で紹介したいと思っている。
2008/07/21(月) 白川雅樹の世界
コーラスを聴くのも楽しいが、唄う人の一人一人の表情を見るのはもっと楽しい。
それが、子どもならなおさらである。
写真は、昨日行われた登別市音楽協会40周年記念コンサートの最後のステージ 合唱「白川雅樹氏をお迎えして」の模様である。
メインゲスト 白川雅樹氏のピアノに合わせて出演者全員による合唱が行われた。
四方明子さん、平塚圭子さんなどソロの出演者をはじめ、ピアノ演奏者、合唱グループの登別フィメールコールのグループ、室蘭マリン少年少女合唱団のみなさんが勢揃いした。
写真、鮮やかなブルー色の衣装を身につけているのが、マリンの団員である。全員の合唱に先立ち、マリンだけの合唱もあった。
合唱の合間にあくびをする子、思い出したように、時々合唱に参加する子、身体でリズムを取る子、しきりに汗をぬぐう子、見ていて実に楽しい。
歌は楽しくなければならない。
写真は、やや遠目からストロボなしで撮った。アップには耐えられないが、楽しそうな舞台の雰囲気はなんとか伝えることが出来そうだ。
蛇足ながら、今回ステージにかけられた曲目はすべて 北海道生まれ白川雅樹氏の作曲(または編曲)によるものであった。
2008/07/22(火) 銭湯はお寺だった
朝日新聞 疑問解決モンジローの欄には、様々な疑問が寄せられる。それを専門家に問い合わせ、疑問に答えようとの試みだ。
「銭湯の造り なぜ寺のよう?」 というのが、今回のテーマだった。
写真は、新聞にも紹介された東京都大田区の明神湯の全景である。明神湯のホームページには、この他に様々なアップ写真が載っている。
玄関上には、「てりむくり」 の屋根が見える。
「 『てりむくり』 は、照り起りと書く。『照り』 は 『反り』 とも書き、張られたテントのシートがたるんで凹んだ形状をいい、『起り』 はシートが盛り上げって熱気球のように膨らんでいる形状をいう。その二つの形が滑らかにつながった形状を 『てりむくり』 と呼んでいる。」<立岩二郎著・てりむくり 中公新書>。
なぜ銭湯の造りがこのように、まるでお寺のような形をしているのか。
全国3千以上の銭湯を巡り歩いた庶民文化研究家 町田忍氏の見解はこうだ。「この造りが広まったのは23年の関東大震災以降、震災直後宮大工の技術を持つ棟梁が復活を願って宮造りの銭湯を建てたのがきっかけ」 だと分析する。
しかし、尺八愛好家、とりわけ虚無僧尺八に傾倒するものは、また別の見解を持っているのではないか。
明治4年 廃宗になるまで存在した普化宗の庵は、村はずれの銭湯にあったと語り継がれている。古く、銭湯=お寺は、村人の常識であった。
そのことを覚えていた棟梁が、銭湯をお寺風に仕上げたというのが真相(?)、というのはどうだろう。
2008/07/23(水) 右手か左手か
尿意を催す、トイレに立つ。股間に手を伸ばす度に窓口を探す。ブリーフの前後を履き間違えたかと愕然とするも、平然を装い席に戻る。
家に帰りて、単に窓口の位置がずれていただけ、であることを確認。やや、安心す。
今宵、新たに登別市担当になった道新長谷川善威記者を囲んで一献傾けた。
I 山議長、A 根議員、T 議員、それに、当方の5名。当方を除いては、いずれもこれからを嘱望される若い人達である。談論風発、楽しいひとときだった。
場所を変えて、スナックに移動。出されたのが、写真のウイスキーである。
「竹鶴」 17年ものと書いてある。こういう高価なものは、氷りだとか、間違っても水で割るような愚を侵してはならない。
生で、そのふくよかな味わいを楽しむべきである。まろやかな芳香が、含んだ口の中にひろがる幸せを楽しめばいい。
ところで排尿の際、「なに」を支える手は右手か左手か。
「小便小僧」の例を見るまでもなく、総じて左手で持っている。大昔、男は全て狩人で、必ず右手には武器を携えていた。空いている手で、「なに」を支えたのだ。
世の殿方よ、排尿という緩やかな時間帯にも、決して油断してはならぬ。いつでも戦えるように、常に右手は拳を造る準備をしておこう。
旨い「竹鶴」のグラスを持つ手は…?。 うん、それは、右手でも左手でもかまわない。
2008/07/25(金) ハーモニカ
一時期、ハーモニカを練習したことがある。が、もともと、オタマジャクシはきらいである。
小学校時代の音楽の先生は、美人で優しい先生だったから音楽の時間がきらいだったわけではないのだが、オタマジャクシだけは、どうしても頭に入らなかった。
いまだに音符が読めない。
義母がハーモニカを得意とした。亡くなってすでに久しいが、ハーモニカの音だけは頭の片隅に残っている。そんなことから、少しだけハーモニカを手にしてことがある。
ハーモニカを吹いた経験を持つ人は多いはずである。
ハーモニカはかつて(1970年代頃まで)日本の小中学校で学校教育用楽器としても用いられた。しかし、今は、教育用楽器としては、鍵盤ハーモニカ(ピアニカ、メロディオンなど)に取って代わられている。
写真は、宮田のハーモニカ 30穴である。音符は読めないながらも、知った曲は音を探しながら吹くことが出来た。
眠っていたハーモニカを、最近取り出したのにはわけがある。ともに尺八を勉強している人の影響である。
この方のお嬢さんは、ピアノが上手だそうだ。
いま、尺八で童謡を何曲か練習中であるのだが、夏の休みを利用して帰省されるお嬢さんと、是非、ピアノと尺八で共演をしたいとの思いを告げられた。
さて、どの音階が合うのか。
加えて、尺八譜と洋音譜との関係は…などなど、いま、急遽おさらい中である。いやはや……。
2008/07/26(土) 新規購入
ついに買い換えざるを得なくなった。
電話が鳴る。受話器をとる。「もしもし もしもし…」 相手方の発信にあわせて返答するも、何度も 「もしもし もしもし…」 が続く。
間違い電話か、と電話を切る。こんなことが、2-3度続いた。
どうも、こちらの声が相手方に届いていないらしいのだ。あらためてかかってきた携帯で、そのことを知った。分解して調べるほどの能力を持ち合わせていない。
仕方なく、買い換えることにした。購入したのは、電話機 パナソニック607DWである(写真)。
不調になったのも、買い換えの一つの理由だが、実はもう一つある。
かかってきた相手の名前が表示出来るものが欲しかったのだ。これまでのものは、ナンバーディスプレイ(電話番号のみ表示される)のみだった。
何度もかかってくる執拗な勧誘電話に辟易していた。今回購入したものは、登録さへしておけば名前はわかるし、着信拒否の設定も出来る。
さらに、もう一つ。実は、ファックス送信の際、噛み込みが悪く、両手で押し込んでやらなければならなかったのだ。これで、その手間も防げることだろう。
5年と半年くらいで買い換えなければならないようでは困るのだが、今回は量販店での加算ポイントも使えるとのことで思い切って買い換えた。
これで、携帯電話と同じように、保存登録している電話番号を自動的に読み込んでくれる機能があれば、言うことはないのだが…。
2008/07/27(日) 祭りが終わった
祭りは、町内会の最大のイベントと言っていい。今年も幸い、天候に恵まれて祭りを終えることが出来た。
我が町内会では、毎年7月の最終日曜日をお祭りの日と決めている。
かつては、8月の第一週の土・日 富岸神社の祭典に合わせて行っていた。
お隣のお祭り、グリーンピアは、それを踏襲している。なぜか今年は、日程が重なってしまったが、来年のグリーンピアの祭りは、8月に行われるはずである。
日程が重なると、どうしても大きい祭りの方に人が流れてしまう。
我が町内会は、祭り自体は日曜日の一日と決めている。設営は土曜日、撤収は月曜日。今年は幸い、天候に恵まれた土・日曜日だった。
登別温泉ペア一泊券が当たる抽選会が祭りの最後を盛り上げる。今年も多くの人が会場に来てくれた。
感謝をしつつ、できれば、テントを片づける明日も天気に恵まれれば、と願っている。
2008/07/28(月) 公開討論会
登別市では、はじめての試みだった。登別市市長に立候補を表明している二人を招いての公開討論会が開催された。
まずは、企画・実現をされた主催者 北海道新聞室蘭支社と室蘭民報社に敬意を表したい。さらに、その場に臨んでくれた、田辺雅博氏、小笠原春一氏 両候補予定者の英断にも拍手を送りたい。
会場となった市民会館の駐車場は、満杯の状況だった。市民の関心の高さを伺わせるものだった。
もっとも、駐車場を埋め尽くした車の割には、会場内に空席が見受けられた。ガソリン価格高騰で「車控え」が叫ばれている割に、当方を含めてそれが実行されていないことを裏付けた。
討論会(討論会というよりも、主催者側からあらかじめ質問された内容への自分の主張を述べ合うという形式だったが…)は、会場からヤジが飛ぶこともなく平穏に終わった。
候補予定者が同席して、同じ場所で同じ質問に答えるという今回の試みに、多くの市民は一定の評価をしたと思う。
「生の声が聞けてよかった…」 と、企画した報道関係者のインタビューに答えている市民の声がそれを物語っている。素晴らしい試みだったと当方も評価したい。
ただ、当方の座った席が悪かったのか、発言に聞き取りにくい面があったのは残念である。司会者の質問も聞き取りにくかったし、候補予定者の発言にもそれが感じられた。
外国の大統領候補には、専門のスピーチアドバイザーがついているそうだ。
発言内容のチェックはもとより、言葉の明瞭さ、姿勢や視線、手や身体のアクションに至るまで細やかな演出がされるそうだ。
まばたきの多さが、自信のなさの表れだとして評価を下げた事例も紹介されている。
そこまで厳密でなくても、自分の思いを人に伝える、その努力はもっと工夫されていい。そんなことを感じた今日の公開討論会だった。
今日の内容は、紙上にも載るという。聞き難かった点は、紙面を熟読することにしよう。
2008/07/29(火) 後部座席のシートベルト
6月1日 道路交通法が改正となり、後部座席の人もシートベルトを着用することが義務になった。
これまで、運転席と助手席が義務づけられていたから、自動車に乗る人全員がベルトを着けなければならないことになったわけである。
昨年10月の警察庁の調査によると、一般道での着用率は運転席で95%、助手席で86%だったそうだ。それに比べて、後部座席でのそれは、わずか8.8%と極端に低かった。
シートベルト着用の効果は高いことが知られている。ベルトを着用しなかった人の死亡の割合も、着けていた人の3倍だったとの調査結果もある。
ところが、実際に経験してみると、後部座席でベルトを着けるのは、そう簡単ではないことがわかる。
ベルトは着けられるように準備はされているのだが、差し込み口(バックル)がぐらぐらしていて、すんなり「カチっ…」とはいかないのだ。
さらに、慣れないせいか圧迫感があって乗車中常に手で引っ張って弛みを保つ動作をしていることに気づく。着けやすいシートベルトを、という要望は多いらしい。
それを受けて日産と自動車用品安全部品メーカーのタカタとが共同で、低摩擦のシートベルトを開発したそうだ。織り方に工夫があり、圧迫感が2割も軽減したという。
さらに、後部座席のバックルなども工夫が凝らされたという。座席のどの位置に座っても、違和感なくシートベルトが装着できれば、安全性は格段に増すに違いない。
2008/07/30(水) 悪戦苦闘
譜面は、何を使用しているのだろうか。オタマジャクシ いわゆる 五線譜なのか、或いは尺八譜なのか。
北海道出身で、シンガポール在住19年になるという方のプロフィルが載った。北見市生まれ、大学卒業後尺八を学ばれた。今は、その 「都山流」 の大師範である。
現地の南洋理工大で舞台芸術音楽客員教授を務める傍ら、尺八の普及活動を続けておられるという。名前は、上野宏秀山(本名・秀行)さん。
尺八を指導する場合、どの譜面を使うかは意見の分かれるところである。
誰もが親しんでいる五線譜にすべしという人。本来、古典楽器を五線譜に表すのは無理がある。従って、もともと使われている譜面を使うべきだという人。いずれも一理ある。
ご自身、能楽に造詣が深く、演じられもする歌人 馬場あき子氏は、「文部省なほうら若き明治にて日本音楽を捨てし春の日」と、なんでも五線譜に置き換えようとする音楽教育に痛烈な批判を浴びせられる。
ただ、我々の年代と違って、最近の若い人は五線譜に抵抗がない。いや、むしろ五線譜の方に慣れ親しんでいる。
尺八や、津軽三味線で洋楽器とのコラボレーションも盛んに行われている。
五線譜、尺八譜、どちらがいいとかはともかく、どちらも読めることが出来れば楽しみも拡がるに違いない。と、言うわけで、いま、あらためて五線譜の復習中である。
2008/07/31(木) 音は振動で聴きわける
耳が聞こえなくても、音楽が出来ることを証明したのは誰か。
ベートーベンは、耳が不自由だった。それも、20歳代後半ごろからだそうだ。晩年には、完全に聴力を失うほどだったという。それでも楽譜は書けた。
きっと、五線譜に書き記す音符のひとつひとつから音が身体の中に響いたに違いない。
目が悪くても音楽は出来る。いや、むしろ研ぎ澄まされた聴覚が、余計に音の厳しさやふくよかさを感じさせるのか目の不自由な人は音に鋭い。
もともと日本では、江戸時代に箏曲を伝承してきたのは、盲人の音楽家たちだった。
もちろん、一般の人々も、家庭音楽として、箏曲を演奏していたけれども、一般の人たちに箏曲を教え、専門的に楽曲を作曲したり保存に努めた人たちは、八橋検校などすべて盲人の音楽家たちだったと言われている。
盲人は、室町時代には、平家琵琶の演奏を専門としていた。江戸時代に入って、箏曲や三弦曲も扱うようになった。
盲人たちは、京都の職屋敷(しょくやしき)を中心として、「当道(とうどう)」といわれる自治組織を作っていた。座頭市で有名な盲目の按摩は、そうした階級名のひとつで、検校というのが最高の位だった。
だから、目が見えなくても音楽は出来るのだが、聴力が不自由な場合にはかなり難しかろうことは、容易に想像がつく。
そんな「音のない世界」で、琵琶を造る人がいるそうだ。毛利英二さん、全国で5-6人しかいない筑前琵琶の製作者の一人という。
音は、バチを持つ右手と腹に伝わる振動で「聴きわける」ことが出来るという。人間の能力は計り知れないものがある。