・・・くま日記・・・


2006/12/01(金) 冬、目前
 
 いよいよ俺の出番だ。そう言っているような寒さと雪である。

 一気に冷え込んだ。タイヤは交換しているので雪道になっても大丈夫だと思ってはいても、まだ心構えが出来ていない。

 靴もまだ夏靴のままである。滑らぬように恐る恐る歩く始末だ。

 決して夏のように大股で、しかも踵から踏み出すような歩き方をしてはならない。靴底全面を踏みしめるように、そして膝関節を柔らかくつかう。

 車の運転も歩行も、冬道に慣れるまでは充分な注意が肝要である。

 いよいよ、冬の始まりである。慣れない寒さに震えあがっている。しかし気象庁は 「暖冬、少雪」 と予想。

 エルニーニョ現象の発生が予測されるという。エルニーニョ現象は、97年春〜98年春がこれまでの最大だったそうだが、今年は4年振りに発生すると予測している。

 冬、暖かく積雪が少ないのはありがたい。

 昨冬は、平成の豪雪と名付けられたほどの積雪だった。お年寄りにとって毎日の除雪作業は厳しい。灯油やガソリンの価格高騰も市民の懐を直撃している。

 気象庁の予想が当たってくれることを願いたい。











2006/12/02(土) 17文字の定型叙情詩
 
 体調でも悪いのだろうか。最近、全く音沙汰がない。今年は、4月、5月から毎月8月までは本当に快調だった。

 道新の日曜版に、毎週10句が選ばれるコーナーがある。

 全道から相当数の応募があるに違いない。その中でも、選者評が付されるのは2句だけである。「頭をとる」と表現される。

  「秋草や壊す他なき父母の家」

 この句は、その2句の中に選ばれたのものである。ところが、句が載った9月10日を期にばったりと紙面に姿を見せなくなってしまったのである。

 あれほど熱心だった T 氏ことである。やめたとは考えにくい。とするならば、考えられることはただ一つ、体調不良以外に原因が考えられない。

 俳句は世界最小の短詞型といわれ、また、「俳句は極楽の文芸」<高浜虚子>ともいわれる。「 HAIKU 」 として、外国でも楽しまれ70ヶ国を超える国で俳句がよまれているそうだ。

 俳句の難しさの一つに季語がある。わずか17文字で感じたことを表現するのに季語は欠かせない重要な要素なのではあろうが、季節感が薄れている現代では季語そのものが浮いてしまわないかと心配にもなる。

 ましてや、外国人は季語をどのようにとらえているのだろうか。

 とまれ、T 氏の一刻も早い復帰を願うばかりである。











2006/12/03(日) 思った通りだ
 
 予感が当たった。「T 氏の一刻も早い復帰を願うばかりである」 昨日、書きながら思ったのだ。ひょっとしたら、明日あたり(つまり、今日のことだ) T 氏の句が載るのではないか。

 まさしく、それが現実となった。

 「工事の音釣瓶落としと競り合へり」 今日掲載された句である。道路工事か、はたまた新築の家の工事でもあろうか。秋の早い日暮れに急ぐ職人の姿が描き出されている。

 日記の内容は、一日考えて書くべきだったとも思うが、まあ、T 氏が作句を続けられていることがわかっただけでいい。

 俳句にまるっきり無知な当方にとって、何が詠われているのか皆目見当がつかない句もある。「樹には樹のかなしみのあり虎落笛」 今日の朝日新聞の朝刊折々のうたに載った句である。

 虎落笛は、「もがりぶえ」とルビが振ってある。

 冬の烈風が、木の柵や垣などに吹き付け、笛のような音を発するものを虎落笛という、と注意書きがあるからわかるが、通常ならなんのことか我々にはわからない。

 もっともこの虎落笛そのものは、今年の1月 K 氏の句で知った。だから、今朝この句を見たときは、おっ、当方にもわかる言葉が使ってあると、なんとなくうれしくなったものだ。

 昨日に続いて日記の内容が俳句になった。T 氏のせいである。これでまた、週末の楽しみができたことでよしとしよう。











2006/12/04(月) 使い道はありそうだ
 
 内心、馬鹿にしていた。どうせ使い物にはなるまい。

 機能がありながら、これまで使ったことはなかった。携帯電話のカメラ機能である。

 ところがである。

 デジカメを忘れ必要にかられて撮った写真が左のものである。
 
 議会運営委員会のメンバーで、お隣室蘭市議会の議場の中継システムについて視察したときのものである。

 くま日記にアップするこの程度のサイズなら、デジカメと比べて遜色ない。これからの使い道については、もっともっと考えてよさそうだ。

 さて、今日から登別市議会が始まった。明日から一般質問も始まる。

 多くの市民の方の傍聴を願いたいものだが、これまでの経験からいってあまり期待も持てそうにはない。

 議会改革の一つに、議場の中継がある。ネットで配信出来れば、例え傍聴に来る時間がなくても家庭のパソコンで議場の模様を知ることが出来る。

 予算審査特別委員会、決算、あるいは、市民自治推進会議など多くの会議の模様なども同様である。

 勿論相当額の金額がかかることも予測される。

 が、この中継システムだけはなんとしても実現したいものだ。前向きに取り組みたい。











2006/12/05(火) 今年の12月
 
 12月にはいると、今年もせわしなく過ぎた一年だった。そんな思いを毎年繰り返してきた。

 しかし今年は違った。

 12月と聞いてすぐに頭に浮かんだのはベートーベンの第九である。登別市文化協会40周年記念事業のビッグイベントともいうべき第九の演奏会、思えばあれから一年経った。

 昨年の日記を読み返してみると、演奏会にあと一週間とに迫った慌ただしさが書いてある。

 不足の山台の借用に白老に向かい、さらに新しく作った特注の山台の搬入を終えた。市民会館大ホールの舞台にそれを組み上げ、合唱団の立ち並ぶ姿を思い描いた。

 出来上がった演奏会のプログラムに落ちはないか、抜けている点はないか、狭い事務所に集まって最終の詰めを確認し合っている。そんな時期だった。

 確認に確認を重ねてもなお、なにかやり残したことがあるような不安な時期だった。

 今年、ひょっとしてあちこちで同じような光景が繰り返されているのかもしれない。そう思うと、人ごとながら無事演奏会が行われて欲しいと願わずにはいられない。

 そんな思いにかられている今年の12月の始まりである。











2006/12/06(水) N谷君がよく歌っていた

 「別れることはつらいけど 仕方がないんだ 君のため…」

 この歌を聞きながら、N谷君のことを思いだした。

 この歌が好きで一日中口ずさみながら仕事をしていた。

 表向き剽軽さを装っていたが、実際は寂しがり屋だった。
 
 若くして亡くなった。もう、20年以上も前のことになる。その「星影のワルツ」 今夜、千 昌夫本人の歌を聴いた。

 室蘭プリンスで、クリスマスディナーショーがあった。

 歌もよかったが、食事も美味しかった。生のくじらを芯にした巻きずしも珍しかったし、美味だった。少しアルコールも入って、くつろいだ頃にショーが始まった。

 岩手訛りの語りをまじえながら、一時間あまり熱唱というにふさわしい気合いの入った歌の数々だった。勿論、おなじみの「北国の春」も「望郷酒場」も「津軽平野」もあった。

 演歌を堪能した一晩だった。











2006/12/07(木) さとる君のお父さん
 
 さとる君にはしばらく会っていないが、元気だろうか。たしか、3歳になったはずである。

 さとる君のおばあちゃんの体調がもう少しよくなったら、お父さん、お母さんとともに元気な顔を見せてくれるに違いない。

 さとる君のお父さんは、国家資格 「技能士」の称号を持っている。

 普通、技能士といえば鉄鋼業関係の技術のように思いがちだが、さとる君のお父さんはもうすこし軟らかくてはんなりとしたものを扱う業種に従事している。

 クロワッサン、デニッシュといえば、察しがつくだろうか。

 そう、クリーム、あん、チーズ入りのクロワッサンなど、量販店に並ぶさまざまなパンの商品開発に取り組んでいるのだ。

 新製品の種類は、一ヶ月に15〜20種類にも及ぶというからすざましい勢いで開発が進んでいることになる。どれもがヒット商品というわけにはいかないらしく、売り出して半年市場に残っていればいい方だそうだ。

 菓子製造大手のN糧製パンで、新商品の開発に取り組んでいるから、これをよんでいる方の中にも、さとる君のお父さんの開発した商品を口にされているかも知れない。

 さて、手元にあるのは、まだ「ハイハイ」をしているさとる君の写真である。今は走り回って目が離せないに違いない。どれほど、たくましくなっただろうか。











2006/12/08(金) 系、形、それとも型?
 
 短歌、俳句、川柳などを総称して短詩「けい」 と呼ぶことが多い。

 さて、その「けい」に相応しい文字はどれだろうかという議論になった。短詩系統のという意味で、系なのか、形式の形なのか、それとも型式の型の文字を使うのが正しいのか。

 いま、登別市文化協会ではホームページを立ち上げようとしている。「たんしけい」が活字になる場合もあろう。

 系でも、形、型のどの文字が使われようと、どうでもいいことなのだが、「たんしけい」という言葉をしょっちゅう使う割には曖昧なのが気に入らない。

 手っ取り早く、ネットで調べてみた。どれかが重点的に使われているに違いない。ところが意外にも、系、形、型 いずれもが使われている。

 辞書もそうだ。短詩…短い形式の詩と書いてある辞書もあれば、短詩…短い形式の詩 「…型」もある。

 あちこち聞いてみたが、意外にこれといった回答が寄せられない。登別市文化協会に所属する「短詩けい」の方々の多くは、「型」でないかと言われる。

 当方も、「短詩型」 に賛成したいと思う。

 理由は簡単である。「新 折々のうた1」<大岡 信著・岩波新書>のまえがきの中に、それを見いだしたからである。

 『 短歌形式、俳句形式は共にきわめて短い。この短い詩型では、 (中略) 勢い、短詩型文学では… (後略) 』 とある。

 どの文字を使うにしても、なにか根拠になるものが欲しかった、だけのことである。











2006/12/10(日) 賑やかだった祝賀会
 
 祝賀会というより、民謡ショーと言った方がいいのではないかと思うほどの賑やかさだった。

 安達孝華先生の祝賀会が、室蘭市のとあるホテルで開催された。

 安達孝華先生は、昨年登別市文化協会から功労賞を、そして今年室蘭文化連盟からも功労賞を受賞された。

 そのW受賞を祝う祝賀会があったのだ。

 江差追分全国大会優勝者が二人、津軽民謡王座に輝いたゲストが二人、その他、名だたる唄の名手が揃った。普通、祝賀会は開始から最後の乾杯まで2時間である。
 
 ところがこの祝賀会は、唄い手の数が多くてとてもその時間内に終わらない。

 ということで、あらかじめ3時間にセットされていた。それでも、まだ唄い足りなさそうな顔があった。

 今日は、朝から夕方まで別の会場で江差追分会の格付け大会があった。日胆地区運営協議会が主管ということで、そちらでも終日尺八を担当していた。

 終わってすぐさま、安達孝華先生の会場へ。一日中、民謡漬けでいささか疲れモードではあるが楽しい一日でもあった。











2006/12/11(月) 様々な「第九」
 
 「朝から激しい風雪 今日の公演は大丈夫だろうか…」 昨年、12月11日の日記。酔いにまかせて書いたのか、乱暴な字でこう記してある。

 ちょうど一年前の今日は、登別市文化協会創立40周年記念事業の総仕上げとも言うべき第九の演奏会の日だった。

 風雪は幸い、昼近くには治まったものの路面状況は悪く第九を聴きにきてくださる方の動向が心配だった。が、それは杞憂に終わり、結果的には大成功といえる公演だった。

 この12月、全国で第九が行われているに違いない。いい演奏会であって欲しい。関係者の気持ちが痛いほどわかる。

 様々な「第九」が演奏されていることだろう。

 先日の新聞には、知的障害のある人たちが、プロのオーケストラ合唱団と一緒に「第九」を歌う、という記事が載った。

 公募で集まった14歳から57歳までの知的障害者とその家族110人、プロの合唱団100人とともに歌うというものだ。6月から練習が始まったそうだ。発表される27日の成功を祈りたい。

 もう一つは、旧聞だ。昨年、第一楽章から終章までピアノによる演奏があった。それも、たった一人での演奏だったという。

 ピアノ独奏による「第九」 その70分間は、聴く方も恐らくは息を潜めて聴き入ったに違いない。











2006/12/12(火) 酒宴が続く
 
 日頃から、酒席の誘いを断るのが苦手である。先に組み込んだ予定があるとか、余程体調が悪いとき以外断ったことはない。

 それも、ここ何年も、アルコールが飲めないほど体調が悪くなったこともないから、いきおい誘われればホイホイと付き合うことになる。

 そんなことで、すっかり酒好きと思われているらしい。

 しかし、本当はそう酒に強い方ではない。むしろ、チビチビとやりながら、人の話を聞く方が好きである。

 年末から年始にかけては飲む機会も多い。今週は、明日を含めてこれから四日も飲む機会がある。

 体内に入ったアルコールは、(ものの本によると)代謝酵素の働きでアセトアルデヒドという化学物質に変わり、そのアセトアルデヒドは、別の代謝酵素の働きで酢酸に変わり、最後は水と二酸化炭素になるのだそうだ。

 なんだか読んでいるうちに酔いが回りそうであるが、その酢酸に変える酵素が酒の強さを決めるのだそうだ。

 すきっ腹に飲む酒はうまいが、それだと吸収力の強い腸にすぐに届く。悪酔いの原因になりやすい。

 美味しいものを食べながら、ゆっくりと飲む。これがコツだそうである。

 勿論、ほどほどにを忘れてはならない。そうだ、ほどほどにだ…。











2006/12/13(水) 世界の子どもへの牛乳配達人
 
 ユニセフは、1946年に創設。12月8日 創設60周年を迎えた。

 第二次世界大戦後の灰のなかから生まれたユニセフの最初の使命は、戦争によってお腹をすかせ、家を失い、衰弱した何百万人ものヨーロッパの子どもたちに、牛乳・食料・毛布・医薬品を提供することだったという。

 当時、一日当たり600万食以上を提供したユニセフは、「世界の子どもへの牛乳配達人」というニックネームで親しまれた。

 現在、156の国と地域で子どもたちの命と健やかな成長を守るために活動している。(財)日本ユニセフ協会 は、1955年(昭和30年)6月9日に設立された。

 運営は、基本的に会員の会費と募金や寄付金から成り立っている。

 日本ユニセフ協会の2005年度の収支をみると、収入総額170億円のほとんどが募金と寄付金である。多くの人の善意で運営が成り立っていることがわかる。

 3,000円の支援で……はしかなど子どもの命を奪う感染症にかかりにくくするビタミンA(1年分)を688人の子どもに投与できる。

 5,000円の支援で……子ども達が蚊に刺されてマラリアにかからないよう、殺虫処理済みの蚊帳8張りを届けることができる。

 世界には多くの恵まれない生活を余儀なくされている子ども達が大勢いる。牛乳の一滴にも満たないけれど、出来る範囲でささやかな気持ちを届けておこう。
 












2006/12/14(木) 蜂蜜キャンデー
 
 冬は唇が乾燥しやすい。とりわけ寒い風に長時間さらされるとてきめんである。

 しばらくは公の場で尺八を吹く予定もないからそう気にしなくてもいいのだが、民謡の練習は毎週あるのでやはりメインテナンスには気をつかう。

 荒れを防ぐのにリップクリームが手放せない。リップクリームについては、比較的気に入ったものを使っている。

 実は、荒れた唇を比較的早く治すのにも蜂蜜が有効なのだそうだ。

 蜂蜜の医療効果については、古くからよく知られている。疲労回復や、鎮痛剤、二日酔いにも有効と書いてある。

 一時期、唇に直接蜂蜜を塗ったことがある。密が水分を保持する効果があるらしく、なかなかよかった。ただ、ベトベト感がある。

 最近、いいキャンデーを見つけた。蜂蜜だけを固形化したキャンデーである。

 よく市販されているものは、砂糖や水飴が添加されているが、この製品にはそれがない。純粋な蜂蜜を固形化したものである。

 荒れた唇に直接効果があるわけではないが、キャンデーなめた舌先が唇に触れることによって間接的に唇を保護することになる。

 ただ美味しくて食べ過ぎてしまうのが難である。











2006/12/16(土) 宴会が続く
 
 飲んでも書く。酔っぱらっても書く。

 翌朝、「さて、昨夜何を書いたかなあ…」 と心配になるほど酔っぱらっていても書く。これをモットーにしてきた。

 ところが最近は、宴会の後はパソの前に座ることが出来ないほど酔うことが増えてきた。いや、座ることは座るのだ。

 本人はいたって正常な積もりなのだが、パソの前に座って眠り込んでしまうらしいのである。

 昨夜がそうだった。二次会から三次会に流れたまではよかったが、カラオケのマイクを握る前にぐらぐらと酔いを感じた。

 考えてみれば、二次会からの相手は仲間きっての酒豪だったのだ。途中で、ゴルフでチョコレートの争奪を競った相手までが混じった。これでは酔わないはずがない。

 悪い癖で、美味しい酒があるとあまり食べないで杯を重ねることが多い。

 一次会の席でも、「これは、〆張鶴です」 と、注がれるままにいい気になって口に運んでいたのだ。月桂冠、〆張鶴、八海山、グラスが二つになり、三つにもなった。

 それにしても、最初の会場でゲットした賞品は一体、どこに置き忘れて来たのだろうか。

 今夜はたしか… 賞品はなかったはずである。











2006/12/17(日) 一日十唱
 
 少年の頃 「一日一善」 という言葉を教えられた。一日に一つはいいことをしよう、そんな趣旨だったように思う。無論、実行にはほど遠い。

 一日に…は、世の中にどんなものがあるか、ネットで検索してみた。

 実に様々な「一日……」がある。

 一日一膳、一日一食は、健康に留意して。一日不作一日不食もある、働かざるものは食うべからずか。一日一画、一日一絵、一日一枚、一日一言、一日一書、一日一字、一日一文、一日一句など生真面目に自身へのノルマを課したものも多い。

 一日一笑、一日一曲、一日一話、一日一万歩。笑い、歌い、話し、歩く。ストレスの解消だ。

 一日一信は、親しい友人へ手紙をしたためるのだろうか。若者なら、一日十メール、にでもなるのか。

 一日八人、とにかく多くの人に会おうというもの。変わったところでは、一日一配牌というのがあった。余程の麻雀好きに違いない。

 一日一喝もある。世の不合理に一喝喰らわそうと言うものか。出来るなら平穏であって欲しいものである。

 まだある、一日一問、一日一会、一日一生など。

 いま、自身に課しているものは「一日十唱」。が、こう飲み会が続いては声を出す時間もない…。











2006/12/18(月) イルミネーションの季節なのに
 
 「くまのさん、今年は寂しいですねえ…」 とか 「本当に、寂しいなあ…」 と言われる。家を訪ねてこられる人の口から出る言葉である。

 たしかに、この場所に一緒に住み始めたお隣の「おばちゃん」が、ついに静岡に住む息子さんのところに引っ越しされた。

 毎日のように往き来していた人が、居なくなるのはとても寂しいことである。これはこれで寂しい。

 が、「寂しいですねえ…」の言葉の意味合いは少々違うようである。

 実は、楽しみにしていた「イルミネーション」が、今年は飾られないのである。斜め前のおうちには、毎年、趣向をこらしたイルミネーションが輝いていたのだ。

 もう少ししたら、ひょっとして飾られるかもしれない。

 そう心待ちにしていたのだが、この時期になっても点灯されないということは、今年は中止されたに違いない。

 年々、華やかになっていた。

 くる人、来る人がその素晴らしさを褒めていたのだ。我が家が飾り付けをしたわけでもないのに、その輝きを褒めてくれる言葉が聞かれないのは実に寂しい。











2006/12/19(火) にっぽんの温泉100選
 
 平成18年度「第20回にっぽんの温泉100選」が発表され、登別温泉は3位にランク付けされた。

 にっぽんの温泉100選は、観光経済新聞社が主催し大手旅行会社をはじめとする「旅のプロ」が選ぶ温泉ランキングベスト100だ。

 対象となった全国の3127余の温泉地から選ばれる。

 我が登別温泉のこれまでの成績をみてみると、第7回の18位という成績があるものの、5位−2回、4位−5回、3位−3回、2位−7回、そして第1位−2回と安定して高い評価を受けていることがわかる。

 第18位に低迷した1993年あたりは、バブルの崩壊と共に観光分野にも「低価格」をうたい文句にした価格破壊が始まった頃である。

 それまでもてはやされた大型・豪華な温泉宿泊施設からの変革を求められた時期でもある。

 しかし登別温泉は、翌年には第3位に返り咲き、以来、常に上位ランクをキープしている。つまり、世相に素早く対応していることが伺える。

 これからも上位に入ることを目指して努力をすることは勿論、1992年から2001年までの10年間第1位を独占し、現在は別格の名誉入選扱いに輝く「小牧温泉」との違いを冷静に分析することも忘れてはなるまい。











2006/12/20(水) ワンコインの距離ではないが
 
 往き220円、帰り1,600円。宴会の場所は、幌別の町中が圧倒的に多い。

 往きはバス、帰りはタクシーに乗る。その値段が冒頭の数値である。昨年10月、姪っ子が嫁いでからというものすっかり不便になった。

 懐が痛むだけではない。

 バス停には早めに立つ、日によって混み具合も到着までの時間も異なる。いい乗客ばかりとは限らない。ストレスが溜まるような場面に出くわすこともある。

 そんな日は、つい飲むピッチがあがってしまう。健康にもよくないのだ。そうかといって、酒宴を断る勇気はない。

 今月もまだ何度となく、220-1600作戦を繰り返さなくてはならない。

 そんな中、やや朗報もある。屋根に三角のあんどんを載せた「Nハイヤー」が料金を改定したのだ。12月1日から、初乗り470円になった。現行500円から、30円の値下げである。

 これで「Mハイヤー」と同額になった。安いタクシーをうろうろと探す必要もない、酔っぱらった勢いそのままに手を挙げさえすればいい。

 もっとも、いずれのタクシー会社にも顔見知りのドライバーがいる。声をかけられれば、そちらに足を向けるのを躊躇しないのはこれまでと同様である。











2006/12/21(木) 二切れの文化
 
 久しぶりに「うどん」を喰った。この店は時々利用する。

 頼むのメニューは、決まって山菜うどん。山菜がたっぷりと盛られたうどん、それにホンの二口ほどのご飯、そしてタクワンが添えられる。

 「さぬき」を名乗る割には、味はやや濃いめである。道民の求める味に迎合した結果、と、ここでは濃いめの味には文句は言うまい。

 問題は、出されたタクワンの数である。

 小皿に三切れがのっている。我がふるさとでは、タクワンは二切れに決まっている。

 何故か。一切れはー人を切る、として嫌われる。三切れは、身を切る。四切れは、死にきれないと縁起をかつぐ。

 それ以上に盛りつけるのは野暮、だとしてタクワンは二切れに決まっている、とお袋に教わった。

 ところが、会派室から注文するいつもの食堂から届く弁当にも、堂々と三切れのタクワンが盛りつけられている。

 どうも、この辺りには二切れの文化は存在しないらしい。

 二切れよりは三切れ、三切れよりは四切れ。サービス精神だと善意に解釈はするものの、三つ子の魂百まで。

 タクワンはやはり、二切れ。と、思うのだがどうだろう。











2006/12/22(金) 尊さを伝える教育を
 
 先月の新聞に、ある蝋人形会社が約400体の在庫の売却先を探しているとの報が載った。あまりに作りに凝りすぎて身上をつぶし、会社を続けることが出来なくなったというのだ。

 この会社の蝋人形は、宮城県松島町にある伊達政宗歴史館でみたことがある。

 あちこちで蝋人形を見かけることはあるが、一見してすぐに作り物とわかるものが多い。しかし、この蝋人形には驚かされる。「気味が悪いほどそっくり」なのだ。

 肌の色、表情、眼差し、どきっとするほどの出来映えである。1体作るのに、200万円から500万円もかかるという。

 様々な角度から撮った写真を最低5枚は準備するという、その上で体形の特徴を割り出すのだという。ひょっとしたらパソコンによる三次元の解析などがされているのかも知れない。

 抱えた職人も、今や十分の一に縮小しているそうだ。

 団塊の世代が退職するこの数年で、製造業では日本の物作りの技術の継承が途切れてしまうのではないかと心配されている。

 幾らコンピューターの世界になっても、職人の、口から、目から手から、あるいは肌で感じる感性までは、マニュアルや機械では伝え切れない。

 手作りの尊さを伝える教育が必要である。











2006/12/23(土) 吹き納め会
 
 師の曲想を色濃く残す吹き方、ままならぬ音に苦戦する者、様々な音が舞った。

 遠くは苫小牧から来たものも含めて11人が集まった。明暗虚竹会、今年最後の吹き合わせ会ということで短時間ではあったが参加した。

 師、丹羽法堂が亡くなってからは、代表の谷口を中心に、月に一度の勉強会を続けている。

 師の手ほどきを受けることが少なかった会員には、先輩会員が指導にあたる。残された譜面と音源だけでは伝えきれない曲想や師の曲に対する思いも合わせて伝えられているようで心強い。

 師に連れられて訊ねた弘前寺町にも、その後、何人かで行脚を続けているようだ。

 今年の秋には、いつもお世話になっている弘前の藤田竹心師も、わざわざ来てくれてカルルス温泉で吹き合わせ会を開催した。

 外曲は吹かない、民謡も吹かない。ひたすらに師から習った古典本曲、その曲を吹くためだけに十数人もの会員がいる。そんな会も珍しい。

 代表を務める谷口や、風見、滅り音にうるさい井原達の強い思いが、この会を支えている。

 この分だと、師を失って以来途絶えていたコンサートもひょっとすると来年あたり再開になるかも知れない。楽しみである。











2006/12/24(日) カイロでぽかぽか
 
 今冬は、暖冬・少雪だそうだ。

 暖冬と聞いて、ホッとしている自分をみつけて、実はやや気落ちしている。寒さがこたえるというわけではない。

 かって、一年中雪に囲まれた生活がしたいと願い、スキーに夢中になっていた時期もあったことを考えると、なんとなく逃げているような気分に襲われるのだ。

 部屋の中でソックスを履くのがきらいで、いつも素足。もたもた感が嫌で、もも引き(アンダータイツとか、インナーと最近は言うのだそうだが)を履かない。

 しかし、昨年までと違って部屋の中が寒い。どうも、ストーブの温度設定値を下げているらしい。灯油代高騰に対するささやかな抵抗である。

 ソックス1枚で、体感温度は、0.6度上がるそうだし、部屋の中でもマフラーを巻くと暖かいと教えてくれた友人もいる。

 使い捨てカイロが一番だよと、これの愛用を勧める人もいる。とりわけ、身体に貼りつけるタイプがいいそうだ。

 貼る場所だって、どこでもいいというわけではない。

 背中のベルトの上あたりが一ヶ所。そして、ここが最も効果があるという場所。それは、背中の首の付け根部分。理由があるのだそうだ。「ツボ」である。

 よしっ、今年の冬は、カイロでも貼りつけて外に飛び出そう。











2006/12/25(月) 外付けHDD購入
 
 ついに購入に踏み切った。250GB外付けハードディスクである。価格も予想していたよりもはるかに安かった。

 何人かの方から、パソコンのデータを紛失した、と聞いた。これまでにも、実は、大事なファイルを無くしたこともあるのだ。

 丁寧にCDに落とし込んだ積もりでいたが、後からどう探しても見つからない。そんなファイルに限って、大事なものだったりする。
 以前から気にはなっていたのだ。

 半年に一度、あるいは、年に一度バックアップをする。と決めていたのだが、ついつい忘れてしまう。

 第一、バックアップデータの入ったCD-Rの整理場所の問題もある。古いものは破棄するのだが、果たしてバックアップは取れているのだろうかと心配になる。で、ついついそのまま放り込んでおく。こんな繰り返しだった。

 「パソコンのハードディスクは、通常考えているよりもずっと壊れやすい」 先日の新聞の片隅に載った記事が気持ちに踏ん切りをつけたと言ってもいい。

 大型電気店を覗いたついでに、HDDのコーナーに立ち寄ってみた。色んな種類が出ている。店員さんにアドバイスを受けながら決めたのが、上の写真にあるものである。

 これまでの資料を一気に、移しこんだ。これでしばらくは安全のはずである。











2006/12/26(火) 雑誌「アルプ」
 
 「日本百名山」の頂を追いかける人でも、雑誌「アルプ」の名前を知っている人は、そう多くないのではないか。

 手元にその終刊号となった第三百号がある。すでに日焼けして表紙の色も変わってしまい、もとの色が判然としない。若葉色か、裏葉柳色かもしれない。

 しかし、「表紙は特に厚手のものにローラーをかけて『アルプ』だけのものを創りだし…」とあるから、色見本に載っていないような特注の色だったのかもしれない。

 創刊号が出たのが昭和33年3月。高校を卒業して山稜会という山の仲間に恵まれた時期と重なる。

 その第一号には、曽宮一念、尾崎喜八、藤木九三、鳥見迅彦、内田耕作、朝比奈菊雄、白川義員、深田久弥、岡田喜秋、山口耀久、そして、串田孫一等の名前が並んでいる。

 第二号には、新たに畦地梅太郎、さらに、第三号には、板倉登喜子、第四号に、坂本直行の名前が登場する。

 その全号は勿論、関係作家の原稿などを展示・公開している「北のアルプス美術館」に、串田孫一の書斎の移転、復元が決まったそうだ。

 場所は、斜里町。館長は、串田孫一と親交のあった山崎 猛さん。

 あの文章が書かれた書斎は、果たしてどんな雰囲気を持っているのだろう。











2006/12/27(水) つい、うとうとと
 
 お通夜の席で、お寺さんのお経を聞いている内に眠り込んで椅子から転げ落ちた、という人の話を聞いたことがある。

 まだ転げ落ちた経験はないが、焼香箱がまわってきたのがわからず隣の人に膝をつつかれ起こされたことは何度かある。

 今夜のお経も眠りを誘うに充分な要素を備えていた。

 お経の内容がわからない、お経を読み上げる声に抑揚がない、だらだらと同じような旋律が続く。故人に失礼と思いつつ、つい、うとうととしてしまった。

 帰りの車の中でも同乗者全員が同じように症状に陥ったという話をしていたから、不謹慎だったのは当方だけではなかったと内心安堵している。

 もっとも、居眠りはお経のせいではなく、疲れもそれを助長しているかもしれない。

 先日の忘年会では、かなり羽目をはずして騒いだらしい。

 覚えてますか? とデジカメの映像を見せつけられた。真っ赤な顔をしてVサインしながら高く手を掲げた写真や、朦朧とした顔が写っている。

 挙げ句の果ては、家まで送り届けてくれたKさんや、Hさんの腕を掴みながら、自宅に招き入れようと、しつこく勧めたらしい。いやはや、とんでもない酔っぱらいである。

 以後、気をつけます。ですから、デジカメの写真は是非消去をお願いいたします。だってあれほど酔ったのは、あなた方美女がせっせと酒を注いでくれたせいですから…。











2006/12/28(木) お気に入り折々のうた
 
 毎日、届いた朝刊を開くとき、ぱっと目の行く場所がある。

 朝日新聞では、1面左下 「折々のうた」 である。短歌や俳句、それに、180文字ほどの短評が添えられている。

 いずれ、単行本となって発刊されるのだが、気に入ったものを切り取り、自家製 「お気に入り折々のうた」 を作成している。

 今年、切り取った数編。

 「とりかえしつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ」 俵 万智  06/04/02
 「手書き文字の一字だに無き手紙を寄せ返事待つとぞ未知なる人が」 辻下淑子 06/04/22
 
 「大空にひかりの柱顕れて嗚呼と見るまに水ほとばしる」 森山良太 06/05/19
 「横車、横槍、横取り、横恋慕、横の字あわれ縦の字よりも」 稲垣多佳子 06/06/05

 「IT革命そんな革命あったのか知らず今日まで寝て過ごしたり」 栗城永好 06/07/14
 「時をおき老樹の雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ」 若山牧水 06/09/09

 「すぐ覚めてよかりボージョレヌーボの酔」 後藤比奈夫 06/10/12
 「ストーブ燃ゆ待合室にたれもゐず」 安達 祥 06/12/02











2006/12/29(金) 今年の10大ニュース
 
 読者が選ぶ西胆振地方の10大ニュースが載った(室蘭民報)。 堂々のトップは、「駒大苫小牧、夏準優勝」。これには文句はない。

 この時期、さまざまな10大ニュースが発表される。

 タバコ問題の2006年10大ニュースも発表になった(無煙環境通信 No.59 2006/12/25)。紹介しよう。

 1) NPO法人 日本禁煙学会設立 2006/02/10
 2) 禁煙治療に保険適用 2006/04/01   
   ニコチンパッチも保険適用になった 2006/06/01

 3) Walk Against Tobacco 全国をお遍路行脚 
   マーク・ギブンスさん 2006/04/14〜
 4) 喫煙対策も盛り込まれた「がん対策基本法」成立 2007/04施行
 5) 米国公衆衛生局長官:受動喫煙の健康影響の報告書 2006/06/27

 6) タバコが税・値上げ 2006/07/01
 7) 喫煙率低減の数値目標のパブコメ、賛同が多数 2006/10/16  
   但し、数値目標は見送りになった

 8) 大阪市 路上喫煙禁止条例制定へ 2007年度実施
 9) 喫煙率大幅減 成人男女計 26.3%(JT調査) 2006/11/22
10) JT? が受動喫煙を否定するやらせ?記事 週間ポスト 11/17号











2006/12/30(土) 砥石はいいものを
 
 普段、手を抜いていると必ずその仕返しがあるものである。

 今日の包丁研ぎがそうだった。知人から頼まれたものも含めて15本、手がかかるものばかりだ。

 まずは荒砥、ここでの研ぎ方が後の工程をきめる。ほぼこれでいいと言うまで、ここで研ぎ上げておかねばならない。次いで中砥、荒砥でついた肌のギザギザ面を落とす。

 そして、最後に仕上げ砥。研いでいて吸い付くような感触が出てくれば完成である。

 刃物には、人を惹きつける何かがある。包丁でさへこうだ。

 飾ってある刀を見ていて飽きないのは、その美しさの他に妖しい惹きつける力があるからに違いない。

 それにしても、現代の子ども達に包丁やナイフが研げるのだろうか。

 8年ほど前の天声人語に、次のような文章が載った。

 「欧米の野外活動を好む家庭では、息子にナイフを贈る父親がいるそうだ。木を削り、肉を切るのに必要な道具だからだ。だが、間違えば凶器にもなる。だから息子の成長を見届けて渡す。つまりナイフは 『おまえは一人前なんだぞ』 という信頼と責任のあかしだ。一人前とは、持っている力に振り回されない、ということだろう。 」

 いまは、子どもを一人前に育て上げる父親がいない時代だと言えるのかも知れない。











2006/12/31(日) ありがとうございました
 
 毎日書く。酔っぱらっても、風邪を引いても、熱が出ても、なにがなんでも書く。と、心に決めたはずだったが、結果はどうか。

 一年365日のうち、日記をアップできたのは321日。アップ率、87.9%。

 アップ率が高かった月は、1月、3月、8月、それと12月。31日のうち29日で、率は93.5%。逆に低かったのは、2月。28日のうち8日も休んでいる。

 書けなかった理由は何か。

 視察や個人的な旅行でどこかに出かけていたか、或いは、飲み過ぎで書けなかったかのどちらかだ。

 風邪などの体調不良で書けなかったという覚えはない。飲んで帰っても、一応パソの前に座ることは座るのである。座ったまま、居眠り状態という日も、1〜2度はあった。

 まあ、一年を通して打率8割8分はいい方だろう。

 楽しみにしてるよ、とか、先日の内容はちょっと違うのではないか、などという反応を寄せていただくのが、書くことの励みになっている。

 大きな病気もなく、このくま日記を続けることが出来、また、多くの方々からもメッセージを寄せていただきました。あらためて厚くお礼申し上げます。

 迎える新年が、皆様にとって素晴らしい一年になりますように心から祈念し頁を閉じさせていただきます。ありがとうございました。