・・・くま日記・・・


2007/10/01(月) 松村 隆氏
 
 81歳にもなっておられるとは知らなかった。いつも矍鑠(かくしゃく)としてしておられる。

 松村 隆氏。

 頭脳明晰であることは言うに及ばない。その辺は、もともと勝負にもならない。悔しいのは、酒量で負けることである。崩れない、酔ってますます意気軒昂である。

 逢えば、指導者のこと、後継者の育成のこと、さらには、江差追分会の将来のことなどについて熱く語られる。長く行政に携わっておられたはずだが、堅いイメージは全くない。

 昨年は、江差追分会の将来を考える検討委員会の委員としてご一緒させていただいた。われわれの話にもよく耳を傾けてくださる。

 江差追分会の理事として、そして、執筆者としても名高い。

 昨年は、「たば風に唄う」を上梓された。名手・青坂 満氏の生涯を描きながら江差追分の歴史とその素晴らしさを書かれた力作である。

 江差には、文芸誌 「江さし草」 が発刊されている。氏は、その主宰者でもある。人口1万人を切る小さな町で、30年も文芸誌を発刊し続けることができたのは氏の力といっても過言ではない。

 「いい後継者が、いるんだよ。いま、口説いているんだ」 居酒屋でいたずらっ子のような笑顔を見せながら語ってくださった。

 口説かれたその人が、先日 北海道新聞 朝の食卓 「キムタクと松たか子」 を書かれた I田氏である。

 歴史の語り部としての資質は、脈々と受け継がれているようである。











2007/10/05(金) 実り多かった視察

 
 四日間の視察を終えて帰ってきた。詳しい視察報告は、別途記載する。

 視察中、心配だったのは登別市を襲った集中豪雨である。

 幸い、市内は大きな被害もなかったと聞いて安心した。

 視察は秋田県北部の3市を訪れた。

 男鹿市、ここでは水道事業について聞いた。市内を流れる川が1本も無く、水源は湧水だそうだ。涵養林の保全、さらに広い行政面積を持つ悩みを聞いた。

 大館市、ここでは廃校となった高校の建物を利用した郷土博物館について聞いた。登別市でも、温泉中学校の校舎を利用した「かんと・れら」がオープンしたところである。その利活用について大きなヒントをもらった。

 鹿角市、一日の宿泊キャパシティ 5,000人を持つ温泉郷の割には少ない宿泊客しかいない悩みを聞いた。

 ただ、大館市、鹿角市ともに数名の学芸員を配置して文化遺産を後世に伝えようとする姿勢は高く評価してよい。

 写真は、鹿角市大湯環状列石(国指定特別史跡)である。

 幼稚園児が遠足に訪れていたが、ごくごく普通にこうした生の文化遺産に触れさせる環境づくりが出来ていることに強い感銘を受けた。











2007/10/06(土) パークゴルフ大会
 
 パークゴルフに参加した。

 年に一度、理事者と議員対抗のパークゴルフ大会が開催される。昨年は別件と重なり参加出来なかったから、2年ぶりのパークゴルフと言うことになる。

 場所は、ジャンボ。

 このコースでラウンドするのは二回目である。勇んでコースに向かうも、なかなか思うにまかせない。ラフに入れると厳しいのは本物のゴルフ以上である。

 距離は出ないし、次のショットが極端に難しくなる。打ちすぎればOB、かといって手加減すれば届かない。難しさは本物のゴルフと同様である。

このパークゴルフ、1983年に北海道・幕別町で誕生した。87年には国際パークゴルフ協会が設立され、本格的なスポーツとして普及が始まった。

 いまは、北海道から沖縄、与論島まで全国に約900のコースがあるという。パークゴルフの愛好者も北海道を中心に全国で60万人を数えるまでになったそうだ。

 今日の同伴競技者はT田教育長、それにK村(俊)議員。

 前半のスコアがよかったT田教育長、一緒に回るわれわれのスコアの乱れに集中力が切れ、後半息切れしたのは気の毒であった。

 風もなく、好天に恵まれて心地よい汗をかいた。もともと上位を狙うようなスコアが期待できるわけでもない。スコアの提出もそこそこに早々と反省会の席に移動する。

 歯ごたえのあるジンギスカンに、飲み干す生ビールの味が一段と冴えた。

 ところで、優勝したのは誰だっけ?











2007/10/07(日) 洞爺村国際彫刻ビエンナーレ2007

 
 今回のテーマは、「手のひらの宇宙」。

 洞爺村国際彫刻ビエンナーレ2007を観てきた。世界46ヵ国・450作品の中から選ばれた入賞作品58点が展示されている。

 2年に一度開催される。今回で8回目を迎えた。

 会場の一番奥に、今年度の大賞、準大賞などが展示されている。(作品そのものの写真撮影は禁止されている)

 いずれも素晴らしい作品だが、気に入ったのは小田嚢賞を受けた「ソーラン節 ロックにのって 祭り来る」と名付けられた阿部典英氏の作品である。躍動感の中にユーモラスな趣がある。

 それと、賞には選ばれてはいなかったが「Flight」と名付けられた作品。一足の革靴の先端だけを切り取ったような変わった作品だが、なにか惹きつけるものがあった。

 会場となった洞爺湖町洞爺総合センターは改築され、装いも新たになった。もともと、旧洞爺村総合センターだった。

 旧洞爺村は虻田町と合併して洞爺湖町となったが、いまでも 「洞爺村国際ビエンナーレ」の名称が継承されている。

 これは、これほどの彫刻展を、しかも、毎回無料で開催し続けた旧洞爺村に敬意を表してのことだろう。その心意気やよし。











2007/10/08(月) N井さんの生まれ故郷
 
 世の中には、不思議なご縁があるものだ。ただの偶然とは言い難いものがあるような気がする。

 今日、横浜に住んでおられる知人N井さんからメールをいただいた。視察で男鹿市に行った、というくま日記をみてメールしたと言うものである。

 N井さんとは、江差追分会の仲間でもあり、時々、メールで情報を交換する仲間でもある。先日行われた江差追分の全国大会には、奥様ともどもに江差にきてくださった。

 男鹿市の水道は、その水源の全てを湧水で賄っている。

 とりわけ寒風山(かんぷうざん)の麓 五里合(いりあい)地区には、滝の頭という湧水源があり、日量31,000トンもの水がこんこんと湧き出ている。

 残念ながら現地を見させていただく時間はなかったが、いただいた資料によれば濃い緑色の湖面が豊かな水を蓄えた天然の地下ダムであることがうかがわせる。

 この滝の頭水源は、寒風山の麓にある。

 寒風山は、標高約355mの山で、男鹿・南秋地区のシンボルである。滝の頭水源は、昔から男鹿の半分の水を供給してきた。今も、その流域の保全に官民挙げて取り組んでおられるそうだ。

 そこには、老子の詩「上善若水」の一節をとった碑 「上善若水 水善利萬物而不争 處衆人所悪 故幾於道……上善は水の若し 水善く萬物を利して争わず 衆人の悪む所に処る 故に道に幾し」 が建立されているという。

 水利を互いのものとして大事に後世に伝え残そうとの思いがみえる。

 男鹿市、その寒風山の麓 五里合地区は、N井さんの生まれ故郷だそうだ。N井さんの素晴らしいお人柄を、あらためて認識させていただくにふさわしい視察となった。











2007/10/09(火) 決算審査に向けて
 
 10月15日から三日間、平成18年度の決算審査特別委員会が開かれる。

 計画された予算が、住民福祉にどれだけの行政効果、経済効果をもたらしたのかを審議する重要な場である。

 その審議に先立って恒例の会派での勉強会を開いた。

 午前10時から、昼食をはさんで午後5時まで、時々小休止はいれたもののハードな一日であった。
 
 決算審査特別委員会は、これまで通り議場で開かれる。

 多くの市民の傍聴を期待したいものだが、一方でこれから進めようとしている議場のネット中継が実施されれば議場に足を運ばなくても審査の内容を見ることもできる。

 先日視察した鹿角市などでもネット中継が行われていた。費用も思ったより安かったとの内容であった。

 議長からの諮問事項の中にも含まれている。出来るだけ早めの実施が望まれる。











2007/10/10(水) 新登別大橋
 
 2、3日前から急激に冷え込んできた。

 部屋着として半袖Tシャツに半パン姿で過ごしていたが、ついに上下のトレーナーに着替えた。それでも昨夜は寒く、ついにストーブに火を入れる始末。

 暑い暑いとの嘆き節が、つい昨日だったように思うが着実に秋の気配が忍び寄ってきた。今日の朝刊には、後方羊蹄山で初冠雪が観測されたと写真が載った。

 これから日に日に寒さが増していくことだろう。

 登別市内で紅葉を楽しむことが出来るのも、もうすぐだ。登別市内の紅葉の見どころと言えば、登別大橋もその一つに挙げられるだろう。120メートル下をのぞき込む紅葉はなかなかのものだ。

 ところでこの大橋、開通は昭和61年(1986)10月3日。7年の歳月をかけて完成したという。総工費約24億円。それまで幌別から温泉地区に入るには、国道36号線を使っていたのだろうからかなりの時間短縮になったはずだ。

 開通前に、その周辺まで車を走らせたことがある。

 今工学院がある辺りの道路もがたがた道だったし、さらに奥の逢坂牧場から谷間に下る道は車の腹をこするような悪路だった。下ったはいいが、Uターンして帰ってこれるのか不安な思いにかられたことを覚えている。

 こくわや、山葡萄がたくさんあったように記憶している。

 橋が出来てからでも21年になる。当時の写真でも出てくれば違いもわかろうが、はて、どこにしまいこんだやら。











2007/10/12(金) 100回目を迎えた「ちびまる子ちゃん」
 
 10月10日で100回目を迎えた。道新に連載中の「ちびまる子ちゃん」である。

 連載が始まったのは7月1日。この間、9月10日に一度お休みがあったが順調に連載が続いている。切り抜いて、スクラップブックに貼りつけて楽しんでおられる方も多いに違いない。

 「まる子」のスクラップ仲間は、実は結構いるらしいのだ。

 道新「声」欄にも、そのことが1、2度載った。網走市にお住まいの菊池隆子さんもその一人だ。

 表には出ないけれど、実は私も…と言う方はたくさんおられるに違いない。かくいう当方も、最初から毎日切り抜き、スクラップブックに貼りつけている。

 菊池さんは、56回目から「まる子」の大きさが違ったことを指摘しておられる。実は、指摘されるまで気がつかなかったが調べてみると、確かに変わっているのだ。

 56回目までは、タテヨコ34o*53oだったものが、56回目から36.5o*60oへと一気に大きくなっていた。これほどの変化があれば気がつかないはずはない。

 こいうことは、毎日きちんと切り抜きを続けている人でないとわからない。

 当方がいかに漫然と切り抜いているだけかということを思い知らされる結果となった。思い直して、スクラップブックを一冊に決めて貼りつけている。

 何年かの後、「まる子」のスクラップ仲間と…と書かれた菊池さん達とスクラップの見せっこが出来ればと願っている。











2007/10/13(土) 砥石部はセラミック製
 
 包丁が簡単に研げる「ロールシャープナー」。砥石部はセラミック製、1万回は使えるという。価格も安い、わずか2,100円だ。
 
 包丁研ぎが苦手な人には便利かもしれない。

 先日頼まれて、ある方の包丁を研いで差し上げた。「切れすぎて怪我をしそうでおっかない」 と賞賛ともなんともわからぬコメントをいただいた。

 しかし、言わせてもらえば 「切れすぎて怪我をする…」 は間違っている。怪我をするのは、切れない包丁を使うときだ。包丁にせよ、ナイフにせよ、刃物はよく研いで使わねばならない。刃物は切れるほど怪我をしない。

 昔は(古いいい方だ…)、どこの家庭にも砥石があった。子どもでも自分が使う肥後守は自分が研いだものだ。

 宮大工小川三夫は、故西岡常一に弟子入りした。住み込みで、何年か後に初めて給金をもらった。小川は、そのもらった給金のありったけをはたいて最高の砥石を買ったそうだ。

 今は、砥石も人造だ。中砥と、仕上げ砥が表裏になった一体ものを安く売っている。当方が使うのもそんな安物だ。

 それでも充分に水をくれてから刃物を研ぐと、研ぐほどに切れ味が増してくるのがわかって楽しい。

 室蘭市シルバー人材センターの「シルバーフェス2007」では、包丁研ぎに人気が集まったそうだ。その模様が新聞に載った。

 研ぎ上がるのを見詰める人より、研ぐ人の真剣な顔が印象的だった。自慢の腕をふるう、その気概が顔に出ているようだった。











2007/10/14(日) デイライトは有効か
 
 かつてアメリカを初めて訪れたとき、日中ヘッドライトを点灯している車の多さに驚いた。

 聞いたところによると、理由は三つあるとのことだった。一つは単なる消し忘れ、二つ目は身内に不幸があった人、そして三つ目は、安全運転の注意を喚起するために点灯している人とのことだった。

 今で言う、デイライトである。

 国内でも、企業や、タクシー会社で推進し 「ライト点灯運転中」 などと消し忘れではないことを表示する車もある。

 薄暮のライト点灯は有効である。みえにくい時間帯の点灯は、歩行者側にとっても運転者側にとっても互いに助かるものである。

 最近は、路上の街灯が整備されたこともあって、まちなかで無点灯のまま走っている車に驚かされることもあるし、トンネルの中でも対向車が無点灯だと、なんとなく不安を感じる。何らかの規制が必要ではないかとも思う。

 ところが、義務化したそのデイライトを廃止する国が現れた。オーストリアである。

 日中のライトがドライバーの注意力を対向車に過度に集中させ、事故につながる可能性が高まる研究結果が出たというのだ(道新 071012記事)。

 ライト点灯を義務化する際、安全面や環境面から反対・廃止論議があり、その検証のために研究した結果だという。

 日本での今後はどうなるのだろう。











2007/10/15(月) 自作曲のCD化
 
 やっと試作品が出来た。

 自作の曲を、CDにしている知人がいる。当方よりかなり上をいく年輩なのだが、何枚も自分のオリジナルCDを作成している。

 聞けば、パソコンで作成しているという。その先輩、失礼ながらIT機器にそんなに長けているとは思えない。どうも、娘婿さんに手ほどきを受けたらしい。

 どんなソフトを使用しているのか気になるのだが、教わるのもシャクである。幸いネットで調べるという方法もある。模索を重ねるうち、やっと形に出来たというわけだ。

 出来てみれば、簡単なことだった。まずは、ICレコーダーに録音する。パソに取り込む。それを、CDに保存する。たったこれだけのことである。

 もっとも取り込んだ曲は、そのままではCDに保存できない。CDに保存が可能なように音声フォーマットの変換が必要である。

 実は、購入したICレコーダーには、Degital Voice Editorというソフトが付属していた。それを使って、wavという形式に変換をする。

 ICレコーダーを手に入れてからCDに取り込むまでに時間がかかったのは、実はこのwav形式に変換するというところでつまずいていたのだ。

 いつものことながらこういった場合、マニュアルは不親切で当てにならない。失敗を恐れず、何度もトライすることが解決への近道である。

 ICレコーダーからパソへ取り込んだ曲からノイズを除去し、さらにグレードアップすることも可能なのだが、それには Killer Noize などというソフトによらなければならない。

 これにはまだ時間がかかりそうだ。












2007/10/16(火) はい、チーズ…
 
 カメラを差し出して、「すみませんが、シャッターおしていただけませんか」と、お願いする。観光地などではよくある風景である。

 最近は、どなたでも気軽に応じてくださる。 「はい、チーズ…」。

 カメラを構えた人のほとんどが、両手を思いっきり前に伸ばして構図を決められる。

 「もう少し、両脇を締めて…」と言いたい言葉を飲み込んで応じる。残念ながら、こうした撮っていただいた写真の多くはぶれていて使い物にならない。

 だから、お願いする前に必ず1枚自分で写真を撮る。その場合、自分が写真の中に入っているかどうかは問題ではないのだ。撮りたいのは、気に入った背景だからである。

 「失礼な…!」 と言われそうだが記念写真を撮る場所は、「いい景色」 であったり、あるいは、「想い出に残る場所」であることが多く、被写体としてカメラに収まった人物はたまたまその場所に居合わせた同行者に過ぎない。

 これは、やや極端な例である。人がいて、風景があってこそ、そこを訪れた想い出が浮かび上がる。だからこそ、ピントのあった写真を残したいのだ。

 最近のデジカメには手ぶれ防止機能がついていて、どんな格好で撮っていただいてもそこそこの写真が撮れる。

 が、出来上がりには歴然とした違いがでる。だから、写真を撮るときにはせめて両肘を離さないようにして欲しい。そのちょっとした心遣いが、ピントの合う、合わないを決める大きな要素になるからである。

 先ほど訪問した視察先での写真を整理しながら、強くそう思った。











2007/10/17(水) 決算審査特別委員会終了
 
 「傍聴に来いっていうけど、来たって資料がなくては何を議論しているのかわからない…」 傍聴に来られた方から、ご指摘をいただいた。

 三日間にわたる決算審査特別委員会が終了した。

 時間を延長して濃い議論があった。どのように予算が使われたのか、それらは適切であったのか。課題として受け止めるべきは何か、それをどう次年度の予算に反映していくのか。それらを検証する極めて重要な場である。

 にもかかわらず、傍聴席は相変わらず埋まらない。市民の方より、議員の数の方が多い。

 議員には、あらかじめ資料が配付されている。会派毎に、それぞれ勉強会を開いたりして全資料に目を通している。したがって、議論の内容は理解できる。

 しかし、市民の方への資料配布はない。結果、冒頭に述べたような指摘もいただくことになる。これは、今年行った議会フォーラムの席上でも指摘をいただいた内容でもある。

 ただ、委員会に供される資料はかなりの量になる。傍聴者に全ての資料が必要なのか、その選択一つにしても検討を要しよう。

 理事者と議会が、実り多い議論をするために準備される資料も相互に資料の内容について提案しあうことも重要である。同時に、市民の方々に理解してもらえる工夫も凝らさなければならない。

 委員会の構成や、その仕組みについても検討することが議長からの諮問事項で示されている。上記のような内容についても、その中で議論されることが望ましい。











2007/10/18(木) オオカミの記事
 
 最近、やや珍しい名詞が何回か新聞に載った。「オオカミ」である。

 ごく最近では、旭山動物園に 「オオカミの森」 構想があることを報じた(道新071017)し、「ニホンオオカミの剥製」の記事(朝日071001)。

 そして、ゆがんだ生態系の修復に「オオカミの再導入」を訴える日本オオカミ協会理事の記事(道新070925)などである。

 もう少し古い記事を遡れば、「オオカミがいた山」展(朝日070307)や、「オオカミの復活 是か非か」(道新060419)、「ニホンオオカミ化石確認」(道新060122)、さらに、「シカ増加抑制にオオカミ」哺乳類学会 札幌で開催(道新050805)と続く。

 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、1905年(明治38年)1月23日に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、というのが定説、と記されている。

 一方、紀伊半島山間部では、1970年代に、ニホンオオカミを目撃したという証言が度々話題となり、ニホンオオカミが生存しているのではないかとの噂が絶えない。

 現在でも、紀伊半島山間部ではニホンオオカミの目撃証言を募るポスターをしばしば目にする。秩父山系でも、ニホンオオカミ生存の噂は絶えない。また、祖母山系に生存しているのではないかという話もある(ウィキペディア)。

 我々は、童話 「赤ずきんちゃん」 の狼ばあさんの話から、オオカミは怖いものとのイメージが強い。

 しかし一方で、「遠吠えする孤高のオオカミ」 には、男心をくすぐる何かがある。

 完成した旭山動物園では、そうした姿も見られるかもしれないという。楽しみである。











2007/10/19(金) ちりも積もれば

 「ちりも積もれば山となる」

 塵だと思っていても、それが積もり積もると、やがて予想もしなかったような大きな山になるということ、元々は節約とか倹約をすすめる言葉だった。

 最近は、ごく小さな事だと馬鹿にしていると、それが原因で、大変なことが起きる可能性があるという意味になってきている。

 例えば、毎晩の晩酌が肥満を招き、やがて肝機能を弱めたり、メタボになる危険を諭すようなものである。

 写真は、我が家のドアを写したものである。上段2枚は、トイレのドア。下段は、玄関と居間をつなぐドアである。

 トイレのドアは、ドアの下の方に3本の飾りの横木が渡してある。デザインとして見れば、見かけはいい。

 しかし、横木の間隔は狭く(6o)、奥行きは深い(10o)。掃除のしにくい構造である。

 見かけの良さが、実はちりが積もりやすく除去しにくい構造になっていることがわかる。

 恥ずかしながら、現に、うっすらと埃が溜まっているのが写真からでも見て取れる。
 
 その点、下段のドアは余分な飾りがない分埃が溜まっても掃除がしやすい(断っておくが、しやすいというだけで、きれいに掃除がされているとは書いていない。為念)。

 本来、デザインは見た目もよく、機能的にもすぐれたものでなくてはならない。我が家の恥をさらしながら思う。シンプル イズ ベスト。











2007/10/21(日) 青色街灯

 
 札幌市でも青色の街灯が設置されたそうだ。中央区に4基、年内にさらに23基増やすという。

 青色街灯はイギリス北部の都市グラスゴー中心部のブキャナン通りというショッピングストリートで、景観改善を目的にオレンジ色の街灯を青色に変えたところ、犯罪が激減するという現象が起きた。

 青色には、興奮を静める効果があると言われ国内でも青色街灯を導入するところが増加している。

 国内ではすでに、奈良県警察本部が最初に青色防犯灯を採用し、広島県、沖縄県、静岡県、群馬県、愛知県、福島県など少なくとも17都道府県で使用されているという。

 子供達を見回るパトロール車の回転灯が青色であるが、それも気持ちを落ち着かせる色ということで採用されているのだろうか。

 実は、室内に青色の照明灯が使用されているのは見たことがある。

 写真は、ドイツ デュッセルドルフ市の中央図書館のトイレの内部である。理由を聞いたところ、麻薬中毒者がトイレ内部で静脈血管注射をするのを防ぐ意味で青色にしたとのことであった。静脈を見えにくくする目的だった。気持ちを鎮める効果もあったのかもしれない。

 青色街灯を設置したら、空き巣や自動販売機荒らしの被害が激減したとの報告が増えている。設置箇所が増えて犯罪が減るのは歓迎である。











2007/10/22(月) 曲の練習
 
 いま、ちょっと焦りを感じている。

 ある民謡発表会で尺八伴奏を頼まれている。そのプログラムがこのほど届いた。大方は、これまでに何度か吹いた曲である。それはいい。

 中にはこれまで全く吹いたことがない曲がある。完璧にダメなものは諦めるしかない。すみません、この曲は吹けませんと謝るしかない。

 困るのは聞きかじりの曲である。少し勉強すれば吹けるのではないかと思える曲である。

 あるいは、似たような曲だが旋律が異なる曲、例えば秋田大黒舞と山形大黒舞などである。中には同じ曲名で旋律が異なるものもある。津軽山唄の西通りと東通り。

 発表会までに時間があるときはなんとかなる。手元にある音源を聞いて履修できる。

 つらいのは限られた時間しかないというときだ。

 譜面だけでは音は出せても曲にならない。民謡の伴奏は、曲がりなりに伴奏する曲が唄えることが求められる。完璧でなくてもいい、鼻歌でもいい。曲の感じを体に取り込む必要がある。

 とにかく何回も繰り返し聞くしか方法がない。音源をテープに取り込み、ひたすら聞く。こんな場合車の移動中の時間が有効だ。

 BGMとして流しておく。

 もっとも、聞く方に気をとられて運転の注意が散漫になるようなことがあってはならない。残された時間はあとわずか、さて間に合うかな。











2007/10/23(火) 温泉に入りたい
 
 暑い暑いとこぼしていた夏もあっという間に去り、部屋の中でもストーブに火を入れなければならないほどの寒い日が続くようになった。

 山々に初冠雪、の報も聞かれるようになった。

 この時期、外を歩いて冷え込んだ身体を温めるには温泉がいい。日帰りでもいいからゆっくりと温泉に浸かりたいものである。

 一時期、市販の入浴剤などを混ぜた温泉などまがい物の温泉が話題になった。温泉法で成分や加水、加温などの表示が義務づけられたせいか、その種の報道はなくなった。

 最近は、「かけながし温泉」を売り物にする温泉地も増えた。

 かつては、一度温泉と認められたら半永久的に温泉の看板を掲げる温泉もあったそうだ。

 現に、全国にはおおよそ2万8千ヶ所の温泉があるそうだが、そのうち、分析してから10年以上たつ温泉が36%、20年以上経過している施設も15%あったそうだ(環境省06年調査)。

 再分析制度が導入されて温泉の条件を満たさない施設でもあるのだろうか。

 登別温泉の泉質は、11種類あるものとばかり思っていたが、9種類が正しいらしい。

 好みからいえば硫黄泉が好きである。湯船でゆっくりと足を伸ばし、色づいた紅葉を眺めるのはいいだろうなあ。











2007/10/24(水) mp3も可能に
 
 友人とはありがたいものである。一気に、mp3データの作成が可能になった。これで心おきなく音源の保存が出来る。

 話が飛びすぎた。順を追って記そう。

 先日、民謡の伴奏で困っている旨の内容をくま日記にアップした。それを見た友人から、すぐさま音源が送られてきた。

 しかも、持っておられる音源のリストまで添えてだ。厚かましくも、その内の何曲かの音源を所望した。快く応じてくださった。

 メールで音源をやりとりする場合、データの送付にはmp3という形式が採用される。

 mp3 に変換した音源は、PVの中に音源を保存する場合容量の大きい wav 形式から mp3 に変換して保存する場合などにも用いられる。

 実は、現在持っているソフトは、手持ちの音源から wav 形式への変換は出来るのだが mp3 には出来なかった。

 自作のCDを作成する場合には、 wavでないと出来ないのでそれはそれでいい。ただ、wav形式は容量が大きくそのままパソに保存するには適さない。それで、mp3への変換ソフトが必要になるのだ。

 mp3 への変換ソフトは、ネットでフリーソフトや、シェアウエアで入手も可能なのだが、ダウンロードの手順が面倒で今まで見送ってきた経緯がある。

 そのことを告げるとすぐさま推奨のソフト名まで教えてくださった。おかげでmp3への変換が可能になった。

 いま、様々な音の保存にのめり込みそうな予感がしている。N井さん、ありがとうございます。











2007/10/25(木) ポスター完成
 
 登別市文化協会主催の「2007 文協フェスティバル」のポスターが出来上がった(写真)。

 全体の色調は「勿忘草色」。淡い色合いに抑えてある。

 やや、文字数が多いのが気になるが、「文協フェスティバル」の赤い大きな文字がポスターの出来映えを際立たせている。

 この文字は、文化協会書道連盟所属の吉野朴靜氏の手による。

 出来上がったポスターは、100枚。同じデザインのちらし2000枚が今日の役員会に披露された。

 
 これから会員の手を借りて、これらポスターを市内各所に展示する予定だ。市民の皆さんの目に触れるのも近い。

 ステージ部会、マーケット部会ともに実行委員会を繰り返し詰めを急いでいる。出演団体も、それぞれ追い込みにかかっていることだろう。

 「2007 文協フェスティバル」の開催は、12月16日(日) 場所は、登別市市民会館。

 伝統を芸術・技の競演にご期待あれ!











2007/10/26(金) 再び、洞爺村国際彫刻ビエンナーレ2007
 
 2841人。「洞爺村国際彫刻ビエンナーレ2007」展を訪れた人の数だ。開催期間は一ヶ月、割返すと一日おおよそ100人。これを多いと見るか、少ないと見るか。固定客はいるらしい。同僚のM山議員なども毎回観に行っているようだし、欠かさず行っていると言う方の話も聞く。

 『…(前略)… ビエンナーレとはイタリア語で「二年に一度開催される国際的美術展」のこと。「手のひらの宇宙」をテーマとした洞爺村のビエンナーレは、応募作品のサイズが手のひらサイズの「20センチ×30センチ×40センチ」以内と、日本初の小型の彫刻展として注目を集めた。また、全世界の作家から募集するという人口約二千人の「小さな村の大きな試み」は、大反響を呼んだ。

 彫刻による芸術・文化を核とした地域づくりを、専門の企画会社に頼らず、村民が自ら考え、そして実行するという企画五十人委員会の活動により、「小さな村でもやればできる」という自信と誇りが、村民一人ひとりの心に刻み込まれるとともに、地域づくりへの意識向上とパワーの醸成が図られてきた。

 文化薫る洞爺村の創造を目指し、この国際彫刻ビエンナーレを実施しているが、全世界を対象とした事業であることから多額の事業費も必要となり、一部村民からは「事業は素晴らしいが、お金が掛かり過ぎるので、回数を決めてはどうか」との意見もあるが、一回でも多く継続できるよう、村民の理解を得る活動も今後の課題の一つである。

 この国際彫刻ビエンナーレは、受賞作品は買い上げ賞となっており、回を重ねるごとに村民の財産として残っていく。村民に人気の高かった入選作品についても、一部購入を行っている。さらに民間会社や個人も一部購入しており、第五回目の終了段階で村所有作品が六十三点、民間所有作品が五十二点の計百十五点が洞爺村に残り、本年度の事業が終了すると、さらに所有作品が増えることとなる。…(後略)…』(洞爺村時代の企画政策課 天野英樹氏−HPから)

 取り組みに喝采を送りたい。我々に出来ることといえば、素晴らしい展示作品を観に行くことだけだが…。











2007/10/27(土) ふくろう文庫特別展
 
 ふくろう文庫特別展をのぞいてきた(写真)。300点にもおよぶ日本画や浮世絵が並ぶ。

 目を引くのは 「加山又造裸婦図」。シンプルな線と薄いぼかしが女性の肉感を伝える。ぞくっとするような美しさだ。

 日本画では、東山魁夷の自選習作集 「大和春秋」。抑えた色合いが柔らかく独特の雰囲気を醸し出す。
 
 写真に見られるように、訪れた人はかがんで展示作品を鑑賞している。

 実は、作品は透明のプラスティックシートで覆われているのだが、そのプラスティックシートが皺だらけで照明光が反射して見えにくいのだ。工夫が欲しい。

 浮世絵「大日本物産図会」は、日本各地の産業や特産物を描いたものだが、当時の職人の姿や道路状況など主題と違った点に目線を移しても楽しめる。

 時間が合えば、同文庫選者の山下敏明さんの版画制作課程の話を聞く幸運に恵まれる。

 しかも、美味しいコーヒー付きで……。











2007/10/29(月) 二つの特別展
 
 札幌で行われた友人の祝賀会に出席してきた。30周年の節目を迎えた。

 このことについては、日を改めて書きたい。

 日頃、札幌に行く機会はそう多くない。今回、その祝賀会に出席する機会を利用して二つの特別展を見てきた。

 一つは、「目で識る川柳250年展」(写真上)。道立文学館に足を運んだ。

 川柳が、今年250年の節目を迎えたことは既に書いた。それを記念しての250年展だ。

 観る人は多くはなかったが、中身は濃いものだった。

 北海道の柳史の中に、登別市の川柳の歴史も垣間見ることが出来た。

 道内川柳誌に混じって登別市の川柳誌の創刊号「柳誌 のぼりべつ」創刊 昭和47年11月 ガリ版刷りの柳誌が展示されていた。
 
 二つ目は、「人形芸術の世界 与 勇輝展」(写真下)。与 勇輝氏の名前は本名だそうだ。ここは、人の列に並んで押されるように作品を見てきた。

 その素晴らしさを言葉にする術をしらない。

 11月5日まで開催されている。是非、自分でその素晴らしさに触れられることをお勧めする。

 見てよかった、触れてよかった。心から、そう思われるはずである。