・・・くま日記・・・
2006/05/01(月) 品格も礼儀も必要
品格も礼儀も必要だぞ・・ 昨日のくま日記を諫めるような「うた」を見つけた。
墨書を万年筆に、万年筆をボールペンにと、使いやすさ簡便さを追い求めながら、自筆でないから品格に欠ける文章だというのは筋が通らないのではないか・・と昨日書いた。
「手書き文字の一字だに無き手紙寄せ返事待つとぞ未知なる人が」 辻下淑子(つじしたよしこ)
つい先日、4月22日の「折々のうた」<大岡 信・朝日新聞> に載った句である。
・・・手書きの文字が一字もないワープロだけの手紙をよこして、返事を待つと言ってきた未知の相手の無礼を怒っている。日本人の「礼儀」感覚の激変ぶりを象徴的に語っている歌だ、せめて自分の名前くらいは手書きでありたい・・・と大岡氏は説く。
仕上げはパソコンに打ち込むが、文章を練る間は鉛筆で書いている、と言う物書きを知っている。一字一字、丁寧に書き上げることによって文章に生命が宿るのだと・・。
しかし、書き上げた文章を再構築したり、文章を追加したり削ったりするのはパソコンに打ち込んだものを利用した方がやりやすいのだと言う。
どう使い分けようがその人の勝手である。文章は心を書くものだ。使う道具で変わるとは考えられない。ただ、礼を失してならないのは、いつの世も不変である。
2006/05/02(火) かたくりの群落
昨年よりは元気がない。かたくりの花である。
午後を大分まわっていた時間帯のせいかもしれない。昨年はもっと色が鮮やかだったような記憶がある。
この群落は、昨年はじめて知った。見事という他はない。明るい紫のじゅうたんを敷きつめたような感じである。
周囲の手入れもよく行き届いていて、この群落を大事にしておられる姿勢がうかがえる。
ただ、新聞などで紹介されてから見に来る人が多くなり、うれしい反面とまどいも感じていると関係者の話にあった。写真を撮るために群落に足を踏み入れる心ない人もいるのだそうだ。気をつけなければ・・。
「かたくりの花に雪解けの水たまる」 三品壺中子 まだ、風は冷たい。
2006/05/03(水) 邦楽教育振興会が解散
邦楽教育振興会が解散した。一言でいって国の無策につぶされたと言える。去る3月25日最後の総会が開かれ邦楽教育振興会(邦教振)の解散が承認された。
邦教振の前進は邦楽教育を推進する会。1987年に設立準備会が発足し、翌88年に発足した。会の目的はただ一つ。「学習指導要領に『和楽器活用』の文言を明記」させることだった。
二ヶ月で23万人あまりの署名を集め、文部大臣に「音楽教育における邦楽分野を充実させるための要望書」を提出。指導用資料も会員達の手で編纂するなど邦楽教育の指導的立場を担った。
そんな中、98年12月には、「和楽器の活用」が明記された新学習指導要領が発表された。それを受けて、99年にはNPO法人となりさらに夢を広げようとしたが、一向に進まない行政の対応に追いつめられ18年の歴史に幕を閉じた。
邦楽ジャーナル2006/5月号には、邦教振の中心的役割を果たしてこられた茅原芳男氏の無念の思いが語られている。
88年、署名活動にささやかなお手伝いをした縁もあって、会発足当時から会員になった。解散は残念でならない。
2006/05/04(木) 世の中捨てたものではない
先日、いい光景を目にした。市役所裏玄関でのことである。その人は、自分より後からくる人のためにドアに手を添えていた。
右手に書類を抱え、あいた左手でドアを支えていた。黒っぽいスーツに身を包み、見るからに新入職員と言った感じの若い女性だった。どこの会社でも新人社員のために研修を行う。市役所とて例外ではない。何日間か、職員としての研修を受けたはずである。
しかし、後ろからくる人のためにドアを支える、なんてことが研修項目にあるとは考えにくい。とすれば、この若い女性のとった行動は自然にでた行動であろう。育てられたご両親の素晴らしさをみる思いであった。
素晴らしかったのは、この女性だけではない。「どうも、ありがとう」 そう言って、彼女の行為に感謝の言葉を出した後続の人である。
後ろからくる人のために、さりげなくドアを支える。そして、受けた行為にさりげなく感謝の言葉を言う。まだ風の冷たさが残る日ではあったが、ほのぼのとした暖かさを感じた一日であった。
2006/05/05(金) まさか・・の話
「お金を払っているんです、うちの子に”いただきます ごちそうさま”と言う言葉を強要しないでください」 という母親がいる。そんな話は聞いていた。ものの道理を知らないということのたとえ話だと思っていた。
学校での給食の時間、手をあわせ「いただきます」 「ごちそうさま」 と言う。お米や、野菜をつくってくださった方や、料理してくださった方々に感謝の手を合わせる。当たり前のことだと思っていた。
ところが、「それが現実にいるのよー、くまのさん・・」 真面目な話だそうだ。今日会ったお母さんたちが話してくださった。お金を払っているのだから、給食が出るのは当然のこと。誰にもお礼の言葉など述べる必要はない、というお母さんがいるのだそうだ。それも一人や二人ではないと言う。
さらに驚くべきは、給食費さへ支払わない家庭さへあるのだそうだ。どうして? 「だって、請求がこないもん・・」 「支払わなくてもちゃんと給食は当たっているようだし・・ それに、○○さんのところだって払っていないんだもの・・」
子どもが悪くなるのは学校のせい、勉強が出来ないのは教員のせい。子どもの安全が脅かされるのは地域のせい。
「えーっ!? わたしに子どもの躾をしろってー?」 「冗談じゃあないわよ、わたしはパートで稼ぐのに忙しいのよー、そんな時間あるわけないでしょっ・・」 言葉を失ってしまった。
2006/05/06(土) 陽気に誘われて
久しぶりの好天だった。陽気に誘われて近くの丘に出かけてきた。ひょっとして桜の花が見れるかなと淡い期待を抱いていたが、さすがにまだだった。
そう言えば、いつもなら山のあちこちに見えるはずのこぶしの白い花さへ今年はまだ見えない。桜はこぶしのあとだ。だが、この陽気が続けば、くま日記にアップできるのもそう遠くはないはずである。
こういうときは足元に目を転じるのがよい。ちょっと見渡すだけで色んな花が目に入る。エンレイソウ、水芭蕉、エゾエンゴサク、福寿草、そしてキクザキイチゲ(一輪草)などが目を楽しませてくれる。
行く道々、紫ツツジや、鮮やか黄色のれんぎょうも目に飛び込んでくる。そうだ、もう少しすると洞爺湖畔の梅の花も満開を迎える。楽しみな季節になった。
2006/05/07(日) 詩吟の伴奏
ある流派の詩吟発表会があり、尺八での伴奏をさせていただいた。使用した尺八は、1本から9本まで。つまり、2尺3寸から1尺5寸までの多岐にわたった。
1尺5寸(9本)の尺八を使うことは最近少なくなった。民謡で、子ども達を指導しているときは1尺3寸という短いものまで使ったこともあるが、最近は持ち歩くこともない。高齢化が進んでいるのは詩吟でも民謡でも同じである。必然的に長い尺八を使うことが多くなった。
もっともロ調の他に、ハ調とかレ調に移調して吹くことも出来るから長い尺八を使わなくてもいいのだが、音味が違うので吟者も唄う人も好まないようだ。
ネットで調べてみると、詩吟の流派はとても多い。身の回りでは3流派くらいしかしらないが、吟じ方はそれぞれ異なる。さらに詩吟には、漢詩、和歌、俳句、新体詩などがあり、すべて吟じ方が違っている。
詩吟の尺八伴奏の機会は年に2−3回。あらかじめプログラムが送られて来ているときは、それなりの予習ができるがいつも緊張する。
吟でも、民謡でも伴奏が唄を殺すようなことがあってはならない。そう言った意味では、いつも真剣勝負である。
2006/05/08(月) 新聞の切り抜き
新聞の切り抜きを続けている。スクラップブックを使い始めて一年が経過した。すでに25冊を超えた。
使っているスクラップブックはコクヨスクラップブック(スパイラル綴じ・固定式)である。色は4色ある。赤、青、黄、それに茶の4色である。最初に使ったのが黄色、これが15冊。そして現在赤色を使っている。いま10冊使った。あと5冊使ったら、次は青色と決めている。
15冊にした理由は特にない。最初に使った黄色が、昨年の暮れまでで区切りとなった。じゃあ、今年はと赤色を使い始めたのだが結構切り抜きの量が多く、今年一年が15冊だけでは到底終わらない。今年一年だけでも、何色にもなりそうな気配である。適度に色が変わった方が見た目も楽しいと割り切っている。
このコクヨのスクラップブックのいい点は、二つある。一つは、A4の大きさがそのまま貼れること。今ひとつは、スパイラル綴じなので、ぐるりと反対側に折り返すこともできる。後からコピーもとりやすい。そうそう、安価なのも特徴の一つ。遠慮無く使える。
新聞の記事の大部分はA4のサイズ内に収まるのだが、時々それを超えるサイズがある。特集ものなどである。細々と切り取る作業が増える。この時ばかりは、少々嫌気がさす。
2006/05/09(火) バックミラー越しに見える顔
猛々しい女性が増えたのではないか、最近そう思えてならない。とりわけ、車の運転中そう感じることが多い。
ウインカーをあげないで割り込む、スピード任せに追い越しをかける。そうした車の大半は女性である。勿論男性の運転する車に、そうした無謀な運転をする車がいないわけではない。しかし、圧倒的に女性の運転手に多いのである。
猛烈な勢いで追いすがる女性の車をバックミラー越しに見ていると、ある共通した顔つきをしていることに気づく。やや首を前に突きだし、周囲の状況に関係なくひたすら鋭い目線で前を見据える。そう、盛りのついた雌猫そっくりの顔つきである。女性の方から顰蹙を買いそうな表現で恐縮だが、実際にそう見えるのだ。
合計特殊出生率の低下と関係があるのではないかと意味もなく考えてしまう。
女性はやはり楚々とした風情が感じられる方が似合う。タバコを吸う姿は男性でも女性でも似合わないものだが、女性の運転中のくわえタバコほど似合わないものはない。
素敵な車で悠然と走っている車を見ると、運転する人の心の美しさまで伝わってきてうれしいものだ。女性は美しい方がいい。
2006/05/10(水) 道新文化センターの講座受講
道新文化センターの講座を受けることにした。今日がその最初の日だった。毎月一回、9月まで続く。合計で5回ということになる。
実は、講座は4月から始まっていたのだが知らなかった。つい最近の新聞によって存在を知り申し込んだのだ。
受講生は、16名。クラスとしては最適の人員だと思う。これ以上多いと密度が薄くなり、少ないと圧迫感を感じる。講習時間も、1時間半と集中力が途切れない長さに設定されている。
講習の内容だが、あらかじめ課題を与えられ、その出来具合を講師が指摘するというものである。次回からは、講習生同士が互いに批評しあう形になるらしい。自分のことだけでなく、相手のことにも気を配らなければならないように設定されている。
自分のことだけで精一杯なのにと思うのだが、自分の質を高めようとするならば、他人のことが正しく評価出来る力が必要なのだ、ということらしい。言われてみればその通りだ。やや気が重い。しかし、講師を前にして止めるわけにもいかない。とりあえず9月まで受けることにした。
で、肝心の講座内容だが、それをあかすのは9月まで置こう。変化があるや否や・・。
2006/05/12(金) まさに泥沼状態
一向に回復の兆しがない。まさに泥沼状態である。昨シーズンも出足は悪かった。しかし、ここまでは悪くなかったのだ。
まず、ドライバーショットの曲がりが大きい。昔のスイングに帰った感じである。こする、押し出す、ひっかける。まるでいいところがない。グリップ、スタンス、軸のぶれ 打つ前にすべて確認済みなのにである。
ドライバーが悪いとアイアンにまで影響が出る。最近、練習場ではアイアンはほぼ満点の出来である。距離は出る。方向性はいい。自ら惚れ惚れとするような切れのいいショットが打てるのだ。が、それすらも狂いが出るのだ。
救いは、パッティングある。なんとか気力を萎えさせないで、最後まで廻ることができるのは、そのおかげである。それとて、長い距離がズバッと入るわけではない。しかし、入れごろはずしごろの距離がまあまあ入るのである。
今夜、これからまわったメンバーと反省会をする。
「くまのさん、日記は早めにアップしておいた方がいいよ・・」 どうも、やけ酒になりそうな気配を見透かされたような I 山さんの言葉だ。
今日の反省会の支払いは、全てのメンバーからチョコレートを取り上げた K さんのはずである。でも、今日は控えめにするつもりだ。しかし、日記だけはアップしておこう。
2006/05/13(土) 普段の7割の力が出せればいい
民謡の発表会・大会が目白押しである。
明日5月14日(日)は、登別民謡連合会の発表会。21日は、江差追分全国大会の日胆地区予選会。
6月に入ると、4日 室蘭地区民謡連合会道大会に向けた予選会。10-11日は、江差追分の地区研修会。18日は、北海道民謡連盟主催の道新杯争奪大会。
7月は、登別民謡連合会の市長杯。次の週は、民謡・民舞北海道大会などなど。
出場者は練習に余念がない。普段の練習と同じように唄えることが理想だ。出来るだけ唄いやすいように伴奏を心がけている。が、舞台の緊張から実力が出し切れないのが常である。時に、ベテランと言われるほどの人でも舞台で足が震えているのを見ることがある。
飲んだ勢いでのカラオケならいざ知らず、大勢の観客を前にして緊張するなと言う方が無理だろう。普段の練習の7割の力が出せれば充分だ。明日は気楽に歌ってくださいねー。
2006/05/14(日) 美味しい料理だった
「くまのさん 最近、ちょっとお腹の出すぎでないのー」 今日、何人かの方から言われた。わざわざ膨らんだお腹をポンポンと叩いて、肉の付き具合を確かめる御仁までいる。
「和服の似合う体型になったと言ってくださいよ」 と言うことにしている。ベルトで締め、上着で覆い隠すことが出来る洋服と違って、和服では膨らんだ体型を隠しきれない。健康を気遣ってくださる方へ感謝しなければ・・。
男性は85p、女性は95pのウエストを超えると様々なことで危険性が高まると言う。今夜の会合でもその話になった。
出された料理は、美味しいから、あるいは、残すのはもったいないと言ってたいらげる。会話の合間にビールを飲み、こうした料理にはやはり日本酒が、などとほざきながらいつものパターン。
それにしても楽しい懇親会だった。若いオナーは、かつて帯広市でボーイスカウトに入っていたという。仲間意識の欲目を差し引いても、料理の味はお勧めである。「行者にんにく」の天ぷらは絶品だった。名前は、「Y乃」。是非、ごひいきに。
2006/05/15(月) しだれ桜と並木
やはり咲いていた。新聞に載らないので、まだかと思っていた。伊達市弄月町の個人宅に咲く、しだれ桜である。3年続けて観に行っているが、今年も時期を失した。そんな感じがする。
と言っても、盛りを過ぎたわけではない。2-3日早いほうがよかったのではないか、そんな程度である。いつも感じることだが、ここのしだれ桜は花が大きすぎる。もう少し可憐さが欲しい。それに色合いも白っぽい、もう少しピンク色が濃ければなおいいのにと欲張りなことを願っている。
しかし、そんなことでこのしだれ桜の見事さが減点になるわけではない。「しだれ」は、小枝がシダレヤナギのように垂れ下がるエドヒガンの変種を言う。樹齢は確か30年を超えるはずである。
ついでに足をのばして気門別川沿いの桜並木も見てきた。ここは場所によって、つぼみも残っている状態だった。
往復3qの散策は、この時期、ここを訪れる人にのみ与えられる素敵なひとときとなる。
2006/05/18(木) 焼きそば学会
生き生きとした楽しそうな顔、自分が住む町の素晴らしさを述べる熱い語り口。視察をさせていただいて素晴らしいと感じる場面に必ずと言ってもいいほど登場する仕掛け人の人物像である。
総務・教育委員会では、5月16日から三日間の視察を終えて今日帰ってきた。訪問したのは、静岡県富士宮市、富士市、そして埼玉県鶴ヶ島市の3市である。
最初にお会いしたのは、「富士宮やきそば学会」 会長 渡辺英彦氏。たかだか「焼きそば」である。その「たかだかの焼きそば」を食べるために、年間30万人もの人間がこの富士宮市を訪れるそうだ。
もともと他の地方とは少しだけ違った麺を使っていた。それを口にしたメンバーがいた。「富士宮の焼きそばは他と違う・・」。これがヒントだった。
学術活動でもないのに、「学会」を名乗る。活動メンバーを「やきそばG麺」と名乗る。「三者麺談」「やきそば伝道使節団」「ウミャー(宮)そば」。おやじギャグ満載。仕掛けの確かさ、ネーミングの上手さ。
「焼きそば」の味も、勿論美味かった。
2006/05/19(金) 明日という日もある
出張などで家を空けて困るのは、新聞が溜まることである。ホテルの新聞を読んだり、テレビニュースなどを見たりしているので、あらためて目を通さなくても支障はなさそうだが、それでも気になってめくることになる。
3紙の朝・夕刊に目を通すのは結構しんどいものがある。一面の記事は、余程のことがないかぎり素通りして良い。出張途中で、すでに目にした内容だからである。気が抜けないのは、地方のニュースである。死亡広告も見逃せない。お世話になった方々に礼を欠くことになりかねないからだ。
次いで日頃気にしている記事。切り抜いてスクラップブックに残しておきたい記事である。小さくても、後から必要になってくるものもあるから一応、全面に目を通すことにしている。疲れていたり、他の用事が立て込んでいるときはつい雑になる。
問題はその後の切り抜き作業である。今日はさすがに嫌になって途中で投げ出してしまった。
「今日出来ることを明日に回すな」 という格言もあれば、「明日出来ることを今日やる必要はない」というのもある(?)。
2006/05/22(月) 緩んできたようだ
戒めなければならない。少し、緩んできているのではないか。他でもない、自身の気持ちの弛みである。
例えば、この日記。少々飲み過ぎていても、疲れていても、余程のことがない限り毎日アップする。そう決めていたはずである。
昨日は確かに疲れてもいた。終日立ちっぱなしだったし、懇親会を終えた後にお客さんを乗せて会場の早来から千歳駅まで送って家路についた。食事を終えたのは確かにおそかった。
それでもパソコンに向かう時間がなかったわけではない。一昨日は千歳のホテル泊まりだった。疲れに「ま、いっかー」つい、甘えが出たのだ。
「書けるときに書き、書けないときには休むと言うのではない。書けない、と思ふときにも、机の前に坐るのだ。すると、ついさっきまで、今日は一字も書けない、と思った筈なのに、ほんの少し、行く手がみえるやうな気がするから不思議である」
いつか、宇野千代さんのこの言葉を引用したではないか。甘えがあってはいけない。
2006/05/23(火) 明日の神話
縦 5.5メートル、横なんと、30メートルという壮大なものだそうだ。「明日の神話」と名付けられた岡本太郎の原爆を描いた壁画である。
「燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も……(略)」<岡本敏子氏>。
一時、所在がわからなかった原爆炸裂の瞬間を描いたと言われる巨大な壁画が偶然に見つかったのは、2003年のことだ。愛媛県東温市での修復作業も順調という。
問題は恒久的な設置場所が決まっていないことだ。広島市や長崎市で誘致活動が起こっているという。個人的には、広島市に決まって欲しいと願っている。
現在の原爆記念館の近くに、いつでも誰でもが見られるようにして欲しい。それは、きっと作者岡本太郎の願いでもあるはずだ。
ピカドンの光も、音も、そして、むくむくと不気味に拡がったきのこ雲もまだ記憶の中に生きている。
今年の夏には修復なって、都内で公開されるという。記憶の重なりを確認したい。
2006/05/24(水) 改良尺八オークラウロ
持っている尺八は全て5孔である。表側に四つ、裏側に一つの穴があいている。
最近、7孔にしてみないかと勧められることが多い。1孔、つまり一番下の孔の斜め下に小さな孔をあける。さらに、3孔、4孔の中間にもう一つ小さな孔をあけるのである。
こうすることによって、半音が出しやすくなる、と言うのが理由である。
結論から言って、7孔にするつもりはない。5孔のままで、自分の求める音が出せるようになるのが願いである。
とりわけ、難しいと言われる半音、あるいは滅り音と呼ばれる微分音を豊かな音量で吹けるようになるために練習をするのが尺八の楽しみでもある。
利便性のみを追求すれば、昭和の初めに出た大倉喜七郎が考案した「オークラウロ」に行き着くのではないか。
半音階が、自由に速くは吹けなくても、それを目指す楽しさがあった方がいい。「オークラウロ」が、普及しなかった理由はその辺にあるのではないかと思う。
2006/05/25(木) リサイタルが目白押し
室蘭市在住の音楽家のリサイタルが相次いでいる。5月14日には、菅原峰子さんのソプラノリサイタルが開かれた。7月17日には、遠藤芳恵さんのリサイタルが開催される。
このお二人には、昨年登別市文化協会の40周年記念事業 第九のソリストとしてご出演いただいた。素晴らしい声を披露してくださり、お陰で第九は好評裡に終了した。
関係してくださった方々の名前が報道されると、つい応援したくなる。
この28日には、北海道交響楽団の公演もあるそうだ。指揮者の川越先生はじめ、団員の方々には本当にお世話になった。ただ、札幌での開催となると、わかりましたと応援に駆けつけることも出来ない。成功を祈るばかりである。
第九の実行委員を仰せつかったお陰で、それまであまり縁のなかった方々の名前を知ることが出来た。また、声楽の素晴らしさや、西洋楽器の音にに対する関心も深まった。
菅原峰子さんや遠藤芳恵さんのリサイタルは、いつも多くの観客で会場が埋まる。それは勿論歌唱力の素晴らしさもあるのだが、和楽器の場にも、多くの方の関心が集まれば、なおいいと願っている。
2006/05/26(金) いかなる人物か
登別市担当になりました、という挨拶の意味合いだろう、役所内にある机の上に1枚の名刺が置かれていた。名刺にはY中某とあった。
家に帰ると、一通の葉書が届いていた。こちらは、「ひっこしました」の転居挨拶である。転職を機に住所を移しました、とある。
偶然とはいえ面白い。名刺の主は、新任の記者。引っ越しの挨拶状は、旧記者。いずれも、D新の記者である。
D新の記者には、個性的な人物が多い。企業からは煙たがられていたM記者。今は、旭川で活躍中である。まむしのようなO記者。彼には、少々痛い目にあった。今は、札幌のはずである。彼等はいずれも男性である。
その点、記者としての鋭さを備えつつ、女性記者には優しさもあった。母親と主婦とを兼ねながらがんばっている I 記者。それに、引っ越しの挨拶状をくれた米国帰りのS記者などである。
挙げた記者諸氏とは、一献傾けあったこともある。後任のMu記者、U記者も含めて、個人的には、それぞれ魅力に溢れていた。
さて、くだんの名刺氏 Y嬢。いかなる人物か。楽しみではある。
2006/05/27(土) 走ることも積み重ね
えっ、こんなところまで? と思うような場所で友人を見かけた。ジョギング姿である。相変わらず足取りは軽い。スキー仲間だ。
彼とは一緒にジョギングしたことがある。スキーの指導員を目指していた頃だから、もう30年近くも前のことだ。そのころと変わらないバネが見える。
走ることも積み重ねだそうだ。自らフルマラソンを走る I 山議員が言うのだから間違いない。42q余。気の遠くなるような距離だ。
いつも思うのだが、フルマラソンを走っている人の顔には哲学者の様相がある。きっ…と、前を見据えた顔には他人の入り込めない厳しさがある。
先週の日曜日、洞爺湖マラソンがあった。 I 山議員にとっては不本意な成績だったようだ。ブログに、その悔しさがうかがえる。
似たような悔しさを、実は当方も味わった。走りではない。唄でである。先週、江差追分の地区予選があった。唄いきって、点数が低かったのならあきらめもつく。途中で息切れだ。最低の50点。
ここにも、積み重ねが求められる。自戒。
2006/05/28(日) 悪戦苦闘
借用したパソコンに自宅のプリンターを認識させたい。たったそれだけの作業になぜこうまで時間がかかるのか。これまであったように、もがき苦しんだ。
ヘルプを読んで解決したことは一度もない。パソコンでも何でもそうだが、素人にはわからないような説明の仕方になっているらしい。
ものを作った側に立って説明しているか、あるいは使用する立場にたって書いているかの差があるのではないか。
わからないものの最たるものは、裁判所からくる文書である。「訴状」 受け取っただけでびっくりである。「……所有権時効取得にもとづき不動産所有権移転登記手続きを請求し本訴に及んだ……」いつの間にか被告になっている。
なんのことはない。相続権利人が多くて、いちいち捺印を求める状況にないので、この書類でもって私(原告)の言うことを認めて欲しいという内容だ。もっとわかりやすく書けないものか。
翻って身近なところでこれに似たケースはないのか、一度見直してみる必要はある。
2006/05/29(月) 梅も・・
今日、思い立って壮瞥町の梅の花を観に行った。結果は無惨。写真の通りである。
これほど遅かったのは例がない。今年は全ての場所でタイミングを失してしまったようだ。
今年は寒かったから、花の時期はやや遅めである。と、勝手な思いこみがあったようだ。
決してそんなことはないのだ。春を待ち望んでいた花々である。春を待ち望んでいた木々である。
残る雪の量が少々多くても、吹く風に冷たさが残っていても、輝く陽の光の暖かさを感じる触角は研ぎ澄ましてあるのだ。
一気に開き咲き誇った。観る側にそれを感知する力がなくてはならない。うーん、残念ざんねん。
代わりに、洞爺湖の素晴らしい景色が埋め合わせてくれた、と思うことにしよう。
2006/05/30(火) ワイパー交換
わずか1600円余。こんなことなら早く変えればよかった。度の合わないメガネから、きちっと検眼して新しいメガネに買い換えたようなすっきり感がある。
車のワイパーの交換である。ゴムの老化によるのだろう、何本かの筋がはいる。筋だけではない。助手席側は、5pの幅で全くふき取らなくなっていたのだ。昼間はまだいい。雨の夜間は、特に視界の良さが求められる。
わずか、5分あまりで交換なった。気になりつつも、ついつい先延ばしになっていたのだ。気になることは夜を徹してでも片づけたいくせに、どうでもいいことはつい後回しにする癖があるのだ。
思いついたらすぐにメモがとれるように、眠る枕元にメモ用紙を置いておく、という人がいる。そこまでしたことはないが、アイデアがぐるぐる一人歩きして一晩中眠れなかった経験はある。
子どもの頃、明日に控えた遠足のことを考えて眠れなかった経験の持ち主は多いはずだ。楽しさに目が冴えるのはいいが、運転中に眠気を催すのは厳禁だ。
ワイパーでぬぐい取られたガラスほどに、常にクリアな頭でなければ・・。
2006/05/31(水) 依存症と言えば
以前、依存症と言えばアルコールに決まっていた。断酒会に入って、立ち直った人を知っている。本人の苦しさにうち勝つ努力も、勿論あった。それだけだけではない。家族の支えがあってのことだった。
今日のテレビで、パチンコ依存症が取り上げられていた。パチンコにのめり込んで、会社を辞め、挙げ句の果てに家庭まで崩壊したケース。あるいは、借金苦に自ら命を絶つケースなど様々なケースがあった。
依存症になるメカニズムはよく知られている。パチンコが大当たりすると、脳内麻薬物質が分泌され、それまでリーチが来るたび興奮していた脳がリラックスした状態になるという。
逆にこの物質が減るとイライラし、体がこの物質を欲するようになる。パチンコ依存症はこうした繰り返して出来上がっていくのだそうだ。
止めたくても止められない。深みにはまるケースである。
似たようなものに、たばこ依存症がある。今日は、世界保健機構(WHO)が定めた世界禁煙デー。日本は、世界3番目の喫煙大国だ。
止めたいと思っている人も多いはずだ。禁煙パッチの保険適用は、明日スタート。