・・・くま日記・・・
2007/11/02(金) 6年ぶりの長崎市
九州から先ほど帰り着いた。
会派で、佐賀県の5市を視察してきた。唐津市、伊万里市、嬉野市、鹿島市、そして長崎市。
視察報告は、会派の全員が分担し、視察先のどこかの報告書を作成することに決めている。
当方の担当は長崎市である。長崎市は、2001年11月に訪問したことがある。従って、今回は6年ぶりということになる。
長崎市は、昭和20年8月9日 午前11時02分 原子爆弾が投下され、74,000人の人が亡くなり、75,000人の人が負傷した。
原爆資料館には、年間75万人の人が訪れるそうだ。広島の原爆資料館もそうだが、目を覆いたくなるような映像や資料が展示されている。
長崎市の原爆資料館には、自ら被爆し負傷しながら被災者の治療に当たった永井 隆博士の資料が多く展示されている。氏には、多くの著書がある。
その中のひとつ、著書『平和の塔』の一節が展示されている。
「平和を祈るものは針一本も隠し持ってはならぬ。武器をもっていて平和を祈る資格はない」。
この言葉は重い。平和は万人の願いである。とても、「しようがない」で、すまされるような問題ではない。
2007/11/03(土) おめでとうございます
11月3日 文化の日。午前中は、市功労者表彰および市表彰が行われた。
夕刻からは、平成19年度 登別市文化協会 表彰式が行われ、合計9名の方が表彰を受けられた(写真)。
功労賞は、俳句、華道、書道、大正琴、吟道、そして、美術の各部門からそれぞれ1名の合計6名。芸術賞は、魚拓部門から1名。
奨励賞は、民謡とバレエから2名選ばれた。こちらは、いずれもまだ若い方で今後の活躍が期待される。お二人とも、熱心な方である。いずれは、芸術賞を受けられるようになられるに違いない。研鑽を期待したい。
受賞された方々は、それぞれの立場で、永年その道のために営々と努力を重ねて来られた方ばかりである。心から、お祝いを申し上げたいと思う。
今年も、ご来賓の方々のご出席をいただき、また、多くの文化協会会員の出席があった。
仲間の表彰を共に祝いたい、そんな気持ちが感じられて、なごやかで素晴らしい表彰式となった。準備をしてきた一員として、うれしいかぎりである。
2007/11/04(日) 節目の30周年
先日出席した友人の会の祝賀会のことについて記しておきたい。
江差追分会札幌北支部は、今年30周年の節目の年を迎えた。先日、その祝賀会が行われ出席した。
北支部は、現江差追分会師匠 中西輝子氏によって創立されたものである。氏は、ご主人の転勤にともなって約3年間を江差で過ごし、その地で、ご主人とともに江差追分を始められた。
もともとの素質もあったのだろうが、なによりも人一倍の努力家でもあった。めきめきと上達し、さあこれからと言うときにご主人が再び札幌での勤務となった。
彼女の類稀な指導力の高さを見抜いた師匠 近江八声師の強い勧めもあって、札幌に江差追分会声友会札幌支部としての設立を促され指導を託された。昭和52年のことである。江差追分会への支部登録は、昭和53年4月である。
ご主人や、ご主人のご母堂の理解があってこその支部活動であったが、氏の熱心な指導は他の追随を許さなかった。一時は、14人もの選手を江差追分全国大会に送り込むほど優秀な会に成長した。
創立20周年を機に渡辺 誠氏に支部長を託し、現在は同支部の顧問として後継の育成に取り組まれている。
当方は、昭和53年に中西輝子氏の知遇を得た。以来、同氏並びに支部の会員さんと親しくお付き合いをさせていただいている。
昭和52年は、当方が江差追分を始めた年でもある。従って、同支部の30年は当方にとっての江差追分の歴史とも重なる。
まるで身内のような感情さへ抱いている札幌北支部、今後の一層の発展を祈念してやまない。
2007/11/05(月) 久しぶりの岩盤浴
やや大げさな言い方をすれば、疲れのピークを形造るのに相応しい行為だった。
先月27日の午後から始まり、次の日の札幌一泊の友人の祝賀会、四日間の九州、登別市文化協会の表彰式、昨日の伊達市でのお手伝いまでばたばたとした日が続いた。
ここはついでとばかりに、久しぶりに岩盤浴に行ってどっぷりと汗をかいてきた。おかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。
岩盤浴については、この欄でも何度か書いたことがある。いつも不思議に思うのだが、あれほど汗をかくのにべたつき感がないのである。むしろ、すべすべとした感じが残る。
今日はいつもより温度がホンの少し低めの設定だったのだろう、時間が経つのを待ちこがれるということはなかった。
5分間の腹這い、仰向けで10分間の入浴、そして一旦控え室に帰り5分間の休憩。これを3回繰り返す。
設定された温度によっては、最後のサイクルを終えるのに我慢に我慢を重ねてやっとのことで規定の時間を終えるなんてこともある。
温度の違いと言っても、その差はきっと2〜3度のことに違いない。腹這いから仰向けになる頃には、頭皮の毛穴からふつふつと汗が噴き出るのが実感出来るほどである。
如何ほどの量の汗を出しているものか。
水分を絞り出しただけでは身体に悪かろうと、そこは、しっかりとビールで補給をしておいた。
2007/11/08(木) またまた出費が
立冬を迎えた。
このところ比較的暖かい日が続いていて、朝刊で「立冬」の記事を見るまで気が付かなかった。
しかし季節の移ろいは確実だ。
日は短くなり、コートが欲しいと思うような夕暮れ時もある。
大根を干したり、冬物の洋服を準備したりで町中に雪が舞うのも近いのだろう。
冬用のタイヤへ交換も近づいている。暮れには車検も受けなければならない。物いりの時期でもある。車検だけでも結構な出費を覚悟せねばならないのに、今回は、さらに余計な出費がかかりそうである。
当方の車はT社製、後部座席のドアはスライド式である。望んで買った。
ところが最近、ドアの開閉にスムースさを欠くようになった。見ると、レール部分にあたる場所がめくれ上がっているのを見つけた(写真、○で囲んだ部分)。
ディーラーに聞くと、「古くなって錆が浮いていますから……」 。つまり、あらかじめ予測され得た結果だ、という言い方である。
ならば、こうした結果が起こらないような未然の処置がなされるべきではないのか。そのことを取り上げても納得できないのに、さらに、この部分を修理するだけで1万数千円が必要というのだ。
ユーザーにとっては、とても納得できる内容ではない。この際、メーカーの言い分を聞いてみたいものだが、こうした場合いい手法はないものだろうか。
2007/11/09(金) お寺さん
今夜の葬儀、お寺さんは禅宗の一派 臨済宗だった。禅宗には、臨済宗の他、曹洞宗、黄檗宗がある。
禅宗にはその他に普化宗があった。
普化宗は、『江戸時代には虚無僧の集団が形成された特殊な宗派で、教義や信仰上の内実はほとんどなく、尺八を法器と称して禅の修行や托鉢のために吹奏した。幕府により虚無僧の入宗の資格や服装も決められるなど組織化され、諸国通行の自由など種々の特権を持っていたため隠密の役も務めたと言われる』(ウイキペディア)。
普化宗は、様々ないきさつがあって明治4年に政府の手によって廃宗となった。しかし尺八を世に伝えたという意味では、その存在価値は大きいのだが、今や普化宗の存在を知る人さへ少ない。
今日の臨済宗も、この地域にあっては数少ない宗派である。
禅宗と言えば、曹洞宗を指すほど多くの寺院があるが、この地方の臨済宗としては、当方の知るかぎり護国寺だけである。今日の葬儀、若いお寺さんながらしっかりした法話だった。
先日、ある方からいただいたある資料によると、お寺さんの呼び方も様々らしい。
曹洞宗の場合、修業僧は「お坊さん」または、「雲水さん」。一寺を主管するようになると「方丈さん」となる。臨済宗では、普通は「和尚さん」だが、高僧になると「ご老師」などと呼ばれるのだそうだ。
他の宗派、天台宗、真言宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗ではまた別の呼び方があるそうだ。一度調べてみるのも面白いかもしれない。
2007/11/10(土) 二代目 高崎桂昇師誕生
高崎流 観昇民謡連合会を主宰する会主 高崎桂昇師の二代目襲名披露祝賀会(写真)が行われ出席した。
場所は、苫小牧市の大きなホテル 二階芙蓉の間。
鳩山由紀夫代議士夫人や、樋口雅裕苫小牧副市長、遠藤 連苫小牧選出道議会議員など、200名を超える出席者があり、盛大な祝賀会となった。
初代の高崎桂昇師は、今年の春先逝去された。
100名からの会員を抱える観昇民謡連合会である。師匠を失った会を誰が継承しまとめていくのか、周囲の注目するところであった。
推されて引き受けられたのが、ご子息であった。周囲が望んだ一番いい形に落ち着いたと言ってよかろう。
もともと高崎家は、民謡一家である。初代をはじめ二代目、さらにはそのご子息に脈々と民謡の心が引き継がれている。
初代は、周囲に阿ることを嫌い、自らの信念を持った強い指導力で会を束ねて来られた。だからこそ、今でも100名を超える会員を束ねることが出来たのだと思う。
二代目には、それを超える指導力が求められることになろう。師の今後の研鑽と、会の隆昌を心から祈念してやまない。
2007/11/11(日) 年代別大会
高齢になれば、声も若いときほど伸びない。
しかし、過ごしてきた人生の味わいを唄に込めることはできるはずである。
年齢毎に4部門にわかれて、それぞれの栄冠を目指す。今日、北海道民謡連盟室蘭地区民謡連合会の年代別大会があった。
第1部の熟年の部は、年齢73歳以上。この部門に、26名。第2部 壮年の部(66歳〜72歳)は、21名。第3部 少年の部(中学生まで)4名。そして、成年の部(高校生〜65歳)が、21名。
かつては、少年の部、成年の部ともに出場を制限するほどの出場者があった。
いま少年の部は、わずか4名の出場を数えるのみである。ただ、この4名の中には全道大会で上位入賞するほどの素晴らしい素質をもった子どもがいるのがせめてもの救いである。
今日も、それぞれの部門で味のある唄が披露されトロフィーを競い合った。
所用があって途中で退席したから入賞者の詳細はわからないが、聞いた範囲内ではいずれ甲乙付けがたい内容だった。審査員も採点に苦労されたことだろう。
結果は、明日の新聞に載るはずである。楽しみに待つことにしよう。
2007/11/12(月) 農業委員研修会
平成19年度地区別農業委員等研修会があり出席した。
10月から11月にかけて、道内14地区で開催されている。その中のひとつ、胆振地区研修会。場所は、苫小牧市労働福祉センターであった。
研修事項は、1) 農業委員会をめぐる情勢と今後の農業委員会活動について と題して、北海道農業会議 加藤事務局長(写真上)と村本次長(写真中)。
2) 農業委員会活動事例報告 洞爺湖町農業委員会小林会長(写真下) の2件であった。
農業就労人口の減少、それに伴う耕作放棄地問題、さらに「日豪FTAによる北海道への影響」など、農業を取り巻く環境は非常に厳しいものがあるなどの説明があった。
例えば、道農水部が試算した昨年11月の資料「日豪FTAによる北海道への影響」によれば、農畜産物の関税が撤廃された場合、豪州からの大幅な輸入拡大に止まらず、米国、カナダなどの輸出国からの輸入拡大も見込まれ、影響額は1兆4千億円にも及び、さらに、国内の食料自給率は現在の39%から12%程度にまで激減するとの試算をしているとの説明もあった。
国の揺れ動く農業政策に泣かされているのは現場の生産者である。今日の研修会参加を機にいますこし農業問題について勉強してみたい。
2007/11/13(火) 雲の写真
雲の写真が好きで、時折、気の向くままにデジカメを空に向ける。
写真は、かなり以前に撮った秋の空である。絹雲−典型的な秋の雲である。
雲を撮るのはカラー写真もいいが、モノクロで撮った写真も実はかなりいいのだ。
赤外線のフィルターを付けて青空を撮ると黒く濃い深い空を切り取ることが出来る。
上の写真はデジカメで撮ったもの。下は、同じ写真を赤外線フィルターをかけたらこんなイメージになるのではないか、とパソ上で手を加えた写真。受ける感じが全く異なる。
最近の写真集はほとんどがカラーだが、古いものはモノクロだった。
手元に昭和42年6月発行の「雲の生態」<伊藤洋三著・地人書館>があるが、206枚の写真のうち、カラーはわずか4枚である。しかし、モノクロが故に雲の白さが一段と際立っていて見飽きない。
雲の写真は、これと思ったときにすぐ撮らないと機会を逃してしまうし、いざ撮ろうとしたとき電線など思わぬ邪魔者が画面に入ることも多い。
そんな中で、気に入った一枚を切り取ることが出来た時の喜びは大きい。これからも、デジカメを持ち歩くことにしよう。
2007/11/14(水) 議員研修会
こんなわかりやすい研修会に参加した記憶はあまりないような気がする。
今日、平成19年度の議員研修会があった(写真)。講師は、奈良女子大名誉教授 澤井 勝氏。
テーマは、「財政破綻の予防策」だ。具体的に、登別市の平成17年度の決算カードを使って「議員・議会による財政のチェックポイント」を指摘していただいた。
これまでにも、同様の研修会は何度かあった。それらと今回の大きな違いは、問題点の解決に具体的な指針が示されたことである。
今日は、主として議員を対象にした内容であった。明日は、議員は勿論、職員・市民も対象にした、より具体的な内容での講演が予定されている。
午前10時から、昼食をはさんで午後4時までの予定である。内容の濃い研修会になるはずである。この機会に、多くの方々の参加を願うものである。
実は、今日の講義の中で「高齢者虐待」問題に言及された部分があった。町内会の独居老人昼食会時の話題に提供出来そうな気もするが果たして相応しい内容か。それまでには、やや時間もある。検討してみたい。
2007/11/15(木) ボジョレ・ヌーボー2007発売
人並みに「ボジョレ・ヌーボー2007」を求めた。近くのコンビニで2本買った(写真)。あわせて、5,400円。
裏面に「ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー2007 プレステージ・セレクション」と記載のあるもの(左)と、「ジョルジュ デュブッフ ボージョレ・ヴィラージュ ヌーボー2007 キュペスペシャル」(右)の2本である。
口を切ったのは、プレステージ。裏面にソムリエ田崎真也推薦の辞がある。
今年のボジョレ・ヌーボー、今日が発売日だった。報道では、今年はブドウの出来がよくてワインの仕上がりも素晴らしいと書いてあった。
口当たりがよく滑らかな味わいがあった。味もわからぬくせに、「うまい もう一口」 といいながら、ついついボトルの半分ほど開けてしまった。
コンビニで聞くと、あらかじめ予約した客がたくさんいたそうだ。ほどほどに売れています、と店員が笑みを浮かべたところをみると当方のごとく、とりあえず飲んでみようかの類が多かったと予測される。
今日は、チーズをつまみにして飲んだ。ワインに相応しいつまみは何が一番いいのか。なくなるまでの何日間かは、試してみることが出来そうだ。
2007/11/16(金) ピアノ演奏を聴いて
同じ尺八を吹いても吹き手によって音が異なる。これは、尺八を吹く仲間内ではよく知られたことである。
息の強弱、歌口と唇までの距離。それに、なにより楽器の一部であるべき身体の使い方が違う、などの理由による。今日は、同じピアノを弾いても音が全く違うのだなあ、とあらためて感じた。
第26回目を迎える室蘭演奏家協議会の定期演奏会があった。舞台中央に置かれたピアノに演奏家が座る。指が触れるか触れないか、と同時に音が響く。
強い音、弱い音、硬い音、軟らかい音、ぎすぎすした音、滑らかな音。様々な色を持った音が、響き渡った。
全くの素人だから、音のいい悪いや演奏の上手さを見極める力はない。が、聴いていて心地よく感じる演奏は幾つかあった。
例えば、ピアノ独奏 「エル サロン メヒコ」と、そして、同じくピアノ独奏「半音階的幻想曲とフーガ」。テクニックの素晴らしさと音の心地よさに包まれた。
ソプラノ独唱もあった。これまた、声の質の違いを感じた。研ぎ澄まされた音、ふくよかな音。好みから言えば、最後の曲 『歌劇 「シャモニーのリンダ」より “遅すぎたのね” 』がよかった。
珍しかったのは、ピアノとホルンの共演。ホルンの幅のある音と、ピアノの清楚な音がうまく噛み合って不思議な感覚を醸し出していた。これは、また聴いてみたい。
いつも思う。あんなに自由にピアノの音を出せたら、どんなにか楽しいことだろう、と。残念ながら、いまだに触れる機会さへもない。
2007/11/17(土) タイヤを交換した
少々、身体に痛みを感じるが暖かい午前中にやってよかった。
タイヤ交換である。まだいいか、と、つい先送りにしていた。しかし、昨日は小雪が舞った。もはや猶予はできない。
作業着に着替えてよっこらしょと取りかかる。
手回しのジャッキをぐるぐる回しながら、ふとご近所さんを見れば、あちらは油圧のジャッキだ。取りかかったのは、ほぼ同じ時刻だったが、終わったのはご近所さんが終えてから倍近くの時間が経っていた。
それでも暖かいのは幸いだった。一本ずつ交換し、ナットの弛みがないかを確認する。まさか、走っている途中でタイヤがはずれることもなかろうが念には念をいれよだ。
中腰の姿勢は気を付けないといけない。腰を痛めないように要注意である。
昨年の日記をみると、13日に換えている。ほぼ同時期だ。最近でこそ、タイヤ交換をするのは年に一回だが、昔は何度もやっていた記憶がある。
勤務していた頃には、職場の構内を走ると機械加工の切りくずでタイヤに孔があいたり、町中でも釘を拾うことが結構あった。パンクする率が高かったのだろう。
交換したタイヤを、物置の片隅に積み上げて作業は終了。さあ、これでいつ雪が降っても大丈夫だぞ。
2007/11/18(日) 5ヶ月ぶり
今年の6月3日以来である。5ヶ月ぶりの掲載だ。自分のことのようにホッとした気持ちで、朝刊をみた。載った句は、「今日の月太平洋を渡り来し」。
選者の目にかなうということの難しさを感じながら続けておられるに違いない。
無論、新聞に載ることのみが目的ではなかろう。目に映ったもの、心に刻まれたものを形にしたい。その思いが、文字となり文となる。さらに、それを17字という規定の枠に収斂させる。
この間にどれほどの時間がかかり、どれほどの苦悩があるかは知るよしもない。あるいは、意外に日に何句も、それこそ何の苦もなく出来上がるのかもしれない。
いずれにせよ、我々の目に触れるのは、作者が「これでよし」とした完成品だけだ。
先日、新聞にある方の短い文章が載った。購入した100枚の全てを年内に投函するというものだ。勿論、ただ投函するのではない。
私信には使わない。俳句や標語、ミニエッセーなどなど、応募のためにという目的である。自らに、毎日書くことを課す。
残念ながら100枚の全ては「ボツ」だったそうだ。それでも書き続けるために101枚目を買った、と書いてあった。新聞に載った短文は、その101枚目であったようだ。
これからも毎日曜日、T氏の俳句が載ることを楽しみに待つことにしよう。
2007/11/19(月) 一気に冬が
一気に冬がやってきた、そんな感じのする一日だった。バッテリーも弱っているのか、エンジンのかかりさへも悪くなった。
気象の激しい変化はあっても、人間さまの営みは変わらない。朝が来れば起き、食事をし、出勤する。人間という動物のさがとというべきか。
文協フェスティバルの打ち合わせが終わって帰宅。テレビで 「続 猿の惑星」を放映していた。「続 猿の…」の冒頭は、旧 猿の惑星の衝撃的なラストシーンから始まっていた。
実は、白状すれば、旧 「猿の…」 の方は、残念ながら、このラストシーン以外覚えていないのだが…。
自由の女神の残骸のシーンから、このストーリーがどう展開していくのか、興味を持ってテレビ画面をみた。残念ながら期待したほどの面白さはなかった。
しかし、受け継がれた素晴らしさもあった。「猿の惑星」の見どころの一つは、そのメイクの素晴らしさである。猿の一人一人(ひとり、で表現はいいのかな?)の表情は、それぞれに個性があって、豊かな動きがあった。
どのような手法によって造り出されるものか知るよしもないが、目の動き、口の動き、驚く他はない。それは、「続 猿…」にも受け継がれていて、俳優のチャールトン・ヘストンなどよりもずっと惹きつける顔の表情があった。
一夜のうちに真っ白い世界になるような気象の変化は容認できても、愚かな一握りの人間の、愚かな行為によって地球そのものが滅びるような変化だけは願い下げにしたいものだ。
2007/11/21(水) 散々だった今年のゴルフ
会議の席上で頻繁に咳をする友人がいる。聞けば、小雪の舞った先日、ゴルフに行って風邪を引いたのだという。
この寒さの中でまだゴルフとは、その根性に驚くばかりである。上手な理由の一端を見る思いがした。
もっとも、ゴルフ場の方も雪が積もるまではやっていますからどうぞ、と言っているからまだまだ行く人もいるかもしれない。当方は、残念ながらそこまでは熱心でない。
今年の総括をしておこう。結論から言って、今年のゴルフは散々だった。
まずまずの時期もあった。8月半ば頃である。それでもベストスコアは85。ワーストは、114。114も叩いたのは6−7年振りである。幾ら調子が悪くても、110を超えることはなかったのだ。それが今年は、90台前半を出すのさへ四苦八苦だった。
原因は幾つかある。まずは、年甲斐もなく取り組んだフォームの改造である。ストレートからドローボールへ変えようと試みた。安定性に欠けるところが多かった。しかし、方向性は見えてきている。これは、次年度への持ち越しだ。
もう一つは、アイアン。特に、寄せに課題を残した。50Y以内、とりわけグリーン周りが徹底的にダメだった。これはまだ希望が見えない。
よかった点もあるにはある。パッティングに活路を見いだしたことである。
「冬場の練習が大事だぞ……」シングルの友人の言葉である。次にやるのは半年も先だ、と言っておれないのかな。
2007/11/22(木) 地域住民の願い
駐車場は、いつもほどでもない。待合い場所も、やや少ないような感じがする。それでも、診察を終えて会計をする時には結構な時間がかかったから、客(患者)の数はそう変わらないのかもしれない。
「医療法人社団 カレスアライアンス」。
その名前も12月からは、「医療法人 母恋」 に変更になる。カレスアライアンスは、前理事長が付けた名前である。退いたいま、その名を使って欲しくないということなのか。
なにがあったのか患者に詳しい説明のないまま新体制になった。さらに、理事長の交代劇のあおりを受けて医師の大量退職が相次いだ。通っている患者としては、心穏やかならざる現象である。
「病院はサービス業であるべきだ。いかに専門的で高度な医療を提供できるかどかが問われる時代だ」とは、前理事長の言葉である(06/06/28道新記事)。
一方で、「経営のエキスパートに病院経営を任せるべきだ。理事長と院長の兼務には限界がある(同記事)」とも語っていた。
病院経営の理念はともかく、住み慣れた地域で、安心して治療が受けられる。これこそが、地域住民の願いに違いない。
「医療法人 母恋」には、一刻も早い医師の確保と共に安心で安全な医療体制の確立を願うものである。
2007/11/23(金) 子ども像
高さ 5.5p 重さ 160g。小ぶりな割には、手応えがある。
多分鋳鉄製である。鋳型の合わせ面をグラインダーで削った痕が雑に残っている。
決していい品物とは言い難いが、顔の表情に何とも言えない愛くるしさがある。こりっとしたお尻の丸みから見て女の子に違いない。
左の手を顎に当て、右の肩をつきだしたちょっとコケティッシュな形がいい。
パソコンの前に、おいてある。眺めているだけで心が和んでくるような気がする。
思い立って写真を撮ってみた。
こういう写真はライティングが難しい。フラッシュをたくと、多分平板な写真になってしまう。自然光が一番いい。特別な工夫をしたわけではないが、比較的自然な形で撮れたと思っている。自画自賛である。
時に、手元にある小物に目を向けるのもなかなかいいものだ。
2007/11/24(土) 「自由人」
「くまのさん、これからの予定は?」 先日、午前中に当方を訪ねてきた方から聞かれた。午後の会議の予定を告げると 「いいですねー 私には何も予定がない」 と、うらやましそうにおっしゃった。
退職されて、今は自由の身である。時々、札幌におられるお嬢さんのところに出向き、お孫さんの顔を見るのが楽しみだと言われる。奥様ともどもに旅行に出かけられた話もよく聞く。
充分な蓄えもあるようで、こちらからみる限りではなに不自由なく日々を送っておられるように見受けるのだが、本人は時間をもてあまし気味だとおっしゃる。
先日、新聞のコラムに「自由人」と肩書きした名刺を使っている方の紹介があった。
「自由人」とは、なかなかに味のある肩書きである。その方は、退職されてから地域や海外のボランティアにも熱心な方だから名刺の肩書きには困らないお方なのだが、あえて「自由人」を名乗る。
企業戦士だった方が、卒業して困るのが名刺の肩書きだという。
組織の地位からはずれて個の存在になった時、人は自分の弱さを認識する。他人になんと自己紹介をすればいいのか。
肩書きを求める必要はないが、退職後の生き甲斐となるものだけは早めに見つけておいた方がいい。
2007/11/25(日) CDの作成
棚の整理を兼ねて手元にあるCDの枚数を調べてみた。おおよそ130枚。CDだけでなくDVDもこの数に含まれている。
尺八に関するものが圧倒的に多い。その他に、津軽三味線、和太鼓、笛、演歌、雅楽、クラシックもわずかながらある。雑な当方に相応しい。
テープの数はまともに数えたことはないが、ざっと600本はくだらないと思う。こちらは、CDよりも雑多である。購入したもの、いただいたもの、借りたテープからダビングさせてもらったもの、色んな場所で録音したもの。
中に何が録音されているのか全くわからないものも多い。一時期、内容を聞き返しながら曲を拾い上げる試みをしたこともあるが、今となっては手に負えない。すでに、整理しようとする意欲さへ失っている。
今日、ある方から、パソでCDを作成する機械の購入を持ちかけられた。パソに取り込んだ曲をCDに落とし込むソフトなら理解できるが、装置とは一体なにをいうのか。
以前、使用していたものが壊れて購入したのだが、使いにくくて、再度別なものを購入したので、余っている。安くするが…という。
とりあえずはやんわりとお断りしたのだが、一度どんなものかの確認をしてみるべきか。しかし、どうもこの話、なんとなく胡散臭い。
2007/11/26(月) 事前リハ
先は見えた。そんな感じのする今日の事前リハだった。
一番人手を要する所作台の並べ方(いわゆる仕込み)のリハをすませた。平台と違って所作台の扱いは注意を要する。
所作台というのは、歌舞伎、日舞などの舞台面に使われる台で、総檜作り。高いものは何百万円もする。一見平台に似ているため平台のように扱うと、その大切さを知っている大道具さんに半殺しにされかねない。
幸いにも、市民会館には大道具さんがいないのでそこまではされないが、扱いには注意をしないといけない。
足袋以外ではこの上に乗ってはいけない、などというのは常識なのだが、それすら知らないままに手伝う人もいるから、大道具さんに変わる舞台監督が必要になる。
今回は、その大役をH瀬さんにお願いした。
今日の、文協フェスティバルの舞台づくりのリハ。各団体から集まっていただいたお手伝いの方々に、本番さながらの手順で行っていただいた。
慣れぬ足袋を履いてもらい、注意深くその作業を終えた。最終的には、前日の通しリハで確認することになるのだが、これなら時間内にいけそうだとまずは安堵である。
ただ、本番は何が起こるかわからない。何年かに一度しか使うことのないヒノキ製の所作台。図上リハも含めて、事前の準備が欠かせない。
2007/11/27(火) ふれあい昼食会
16名の出席があった。町内会福祉部主催による独居老人昼食会(写真)。対象者は26名だから、6割を超える出席者だ。
婦人部手作りの料理の数々。煮ものに、サラダ、とりわけ鍋料理が好評だった。
午前11時に開始、登別市で作成した「かろやかポスター」に載っている体操と食前体操を実施。乾杯の音頭に引き続き、鍋に火をいれる。
缶ビールの栓が抜かれ、あちこちで歓声があがる。時間の経過とともに、お喋りに熱の入るひと、カラオケに興じるひと。なごやかで楽しいひとときだったと感じていただけたのならうれしい。
最後は一本締めで健康を祈念し散会。
みなさんがお帰りになった後、役員による今日の反省会を実施。参加者の町内会への要望や、今日の実施内容を省みる。次年度への糧としたい。
やや、時間が長かったのを除けば、まあ、成功の部類といえるだろう。福祉部の役員、料理を作っていただいた婦人部のみなさん、ご苦労様でした。
2007/11/28(水) 元気の秘訣
昨日の昼食会でも話題になった。森 光子さんの年齢を感じさせない若さの秘訣である。
女性の年齢をあからさまにするのは避けたいが、ウィキペディアでも公表されているのでお許しをいただこう。それによれば、森 光子さんはすでに80台の半ばを過ぎておられる。
昼食会に参加された方の年齢はわからない。元気で、まあまあ健康な生活を送っておられる方が多い。中には、市民プール「らくあ」に通い、水中ウオーキングを日課とする方もいる。
しかし、さすがに森 光子さんと同年代だという方はおられない。
森 光子さんが健康の秘訣として取り組んでいるという 「ヒンズースクワット」 を試したことがあるかを問うてみた。やったことがある、と答えた方は何人かおられたけれど続けているという人は皆無であった。
膝が痛くなって止めてしまったという方も多い。何事も、あまり負荷のかからないように段階を踏んで取り組まないと、返って逆効果になってしまう。
森 光子さんが実際にやっておられる姿が放映されたことがあったが、あまり無理な姿勢ではなかった。大切なのは、健康を維持しようと日々努力する姿勢である。
継続こそ力。見習うべき点はそこにある。
2007/11/29(木) 意外な一面
知人の意外な側面を見つけて、えっ? と驚く、そんな経験を持つ人は多いのではないか。
今日、「いぶり文芸」 第38号を入手した。これは、胆振芸術祭実行委員会の発行になるものである。手元の棚を調べたら第35号があった。どうも、毎年発行されているものらしい。
厚真町、白老町、伊達市、豊浦町、苫小牧市、登別市、むかわ町、室蘭市の文学団体で構成されている。随筆、短歌、創作、評論、俳句、詩、川柳など内容は豊富である。
ページをめくると、見慣れた名前もある。それらは、地方紙の文芸欄に載っている名前であったり、それぞれの地域の文芸誌の常連の名前である。
そんな中、見知った名前があった。ここ何年か、ゴルフをご一緒させていただいている方の名前と同じである。
実は、作品が載っているからと教えてもらっていたからわかったようなものの、そうでなければ似た名前があるものだ、くらいですませていたに違いない。
まさか(と、言っては失礼だが)、このような素晴らしい文をものにされるようなお方とは露知らなかった。先述したように、これまではゴルフを通してのみのお付き合いであったからだ。
「いぶり文芸」 第38号を手にされる機会があれば、是非一読をお勧めしたい。作者をよく知る人も、また、別の新たな一面を発見し頷かれるはずである。
標題は、「長生きしてね」。母上のことを、冷静に、そして暖かく見まもる作者の気持ちが丹念に綴られている。
2007/11/30(金) 惜しい人を失った
紋別、門別など、北海道には幾つかの 「もんべつ」 がある。アイヌ語の、モべッmo-pet 「静かである・川」 から来ていると言われる。
同じ「もんべつ」でも、北海道網走支庁管内にある紋別市は、「オホーツク紋別」 とか、 「北見紋別」 と呼ばれることが多い。
「門別」も「もんべつ」。こちらは、日高町にあった。現在は合併して日高町になった。
一方、胆振支庁管内にある「もんべつ」は、「伊達紋別」駅 伊達市にある。国鉄再建法の制定に伴い、特定地方交通線(第2次)に指定され、1986(昭和61)年に廃止された胆振線の駅でもあった。
胆振線は、この伊達紋別駅で室蘭本線から分岐し、後志支庁管内の虻田郡倶知安町の倶知安駅で函館本線に接続するローカル線だった。
今日の葬儀は、その伊達市にある 「紋竈寺」(もんべつじ、と呼ぶ)だった。「竈」 は珍しい字だが、「べつ」ではなく、「かまど」で打ち込むとパソコンでも出てくる。
紋竈寺、宗派は浄土真宗本願寺派。導師を努めたのは、その紋竈寺のまだ比較的若い住職だったが、いい法話だった。
亡くなったのは、ボーイスカウトの同胞(はらから)。しっかりとした考えを持ち、胆振地区のみならず北海道のボーイスカウト活動を牽引した方だった。享年 64歳。惜しい人を失った。